第8話 単一酵母とサワー種

「初めよっか」

「あ、うん。……で、何作るの?」


 肝心のパンの種類、聞いてなかった。

 やっぱりオーソドックスはタイガーブレッドかな? 小麦粉で作ったパンの上に、米粉で作ったトッピングを被せて作るパンのことだ。ヒビが入る焼き目が、虎の模様に似ていることから、そう呼ばれる。

 そうだね、とエレインが考え込む。



「多分彼女、甘いパンが好きだと思うから、ブリオッシュとかどうだろう。さっきユリアも食べたって言ってたし」

「おお、いいね」



 懐かしいな、と私は思い出す。

 ブリオッシュは各地で作られる菓子パンだけど、畜産が盛んで、バターが豊富に使える地方でよく作られる。マーサさんも、畜産が盛んなスコニア国出身だ。

 エレインは手慣れたように、小麦粉、牛乳、砂糖、卵、バター、塩、そしてイーストの分量を量った。やっぱり魔法使いたるもの、森で実験しているのだろうか。


「……今日は、生イーストじゃないんだ」

「今回は、乾燥させたイーストを使います」


 私は粘土状になった生イーストではなく、顆粒状になったドライイーストを取り出す。

 ブリオッシュみたいな甘くてふわふわなパンは、生イーストを使うといいらしい。だが、我々は素人。生イーストは発酵時間が短いのだけど、温度や湿度に影響されやすい。体温などでも発酵するので、手際が悪い我々だと、まごまごしているうちに過発酵させてしまうかもしれない。

 ドライイーストは発酵時間がかかるが、温度や湿度に影響されず、レシピに従って作ればまず失敗しない。……はず。パン作りは久しぶりなので、いささか自信が無いけれど。


 エレインは牛乳の入ったボウルを抱えると、呪文を唱えていた。渡されたボウルを触ると、ほんの少し温かい。


「ほい104F°。魔族領だと、40℃なんだっけ」

「人間領と魔族領じゃ、単位が違うのが難しいよね~」


 人間領だと華氏使うけど、魔族領だと摂氏だからなあ。異文化交流のなんと難しいことよ。

 ぬるい牛乳に、とかしておいた卵と砂糖を混ぜ、そしてほんの少しのイーストを加えて少し待つ。


「イースト、そんなに少なくていいん?」

「あんまり入れると、過発酵するからね」

 

 さらに小麦粉も入れて捏ねる。最初は牛乳と卵液の上でぷかぷか浮いていた白い粉も、徐々に混ざってクリームイエローに変わっていく。

 結構根気が必要な上面倒くさいので、エレインの魔法で混ぜてもらった。やったね。

 しばらく魔法操作による風圧でこね続け、引き伸ばしてみると、薄い膜のように伸びていった。グルテンだ。これがちゃんとなってないと、発酵しても膨らまず炭酸ガスが抜けてしまう。

 さらにバターを練り込ませてこね続けると、ツヤが出てきた。両手に乗せてみると、とろーんと、黄色の生地が手のひらから溢れる。だが、穴はあかない。


「……まあ、こんなものかな」

 

 まな板に粉を打ち、手で捏ねて形を整えて、ボウルに入れる。

 その生地を、『温度調整の箱』と呼ばれる魔法道具に入れた。



酵母イーストはね、穀物の糖分、この場合は砂糖とか小麦粉の糖分を食べて、代わりにアルコールと炭酸ガスを出すの。炭酸ガスは、ビールとか想像したら、わかりやすいでしょ? その炭酸ガスを利用してパンを膨らませるわけ」

 

 ほほう、とエレインは言った。



 

「つまり酒やパンは、酵母のうんこで出来てると」

「君が微妙に遠巻きされるの、そういうとこだぞエレイン」




 言っていることは間違いないけど。

 

「イーストが多いと、その分発酵が進んで甘みがなくなるし、炭酸ガスが多くなって、逆に中身がスカスカになるんだよ。

 と思えば、中々発酵しなかったりして、色々調整が難しいんだけどね」

「難しいね」

「そう。難しいの」


 酵母イーストは生き物だ。調子の良い日もあれば、悪い日もある。

 純粋培養した酵母でさえそうなのだから、店にいる酵母を使ってパンを焼くパン屋さんたちには脱帽だ。


「パン屋さんにいるパン酵母は、パン酵母だけじゃなくて、乳酸菌とか別の菌もいるんだよね」

「乳酸菌って、ヨーグルトとか作る菌だっけ」 

「そう。だから、パン屋さんのパンは酸っぱいものもある。サワー種ってやつ。

 でも、腕の立つパン屋さんは、それすら美味しい味に変えるんだ」


 乳酸菌は、糖を分解することで乳酸を作る。この乳酸は、パンの旨味を引き立てるだけじゃなく、食中毒となる雑菌の繁殖を防ぐのだ。だから昔ながらの黒いパンは、単一酵母で作るパンと違って長持ちする。

 経験と感覚で菌たちを操るパン屋さんは、まさに『神様の奇跡』だ。


「一度、パン屋さんのキッチンを、これで見たことがあってさ」

「ああ、その眼鏡、魔法道具なんだっけ?」


 私が掛けている眼鏡は魔法道具であり、肉眼で見えない菌を見ることが出来る。主に食中毒や感染を確かめるために使っているのだけど、その時は知的好奇心で見た。


「店に酵母や乳酸菌だけじゃなくて、色々いたんだけど、その子たちパン屋さんの後を追いかけるみたいにくっついててさ。

 なんか、菌たちから愛されてんなあ、って思ったんだよね」


 単一で培養した酵母イーストは、店のサワー種を追い出してしまうかもしれない。そう思ったら、無理に入れるのは気がひけた。


「神様は見えないけれど、ああやって寄り添ってくれていることを、パン屋さんは知っているんだな、って」

「……神様は信じないんじゃなかったっけ?」

「私は信じないよ。でも、その人を通して見る神様なら、いると思う。エレインだって、別に顕微鏡で見なくても、私がいるって言ったら信じるじゃん」


 そう言うと、エレインはしばらく黙っていたけれど、


「……うん。なんか、わかるかも」


 と、言った。


「私も信じちゃいないけど、人の目で通してなら、あるって思えるものあるし」

「え、なあに?」





「平等、公平、自由。

 差別や偏見のない世界。

 多様性を尊重する社会」




 ……そう微笑んで言うエレインに、私は言葉を失った。


「そんな顔、せんでよ。私は信じないけど、あなたたちが信じているそれに、ずいぶん救われた。

 知ってるでしょ。村は、教会を中心に回ってんの」



 それは、いつか魔族領の魔法使いや、先生から聞いた話。

 このポルダー王国ではほとんどなかったけれど、他の国では『魔女狩り』というものがあった。種族としての魔法使いから、魔力が使える人間の魔法使い、ただ知識を持っている、政治的に邪魔だからという理由で殺されたという。

 その虐殺は、特に村で行われていたという。多くの村や都市は教会を中心に立てられるが、商人や貴族たちが力を持つ都市や領地と違い、ほとんどの村は教会を中心に回っていた。




「よく勘違いされるけど。

 聖光教会が魔法使いを虐殺しろ、と命じたわけでは無いのは、モルゲンも知ってるよね」

「うん……」

 

 聖光教会は唯一神教だから、多神教に対する否定や、そこから派生した魔法を禁じた法律はあるけど、実際に聖光教会が魔女裁判を行ったわけじゃない。

 そのほとんどは、民衆の暴走だ。

 そしてポルダー王国では、虐殺までは行かないが、追放されたり、迫害されて都市に逃げてくる人々は少なくなかった。――エレインも、その一人だ。


「山に囲まれて孤立した小さな村はさ、そう簡単に村と行き来できるわけじゃないから、変化や異物があったら命取りなんよ。

 天候が悪くて実りが少なかったら、冬は越せないかもしれない。感染病が流行ったら、滅亡するかもしれない。魔物が襲ってきたら。災害があったら。それら全部、神様の怒りかもしれない。

 だから過激なまでに教義を守ってすがるし、同じことを続けて変化を避ける。

 まあ……本当は、理由なんてないのかもしれないけど。何となく嫌とか、難しくて面倒くさいとか」

 

 イーストみたいに単一のモノなら、簡単に安全に、美味しく管理できるじゃん。

 エレインの言葉に、私はキュッと唇を噛む。


 ……さっきも言った通り、酵母や乳酸菌は、毒となる腐敗菌を防いでくれる。酵母や乳酸菌が出すアルコールや酸は、他の菌が繁殖するには不利な環境なのだ。そうやって、自分たち以外の微生物を排除して、自分の集団を繁栄させる。

 自然界においても、異なるものを排除して自分の集団を守るのは、機能の一種なのだ。

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