第7話 教会の許可を得て作るパン屋さん
「いやー、まさか虫が苦手とは」
エプロンを身につけ、三角巾を被ったエレインが、しみじみと呟いた。
私は髪の毛が食品に入る可能性があるので、三つ編みの房をぐるっと巻いて一つにまとめる。
「虫を見て悲鳴をあげるなんて、トゥール以外で初めて見た」
「いや、まあ……うん……」
確かに虫は得意じゃないけど、多分あれは、「また師匠が、ゲテモノを商品にしようとしている!」っていう心配の悲鳴だと思う。――と、正直に言うのは、あまりに自分が情けないので黙った。
……ぶっちゃけうちの店って、ユリアが発案した発酵美容品で回っているんだよね……。私が発案した発酵食品は、ことごとく「怪しい」と言われて全く受け付けられなかった。
でも冬虫夏草も美容にいいんだよ、ユリア……。
「にしてもこのキッチン、広いね」
エレインがぐる、っと辺りを見渡した。
エレインが言う通り、このキッチンは広い。真ん中に作業台があっても、広々と見えるだろう。
壁紙と木の
キャビネット型の『冷蔵の箱』などの魔法道具を置いているこのキッチンでは、実験や培養をすることもある。本格的な実験や培養は、地下でやるけどね。
そう言うと、エレインはへー、と言った。
「なんかモクムの建物って、横幅は狭いし、螺旋階段は急だし、道から見たら窮屈だと思ったけど、意外と奥にスペースとってんだね」
「うん。モクムは港町な上、魔族領と人間領を繋ぐ街だから、裕福な貿易商の人たちが多いんだ。
だから百年前とか、人間領と魔族領、どちらからも税金をガッポガッポと取られまくられて」
「わー……」
「その中に間口税っていうのがあって、建物の間口の幅で税金が決まったらしいから、皆細長くなったんだって」
つまりこの家の形は、節税対策なのだ。ヒトって色々考えるなあ。
「でも、階段がこんなだと、上の階まで荷物運ぶの辛くない?」
「建物の上部に、出っ張った梁見たことない?」
「ああ、あれ?」
「あれ、滑車の代わりなの。あれ使って、家具とか窓から入れられるよ」
「あー、もしかして微妙に建物が道側に傾いているのも、荷物を滑車で運ぶため? 設計ミスじゃなかったんだ」
さすがエレイン。すぐそこに結びつけるとは。
ここは貿易で発達した街なので、一般家庭の家屋としてではなく、倉庫として使われていたところも多い。あの梁を使って、運河に浮かぶ船から商品を運び、保管していたのだろう。
「やっぱ外からだと、生活環境とか、わかんないこと多いね」
「そうだね。私も、この街で暮らして、色んなことが分かってきたし」
旅をしなければわからなかったこともあれば、その地に住まなければわからなかったこともある。
そう思った瞬間、ずっと胸の底にしまっていた思いがふっと出てきた。
「……私さ、旅をしていた時みたいに、皆から受け入れられると思ってたんだ」
気づいたら、口にしていた。
「何? 菌のこと?」
エレインの言葉に、私はうなずく。
「例えばイーストとか、村の人たちは喜んでくれたじゃない? だから、お店を始めた時、パン屋さんに使って欲しいって申し込んだけど、拒絶されたの」
『雑貨店リヒト』は、今は発酵化粧品を主に売る店だけれど、元々は種菌や発酵菌だけを扱う予定だった。お店の名前も、本当は『
例えばワインやパンには、
だけど、実際は。
『そんな怪しいモン使えるか! 私は古くからこの製法で作ってるんだ !』
『すぐ食べないといけないパンだと!? パンをなんだと思ってる!! パンっていうのは、もっと大事に食べるもんだ!!』
――街のパンギルドより。
こてんぱんにされてしまった。ぐすん。
「でもよく考えたら、パン屋さんは神様から直々に与えられた職業なのに、それをポッと出の人間がばらまいていたら、嫌な気持ちしかしないよね」
――まだ
昔は、小麦や大麦を粉にして練って、焼いているだけの、無発酵パンだった。それがある日、焼く前にパン生地を放置していたため、空気中の
それを偶然発見した人間は、「神からの贈り物」だと考え、代々受け継がれた種を使って
ゆえに、パン屋さんで作られるパンには、聖光教会の象徴である十字の切込みがされている。なぜなら、ちょっと前までパンを作る権利は教会に独占されており、一般家庭で作ることは許されなかったからだ。
数年前までパン屋さんは、教会から許可が降りた特殊な職業だった。
「…………まあ私、それ知らなくて、作っちゃったわけだけど」
パンを作ると、セットで自分のやらかしたことを思い出す。
作りたてのパンを村の人達に配った瞬間、アルトゥールくんは顔を引き攣らせ、エレインは両手を頬に当てながら叫び、先生は目を丸くした。
「本当に、大変だったんだからね……あの時」
「パンを自作しちゃいけない法律があるなんて、知らなかったんだよ……」
だって、自分たちで粉をひいて、村にかまどがあって、それなのに勝手にパンを作っちゃいけないとか、そんなことある? あるんだよなあ(遠目)。
なんでも五十年ぐらい前は、認可を得たパン屋さんもそれは厳しくチェックされたんだとか。例えば小麦粉の分量を誤魔化したり、変なモノを入れたことがバレたら、首吊りにされたり樽に詰め込まれたりしたらしい。怖。
「あの時、先生がその場しのぎで『この方は聖女ですっ!』って叫んでくれたから、そのまま聖女になったのよね……」
「今思うと、行き当たりばったりにもほどがある旅だったわ」
その節は、本当にお世話になりました。
魔王城含む【黒い森】の世界しか知らなかった私は、世間知らずの箱入りだった。外の世界に疎い私をカバーするのは、大変だっただろう。
「今は一般家庭でも作っていいことになっているけど、多くのご家庭は、『怪しい人間が作った怪しいモノ』より、『教会から認可の降りたパン屋さんのパン』の方が安心できるんだよね」
マーサさんみたいな人は珍しくて、そんなマーサさんも若い女の子のみにターゲットをしぼっている。
そもそも、パンへ対する意識が違うのだ。
私は美味しく楽しめるもの。フワフワでやわらかくて甘い、その日その日に焼くものだ。
だけど、パン屋さんたちが考えるパンは、巡礼の旅に出ても長持ちするよう、カチカチにする。
保存食の視点から見ているなら、私みたいに毎日消費する在り方は苦々しいに決まっている。ちょっと置いたらすぐカビるパンなんて、プロ意識の高い彼らからしたら、許せないだろう。
食べ物が毒で出来ていたなら、ヒトは死ぬ。信頼できない食べ物に警戒するのは、当然のことだった。
「便利だとか、美味しいとかだけじゃ、食べたことの無いものを食べるキッカケにはならないって。
モクムの街に住み始めて、ようやく噛み砕けた感じ」
ここまで言って、私の心は軽くなった。
今までモヤモヤしていた想いが、ようやく言葉になった。それだけで、気持ちが晴れやかになる。
私がそう言うと、エレインが「あのさ」と尋ねてきた。
「それ、トゥールに話した?」
「え? なんで?」
「いや……」
「またトゥールに恨まれそう」と、エレインがつぶやく。
「…………あのさ、トゥールにも、同じ話してあげて」
「なんで?」
私がそう尋ねると、エレインはさらに頭を抱えた。
なんなんだ一体。そもそもアルトゥールくんとはほとんど会ってないし、再会したのも三年ぶりというのに。
と、そこで、エレインにまだ報告していないことを思い出した。
「あ、そうそう。こないだ、アルトゥールくんに会ったんだ」
「知ってる。多分同じ日に、私も会ってる」
エレインが、間髪入れずに返してくる。
なるほど。アルトゥールくん、あの後エレインにも会ったんだ。だから【黒い森】の方に向かったんだな。
なんだ、何か問題事が起きたのかって心配した。
安心していると、なぜかエレインがじーっ、と見つめてきた。
「え、何?」
「……もしかして、聞いてない?」
ならいいや、とエレインが言う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます