第6話 魔法使いのエレイン
「あなたは、慣れ親しんだ価値を手放しました。
きっとそこには、戸惑いや苦痛が伴ったことでしょう。それこそが、勇気なのです」
魔法使いに言われた時、インゲルは気づいたのでした。
今までの自分が当たり前のことだと思っていたことは、相手にとっては当たり前ではないことに。
鳥になって、インゲルは同じものであっても、見る場所によって全く違う光景があることを知ったのです。
ですが、同時にインゲルは悩んでいました。
「魔法使いさま。私は、新しいことを知りました。しかし同時に、わからないことが増えました。何も知らない頃には、わからないことすら気づかなかったことです。
一体どうすれば、知らずヒトを傷つけてきた自分を卒業できますか」
魔法使いは言いました。
「では、さらなる旅へ行きなさい」
「どこへ向かえばいいのですか」
「ここではないどこかへ。
私たちは目的のために生きるのではなく、進むために生きるのです」
――『インゲルの旅立ち』
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『インゲルの旅立ち』という小説が、巷で大流行らしい。
作者はパルシヴァル・ワーグナー。少年少女に向けて書かれたため、挿絵が多い。けれど大人でも楽しめるもの、と触れ込まれた物語は、確かに読み応えのあるものだった。
あらすじは、インゲルという女の子が鳥になる魔法をかけられてしまう、という話だ。彼女は【黒い森】に住んでいるという魔法使いに魔法を解いてもらうため、旅立つことにした。魔族が住む【黒い森】は恐ろしい、と聞かされていた彼女は、怯えながら進むのだが、さまざまな出会いを通して、真実を見極める目を持つようになる。
今日は珍しくユリアが外出しているので、店には私一人だった。お客さんなんてそう来ないし、どっぷり物語の世界に浸ろう。
と、思った時だ。
軋むような音を立てながら、ドアが開く。するとわずかばかりの光が差し込んだ。
私が慌てて本を閉じると、天板に少しだけ降り積もっていた埃が舞う。その埃はまるで金粉のように、地上から届くわずかな光芒をキラキラと反射した。
パタン、とドアが閉まると、部屋が一気に暗くなる。逆光になっていた人物の姿が見えるようになった。
「いらっしゃいま、……」
反射的に挨拶をしようとして、私は途中でやめる。
そのヒトは、紫にも見える黒いコートを身につけている。フードも被っていて、顔も見えない。
――不審者?
平和なモクムの街だけど、人間と魔族が一番住んでいる街だからと、テロの標的にもなりやすい。
カウンターのすぐそばに置いている、トネリコの杖をギュッと握りしめる。
けれど次の瞬間、その警戒は徒労となった。
「おっす、モルゲン。元気してた?」
ダウナーな口調なのに、どこかお茶目さを漂わせる声の主が、そう言ってフードをとる。
フードが落ちた瞬間、苦く清涼感のある草の匂いがした。
現れたのは、短く切った、ボサボサの赤い髪。造形は中性的な美人だが、目付きと表情には覇気を感じず、化粧など一切していない。乾燥しているのか皮膚がところどころ赤くなっていて、ニキビ跡やそばかすも見える。
ただ、アンバーの目には強い意志を宿していて、見るものをハッとさせた。
その姿を見て、私は驚いた。
「エレイン!? 珍しいね、町に来るなんて」
彼女は、元勇者パーティの一人で魔法使いの、エレイン・リィシャーだった。
「珍しいって……私はトゥールと違って、何ヶ月か前には会ってたはずだけど?」
呆れたように、エレインがため息をつく。
トゥールとはアルトゥールくんの愛称だ。確かに、彼と比べたら頻度は高い方だけども。
「でも頻繁には来ないじゃん。近所に住んでるのに」
「【黒い森】を近所って……まあ、隣なのは間違いじゃないけど、どっちも広すぎて、船使わないと行けないっての」
ところで、と彼女は言った。
「イースト、売ってる?」
「売ってるよ。何? 自分でパン作るの?」
それも珍しい。
私たちのパーティは、基本「自分のことは自分でやる」のが条件だったので、皆料理は出来る。そうでなきゃ仲間とはぐれた時、命に関わるからだ。
でも、エレインは食に興味がなく、そのせいか手際も悪い方だった。
ちなみに、私はそこそこ作れるけど、同じ料理をグルグル回して作るタイプ。アルトゥールくんは味は美味しいけど、珍しい調味料や香辛料がないと作れなかったり、余り物から作るというのが苦手。結果、先生が一番上手だったなあ。先生は先生で大量に作るから、消費するのが大変だったけど。
私が昔を懐かしんでいると、エレインは頭をかいた。
「その、実は最近、友達ができたんだけどさ。その子吸血鬼で、出来たてのパンを食べたことがないって言うもんだから……」
「え、エレイン、吸血鬼族と仲良くなったの? どこで会ったの?」
勇者との旅が終わった今、エレインは基本引きこもりだ。人間なので生活必需品を買いに出ることはあるけど、さすがに夜に売ってる店はないだろうし。夜に開いているのは、せいぜい酒屋ぐらいだ。
そう言うと、「あー……成行きで……」と、エレインは言葉を濁す。
「ついでに、パン作りも手伝ってくんない?」
「ここぞとばかりに、色々頼むね……」
「もちろん、報酬も用意しているよ」
そう言って、彼女は丸い木箱をカウンターに置いて、蓋をとった。
「…………これはっ!?」
驚きのあまり、私の頭の上に雷が落ちる。
木箱の中には、さらにガラスケースが収められており、その中に幼虫の死骸が入っていた。
たくさんの死骸が、菊の花のように並べられている。
死骸にはきょきっと、細長いきのこが生えていた。
「冬虫夏草じゃん!!」
冬虫夏草とは、いわばキノコの一種だ。本来なら特定の虫に生えたものをそう呼ぶのだけど、私たちは『虫に生えたキノコ』をそう呼んでいる。
東洋では漢方薬と呼ばれる薬や、薬膳などに使われるらしく、滋養の高いキノコなんだそうだ。ただ、その特性上滅多に見つかるものじゃない。つまり高価。
そんな高いものを、こんな大量に!?
「まさかこれ、【黒い森】で見つけたの!?」
「いや、例の吸血鬼の友人から。ソーダパンのお礼だって」
出どころは知らん、とエレイン。
ソーダパン。イーストの代わりに、重曹を入れて膨らませるパンだ。イーストと違って発酵する時間が要らないから、クイックパンとも言われる。
そう言えば、と私は思い出した。
「エレイン、しょっちゅう作っていたね。ソーダパン」
料理が嫌いな彼女だったけど、重曹を用いたパンは、定期的に作っていた。
「そだね。イーストも重曹も、あなたが教えてくれたものだったけど、こっちの方が簡単だった」
でも、とエレインは当時を思い出して、苦く笑う。
「最初は、『犯罪に巻き込む気か』って思ったけど」
エレインがそう言った時、またもやドアが開き、透き通るような声が響いた。
「ただいま帰りましたー……って、エレイン様?」
縁に刺繍が施されたえんじ色のフードを脱ぐと、ユリアのふわふわの黒髪と、エルフ族特有の長く尖った耳が現れた。耳には、涙の形をした金の耳飾りがついている。
彼女はエレインを見つけて、オリーブグリーン色の目をぱちくりさせた。
「あれ、ユリアじゃん。外出するなんて珍しいね」
「エレイン様に言われたくありません」
むう、とユリアが頬をふくらませる。確かに。
「アビーのところで、服を作ってもらっていたんです。その後、マーサさんにブリオッシュをいただきました」
「アビーって誰?」
「アビゲイルちゃんは、マーサさんのところで働いている店員さん。アラクネ族で、服を作るのが上手なの」
マーサさんは勇者パーティ時代の付き合いなので、エレインもよく知っている。
私が言うと、なるほど、とエレインはうなずいた。
「服屋に行くのはめんどいから、知り合いに頼んでいた……と」
「違います。エレイン様じゃないんだから」
「あれ、私ディスられてる?」
「アビーは、ファッションデザイナー志望なんです。むしろこちらが、練習台として付き合ってるんです。メイクもさせられました」
ユリアの顔を見ると、いつもより肌がつるんと明るく見えた。瞼にはキラキラのアイシャドウが塗られ、唇もつやつやだ。私と違って、ユリアは毎日メイクをするけれど、今日の化粧品はよりナチュラルに、綺麗に見えた。
ユリアの言う通り、アビゲイルちゃんはファッションデザイナー志望。店で着ている制服も、彼女が考えて作ったものだ。
「ふうん。アラクネ族は布を織るのが上手な種族だから、将来有望だね」
エレインがそう言うと、さらにユリアは頬をふくらませる。
「アビーはアビーだから、デザイナーを目指してるんです。種族は関係ないです」
そう言うと、エレインは目を丸くしたが、すぐに嬉しそうに細めた。
「……そうだね。失礼しました」
「わかればいいです」
そのやり取りを見て、私の頬はゆるんだ。ユリアのこういう所、好きだなあ。
「ところで、二人とも何を……見て……」
カウンターに置いていた冬虫夏草を見て、ユリアが固まる。
きゃぁぁぁ、とユリアの叫び声が響いた。
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エレインと吸血鬼の話はこちら。
よかったら、こちらもよろしくお願いします。
https://kakuyomu.jp/works/16817330654241707609/episodes/16817330654241735972
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