第2話 『カフェ・アドヴィナ』の甘い紅茶
カランというベルの音とともに、奥行きのあるドアから、アビゲイルちゃんが出てくる。
いつ見てもかわいいなあ、アビゲイルちゃんの服。
レースで縁どりされた大きめの襟に、ピンクのリボンタイ。
フリルのエプロンが掛けられたピンクのジャンバースカートは、腰をきゅっと絞ったハイウエストで、膝丈より短い。魔族領では普通の長さなんだけど、「足を見せることははしたない」とされる人間領だと、よくぎょっとされる。そのため、足は白いタイツで覆われている。
そして、頭にはジャンバースカートとお揃いのヘッドドレス。ゆるく巻かれたブラウンのツインテールが、紅潮した彼女の頬の上でふわふわ揺れた。
「モルゲンさん、お疲れ様です! 荷物持ちますね」
そう言って、ひょい、と二本の腕で荷物を抱え、節が目立つ腕で店のドアを開ける。
そのとたん、コーヒーと紅茶、焼きたてのパンの匂いがただよってきた。あ~、お腹空いてくる。
奥にある大通りを見渡せる客席は、白く塗られた壁が外の光を反射して、全体的に明るい。
けれどカウンターは、剥き出しとなったレンガの壁、茶色に煤けた木製の床やインテリアに囲まれている。天井にぶら下がった照明の白い光を、磨かれた木製の天板が飴色に変えて反射した。壁に取り付けられた棚には、白磁のティーポットやワイングラスなどのグラスが、ちろりと縁で光を弾く。
客席はかわいい感じだけど、カウンターは落ち着いた大人の場所って感じだ。
「マーサさーん、モルゲンさん、いらっしゃいましたよー」
アビゲイルちゃんがそういう言うと、店主であるマーサさんは、カウンターに通じる調理場から、顔を覗かせた。
ピンクのスカートとツインテールがアビゲイルちゃんのトレードマークなら、マーサさんは若草色のエプロンとピンクのバンダナだろう。
私の顔を見るや、マーサさんはすぐにカウンターまで来てくれた。
「いつもありがとうね。うちまで運んでくれて。忙しいから助かるよ」
「とんでもない! お礼を言わなきゃいけないのは、こっちですよ」
いつもうちの商品を買ってくれるなんて、マーサさんの店ぐらいだ。
特に今持ってきた生イーストは、パン屋さんに滅茶苦茶嫌われている商品だし。
そう言うと、マーサさんは「もっと自信持ちなって」と言う。
「あんたのおかげで、ふわふわのパンは出来るし。女の子たちはみんな喜んで食べるし、男どもだって食べたがってるんだよ」
そう言って、はあ、と大きなため息をつく。
「あの頑固ジジイも、入れたらいいのにさ。ジジイが作るパンみたいに硬いんだから」
「あ、あはは……」
なんて言えばいいのかわからない。笑えばいいのかな。
そう言えば、とマーサさんが言う。
「モルゲンちゃんの顔見て思い出した。今日は珍しい茶葉があるんだけど、試しに飲んでみない?」
「いいんですか?」
私がそう言うと、「とりあえず座って」と促される。言われた通り、カウンターの高さに合わせた高い椅子に座る。
はいよ、とマーサさんが、小さいお椀をカウンターに置いた。
くすんだ白いお椀は、ところどころくろいシミがついている。底はざらりとしているけど、側面を触るとつるりとしていて、
いつもは透明感ある白い磁器のカップを渡してくるので、意外。
お茶の色は……紅茶っぽい。色的に、渋そう。でも、持ち上げなくても甘い香りが鼻をくすぐる。
フレーバーティーかしら、と口に含んでみる。
その甘さに、私は目を丸くした。
まるで蜜のように甘い匂いと味だ。
「……すごい。色からして発酵度は高そうなのに、渋くなくて口当たりはさっぱり」
「へえ、やっぱりわかるんだ」
「紅茶も発酵食品ですから。紅茶の場合は、酸化発酵ですけど」
発酵とは、何か。
一言では言えないそれは、色々説明に補足をつけなければならない現象だけど。
お茶までを含む場合、『酵素』が媒体となって物質を変化させたものことを言う。
お茶の発酵は、茶葉自身が持つ酸化酵素によって、茶葉にある他の成分が変化する。お茶が発酵すると、色が緑から赤色に変わり、緑茶の苦味が紅茶の渋味へと変化するのだ。
なのに、この紅茶は渋いどころか、むしろ甘い。
「なんで、こんなに甘いんですか? 蜂蜜とかいれてますか?」
「んーとね、耳貸して」
そう言われて、私は髪をかきあげて、マーサさんに預ける。
ゴニョゴニョ。
「……マジですか」
意外すぎる回答に、私は目を丸くした。
「美味しいけど、作り方からして、あまり受け入れられるものではないだろ? だから、店に出すのが難しくてねえ」
「はへー……でも、絶対流行りそうなんだけどなあ。すごく美味しいし」
「そう。必ず、価値が上がる茶葉だ。だから、今買っておくと安上がりだよ?」
そう言って、マーサさんはウインクする。その言葉に、私はクスリと笑った。
「わかりました。じゃあ、いつものと、このお茶をください」
そう言うと、あいよ、とマーサさんは答える。
マーサさんは、今は女の子向けの喫茶店を経営しているけれど、昔は戦士だった。立派な上腕筋から、今も身体を鍛えていることがわかる。
「はい、お釣りと商品」
「ありがとうございます」
紙袋に包まれた商品を受け取ると、アビゲイルちゃんが頬を膨らませて言った。
「モルゲンさん、いつもうちでお茶してくれませんよね……」
「こら、アビゲイル」
「あはは、ごめんね。でも、ユリアが待っているから」
私がそう言うと、アビゲイルちゃんははあ、とため息をついた。
「それじゃー……差し入れです」
そう言って渡されたのは、サンドウィッチ。
三角形にカットされたサンドウィッチは、幾つもの層になっていて、パンとパンの間に生ハムやトマト、キュウリやチーズが挟まっている。一番上にあるパンには、飴色の焦げ目がついていた。
「いいの? 店で買えるのは、紅茶とコーヒーだけじゃなかったっけ?」
「ええ、これは試作品なので。だから、いつか絶対、お茶を飲みに来てくださいよ。うちで作ったサンドイッチ、絶対美味しいんで」
「はーい」
「あ、そうだ。これ返すね。せっかくなんだし、この中にサンドイッチいれなよ」
そう言って、マーサさんはカウンターに、先週生イーストを入れて運んだ『冷蔵の箱』を置いた。
それを受け取った私は、『冷蔵の箱』にサンドイッチを入れ、いつも通りの注意事項を述べる。
「保管はいつもどおり、持ってきた箱に入れてください。じゃないと発酵が進んで、使い物にならないので」
「はいよ。じゃあ、またお願いね」
……と、いけない。また両手が塞がってしまう。学習しないな、私。
一度床に置こうと思った時、作業を終えたアビゲイルちゃんが、黒板看板を脇に抱えたまま、ドアを開けてくれた。
黒板看板には、ピンクのチョークで『今日のオススメ』と書かれており、オススメのメニューらしきパスタの絵が描かれている。
アビゲイルちゃん、絵上手だな。いつ見ても感心する。
アビゲイルちゃんはそれを通路の邪魔にならないところに置いてから、「大丈夫ですか?」と私に尋ねた。
「うんまあ、なんとか……」
生イーストの発酵を止めるための『冷蔵の箱』なんだけど、めちゃくちゃ重いのよね、これ。
私が両手でなんとか持てるのに、マーサさんったら片手でヒョイ、だもんな。すごいわ、戦士。
私がぼやくと、そう言えば、とアビゲイルちゃんが言った。
「モルゲンさんとマーサさんは、パーティを組んだことがあるのですよね」
「うん。と言っても、たまたま目的が一緒の時、一時的に組んだりしてたんだけど、その頻度が多かったんだよね……」
私が所属していたパーティには前衛職がいなかったから、マーサさんがいる時の安定感といったら。
その縁もあって、私がお店を開こうと思った時、すごく力になってくれたんだよね。
「ということは、モルゲンさんは魔法使いか聖職者だったのですか?」
「え?」
「だってその三角帽子と裏地の布は、魔法使いっぽいし……でも、白いローブは聖職者っぽいし……」
アビゲイルちゃんが悩むのも、無理は無い。
私の身につけている帽子とローブは、白い布地に金の刺繍を入れていて、裏地はネイビー色になっている。我ながら、魔法使いなのか聖職者なのかわからない格好だ。おまけに、店にはトネリコの杖もあるしね。
「昔組んだパーティのメンバーが、考えてくれた服でね。みんなの意見を合体させたら、こうなったの」
「へえー……仲の良いパーティだったんですね。どんな人たちだったん、で!?」
おっと危ない。
うっかり、『冷蔵の箱』を落とすところだった。足の上に落としたら、骨が折れてるところだったよ。
幸い、アビゲイルちゃんがとっさに支えてくれたので、助かった。
ほー、と二人してため息をつく。
「やっぱり、私が運びます。魔族の私の方が、腕力はあるし」
「うんまあ、そうなんだけど。店まですぐそこだし、大丈夫。もうお店に戻って」
『カフェ・アドヴィナ』は人気店だ。開店した途端、目が回るほど忙しくなる。アビゲイルちゃんがいなければ、マーサさんも大変だろう。
そう言うと、アビゲイルちゃんは後ろ髪を引かれるように、お店に入っていった。
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