第7話 廊下を走る女と木から落ちる女の伝説
私はクロヴィス様と戦いながら、なんとか校舎までの道を歩いた。
全体的に古めかしい風合いの校舎の横に、式典用の集会場がある。一階建ての大きな建物である。
クロヴィス様とは校舎の入り口でお別れする予定だ。
一年生である私は入学式に向かわなくてはいけなくて、クロヴィス様は祝辞の仕事があるからだ。待機場所が違うのである。
入学式に参加するのは一年生だけで、あとは教師たちと、祝辞を述べるクロヴィス様を筆頭とした生徒会の皆様ぐらいらしい。
クロヴィス様のせいで校舎までの道のりがまるで牛歩だった。牛の方がまだ早い。
やっとたどり着いた校舎の前で、私はほっと溜息をついた。
「さぁ、ここでお別れですね! それではごきげんよう、クロヴィス様!」
私は握られている手を離そうとした。
離れなかった。
「いいかげん、離しなさい」
「嫌だ」
「何涙目になってるんですか。何かありましたか、この短い登校時間で……、私が虐めてるみたいじゃないですか、やめてくださいよ」
「聞いてくれ、リラたん」
「ひっぱたきますよ」
「……間違えた。すまない。……リラ、聞いてくれ。運命の番に出会ってしまうのは、入学式の日だと相場が決まっているんだ。大抵の場合今日、俺は廊下で番にぶつかる。というか、廊下を走ってきた運命の女が俺にぶつかってくる。もしくは、木に登っていた女が俺にむかって落ちてくることになっている」
「大丈夫ですか。主に、頭が」
「俺は正気だ。夫をすりおろしたい王妃の会では、近頃その話題で持ち切りらしい」
「名称変わってるじゃないですか」
何でどこをすりおろすつもりなのだろう。
おろし金かしら。やっぱり。
私はクロヴィス様を半眼で見つめた。ぶんぶん手を振ってみたけれど、繋がれた手はほどけなかった。
物凄いいきおいで握手しているみたいになってしまった。
「ふざけてます?」
「俺はいつだって真剣だ。リラを失いたくない。やはりいっそ、二人で逃げよう。どこかの片田舎で、ひっそりと暮らそう」
「王太子をすりおろしたい王妃の会が発足されますよ」
私はもう一度溜息をついた。
これでは昨日の二の舞である。校舎の前で長い長い説得に時間を費やす羽目になってしまう。
「走っている女性も、木に登っている女性も、今のところ見当たりませんよ。そんなことをする貴族女性は、そもそもいませんよ。妄想も大概にしなさい」
「リラ……、どうか俺を離さないでくれ……」
「そういうのは可愛い女の子が言うんですよ。クロヴィス様、大きな男性ですし」
「リラの可憐な唇でそのようなことを言われると、少々落ち着かない気持ちになるな……、もちろん俺は大きい。自信はある方だが」
「黙れ」
私はクロヴィス様の手の甲を再び抓った。
心配するのか、下ネタを言うのか、どっちかにして欲しい。
あぁ、下ネタとか言ってしまったわ。心の声で。
庶民のスラングが身に付き始めてしまった私を許して欲しい。楽しいのよ。私を絶賛しまくる公爵家から逃げて、お忍びで街に降りるのが。
「分かりました、分かりましたよ。じゃあ、集会場まで一緒に行ってあげます。そこでお別れですよ。クロヴィス様に向かって突進してくる粗忽者が居なければ、それは妄想だと納得してくれますね?」
「木から落ちてくるという可能性も……」
「集会場の中に木はありませんよ。天井から落ちてきたら、もれなく死にます」
「できれば俺の隣にずっと置いておきたいのだが」
「入学式一日目で婚約者面して祝辞を述べるクロヴィス様の隣にずっといるとか、どんな羞恥プレイですか」
「羞恥プレイとは?」
「なんでもありません」
私は慌てて誤魔化した。クロヴィス様はこんなんだけどお育ちが大変よろしいので、ムカつくとか、下ネタとか、羞恥プレイとかいう単語は知らないのだ。気を付けないといけないわね。
あまりにもクロヴィス様が心配するものだから、廊下を走る女性の出現について若干楽しみにしていた私である。
けれどそんなものが現れる筈がなかった。
私達は校舎の入り口を抜けたホールで、自分の振り分けられたクラスを確認したあと、恙なく集会場までたどり着いた。
期待してたのに、がっかりだわ。
婚約破棄したいということではなくて、純粋に好奇心からである。貴族の子供達ばかりがあつまっている王立魔道学園の廊下を走る女性という存在について、興味があったのに。
集会場には既に大半の生徒がクラスごとに並べられた椅子に座っていた。
「よし。納得しましたか、殿下」
集会場の入り口で私はクロヴィス様の手を離そうとした。
離れなかった。
苛々しながら手を振ると、再び物凄い勢いで握手しているみたいになってしまった。
流石にもう離して欲しい。私たちの様子を、集会場に集まっているみなさまがそれとなく見ているのが分かる。
視線が体に突き刺さる。ついでに私の繊細な心にも突き刺さる。
これはそういんじゃないので、勘違いしないで欲しい。別に私はクロヴィス様と仲良しとかじゃないのよ。
なんというか、これは、そう、――介護。介護だ。
「……リラ」
クロヴィス様は私の手をぐい、と引き寄せた。
あれよあれよという間に、私はクロヴィス様の片手によいしょ、と抱え上げられた。
子供を抱えるような正面で向き合う形の抱っこである。お父様が良く私にしようとしてくるやつだ。
「な、なにするんですか、降ろしなさい。降ろしてったら……!」
「リラは軽いな。それに小さい。なんて可憐なんだ。幸せと不安の板挟みで、苦しい」
「そのまま板挟まれて圧死なさい。降ろしなさいってば」
暴れる私を、にこにこしながらクロヴィス様が見つめている。
どうしよう、全然腕から抜け出せる気がしないわ。私が非力なのも確かなのだけれど、半獣族というのは身体能力に優れている。足も速いし力も強い。
私がじたじたしたところで、抵抗は無駄と言わんばかりにクロヴィス様はそのまま集会場に入って歩き出した。
若干のざわつきがいたたまれない。
私のクラスである一組の横を通り過ぎた時、生徒の一人が私に気付いて手を振ってくれた。
それなりに親しい友人のフィオルだった。助けを求めるように視線を向けると、「がんばって」と口パクで言われた。
頑張れない。
クロヴィス様はそのまま集会場の横に準備されている控室に向かった。
それなりの広さのある部屋である。貴人用の控室なのだろうか、シンプルながら上質な造りになっている。
天鵞絨張りの深い赤色の長椅子と、独り掛け用の椅子が数客。
私を抱えたクロヴィス様が中に入ると、先に中に居た眼鏡をかけた男性が立ち上がり、頭を下げて挨拶をした。
「殿下、随分と遅かったですね。何かと思えば、リラ様と仲睦まじくご登校をしていらっしゃったのですか。何よりです」
「シグ、そう見えるか?」
眼鏡をかけた薄い水色の長い髪をひとつに縛った男性が頷く。
「はい。とても」
「リラは優しいから、俺を心配してこうして一緒に来てくれたんだ」
どう見ても誘拐です、本当にありがとうございます。
私はクロヴィス様を睨んだ。ついでに眼鏡の宰相家長男である、シグルーン・アロイスも睨んだ。
シグルーンは私の視線に気づいて、にこりと微笑んだ。
「リラ様、殿下を良く支えてくださり、感謝いたします。流石は、未来の王妃様でいらっしゃる」
「べ、べつに、クロヴィス様の為とかじゃありませんから……!」
私は反論した。
私の未来のためであって、クロヴィス様の為とかじゃない。
シグルーンはとてつもなく嬉しそうな表情をして、何故か私に向かって親指を立てた。
「素晴らしい模範的なツンデレ、ありがとうございます、リラ様!」
クロヴィス様にツンデレの概念を教え込んだのはこいつかもしれない。
半獣王子とツンデ令嬢~婚約者が婚約破棄の心配をやたとしてくる~ 束原ミヤコ @tukaharamiyako
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