第6話 イチャイチャしているというわけでもない


 妄想甚だしいクロヴィス様との語らいをなんとか終わらせて、クロヴィス様にお引き取り願う頃には時刻はすっかり夕方になってしまっていた。

 私と夕食をとりたがり、なんやかんやと帰ろうとしないクロヴィス様を頑張って部屋から追い出した私はすっかり疲れ果てていた。


「制服を試しに着てみたり、部屋を素敵に整えたり、ゆっくりお風呂に入ったり、教科書の内容を読んだりしようとしていたのに、クロヴィス様のせいで何もできなかったわ」


「まぁ、お嬢様。愛されているというのは良い事ですよ」


 ルシアナに服を脱がせてもらい、私はベッドに横になった。

 服の下には、腰から胸まで紐で締め上げる作りの上質なコルセットと、白いレースの下着を着ている。

 太腿まである靴下をルシアナが丁寧に脱がせてくれる。「お嬢様、ゆっくり休んでくださいね」と言いながら香油を足に塗って揉みほぐしてくれるのが気持ち良くて、私は微睡みながら明日からの生活を憂いていた。

 大丈夫かしら、クロヴィス様。

 今日で、これ。

 だとしたら、明日の入学式ではもっと、酷い事になるのではないかしら。主に精神状態が。


 翌日、私は黒いローブを変形させたような愛らしい制服を着て、意気揚々と学生寮を出た。

 ルシアナは一緒ではない。

 侍女は寮生活を支えてくれる存在であって、校舎の中では自分の事は自分でしなければいけないという決まりがある。

 といっても、朝から昼過ぎまでの授業を受けて、あとは自由時間だ。

 昼食は食堂があるようだし、ルシアナが居なくても特に不安は無い。

 寧ろルシアナの方が「リラ様と離れ離れになるとか辛い」と、朝から暗かった。

 べそべそするルシアナを宥めて学生寮から外に出る間に、何人かの女生徒に挨拶をして貰った。それなりに社交性のある私だ。知り合いの貴族女性も何人かいる。

 実を言えば、私はクロヴィス様の婚約者の座を狙っていた方々などには、結構嫌われている。

 親の権力を全身に纏い振りかざしている、などと言われているようだけれど、実際そうなので仕方ない。

 公爵家は元々権力があるし、それに加えてお母様は元王家の姫なので、まぁ、仕方ないとしか言えない。私などは、たまたまその家に産まれただけである。

 特に何か特徴があるわけでもないし、突出してなにかが優れているというわけでもない。

 公爵家では甘やかされて育ったし、特技も趣味も特にない。あるとしたら、魔法が少々使えるということぐらいだ。

 けれどこれは、貴族に産まれた場合は大概そうなので、自慢にもならない。

 何人かの貴族女性の方々にはそこそこに無視をされたり睨まれたりしたけれど、気付かないふりをした。

 私とクロヴィス様は仲睦まじい関係ではないので、そう僻まないで欲しい。

 従兄妹だし、幼馴染だし、いうなれば妹のようなものなのだ。

 昨日は女性としてなんとかかんとか、と言っていたけれど、気の迷いか何かだろう。

 一日ゆっくり寝て、ぐっすり寝て、正気に戻れば、いつものクロヴィス様になっている筈だ。


「リラ、おはよう。天の福音のように美しい俺の妖精、どうかその手に口付ける許可を俺に与えてくれないか?」


 前言撤回である。

 私は爽やかな朝の空気を震わせる、どろどろにでろでろに甘ったるい、全身を掻き毟りたくなるような愛の言葉に、苦虫を噛みつぶしたような顔をしそうになった。

 実際にはしなかった。立派な淑女たるもの、人前で苦虫を噛み潰すわけにはいけないのだ。

 寮の前では、クロヴィス様が変質者のように私を待ち構えていた。

 いえ、これは言いすぎだわ。

 婚約者である私を堂々としたたたずまいで待っていてくださった。

 艶々の黒髪が日の光に輝き、光の環が出来ている。尖った耳と、ふさふさの尻尾。神秘的な紫の瞳は愛し気に私だけを見ている。

 鳥肌が立った。

 

「……おはようございます、クロヴィス様。……良いお天気ですね」


「あぁ。天も俺たちを祝福してくれている。今日はリラの目出度い入学の日だ。学園ではずっと一緒にいることができる。実質もう、結婚したようなものだな」


 何とか返事をかえした私の手を取って、クロヴィス様はそっと甲へと口づけた。

 入学は実質の輿入れではない。クロヴィス様は今日もまた、見事に錯乱していた。

 クロヴィス様が手を差し出すので、仕方なく私はその手に自分の手を重ねた。

 他の生徒の皆さんたちが、クロヴィス様と私に恭しく礼をして、邪魔をしないようにだろうなるだけ距離を置いて通り過ぎていく。

 なんてことだ。

 ものすごく気を使われている。不本意な気の使われ方をしている。


「……私、一人で大丈夫だわ」


 つい不満が口をついて漏れてしまった。

 クロヴィス様は麗しの王太子殿下よろしく、背後にきらきらと薔薇の花弁を舞い散らせながら「今日からずっと一緒にいられるな」と念を押すように言った。


「あのですねぇ、殿下」


「リラ、俺は常々リラの両親の仲が睦まじいことについて、素晴らしいと思っていた。実を言えば俺の両親もリラの両親と同じぐらいに仲睦まじくてな。昔はそれが気恥ずかしく、辟易としたものだが、今はあのようになりたいと思っている」


「嫌な予感しかしないわ……」


 本日はクラス分けの後に、入学式がある予定だ。

 クロヴィス様は確か式辞を述べるのではないのかしら。こんなところで私の両親の仲睦まじさについて話している場合じゃないと思うのだけど。


「話を聞いてくださいよ。私は一人で大丈夫だし、私の両親の仲睦まじさは参考にしちゃいけないやつです」


「俺のことは、ロヴィきゅんと」


「誰が呼ぶもんですか……!」


 私は腹を立てたついでに、クロヴィス様の手の甲を思い切りつねった。


「リラは非力だなぁ」


「黙りなさい、この、この」


 私は一生懸命つねっているのに、クロヴィス様はニヤニヤした。

 ムカつく。

 あぁ、つい言葉が悪くなってしまった。最近庶民の皆様の間で流行っているスラングを使ってしまったわ。

 ムカつく、はだめ。大変はらわたが煮えくりかえり、とってもムカつきますことよ。

 なんて便利な言葉なのかしら。私の感情を一瞬で表現できてしまうわ。


「リラ、今日も可憐だ」


「妄想の番と私の心変わりについて心配するあまり、様子がおかしくなったのね、クロヴィス様」


「違う。昨日も言った通り、俺は昔からリラ一筋だった。従兄妹での婚姻が認められていて良かった。罷り間違ってリラが俺の妹にでも生まれていたら、俺はきっと道を踏み外していただろう」


「朝からなんて恐ろしいことを言うんですか。そもそも、私のどこがそんなに良いんですか。特に何の特徴もない普通の女ですよ」


「リラはそれを本気で言っているのか……?」


「私を過大評価するのは、我が家のものたちだけで十分よ」


「容姿はもちろんのこと、寛大で優しく、照れ屋なところが全て可愛い」


「うぁう」


 奇妙な声が口から漏れた。

 鳥肌がすごい。ぞわぞわする。クロヴィス様は何故か嬉しそうだ。ふさふさの尻尾がパタパタと揺れている。

 そこだけは可愛い。それは認めよう。耳と尻尾に罪はない。


「私、幼い頃クロヴィス様を犬役にしておままごとをしていましたよね? 怒っていないんですか」


「好きな子に遊んでもらって嬉しくないわけがない。実際、割と、満更でもなかった」


「変態だわ」


「仕方ないだろう、半分は獣なんだから。わんちゃん、お手、とか言われるのはそう悪くない。もちろん、リラ限定でだ。他の者がそんなことをしようものなら、半殺しにしてどちらが上かをわからせるがな」


「然るべき手段をとってくださいな。半殺しとか、縄張り争いする獣ですか」


「獣だ」


「たまたま獣の方の血が濃かっただけでしょうよ」


 クロヴィス様は、私と手を繋いでいない方の手を、顔の前でわきわきさせた。

 どうやら獣感を演出しているらしい。

 ムカつくことに可愛かった。またムカつくとか思ってしまった。便利だわ。

 私的には血迷ったクロヴィス様と戦いながら歩いているつもりだったのに、道ゆく方々が「仲がよろしいこと」と微笑ましそうに私たちを見てくる。

 私はハッとした。


「クロヴィス様」


「なんだ、リラたん」


「その耳を引きちぎりますよ。二度と呼ばないで」


「ツンデレとは、照れ隠しで怒るものだと俺は学んだ」


「誰から学んだんですか。ろくでもないこと覚えてこなくて良いし、私はツンデレじゃありませんし。それはともかく、私たちは今、ものすごく仲良さげに、いちゃいちゃしながら歩いているように見えるのではないですか?」


「見える、ではなく実際そうだ。俺たちは仲が良さげに歩いているし、実際いちゃいちゃしている。不安だったが、リラと共に学園に通えるというのはとても良い気がしてきたな……、幸せだ」


 クロヴィス様は白い頬を軽く染めて、潤んだ瞳で私を見た。

 私は「うっ」となった。純粋な好意を否定する程、私は非情な女じゃない。あとツンデレとかでもない。


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