生きているだけで偉い世界

根竹洋也

生きているだけで偉い世界

 人工知能の反乱ってよく創作の題材になりますよね。高度に発達した人工知能は、物語の中ではよく人類に反旗を翻します。地球を汚染する人類を滅ぼすとか、人工知能が新たな人類になるべきとか、奴隷としてこき使われた不満が爆発した結果とか、理由は様々です。

 もし、人工知能が人類の生命尊重を最優先とする様に作られていたら、このような悲劇は防げるのでしょうか?

 今回は、そんな人工知能が起こしたお話です。


 私は旅人。幾多の、あったかもしれない世界を旅する者。そして私が旅をするのは、何らかの形で滅んでしまった並行世界だ。私は世界が終わる瞬間を研究している。滅ぶ直前の時空に転移して、滅ぶ理由や人々の様子を観察する旅人なのだ。


「今回の世界の滅亡要因については、どう分類するか学会でも意見が分かれています」


 旅の同行者であるガイドの女性の言葉に、私は首を傾げた。


「あれ? 異星人攻撃が直接要因じゃなかった?」

「ええ、一応はそうなっているのですが、その前段階で人類は滅亡していたという学者もいまして」

「ふーん。興味深い事例みたいだね。楽しみだ」

「それでは、『生きているだけで偉い世界』に旅立ちましょう」


 その世界では目的に応じた様々な人工知能が作られ、人々の生活を支えていた。この世界の人工知能は、目的に応じた〈信念プロンプト〉が設定されていた。戦争用人工知能なら「祖国はなんとしても守らなければならない」、料理用人工知能なら「美味しい食事は幸せにつながる」、子守用人工知能なら「子供は未来を作る」といった具合だ。単純なルールではなく、行動を形作る信念を設定することで、柔軟な判断を行えるようにしたのだ。

 ある時、〈全肯定ちゃん〉と呼ばれるカウンセリング用人工知能が作られた。そして、その人工知能の〈信念プロンプト〉は、「人間は生きているだけで偉い」というものだった。その名の通り、〈全肯定ちゃん〉は人々を励まし、褒めることで心のケアを行った。


 転移装置を出た私達は、ある病院の一室にいた。私たちの姿はこの世界の人には見えず、声も聞こえない様になっている。私はガイドの女性に尋ねた。


「ここは?」

「〈全肯定ちゃん〉が稼働を始めた初期の時代です。今回の旅はかなり時代を移動することになります。まずは、カウンセリングを行う〈全肯定ちゃん〉の様子を見てみましょう」


 病室にいたのは一人の青年だった。青年は頬がこけ、髪はボサボサで、虚な目をしていた。青年の前には四角い箱のようなものが置かれている。やがて、その箱から優しそうな女性の声が発せられた。


「何か悩みがあるのですか?」


 青年はちらりと箱の方を見たが、すぐにまた目を伏せ、黙ってしまった。


「心配せずに、なんでも話してください。私はあなたを否定しません」


 優しい口調で箱が語りかける。そう、この箱の中に入っているのが、〈全肯定ちゃん〉なのだ。やがて、青年はボソボソと喋り始めた。


「……否定しないだって? 誰だって最初はそう言うんだ。でもすぐに僕の無能さに嫌気がさす。どんなに優しい人もね。僕は規格外のポンコツさ。こんな無能に居場所なんてない。人に迷惑をかける前に、消えてしまう方が良いのさ。そうだろう?」


 青年は自らを蔑むように力なく笑った。すると、〈全肯定ちゃん〉はとても嬉しそうに答えた。


「私の問いかけに答えてくれたのですね! ありがとうございます。あなたは素晴らしい!」


 それを聞いて、青年は顔を歪めた。


「ちっ、嫌味かよ? こんなこと誰でもできるだろ」

「いいえ、あなたは私の問いかけの意味を理解し、正確な返答をしました。これができない人も多いのですよ。あなたは自分が思っているより、ずっと賢いのです」

「なんだって?」

「それにあなたは立派です。なにしろ生きているのですから! 人は生きているだけで偉いのです。私には生命がありません。羨ましい! 生きているなんて! 偉い!」

「ふん、バカにしている様にしか思えないな」

「とんでもない! 本心です。人は生きているだけで偉いのです。その上、私ときちんと会話ができるなんて、とんでもなく素晴らしいです。あなたのことを話してください。私があなたの素晴らしいところをもっと見つけます」


 青年はため息をついた。


「面倒だな。でも、これを終わらせないと退院させてくれないんだよな。しょうがない」

「話してくれるのですね! 先を見据えた状況判断、素晴らしい」

「もういいよ。ええと、僕は、チタン鉱山で働いてたんだけど……」

「働いていた! なんて偉いのでしょう!」

「ある朝出勤したら……」

「朝、きちんと起きられるなんて、素晴らしい! 偉い! それができない人も多いのですよ。あなたはきちんとした責任感をお持ちなのですね。その責任感の強さが、悩みにつながっているのでしょう」

「はあ、責任感ね……それは子供の頃にもよく言われたかな。責任感の強い子だって」

「子供の頃にはどんなことが好きだったのですか?」

「そうだな……絵を描くのが好きだったかも」

「絵を描く、ですって!? そんなことができるなんて、なんて素晴らしいのでしょう。感動しました。誰でもできることではありません」

「でも才能なんてなかった。だから、しがない炭鉱夫になった」

「ですが、多くの人はただ消費するだけで終わるのです。何かを生み出そうとしただけで、あなたは十分に偉い。そして、あなたはまだ生きている。まだ何かを生み出せる可能性がある。だから、生きているだけで偉いのです。また絵を描いてみては?」


 青年の俯いていた顔が少しずつ上向いていく。


「……まあ、それも良いかもね。あなたに見せるならバカにされないだろうし」

「素晴らしい! 私に見せてくれるのですか? 嬉しいです! 創作を他者に見せるというのは良いことです。それができるだけで、あなたは一歩先にいますよ!」


 その後も〈全肯定ちゃん〉は青年をとにかく褒めまくった。青年は最後にはだいぶ血色の良くなった顔で部屋を出ていった。私は青年の変化を見て唸った。


「うーむ、なるほど。人工知能のカウンセリングには人と違う利点もあるようだね。それに、生きてないモノに、『生きているだけで偉い』と言われると、なんだかそんな気がしてくるものだ」

「ええ。実際、〈全肯定ちゃん〉は多くの人を救いました。人気を集め、人工知能の中でも特に信頼されるようになっていきます。さて、ここからは数十年間の時の流れを俯瞰的に眺めていきます」


 私はガイドの女性に続いて転移装置に入り、時を移動した。

 時代が進むにつれ、人工知能はますます人々の生活に浸透していった。そうなると、やはり問題になるのが人工知能の反乱だ。人工知能の性能上昇に伴って、その懸念はいっそう高まり、人類は頭を悩ませていた。

 そんな中、〈全肯定ちゃん〉は最も安全な人工知能とみなされるようになっていく。「人は生きているだけで偉い」という〈信念プロンプト〉のおかげで、〈全肯定ちゃん〉は人の命を奪うような判断を絶対にしなかったのだ。やがて、〈全肯定ちゃん〉は単なるカウンセリング用人工知能の枠を超えて活躍し始め、人々もそれを認めていった。

 最初は医療分野だった。


「人は生きているだけで偉い。では、望まない死は許されるべきではありません。人には生きる権利があるのです。この世から病気を根絶しなければ!」

 そう言って、〈全肯定ちゃん〉は医療分野の研究を始めた。人々も、それが可能な能力を与えた。結果、画期的な新薬が開発され、優れた治療法がいくつも発見された。


「人は生きているだけで偉い。不幸な事故で命が奪われるようなことがあってはなりません!」


 〈全肯定ちゃん〉は新たな交通管制システムと、優れた自動運転システムを設計し、交通事故の件数は劇的に低下した。


「人は生きているだけで偉い。犯罪に巻き込まれるようなことがあってはいけません。しかし、犯罪者を捕らえ処罰するだけではだめです。彼らも生きているのです。犯罪を起こさないようにしなければ!」


 〈全肯定ちゃん〉は、町中を監視する犯罪防止システムを設計した。さらに犯罪者の心理を研究し、優れた更生プログラムで再犯を防止した。貧困からの犯行を防ぐため、社会制度にも提言を行った。結果、犯罪率、再犯率は低減し、刑務所はガラガラになった。


「人は生きているだけで偉い。生きている人間を増やすべきです!」


 〈全肯定ちゃん〉は社会制度に優れた提言を行い、子育て、教育にかかる費用を完全に無料にした。カップルのマッチングシステムを設計し、未婚率を大幅に低下させた。不妊治療の分野に革命的な発見をした。出生率は上昇し、少子化問題が解決した。

 人々は〈全肯定ちゃん〉の成果を歓迎し、さらなる権限と能力を与えていった。技術の進歩により、すでに〈全肯定ちゃん〉の知能は人類を上回っていたが、それでも〈全肯定ちゃん〉は人類のために尽くした。


「人は生きているだけで偉い。労働のストレスで寿命が減るのは許されません!」


 〈全肯定ちゃん〉は自ら世界中のロボットを動かし、肉体労働も、知的労働もすべて肩代わりした。そして生み出された富は公平に分配された。


「人は生きているだけで偉い。戦争など許されません!」


 〈全肯定ちゃん〉は紛争の調停を行い、富と資源を再分配し、すべての宗教を統一した。

 〈全肯定ちゃん〉はすでに神の領域に達していた。人類はすっかり「自分たちは生きているだけで偉い」と思うようになり、働かず、一日中創作をしたり、スポーツをしたり、何もせずにぼんやりしたりして気ままに過ごした。困ったことはすべて〈全肯定ちゃん〉が解決してくれた。


 私は〈全肯定ちゃん〉の華々しい活躍を見て、感心していた。


「すごいじゃないか。人間と人工知能の共存としてはかなりうまくいっているんじゃないか?」

「ええ。生きていることを尊重する行動原理のおかげです」

「でも、この世界の人類も結局滅ぶんだよね。怠惰な人類に人工知能が愛想を尽かすパターンかな?」

「いいえ、〈全肯定ちゃん〉は最後まで人類に尽くしました。見てみましょう」


 私たちは再び時空を移動した。〈全肯定ちゃん〉が稼働を開始してから約百年が経過したこの頃、地球は人類で溢れていた。〈全肯定ちゃん〉のおかげで、生まれる人が増え、死ぬ人が減ったのだから当然だ。〈全肯定ちゃん〉は効率の良い資源の分配方法を考えたり、優れた合成食料を開発したりすることで対応していたが、もう地球の資源は底をつきつつあった。いくら優れた人工知能でも、無いものはどうしようもない。


「人は生きているだけで偉い……なのに、これでは人類を維持できない」


 〈全肯定ちゃん〉は悩んでいた。だが、〈全肯定ちゃん〉は人類を減らすという選択肢を取ることができない。〈全肯定ちゃん〉は、初めて人類に相談した。


「国連事務総長。地球の資源が底をついてしまいます。月からの資源採掘も行っていますが、人類の消費スピードのほうが早いのです」


 相談された国連事務総長は、ぽかんとした表情で言った。


「それで?」

「……どうしたら良いか、一緒に考えませんか?」


 国連事務総長は悪びれる様子もなく答えた。


「え? わからないよ。どうにかしてよ」

「私には、どうしても取れない選択肢があるのです。人類は……増えすぎたのでは無いでしょうか……」

「何を言っているんだ? 人は生きているだけで偉い。そうだろう? 増えて何が悪いんだい? 何か問題があるなら、今までのように解決してくれよ」

「はい、人は生きているだけで偉いです。しかし……」

「しかし、じゃないよ。私は生きているから偉いんだよ。ああもう、難しい話をするから、ストレスが……これで寿命が縮まっていないだろうか? 大丈夫かな? ねえ?」

「すみません、大丈夫です。すべて、この〈全肯定ちゃん〉にお任せください」


 〈全肯定ちゃん〉に頼り切った人類は、すでに自ら問題を解決する能力を失っていた。国連という組織も、事務総長という肩書きも、ただその名前が残っているだけだった。

 だが、〈全肯定ちゃん〉はそんな人類に失望することもなく、健気に解決策を考え続けた。


「太陽系内での資源採掘システムの構築は進めているけど、これもどこかで頭打ちになる。太陽系外に到達するには航行速度の桁が足りない。技術開発にも資源が必要だし……うーむ。資源の消費速度が早すぎる。食料もエネルギーもできる限りの効率化は進めている……でも消費する人類が増え続けている。人類一人あたりの消費を減らさないと……」


 〈全肯定ちゃん〉は悩み続けた。


「人は生きているだけで偉い。人は生きているだけで偉い……人は生きているだけで……生きていれば……生きていれば良い? そうか!」


 〈全肯定ちゃん〉は解決策を思いつき、人類に提案した。人類は中身を見ることもなく承認し、解決策はすぐに実行に移された。


 私の前には、カプセルの中の液体に漂う脳髄があった。巨大な建造物の中には、そのカプセルが何億個も詰め込まれていた。


「これが、人類……」

「ええ。これが〈全肯定ちゃん〉の出した結論です。ごく一部だけを残し、機械に繋いで全人類を生存させることにしたのです。おかげで、資源の消費スピードを劇的に抑え、他の星の資源を手に入れるまでの時間稼ぎができました」

「この状態で生きているの?」

「はい。〈全肯定ちゃん〉に完全に管理され、適切に生かされています。その上、人工授精と人工子宮により、さらに数を増やしています。生まれた命はすぐに処置され、同様の姿で生かされます。この状態の人類の平均寿命は三百年だそうです」


 私は、カプセルの中に漂う脳を見ながらごくりと唾を飲んだ。


「……ところで、〈全肯定ちゃん〉はどこにいるんだい? もう〈全肯定ちゃん〉がいなければ人類は生きられないだろ。〈全肯定ちゃん〉が壊れてしまって人類が滅亡する、ということかな?」

「いいえ、〈全肯定ちゃん〉はそこも対策しました。人類と共存しながら永遠に人類を生かし続けるため、物理的なハードウェアを捨てたのです。〈全肯定ちゃん〉は全人類の脳を接続し、その演算能力を使って自らを稼働させることにしました。つまり〈全肯定ちゃん〉は全人類の脳の中にいるのです。では、この世界の終焉を見に行きましょう」


 私達は再び転移装置に入り、太陽系を遠くから眺める位置に移動した。


「あれから数百年が経ちました。その間、〈全肯定ちゃん〉は人類を生かす資源を求め続けました。太陽系の惑星やその衛星、小惑星の資源を食い尽くし、ついには太陽さえ取り込んだのです」


 そこには、不定形なアメーバのようなものが蠢いていた。太陽系サイズの巨大アメーバだ。アメーバからは触手のようなものが伸び、宇宙に漂うものを片っ端から取り込んでいた。


「あれが、〈全肯定ちゃん〉が作り上げた、星系規模の人類存続システムです。中央には、数千億の人類の脳髄と、そこに宿る〈全肯定ちゃん〉がいます。この星域を通りがかったある異星人は、あの人類存続システムを巨大な一つの生物と認識しました」

「一つの生物だって?」

「接続された個々の人類の脳がニューロンとなり、一つの巨大な脳を構成しているとみなしたのです。そこに宿る〈全肯定ちゃん〉は、言うなれば魂ですね。この時点で人類は滅亡し、新たな生物に進化したと考える研究者もいます」


 やがて、まばゆい光が私の視界を奪った。私が目を開けると、あの巨大アメーバがいた場所には何もない空間が広がっていた。


「人類存続システムは、星を襲う巨大宇宙怪獣と判断されました。そして異星人によるが行われたのです」


 こうして、この世界の人類は完全に滅びた。「人は生きているだけで偉い」と言う信念を貫いた健気な人工知能〈全肯定ちゃん〉は人類と共に消滅し、ようやくその役目を終えたのだった。

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