9

 初瀬と別れた後、三笠は甲板を重点的に探索していた。儀式の楔になるものはある程度目立たせなければならない。先ほど主催者が甲板にいたことを考えると、ここに一つくらいはあるはずだ。椅子の下やオブジェ、プールの中など手の届く範囲から潰していく。


 一番大きなサイズのプールをぐるりと見て回ったその後だった。


「あ、冬吾くん」


 声の方を恐る恐る見てみれば、綾川凛華がそこにいた。変わらず赤いドレスを身にまとって上機嫌そうに三笠の方を見ている。


「え、あ……綾川さん」


 その視線に困った顔をして三笠は反応する。何をしているのか彼女は察しているのだろうか。思考する三笠の内心を知らぬ彼女は、ぱっとその手を掴んで身を寄せた。


「お返事、さっき聞き逃したから。もう一回聞かせて?」


「えっ」


 先程の断り文句はなかったことなっているらしい。にこりと笑いながら彼女は三笠に迫る。それを躱しながら彼は首を横に振った。


「変わらないよ、僕には無理だって。だから──」


 今ならまだ、間に合う。そう付け足そうとした三笠の言葉を遮って、綾川は口を開く。


「ほら、結局そう。人に嫌われたくないからってのらりくらり躱してるつもり? 無理無理。結局安請け合いしちゃうんだから。そうでしょ?」


「そんなの……分かんないだろ」


 諸々の思考と感情をぐっと飲み込んで言い返す。未だに腹が立っていることに少し驚いた。しかし彼女は強気な調子を崩さない。首を横に振ってにこりと笑った。


「ううん、絶対そう。そうじゃないならなんでこの手を振り払わないわけ?」


「……あ」


 そのままになっていた己の手を見る。右手は綾川に掴まれたままだった。


「ね? 私たち似た者同士、なんだからさ。ちょうどいいじゃん」


「それは──」


 言い返そうとして三笠は少し考える。そして。


「それは綾川さんの勘違いだよ。僕ら、全然似てないから」


「……えっ」


「綾川さん。僕のこと信じてる?」


 返事をしようと彼女は口を開く。が、声が発されるより早く三笠が言葉を続けた。


「信じてないよね。僕が協力したところで、綾川さんはどこかのタイミングで僕の寝首を掻くつもりだろ?」


 ちら、と彼女の腰元に視線をやる。武器類を隠すならそこかスカートの中だ。ドレスを着慣れているはずの綾川の歩様が、ぎこちないはずがない。三笠の予想を聞いた綾川は、ほんの僅かに眉を動かした。


「へえ、でも冬吾くんてば、誰にだって優しいじゃない」


「そうかもね」


「なら、命がかかってるこの状況で、私を見捨てるような真似はしないと思ったんだけど」


 だから、信じている。


 そう言いたいのだろう。その言葉は嘘ではないように思えた。が、そもそもの話が違うことに三笠は気づいている。


「……綾川さんの言う優しいに僕は賛同できない。ただわがままを容認するだけのことを優しいって言われるのは少し違う。僕のこと信じられないから、こうやって変にしつこく言質取ろうとするんでしょ」


「な──、わがまま!? 死にたくないっていうのが、わがままだって言うんだ!?」


「ちゃんと話最後まで聞いて。そうやってすぐに気に食わない言葉に反応して早とちりするの止めて」


 ぴしゃりと容赦なく放たれた言葉に綾川は思わず黙り込む。しかしその目は不満げで、三笠の言葉を一つも受け入れていない様子だった。すぐに彼女は反撃に出る。


「偉そうに説教までするんだ……へえ、じゃあやっぱり、冬吾くんも私のこと見捨てるんだ」


 話をするだけ無駄か、と三笠は呆れた。話し合いをするにしても、今の彼女はかなり興奮している。少しだけでもいいから頭を冷やしてもらわなければいけない。


(少し手荒でもいいか──)


 ぐっと拳を握ったその時だった。


「随分と余裕があるんだな。まだ乳繰り合ってたのか」


 挑発するその声に振り返ってみれば、なんといつもの仕事着に身を包んだ初瀬がいた。その姿を見て綾川は肩を揺らす。


「どうやって、ここまで!?」


 動揺する彼女の反応が面白いのだろう。初瀬は珍しく笑いながら上機嫌に答える。


「少しの出っ張りがあれば人って魔術使わなくても壁登れるんだよ」


「う、うっそでしょ……あの下、水槽とかあるのに」


 綾川と共に三笠も唖然とする。何でも卒なくこなすタイプだとは思っていたが、まさかここまでだとは思っていなかった。思わずため息をついてしまう。


 よくよく見てみれば、彼女の髪からは水が滴り落ちていた。スーツの方はほとんど濡れていないことから、服だけ着替えてこちらに来たのだろう。


(そんな余裕があるならもっと早く来てくれてもよかったじゃん!)


 内心で三笠は文句を言うが、それを初瀬が察するわけもない。綾川に対し彼女は凛とした声でこう告げた。


「綾川凛華。あなたには密輸関与の容疑がかかっている。申し開きは?」


「えぇ? なんのこと?」


 自白を迫られた綾川はふっと無表情に戻って白を切る。この反応を予想していたのだろう。初瀬は綾川から視線を逸らさずに三笠の方へ声をかける。


「そう。三笠」


「……何」


 思わず身構えながら三笠は反応した。


「わたしはな、信用しなきゃ、信用されないって思ってんだわ。だからわたしは魔術師だろうが何だろうが、とりあえずあんたが道を外さない限り──助けるべき人として扱う」


 きっぱりと初瀬はそう言い切る。


「──え、何、それ」


 一瞬何のことだか分からなかった三笠は、ぽかんとしながら彼女の顔を見上げる。いつも通り感情表現に乏しい顔。整ったその横顔は白刃のように鋭く強く見えた。初瀬はいつの間に手にしていた刀の柄に手をかけながら続ける。


「選べ、どうするかどうか。わたしもそれに対応して動く」


 それは即ち『裏切るのであればぶっ飛ばす』という忠告だった。あまりにも粗雑だ。普段の彼女とは思えないくらいに、粗雑な言葉だった。どちらとも取れてしまうではないか。それでも──


「選ぶ必要はないよ」


 膝を立てて立ち上がる。ぱち、と音を立てて耳元で魔力が弾けた。感情の高ぶりと呼応するように力が溢れ出す。



「ここで綾川さんは止める。僕は貴方の目論見に協力はできない」



「──な」


 わなわなと彼女は肩を震わせる。


 三笠も初瀬も、思わず少し後ずさった。彼女が魔術師ではないとはいえ、何かしらの切り札を隠し持っていてもおかしくない。不測の事態にも対応するべく二人は身構えたまま期を窺う。


「なんで! どうしてそんなことが言えるの……!」


 噛みつくように綾川は姿勢を低くして言う。


「冬吾くんだけが味方だと思ってたのに……! ソイツの言うことを聞いて私のこと裏切るって言うの!?」


「僕はそもそも協力した覚えはないけど」


「そんなことない! じゃあなんであの時、ダメって言わなかったの!」


「それはごめん。僕の優柔不断なところが出てたと思う」


「……もういい。このまま死んでやる」


「え」


 彼女はパッと懐からナイフを取り出し、その勢いのまま己の腕を切りつけた。赤い飛沫が木製の甲板を彩る。


「お前ら諸共、この空に飲まれて消えるのがいいわ。死ね」


 ナイフが綾川の胸に突き立てられるより早く、三笠がその手を掴み取る。が、女はそこで止まらない。反撃と言わんばかりに三笠の瞳へとその刃を向けた。じゃっ、と肉を裂く音が耳元で聞こえる。反撃の一手を左手で払いながら、三笠は綾川の胴に一撃を入れる。


 幸か不幸か、彼女が気を張っていたおかげか。その一撃は上手く女の意識を刈り取った。


「あっ、ぶなかった……」


 そう言いながら三笠は顔を上げる。


「あんた案外手荒なことするんだな。さっきも思ったけど」


「まぁ……これしかなかったし、しょうがないよ。それで、空気があんまりよくないね」


 気を失った綾川を横たえながら、二人は空を見上げた。暗い夜より、深く重い闇。ぽっかりと中空に穴が開いたと思えば、そこから白い光が差し込んでくる。


「そういや空亡って?」


「……百鬼夜行のオチは、太陽が出てきて妖怪たちが散り散りに逃げていくってものなんだ。巻物の最後、最後の方に太陽が描かれてる。それを百鬼の殿、一番の妖怪に見立てたものが空亡の正体だよ」


「へえ、つまり解釈次第では太陽になるものと……おい、それ大丈夫なの?」


 ぱっと閃光が走る。次の瞬間、客船の真横で勢いよく水柱が上がった。船は勢いよく左右に揺れる。甲板に張り付くようにしてそれをやり過ごす。何かしらの攻撃を受けていることだけは分かった。


「……やるしかないか」


「え、できんの?」


「分からないけど……、勝算はある」


 まだその身体は完全に降り切っていないはずだ。完全体になった際にはさすがの三笠でも対処はできない。それでも不完全であるならば。そんな具合に思いついた希望を繋いでいく。それを説明するべく、口を開こうとするが、初瀬はそれを遮った。


「じゃあやれば?」


「いいの?」


「それ以外に方法思いつかないし。何もしないよかマシでしょ。なんかあったとしても大丈夫」


 適当に見えた言葉選びを、初瀬はこう締める。


「選んだ道をよくしていこう、だろ」


「──そう、だね。よし。綾川さんは」


「任せろ」


 初瀬からの返事を聞いた三笠は、すぐさま駆け出した。先ほど楔を探して探索した時に、拾い集めていた宝石類をポケットの中で握りこむ。おそらく参加者たちが身に着けていたアクセサリー類だ。異形化した際に落としたのだろう。


(炉心はないけど、この宝石類ならなんとか──!)


 深く息を吸う。足場はまだ悪くない。


 集中すれば、三笠の世界から音が途絶える。誰一人としてその邪魔をすることはできない。


「一陣の風──」


 ふわ、と己から溢れ出した魔力が舞う。火の粉の形を得たソレはいたずらに前髪を焦がしていく。それを合図に手に持っていたすべての宝石を砕く。光が、魔力が一気に溢れ出す。それらを掴んで離さぬように、すぐさま魔術式を励起する。地面に置いた手を中心に、光の筋が美しい魔術式を象っていく。


「鳴動するは星の嘆き。地を這う竜よ、その力をここに」


 一際強い光と共に花開いた魔術式が活性化する。目を開いて、目標である黒い太陽に手をかざす。補助魔術式の展開と、距離の測定はすぐに終わった。それを合図に一気に魔術式が動き出す。


「奔れ! 墜ちろ──『竜哮一閃』ッ!」


 光が天に向かって走り出す。


 魔術式に装填されていたとっておきの魔力鋼たちは、空亡に当たると同時に花火のように弾けた。鉄をこすり合わせたような、嫌な音が響き渡る。怪物の悲鳴は遠慮なく脳を、内臓を震わせた。思わぬ反撃に三笠は膝をつく。すぐ近くでは空亡がその身を散らしていた。膨大な量の魔力が、命が、剥がれ落ちた暗闇が海に落ちていく。


「のわ……!」


 足場にしていた床が一気に崩れ落ちる。反射に身を任せて掴んだ手すり諸共、三笠の身体は宙を舞った。


(あ、死んだ)

 そんな土壇場でも思うことはそれだけだった、が。無意識に手を空へ伸ばし続ける。


「初瀬!」


 その声に応えるべく、差し出された手を掴み取る。互いの手に一気に重力がかかって、三笠の身体は大きく揺れる。腕を走った痛みに思わず顔を顰める。


「っ……重……」


「ご、ごめん」


 見上げれば相方がいつも通りの表情で三笠の手を掴んでいた。そのまま二人で協力してまだ無事な甲板部分に這い上がり、座り込む。


「あ、危なかった……」


 互いに無事であることを確認し、ほっと溜息をつく。幸運なことに、崩落は一番上のデッキのみで済んだ。船底に傷はないらしく、船が傾いていくこともない。このまま沈む心配もないと分かった二人はようやく緊張を解く。


「……てかさあ、もっと早く来れたんじゃないの?」


 思い出したかのように言われた文句に、初瀬は目を丸くした。


「いや……それが、落ちた先でわりとひどい目に遭って。色々あって大破したんだよ。色々と」


「そりゃ……ごめん」


 何があったのか結局よく分からなかった三笠だが、これ以上の追及はしまいと口を閉ざす。訊いてしまえば最後、きっと、おそらく反応に困るだろうからだ。


「でもほら、ダンスにはふさわしい服装があるんだろ?」


 初瀬はふっと表情を緩めてそう言った。思わぬ意趣返しに三笠は目を丸くしてしまう。その表情が非常に間抜けたものだったのだろう。初瀬は失笑する。


「……それはそうだね」


 誤魔化すようにそう言って顔を上げる。中天に昇った日を眺めながら、二人はようやく打ち解けた。

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ラストダンス 猫セミ @tamako34

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