002 忘れんなよ~ミラナとの約束~


 場所:イコロ村

 語り:オルフェル・セルティンガー

 *************



 その日の放課後、ミラナはいつものように教室に残り、飼育日誌をつけていた。


 彼女は生徒会長と飼育委員長を、ずっと兼任していたのだ。


 真面目で几帳面な性格のうえ、凄く優しい彼女だから、先生や生徒たちに頼られると断りきれないのだろう。


 だけど委員の仕事は、とっくに後輩に引き継いでいるころのはずだ。


 それなのに彼女がいまだに仕事をしているのは、きっと俺との放課後を楽しみにしているからだと思う。



――カタ学に進学を決めた俺との、二人きりの放課後だからな!



 俺はそんなことを考えながら、日誌に向き合う彼女の横顔に見惚れていた。彼女の集中した表情は、すごく綺麗だ。


 俺はミラナの前の席に座り、彼女の仕事が終わるのをじっと待つ。


 教室の静けさの中で、彼女のペンが紙を走る音だけが響いていた。


 こうやって待っていれば、ミラナはいつも、俺と一緒に下校してくれるのだ。


 家と学校が近すぎて家に着くのは一瞬だけど、それは俺にとって大切な時間だった。


 彼女が髪を耳にかけるだけで、俺の心臓がドキドキと高鳴っている。


 彼女の髪は、日の光で色が変わる不思議な色をしているのだ。


 今は窓から差し込む夕陽が、彼女の薄茶の髪をオレンジがかったピンク色に変えていた。



――きれーだなぁ……。


――もし恋人になってあの髪に触れられたら、きっとすげー幸せだろうな。



 俺はそんな夢に浸りながら、俯いたままのミラナのまつ毛が長い影を落とすのを、ため息を吐きながら見詰めている。


 こんな状態だから俺の気持ちは、ずいぶん前からミラナに知られていた。


 昔から彼女が好きで、アピールは毎日してきたし、既に何度か告白もしている。


 振られはしたけど、『勉強が忙しい』とかそんな理由だったから、たぶん嫌われてはないと思う。


 俺の勘違いでなければ、彼女はときどき、こっそり俺を見ている気がする。俺は何度振られても、そんな希望を持っていた。


 今日はカタ学に合格できたことだし、俺はもう一度、ミラナに告白するつもりだ。


 期待が俺の胸を高鳴らせている。



――それにしても、ずっと下向いててぜんぜん目が合わねーな。



 彼女の顔を覗き込むと、長いまつ毛に飾られた明るい茶色の瞳が俺を見た。だけどその視線は、すぐに日誌に戻ってしまった。



「なぁミラナ、まだおわんねーの?」



 ソワソワしながら急かす俺。


 ミラナは下を向いたまま、小さくため息をついて言った。



「まだまだ。みんなが持ってきた日誌もまとめなきゃだから。急かすなら先に帰ってね」


「大変なら手伝うぜ?」


「あー、ありがとうー大丈夫ー」



 俺は少しでも、彼女の負担を軽くしたい。だけどミラナは、いつもどおり無表情だ。棒読みの返事で断ってくる。


 そんな彼女を笑わせたくて、俺は声色を変えてみた。女の子の好きな、『執事風』だ。



「お嬢様、お手伝いいたしますよ?」



 少し誇張した口調で言って、彼女の反応に期待する俺。だけど彼女は、真面目な顔を崩さずに、軽く手を振って答えた。



「いいのいいの」


――だめかっ。でも、もう一押しだなっ。



 彼女は俺にそっけない。昔は普通に笑ってくれたのに、初めて告白した頃から、その対応は徹底されていた。


 どうしても少しめげてしまう。それでも俺は、何度でも自分を奮い立たせた。 


 今日俺は、告白すると決めているのだ。ここまで頑張っておいて、やらずに終わるという選択肢はない。


 家の近くですると嫌がられるから、やるならチャンスはいましかなかった。


 俺はミラナのそっけない棒読みにもめげず、さっそうと告白を開始した。



「なぁミラナ? 俺さ、ミラナに比べれば、そりゃ、不真面目だし、お調子者かもしんねーけど……。なんていうか、結構、俺、真剣っていうか、本気だからさ……」



 慎重に言葉を選ぶ俺。これまでいろいろ言ってもダメだったから、とにかく本気なのを伝えたい。自分の心臓の鼓動が耳に響いた。



「へー? オルフェル、カタレア学園に進学が決まって、勉強やる気満々なんだね」


「いや、そ、それは、そうなんだけど、そうじゃなくてさ、わかんねーかな?」


「うーん?」


「あの、ミラナさん、聞いてます?」


「うーん……」



 ミラナは聞いてるのか聞いていないのか、曖昧な返事を繰り返す。ずっと下を向いたままだ。


 俺は彼女の気を引きたい。まじめに、告白を聞いてほしい。彼女の顔を見て伝えたい。



「ミラナ……。さっきから、眉間に皺ができてるぜ?」


「えっ? うそ、やだ」



 ミラナは驚いた声をあげ、ようやく俺の顔を見た。彼女の瞳が大きく見開かれ、その表情に戸惑いが浮かんだ。



「うそだ」


「もう!」



 少し怒った様子で、ミラナは口を尖らせた。彼女の反応が可愛くて、つい嬉しくなってしまう。


 にひひと笑った俺を見て、彼女の頬が赤く染まった。


 ミラナはそのままかたまっている。怒ったせいか、それとも俺が、思った以上に近かったせいだろうか。


 俺はさらに顔を近づけた。息がかかるほどの距離だった。ミラナの呼吸が感じられるほど近い。彼女の瞳には、自分の姿が映っている。


 ミラナは俺から逃げようとしない。彼女の唇が少し開いて、俺を誘っているように見えた。


 心臓がうるさくなってくる。もしかしてこれは、俺からのキスを受け入れるという、暗黙の合図なのだろうか。



「もしかして、キスしていい?」


「えっ? なんで!?」


「なんでって、好きだから……」


「ダメッ」「いてっ」



 勘違いしてキスを迫ると、ミラナに日誌ではたかれた。


 真っ赤な顔でバシバシと何度もたたかれる。照れ隠しだと思いたい。



「オルフェルのバカッ。もうあっちいって」


「そんなこと言わずに一回だけ。ほっぺでいいから。ね? 合格の祝いに」



 後に引けなくなって迫る俺。俺を殴るミラナの手に、ますます力が入ってくる。



「ほんとにバカッ! そういうのは、恋人同士でするものだよ。お祝いとかでしないの」


「だってミラナ、何回頼んでも恋人になってくんねーし……」


「やだよ。オルフェルは、授業中に寝るし、お弁当食べるし、朝は遅刻するし、真面目な話してるときにふざけるし、嘘ついてからかってくるし、それに、スケベなことばっかり考えてるもん!」



 落ち着いた優等生のミラナが、早口でまくしたてている。普段の彼女からは、まったく想像できない姿だ。


 彼女がこんな部分を見せてくれるのは、俺とミラナが、家も近所の幼馴染だからだろう。


 俺はそれが嬉しくて、ついつい揶揄ってしまうのだ。



「……ミラナさん、そこをなんとか……」


「ダーメッ! それに私、忙しくて、それどころじゃないって言ってるでしょ」



 ミラナはプイッと横を向いてしまった。もしや今日ならと思っていたけど、思った以上にぜんぜんダメだ。



――うーん。最近は俺、真面目にやってたはずなんだけどな。


――ガキの頃からのダメなイメージが、まったく改善されてねー!



 国内一のエリート学園に合格したからと、すぐにラブラブというわけにはいかないらしい。


 俺がミラナのために生まれ変わったと、彼女に気づいてもらうには、まだまだ時間がかかりそうだ。



「じゃ、じゃぁ、俺が、騎士になれたら……とかは?」



 俺は苦し紛れに、そんなことを聞いてみた。


 本当はいますぐに恋人になってほしいんだけど、いまはあまりにも相手にされていない。


 騎士なんてなれたとしても、何年も先の話で気が遠くなりそうだ。


 だけど、それでもいい。『頑張ればいつかミラナと恋人になれる』俺はそんな約束が欲しかった。



「それならいい?」



 期待を込めて尋ねる俺を見て、彼女は少し呆れた顔でため息をついた。



「もう、オルフェルったら。騎士はさ、カタレア学園のなかでも、成績上位の人しかなれないんだよ? そんなことばっかり言ってて、ほんとになれるの?」


「なる。絶対なるから。なったら、俺の恋人になってくれる?」


「はいはい、なったらね」



 また日誌に視線を戻したミラナから、棒読みの返事が返ってきた。



「えっほんとに!?」


「えっ、な、なったらだよ?」


「やったーーー! 俺、明日死ぬかもーーー!」


「なったらだからね?」



 俺は飛び跳ねるように立ち上がると、全力で拳を突きあげた。


 ミラナは少し目を泳がせて、『しまった』という顔をしている。だけど気にしない。約束は、約束だ!



「俺、ぜっったい騎士になるから、ミラナ、約束忘れんなよ!」



 俺は高らかにそう叫んだ。そのあとミラナ、どんな顔してたっけな。浮かれすぎて、覚えてない。


 だけど俺は、そのとき確かに騎士になる決意をかためた。動機は不純だったけど、俺の決意は本物だった。



――それなのに……。



 ――――――――

     ――――――――



 俺はまだ子犬の姿で、ミラナの膝の上に乗っていた。



「オルフェル、ほら、あーん。ミルクだよ~?」



 ミラナが俺の口をこじ開け、哺乳瓶を突っ込もうとしている。これはなんのお仕置きだろうか? これを口に入れたが最後、全てが終わる気がしている。



――おいおい、ちょっとまって!? 本当に、なんなの? この状況!

「きゃうきゃう、きゃうきゃうきゃう?」


――騎士は? カタ学は? 俺、なんで子犬になって、ミラナに飼われてるんだ!?

「きゃう! きゃうあうあうー?」



「わぁ、すっごい元気だね。子犬だけどやっぱり、オルフェルだね! 可愛いな」



 あんなにそっけなかった彼女が、俺を見詰めながら、ずいぶん楽しそうに微笑んでいる。



――えー!? なに喜んでるんすか、ミラナさん!?



 うっかりポカンと開けた口に、哺乳瓶が差し込まれた。



*************

<後書き>


 大好きなミラナちゃんに一生懸命アタックしているオルフェル君ですが、あんまり相手にされていない様子……。それでも、騎士になれたら恋人になるという約束(?)をしてもらい、大はしゃぎです。


 さて、彼は騎士になれたのか? いや犬になってますね。


 オルフェル君、まだまだ記憶をたどります。


 次回、第一章第三話 フレイムスラッシュ~調子乗ってきたぜ!~をお楽しみに!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る