第三章 新婚

第1話 身重

 新居は都心に近い一軒家を購入した。

 いずれ子供が生まれることを鑑みれば、家は大きいに越したことはない。

 だが、笠井にそんな金はない。

 国会の貴族議員であり、地元の名士と謳われる実父から無心した金で買ったのだ。


 実父も結婚すれば薄汚い女遊びも舟遊びなどの派手な遊興も、少しは減るに違いないとの僅かな希望を、この結婚に賭けているに違いない。


「おい、笠井。この箪笥はどこへ置いたらいい?」

「ああ、それは二階の左の部屋だ。入って右側に壁と腰高窓があるから、そのDの壁に置いてくれ」


 引っ越しの家財道具も実家の父にねだった物ばかりであり、真新しい。

 畳も家財も新婚にふさわしい艶を放っている。


「ああ、奥さんは身重なんですから。座って休んでいてください」

「いえ、重いものを持ったりはしませんから大丈夫です。ありがとうございます」


 泉は膨らみが目立つようになった自分の腹をそっと撫でてから返事をした。

 引っ越しの手伝いには作家仲間が駆けつけてくれていた。

 着物の上に白の割烹着を着た泉は主に台所で皿や鍋など、笠井が書いた定位置に片付ける。


 笠井は引っ越し前に二階建てのすべての部屋を採寸した。

 引っ越しがスムーズに行くように、壁と家具にはアルファベットを書いた紙を張り付けた。アルファベット同士であれば、そこがその家具の置き場だということだ。

 それは包丁一本に至るまで細密に書かれていたため、泉も引っ越し仲間も全員が片手に指示書の紙を持っていた。


「ありがとう。日が暮れる前までには終わりそうだな」


 腰を拳で叩きながら笠井は言った。清々しいともとれる声音だ。


「泉。寿司と蕎麦の支度はできたか?」

「はい、旦那様。出前がもうすぐ届くはずです」

 

 二人は既に籍を入れていた。

 その立役者となった少年は、立ったり屈んだりする食器の整理を姉の側で続けていた。綿のズボンに濃紺シャツを着て、黒のベルトを締めている。

 全体に濃い色の服装は、汚れても目立たないようにとの配慮だろう。

 そして、その装いが彼の白い肌を一層輝かしく目立たせた。

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BL【ただ会いたいだけなんだけれど】 手塚エマ @ravissante

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