第11話 とある探索者の観測

*エクス視点 



 都市カルカヤに着いてから二日が経った、蛇の日。

 ジュビア地方特有の天気として本日は小雨。やや雨粒が大きい。

 奉仕強化月間中の俺は監督及び指導役の神品で輔祭のアウィリトとともに《台風》の被害に遭った村落へ復興作業へと駆り出されていた。

 監督は商業ギルドに所属する大工たちで、星無しと五、六等級の低い探索者たちも《台風》によって変わった地形の計測や片付けなど力仕事に携わり、衛生面では神品と医薬ギルドの薬師も参加している。こういった事後処理はある程度の持ち回りと有志の住民で賄うものではあるが、今回の復興参加者数はかなり多く、皆一様に気力に溢れていた。

 それもそのはず。今回は被害が軽重傷者はいても死者は出ず、村落の家々を破壊はされても、村落そのものが地図から無くなることもなかったのだ。加えて神聖教国の最高戦力と名高い〝暁光アウロラの聖騎士〟までいるのである。ヒトというものは現金で、憧れの存在リーダーが間近にいるだけで不思議と張り切ってしまうものなのだ。

 ジュビア地方は、とてつもなく運が良かった。

 それこそ本来なら復興作業と言うものは、準備と時間と金が掛かるもので、手間ばかりが付きまとう。そればかりか、場合によっては家財の一切が無くなって路頭に迷う者がいたり、後遺症の残る怪我で生活が立ち行かなくなったり、衛生環境の整備や、地形の崩壊で生態系の一部が変わりその再生に長年苦慮することになったりと、現在進行形の無い無い尽くしに事欠かない。

 それが小規模な雨林の一部が禿げただけで済んだのだから、地元民が崇める勢いで聖騎士に感謝するのは必然と言えた。

 故郷では《火の神》を祀っているため《大陸の神》の神気が薄く、滅多に発生しない《嵐》や《台風》の被害を初めて見聞した俺は、大地を削り、支流を断ち、雨林の樹木何もかもを薙ぎ倒して破壊された痕跡に、しばし放心してしまった。

 これが人智を超えた存在の齎すものなのかと、言葉ではなく肌で実感し、大地の護り《ヌシ》が荒神あらがみと謂れる所以を理解した。

 お陰様で都市エキナセアの花の《ヌシ》にガンつけられたのも、この《ヌシ》らに個体認識された上、格上のエトリと言う、やべぇ規模を領域としている谷の《ヌシ》にも好かれストーカーされている細工師のヤバさへの理解も不本意ながら深まった。……いやほんと割と慣れて普通に接しているけど、そりゃ本人の意思で力を揮わずとも、周囲が〝絶対遵守不文律ゴールデンルール〟なんて設けて神経質になるわけである。納得だ。

 ただ、ジュビア地方に行く道中の話では細工師は厳密には加護持ちでは無いという。

 確かに多くは無いが、神に気に入られ加護を授かっている者はいる。そして加護持ちは尊敬の対象に成りうるが、細工師ほど世間に警戒されていない。ここにきて、普通の加護持ちと彼女の違いはなんなのかとふと疑問に思った。

 事実としては、彼女に何かあればこの悲惨な被害が、もっと大規模で、それこそ取り返しがつかないほど深刻に発生するのだろう。(そんなやべぇ奴に凸った過去の俺の阿呆加減よ…泣ける)


 現在俺は、その細工師問題児の友人である聖騎士テゥントと、同等級の探索者や狩猟ギルドの猟師たちとともに、バキバキに破壊された雨林の樹木や瓦礫の撤去に従事している。

 これらは後ほど建材や復興の資金として加工し使えるらしい。

 へぇーと感心しながら、同僚たちと森の玄人である猟師の指示に従って、数人で胴体以上の太さの大木を仮置き場まで運ぶ。

 雨降る地方の特性で木々は多分に水分を含む為かなり重い。このままだと数人でだって持ち運べやしないので、活躍するのは神聖効果の付与された小道具である。必需品の笠と同じ効果を編んだネットを広げ被せるだけであら不思議、木の水分がすっかり抜けるのである。するとまあそれでもデカさがデカさなので重いのだが、頑張れば持てるようになるので、普段使わないような体の内側の筋肉を酷使しながら俺は頑張った。近い等級の奴らとは似たり寄ったりの体たらくと貢献度なので自然と連帯感も湧いた。

 ここでひとつ報告をするとしたら、聖騎士テゥントの所業である。

 このおヒト、俺らが数人でひいひい言いつつ運ぶ大木を、紙風船でも持つようにひょいひょい小脇に抱えて持ち運ぶ、驚異の怪力の持ち主だった。

 雨林の地面から抉れ飛んできたらしい、三村分の被害で支流を断っていた原因の一軒家ほどもある大きさの岩を「よっ」との掛け声だけで持ち上げ、邪魔にならない村落の端まで危なげなく運んだ姿を目の当たりにした俺の他村人と有志一同は、ぽかーんと目も口も開けて言葉が出なかった。

 岩を地面に下ろした、ずんっと響く振動で我に返った俺たちは、腰を抜かしたり(沐人に腰があるのかは怪しいが)、興奮して歓声を上げたりと大いに湧いた。

 騒がしくなった観衆に努めて衒いもなく爽やかに接する聖騎士は、人あたりの良さも力の使い方も正に騎士の鑑であった。これは方々から組織を超えての熱狂的な支持を集めるはずだ。

 ここ一ヶ月程度ジュビア地方を苦しめていた都市カルカヤの《ヌシ》の雲隠れによって起こった異常気象事件も解決したと都市外に流布されると、聖騎士への株は天井知らずに盛り上がった。

 実際《ヌシ》をどうにかしたのは細工師であったが、復興作業を続けている間に、何故か目立つ聖騎士の功績になっていたのである。

 これには並々ならぬ感情を友人に向ける聖騎士がきちんと訂正するかと思いきや、当然のように賞賛を甘んじて受ける彼女を意外に思ったし、他人の成果を横取りするような態度に少々モヤッとしてしまった。こんなヒトだったのかと、少なからず尊敬していた気持ちに水を差されたような感じだった。

 日を追うごとに高まる聖騎士の名声になんとなく面白くなくなっていると、俺の幼稚な落胆をとっくにお見通していたテゥントに朝食時に話を振られた。都市カルカヤに滞在する日中以降、旅を一緒にした面子の俺たちは各々別行動を取っていたので、お世話になっている神殿では自然と朝に集まって、食事をしながら近況報告していたのだった。

 ずばり、手柄を横取りしたことが気に食わない?と指摘され、態度に出していなかったつもりの俺はバツの悪い思いで咄嗟に目を逸らした。

 だが、それに気を悪くした様子もないテゥントは隣に座るノックスに何故か嬉しそうに擦り寄る。

 室内で寛いだ格好の彼女は甲冑を着ておらず、晴れ渡る空のような金春色こんぱるいろの髪を後頭部で緩く結んでいる。顔の作りも地味な友人と比べると整った容姿をしており、兜を脱いだ素顔を拝見した時ははっと目を瞠ったものだ。全体的に明るい雰囲気に対して、光が当たると灰味を帯びる鈍い夜を思わせる熨斗目色のしめいろだけが黒く、吸い寄せられるような印象を相対した相手に齎す。

 目を細めたテゥント曰く「ダーリンはこの方がいいんだもんね?」「あー、構わん。むしろ、推奨」「ほらぁ。ウチとダーリンのこの以心伝心さ!エクス少年、まだまだだねぇ!」と何故かドヤ顔で細工師との親密度に対して謎のマウントを取られた。

 俺と細工師は、会ってまだ一ヶ月の浅い関係なんだが?と、同郷と言う前情報は知っていたので、彼女らのその付き合いの長さから言ったら、全然羨ましくともなんともないことを告げようとし、いや言ったら言ったで強がりのように聞こえやしないかと開きかけた口を閉じる。

 しかし二人だけで完結している意味は分からなかったので、こう言う言外の含みに聡いアウィリトに助けを求めた俺は拗ねていない。口だって尖らせてはいないのだ。

 こういったやり取りは道中もたまーにあったから、達観の微笑みをキープして朝食を食べ終えたアウィリトが、俺の機嫌を取り成すように説明してくれた。

 曰く「ノックス様はお目立ちになることが本意ではないので、テゥント様に手柄を譲ることで矢面に立ってくださるならそれでいいのでしょう」とのこと。「おそらく、面倒な事後処理も丸投げできるでしょうから…」と続けてこっそり付け足してもくれた。…なるほど。細工師がしそうなことだ。

 ノックスを熟知しているテゥントを利用して楽をしようとしている奴の思惑が一致しているらしい。この面倒を嬉々として受け入れている聖騎士はやっぱり友人に対して甘いと言うか、変た…じゃない、大きすぎる感情を持っていると言うか。

 本人が進んで許可を出しているのだったらと、俺はここ数日悩んでいたことが急に馬鹿らしくなった。そういう奴だよな、コイツは。目の前で起きた《台風》を放って帰ろうとしたくらいだしな。

 じとぉと半眼でノックスを睨めつけていれば、俺の視線に気づいていないはずがないのに、素知らぬ顔で食後のお茶を飲んでいた。




 そのノックスはと言うと。

 異常気象の憂いを無くす為、都市カルカヤの《ヌシ》のご機嫌伺いに連日駆り出されている。

 カルカヤ支部の神殿の司祭オセアノから正式に依頼として内示が下ったからだ。ある意味これも復興作業と言える。

 何せ神殿は戻っても、肝心のカルカヤの《ヌシ》が姿を見せなければ、司祭たちの呼び掛け感応にも応じないのである。

 気配は戻ってきているとノックスは明言するので単に気分が乗らないだけだろと彼女は縋る司祭に取り合わなかったが(都市にいないなら探しに行けとも。これには先の失敗がある故あまりしつこく出来ないと神品たちが頑なに首を振っていた)、小さくて可愛い輔祭のリソとオンダ兄弟に涙目で不安がられて、渋々重い腰を上げたのだった。

 ご機嫌取り無いし様子見しか出来ないと釘は刺さしたものの、対応してくれる態度に無邪気に喜ぶ小頭鼠鯆ヴァキータ二人に擦り寄られて満更でもないことは明らかだった。テゥント情報だと、ノックスは無類の動物好きで、ヒト型より獣型に弱いらしい。

 シャチのオセアノ司祭のしたり顔が過ぎった。

 そんな細工師のすごいところは、都市を出て外周の水没林へ繰り出した初日から、早速カルカヤの《ヌシ》と接触したことである。

 呼ばずとも昼寝していたら勝手に湧いていたとは本人談。

 そんな訳あるか。《ヌシ》なんだぞ。そこら辺の犬猫じゃないんだぞ。マジで理解不能の言動だ。そもそも昼寝すんサボるな。

 この報告に驚喜した神殿の神品たちは前のめりになってノックスへ、ご機嫌は?なぜ感応に応えてくれないのか?帰ってきて下さらないのか?となぜなぜ質問攻めにしたが「知らん。何もしてないし、されてない。以上」とバッサリ切られて撃沈していた。ほんと、傍から見ても期待をうず高く積まれておいて、一切の忖度なくブレずに様子見に徹し、何もしないでいられるノックスはすごいと思う。俺ならプレッシャーに負けて《ヌシ》をどうにかしようと的外れなことをして持ち直した事態を悪化しかねない。

 取り敢えずカルカヤの《ヌシ》の気が済む目処がつくまで、ノックスは滞在するらしい。

《ヌシ》より細工師の方が地味にストレスが溜まっているそうだが、そこは上手くオセアノ司祭が、リソとオンダ兄弟をあたらせて機嫌を取っている。余談だが、昨日の夜は一緒に寝たらしい。

 まんま接待ではあるが疚しい意味でなく、純粋な添い寝抱き枕だし、当の兄弟二人も楽しそうにはしゃいでいたので健全な限りだ。今夜も添い寝する約束をしていた。

 まあ…これに異議を唱えたテゥントの「ウチも一緒に寝る!お風呂も一緒に入る!」との主張は黙殺されていたが。あと、さすがに湯浴みは兄弟たちも共にしていないので、己の願望をちゃっかり入れるな。そういうところだぞ。


 こんな調子で日々を過ごしていた俺は、すっかり忘れていたのである。

 ジュビア地方の異常気象事件には切っ掛けがあり、その原因がいたこと。聖騎士がその原因を調査するとしていたが、《ヌシ》関連の事件は細工師が来た時点で何やら収束したとばかり思い込み、終息にはほど遠かったと言うことを。

 それこそこれを自覚をしたのは、俺が村落の復興作業に行ってから、さらに四日後の水の日のことだった。


 都市エキナセアを葦の日に出発してから月を跨ぎ、実はひと月が経とうとしていた。

 当初の予定では往復でひと月の予定だったそうで、本来ならノックスはとうに帰路に就いていたはずだった。クオートレキツキ司祭の依頼を受けるにあたり、月一での本職の物販には間に合うとしていたのである。

 ところがオセアノ司祭の嘆願を受けた時点で長引くと想定し、ノックスは神殿と商業ギルドに持ち越しの連絡を入れていた。

 案の定、物販開始日の兎の日には間に合わず、当日になった為、開き直って護符用の素材発注や買い付けを済ませたら《ヌシ》も満足したことだし、明日の水の日には発つと朝の報告会で告げられた。

《ヌシ》相手にどう機嫌を取ったのか知る由もないが、急な報告に固まっている俺を置いて、テゥントとアウィリトは是と頷いていた。てっきり一緒に来たのだから、一緒に帰ると思って荷造りしてないと慌てる俺に刺さる怪訝な視線が五対。ノックス、テゥント、アウィリト、リソ、オンダである。


「お前は置いてくぞ?」

「はぁ?!」


 なんで?!


「村落の復興作業、途中だろ。何切り上げようとしてるんだ、雑用」

「クオ司祭とエキナセア支部の探索者ギルドには連絡取って、奉仕活動期間の延長許可は貰ってるからね!」

「迂生も指導役として共に残りますのでご安心ください。神品として実践できる機会は貴重でございますし、大変有難いことにノックス様に代わり、テゥント様が我々の後見を引き継いでくださいます」

〔アルタ・マールのお手伝い終わったら、ボクたちもエクスと一緒に外に行けるよー〕

〔トリアイナ様とアウィリトとも一緒だよー〕


 続々と告げられる台詞に俺以外は今後の予定を把握していたようで。いつそんな話してた?!と噛みつく俺は悪くないと思う。

 しかも聖騎士に俺らを引き継ぐ?簡単に言っているが、教国の主教クラスの指示でしか動かない〝暁光アウロラの聖騎士〟を顎で使ってるの細工師だろ。心臓に悪いからやめろ!

 指摘通り復興作業を行う村落は約三村分であり、まだ一村残っている。片付けだけと言ってもここ最近でやっと最後の村にまで着手しだした所だったから、半端に投げなくていいのはよかったが。

 何故そんなに急いで帰る必要が?と疑問の湧いた俺は愚問を呈した。


「にしても急すぎないか?」

「むしろ遅いんだよ。谷の奴が限界だ」

「あ。はい」


 そうだった。細工師は〝金科玉条〟。

 ジュビア地方に来てからほぼ万能である神品のような働きをしていたが、無条件で《ヌシ》に好まれる個体ヒトであるがために、おそらく並み居る《ヌシ》の中で実力で傍を勝ち取り同担拒否君臨しているであろう、やべぇ《ヌシストーカー》が憑いてるのだった。それが傍を離れすぎてモンスターペアレントにクラスアップしそうらしい。え、まずいじゃん。


「え、まずいじゃん」

「まあ更地になるのはどうでもいいが、わたしが痛いのはごめんだ」

「そういうこと言う?」

「本音だ」


 ノックスの良心あるヒトとは思えない物騒な発言に笑えねぇと真顔になる。

 だが「見ろ」とおもむろに食後のお茶を飲む手を止め、服の袖を巻くったノックスの左腕には、細い蔓植物がキリキリと巻き付いていた。

 その蔓茎には下向きの棘が密生していて表皮を圧迫している。血こそ滲んでいないが皮膚に沈み込み、絶妙に痛みを感じていそうな加減だった。

 ストレスが溜まるとぼやき、目を据わらせ、鯆の兄弟たち癒しの抱き枕を所望したのはこれが原因だったり…?

 確かに日々この蔓の締め付け帰って来いコールが強くなるのであれば辟易するだろう。

 地味な見た目の中でやや吊り目の目尻に暗褐色の瞳を持つノックスは、正直に言うと視界から存在が滑る薄い印象も手伝って、眉間に皺が寄るととても目付きが悪くなる。女性にあるまじき眼力の強さを発揮するので、目付きの悪さにビビり表情の機微にまで気付かなかった。テゥントにいたっては睨まれて頬を染め息を荒らげていたので、通りすがりにドン引いたのも記憶に新しい。……いやこれは忘れよう。

 とにかく。これを認めて黙っていなかったのは、友人に特大の感情を持つテゥントである。


「はぁあああ?!何だこれ!ふざっけんな!!ほんとあの角野郎、あん時討伐出来なかったのが悔やまれる!!」

「神聖付与の鉄葎カナムグラだから切れないぞ。止めろ触んな、傷付くだろーが!!わたしが!このバカ!!」

「信じられない!!だから嫌いなんだよ、アイツぅぅぅ!!ダーリンに付き纏いストーカーしてるのだって許せないのにぃぃっ!!」

「お前も似たようなもんだろ」


 立ち上がり目にも止まらぬ速さでカトラリーのナイフが翻る。蔓茎を斬り払った動作をしたテゥントだったが、それは植物にあるまじき金属のような硬質な音を立てた。

 蔓茎のみを斬る自信があったからの早業だろう。

 ノックスの腕が落ちたかと錯覚したナイフの軌跡と、品行方正だった聖騎士の暴言に血の気の引いた俺たちは咄嗟に動けなかった。

 斬れないと分かった途端、今度は馬鹿力で蔓を引き千切ろうと手を伸ばしたテゥントを制止するために、腕を庇いノックスも椅子から立ち上がる。

 ついには攻撃された蔦がブワッ!と大繁殖して、不届き者のテゥントに襲いかかった。心なしか怒っているように見える。

「しゃらくせぇ!!ブッタ斬る!!」とナイフに適性色を纏わせ、先程は斬れなかった蔓を一刃のもとに斬り捨てた聖騎士の足元で、地面に着く前に再び大増殖し襲い掛かる植物VS人間の戦いが始まった。

 棘の付いた蔓鞭が舞い、テーブルや椅子を削る。ナイフから放たれる斬撃が壁や床に切れ込みをつくる。……ちょっと信じられない光景だ。

 頭を抱えて小食堂を脱出する俺たちが流れ弾に当たらぬよう殿しんがりを努めたノックスが「おっ。鉄葎取れた。サイコー」と口笛を吹いたのを聞き、止める気は無いのかと脱力した。絶対、確信犯だコイツ…。

 アイツらは置いて、各自行動開始するようにと促されてしまえば、小食堂の惨状は気になるが従わざるを得ない。飽きるまで放っておけばいいって…神殿大丈夫か?強度的に。

 平気だろと軽く請け負うノックスのいい加減さに後ろ髪引かれつつ、無力な俺とアウィリトたちは階段を下りた。



 そして翌日、水の日の早朝。

 転移円環ワープサークルを目指すために出発するのを見送る気でいたら、旅装で騎獣のトララフエパンに跨ったノックスは舳先の舷梯タラップに向かわず、そのまま甲板デッキの最後尾へ進んで行くではないか。

 この行動に疑問符を浮かべるのは俺以外にもアウィリトとリソ、オンダが首を傾げた。テゥント聖騎士とオセアノ司祭は普通な様子だ。

 水の日に相応しい雨が本降りの今日は、噴水の上の神殿にいると曇天が近いように感じる。いつもに増して笠が必需品だ。

 ちなみに一昨日、都市カルカヤの外回りから帰ってきたノックスの笠はグレードアップされていた。

 四隅を飾るマクラメ編みとタッセルはそのまま、赤い鈴生りの荒毛火焰草に代わって煤色の笠を飾るのは、滑らかな磨り硝子のような質感の花びらを繊細に咲かせる白蓮華だ。

 透明度が高く表面のみ薄っすら刷いたすいに染まり、葉脈の美しく波打つ丸い浮き葉が花同様白を通り越して玻璃色はりいろのそれは、輪郭に触れれば割れてしまいそうに儚く目に映る。そう。映るだけで実際は触れられない幻の花…らしい。

 幻想的な葉脈が血潮の流れに似て脈打つのを認めると、まさに活きているのだとおのずと理解できる。存在しないのに存在感が増し増しの花である。

 この花を目撃した神品とギルド関係者が漏れなく発狂したのを顧みると、想像の埒外の価値に震えが走りそうだったので怖くて詳細を聞けていない。ヘタレと言いたくば言え。俺はまだ枕を高くして寝たいんだ。

 暗い曇天に映える問題の笠を眺めながら思わず遠い目をしてしまった。

 当事者はなんの感慨も受けていないのが如何ともし難い。


「じゃあ、帰るわ。お先」


 実にあっけらかんとした別れの挨拶をノックスが口にした直後、雨降る宙の空間が裂けた。

 縦の裂け目からシャワシャワと移動の音か、はたまた鳴き声か判別のつかない音を伴って、水苔の姿をした精霊が湧き出てくる。泡玉に見える水滴は全部が目玉だ。水の膜を瞬きに使うから、パチパチと水滴同士で反射しているように光る。

 増殖し爆発的に増えた水苔を押し退け次に飛び出してきたのは、茎の先が三本の葉柄に分かれ、それぞれの三枚の小葉が付いた総状花序に、三、四個の吊り下がった薄紅紫色の花弁が咲いた錨草いかりそうだった。特筆すべきはヒトの三倍以上はある大きさ。

 四枚の花弁と四方に突出したきょを本物の錨のように船尾の甲板に「ガンッ!」と豪快に食い込ませると、葉縁に刺毛状の鋸歯がある矢じり形の葉が手を来招こまねいて揺れる。

 誘われ急かされる仕草にため息を止められないノックスが相棒に合図を出した。

 巨体で重量もある鎧蜥蜴が乗ったら錨草が折れる懸念が過ぎるも、そこは人外の生んだもの。見た目は植物でも法則はそうでは無いのかもしれない。

 安定感のある錨草を伝い渡り、トララフエパンとノックスは水苔の精霊を引き連れ、余韻もなく裂け目の奥へと消えて行ってしまった。

 足場として最後に残った錨草も後を追い、裂いた空間を花弁と距の先で器用に縫い閉じてから消えた。


 ────開いた口が塞がらない。

 見てはいたが何が起こったのか情報を整理できずに棒立ちしていると、甲板に開けられた穴を検分するオセアノ司祭とテゥントの至って平常な会話が耳に流れてきた。


「あの角野郎、嫌がらせに穴開けてった」

〔致し方ありませんことよ。むしろ、これだけで済んでほっとしておりますわ。あたくし、船尾の一部は持っていかれるかと危惧しておりましたもの〕


 小頭鼠鯆ヴァキータの兄弟なら余裕で嵌まることができそうな穴は、床を貫通して階下が覗けてしまっていた。

 ベタの神殿騎士が数人、どこからともなく優雅に鰭を靡かせながらやって来て、紐と重石の付いたポールを立てて穴を囲い、足元注意の注意喚起を作ってしまう。(手慣れている…)

 ぎこちなくその様を傍観してしまったが、ベタのひとりが去り際労りを込めて肩を叩いてくれたのを皮切りに、俺はやっと理解が追いついた。


「今の、転移?!」

「え?そうだよ。エクス少年、呆けた?」

「呆けらいでか!って、違う!俺が言いたいのはそうじゃなくて、」

〔すごいすごーい!さすが、アルタ・マール!バリエの《ヌシ》様のお迎え、はじめて見たー〕

〔精霊がブワーッて、すごかったねー!〕

〔お花も大きかったー!あれ、なんてお花ー?〕


 頭を抱えて微妙に聞きたいことの言葉が浮かばず懊悩する俺の隣で、一緒に見送りにきていた兄弟が純粋に歓声をあげるから、さらに思考が散らかっていく。

 そもそも細工師の転移について誰も何も疑問に思わないのか?これが常識ふつう?ツッこんだら負けだったりする??


「あれは錨草でございますね。効能や意味を考えますと…その、」


 アウィリトですら転移には驚いておらず、兄弟の質問に答えたかと思えば、言いにくそうに急に言葉尻をしぼませる。

 それにオセアノ司祭が長い胸鰭を指のように振って引き継いだ。


〔一般には、強壮強精剤として幅広く利用されておりますことよ。ただし最近ですと、エキナセア支部の医薬ギルド長が飲水病に効果があるのを提唱されておりましたかしら〕


 なるほど。精力剤下ネタだからアウィリトが言いにくそうだったのか。朝からする話じゃないもんな。オセアノ司祭がさらっと説明するから、とくに兄弟も気にしていないようだ。

 なんとなしに話を聞きながら、俺は俺でどうやってこの消化不良の疑問を解消できるかと自問自答する。


〔へえー。司祭様、物知りですねー〕

〔じゃあじゃあ、意味はー?〕

「〝あなたを離さない〟〝嫉妬〟。当て擦ってきやがる。ストーカーの分際で」

〔致し方ありませんことよ…〕


 雨に濡れないとは言えずっと外に居るわけにもいかず、各々室内へと戻っていく。

 三階にある客用の小食堂は昨日の人外対決ケンカで修繕中なので(支払いはテゥントのポケットマネー)、神品用の地階の食堂へお邪魔した。そこにはすでに人数分の朝食が用意されている。


〔アルタ・マール、愛されてるねー〕

〔帰るってわかってから、アルタ・マールの見えるところに、待ちきれないっていっぱいお花咲かせてたもんねー〕

「黄水仙でございます、兄弟。美しくても毒性がございますので、素手で触ってはいけませんよ」

〔医薬ギルドに採取の依頼を出しますことよ。毒も使いよう。復興の消腫薬や活血調経薬として大変助かりますこと〕

「神聖効果は無いけどね。医薬ギルドと商業ギルドで、まぁたダーリンの株が急上昇しちゃう。今度も噂の調整するようかなぁ。分かる奴は知ってるしねぇ」

〔トリアイナ様にお任せいたしますことよ。あたくしたちも無為に吹聴はいたしませんもの。兄弟たち、お解かり?〕

〔はあーい〕

〔はあーい〕


 兄弟の言う通り、昨日からノックスが行く先々で小半時以上ひと所に留まろうものなら、どこからともなく黄水仙がにょきにょき一定数咲く事態が発生した。

 都市内にて買出し中であったり、ギルドで所用を片付けていたりと、場所を問わない異常な現象にちょっとした騒ぎにもなった。

 ただ原因が〝金科玉条〟だと分かると地元民共和国民には逆に有り難がられ、そうでなければあれがと物見遊山として感心される。皆納得するのだから、通称と言うのは伊達じゃないのだと痛感した。裏を返すとそれだけ細工師が問題を起こしているとも言う。


〔でもお迎えがあるなら、こっちに来る時も転移円環を使わずに、直接送ってもらえればよかったのにねー〕

「それだ!」


 リソの何気ない希望に俺は思わず食いついた。

 俺が先程から悩んでいた発端だとしっくりきたからだ。


「アイツが転移円環関係なく転移できるなら、はじめから送ってもらえばよかったんじゃねぇの?皆…てか、神殿関係者?は知ってることなんだろ?」


 見送りの反応を見る限り、俺の推測は間違っていないはずだ。誰も驚いていなかったし、なんなら迎えの際の副産物破壊については過去事例がある口振りだった。

 そうすれば移動の十日前後分は短縮できて《台風》被害も起きなかったんじゃないのか。

 そう意見を述べる俺は至極当然のことを指摘しただけなのに、返ってきたのはテゥントたちの名状しがたい空気だった。

 中でもオセアノ司祭が、発言したリソに対する視線が厳しい。

 可哀想に巨体の鯱の司祭に言外で叱られている小さなイルカの輔祭は、己の失言に後悔しているのかブルブルと俯いてしまった。

 神品たちの異様な様子を横目に、テゥントが俺に向かいつくづく実感のこもった呟きをこぼした。


「エクス少年はさぁ、ほんとうに何も理解わかっていないんだねぇ」

「は?」

「テゥント様、それは───」

「うんうん。アウィリト、分かってるから下がっててね。これは酷いねえ。どうしてこんなに知識が廃れちゃったんだろ。知識がないと知恵も授かれない。でも識ろうとすれば指標はあるものなのに、これを上手に隠したやり口は巧いと評するしかないかな」

「……」


 顎を指先で撫でながら俺を通り越したに感心を表す彼女は、リソを一瞥すると熨斗目色の瞳を鈍く光らせ、聖騎士の顔でオセアノ司祭に下知した。


「リソ輔祭も反省しているから、処罰は司祭にお任せしよう。ウチ以外の聖騎士か主教様のお耳に入っていたら、取り返しがつかなかったよ?───今後、一切の余地は無い」

〔…トリアイナ三叉戟様の寛大なご恩情に、心から、感謝申し上げます〕

「行っていいよ」

〔御意に。御前、失礼いたします〕


 ほっと安堵したように細い息を吐き出したオセアノ司祭は、落ち込み項垂れるリソを促し、オンダも伴って恭しく食堂を退出する。

 残されたのは俺とアウィリトのみで、相対するテゥントの表情や机の上で組んだ手の所作などは変わらないのに、醸す雰囲気が改まった気がした。


「さて。不用意な発言をしたから、司祭たちには下がってもらった。神品としての自覚が足りないよね。なんでだと思う?エクス少年」

「え……。………………分からない」

「だよね。少年じゃ、分からないよね。アウィリトなら、分かるよね?」


 白けた態度を隠すこともなく口元に笑みをたたえるテゥントが俺の隣に座るアウィリトへ矛先を向ける。

 俺の気のせいでなければ、正面の人物から漂ってくるのは怒気だ。にこやかな顔の下で抑え切れていない気配がじりじりと肌を刺す。

 端から答えを期待していなかった俺からその矛先が逸れても、首裏に汗が滲んだ。


「……はい。《ヌシ》様に…、神に、我々ヒトが…特に神品が、指図すること、罷りなりません…」


 アウィリトも怒気を察しているのだろう、緊張に縺れる舌を懸命に動かして、ゆっくりと答えを述べている。

 ただ「指図」の意図が汲めずに困惑する俺。リソはそんな事言っていないよな…?ちらとテゥントを窺う。

 俺の困惑などお見通しの彼女は鷹揚に頷くと、机の上で絡める指を組み直した。


「うん。神様に仕え、意を汲むだけの神品が、願ってはならない。感謝を捧げることはしても、何かを求めたり、欲したり、望んだりすることは、してはいけない。それは我々の都合だから」


 揺らがない笑みに反し、冴えたままの目が俺とアウィリトを睥睨する。


「願いって、希望でしょう。物事の実現を祈るんだよね。こと。それって、ヒトとしても如何どう?」

「そんなこと、」

んだよ。少年。輔祭にそんなつもりはなかったなんて通じない。考えた時点での」


 指を崩した爪先が机を叩く。一定の間隔でコツ、コツと。

 言葉を脳に刻むように。


「一般のヒトならいい。言っちゃなんだけど、彼らって神にとって〝要ない〟も同然でしょう?どれだけ願いを囀ったところで、いないんだから聴こえないの。でも、神品はさ。ちからに感通し得る素質がある。あるだけなら囁きにも満たないけど、我々はこの衆生の機根を応化してもらえるように鍛えることが生業。心が明確な声帯となるように。無い聞く耳を持ってもらえるように。『感応道交』を唱っている。つまり、。───言ってる意味、判るよね?」

「…」

「…承知しております」


 俺が理解できるのは、聖騎士の説教に黙すること。

 神品の特異性は善い事を及ぼせるように伸ばしているが、必ずしも結果を結ぶに至らないことを明示されている。

超常の意思が介在する故に。

 意図せずとも意図が通じてしまうのだと宣言する。

 だから自粛自戒せよと、神品は修行を積む。

 それなのにリソは希望を口にした。見習いと言えど、神品であるにも関わらず、分不相応の自覚もないまま。

 これが間違っていると、神に仕える地位で高みに在れる存在が言及する。


「そもそも、このジュビア地方での不祥事がまったく同じ原因で起こってるよね。一にクソ馬鹿野郎、二に司祭たち、三はまあ今は置いておいて。違う?」

「…」

「じゃあさ、少年。ダーリンがヌシの力でどこでも転移できると知っているとして。仮に、まったく関係の無い不祥事を収めるために、ダーリンの神との感応相生の幅広さを当てにして巻き込んだ挙句、早く行って欲しいから転移してってお願いするの、どう思う?」

「…」

「ぅ」


 挙げられた例の散々な具体さに、心当たりがありすぎるアウィリトが居た堪れなさそうに、己の師の差配に申し訳なさそうに苦悶の表情で目を瞑る。

 ノックスが了承してくれた尊さを噛み締めた。


「でさ、その転移ってダーリンの力じゃ無いわけで。転移させてって《ヌシ》に言ったとして、傍から離れることを良しとしていない《ヌシストーカー》が他の《ヌシ浮気先》へ送ってくれると思う?」

「…」

「しかもさ。そんな地雷を踏んだダーリンは無事で済むと思う?億が一に奇跡が起きて送ってくれたとしても、ダーリンにはもちろんこと、要望をした相手はリスクに伴った対価を払えると思う?大好きなダーリンひとりを送るんじゃないんだよ。己は側に居られないのに、側で行動する目障りな同行者も一緒に転移させてって言うんだよ?」

「…」

「…」


 ………………。………………。………………微塵も思えない。

 矢継ぎ早に飛び出す問いに答えられない俺とアウィリトの心が、対等な対価なぞ支払えるわけが無いと完壁にひとつの答えを導き出した。

 だがテゥントの追撃は止まなかった。


「さらにさ、見聞ストーカーしてるからとは言え一言もなく出て行かれて、途中余所の《ヌシアホ》の《台風癇癪》に遭遇して帰るって言ったのに、どうにかしてほしいって自分では何もしないで邪魔をする小虫を、どう思う?」


 ビクッと双肩が跳ねる俺。汗を滴らせるアウィリト。


「しびれを切らして強めに訴えて痛みを与えても帰ってこない上、茅の《ヌシ浮気相手》ばかり構えと帰宅を引き留める神品たち有象無象。ようやく帰るって言ったかと思いきや、すぐ出発するどころか、暢気に滞在延長候補に捕まるかもしれない行動買い物が苛立たしい。しまいには帰ってくるのに日数もかかるとなったら、転移迎えもするよね。要は完全なる一方通行。で、言うに事欠いて迂闊にも我慢を強いられていた奴ら小虫に『行きも送ってもらえばよかったのに』なんて聴こえた日にはさ、どうなると思う?」



 グラッ────。



「…………こうなるんだよ」



 グラ…グラッ……グラグラグラッ!



 事の重大さと意味にようやく気付いたところでもう遅い。

 心底から諦観の溜め息を長めに吐き出したテゥントが、揺れる神殿を見渡す。

 噴水の水上にあっても揺れない不思議の神殿が相当の縦揺れに翻弄されて、食堂内の棚や食器、椅子、装飾品のすべてが床に落下する。

 食堂の外からも悲鳴と物が落下し砕ける騒音がけたたましくなる中、突然のことに硬直するしかない俺は、椅子ごと揺れに負けて転倒しそうになったアウィリトを支え、床に打ち付けられた頑丈な机に縋った。


「行くよ」


 いつの間にか正面から背後に移動していたテゥントが俺の右の手首と、アウィリトの左の手首を掴み、地階から一階へと階段を駆け上がる。

 移動中も床が揺れていたが、これをものともしない聖騎士の体幹は流石と言うか。

 一階へ上りきると、大混乱の神殿内部へ「外へ避難しろ!!」と大喝しながら、甲板デッキへと繋がるエントラスホールを走り抜けた。

 聖騎士の避難命令にいち早く正気を取り戻した神殿騎士たちが右往左往する神品たちを誘導する。早朝で信者たちがいないのが幸いだ。


 但し。そんな甘いことを考えていた俺は正面玄関を超え、だだっ広い甲板へ脱出した足で、甲板の手摺りがある縁まで躊躇いなく進むテゥントに連れられて行った先の光景に絶句した。

 聖騎士を挟んだ横のアウィリトも掴まれた手首を振り払い、驚愕の悲鳴を漏らす己の口を両手で覆う。

 ざわめきを携えて徐々に避難してきた神品たちも目で見る光景が信じられず、口々に嘆きの悲鳴を零している。


 噴水の下に広がる都市街も揺れる神殿同様、グラグラと揺さぶられている。ここまでは想定していた。

 都市街を横断する本流が軒並み大波を起こし、氾濫している。

 冠水する街は阿鼻叫喚の喧騒を掻き立てていたが、その騒乱も都市を囲むカルデラ湖の水が引き、山間のあらゆる水流が途絶えたのに気付くと、迫りくる恐怖から徐々に静寂が場を満たしていった。

 本降りの雨の中、痛いほどの沈静を破り、さざなみの音を先遣にして、都市を一呑みできるほどの津波が四方八方から押し寄せてくる────。


「……やっぱり聴こえてたか。あの角野郎…。煩わしい邪魔なもの全部葬る魂胆で地震を起こしたな。ダーリンがいなくなった途端にこれだよ。の思う壷だって分かってやるんだから、質の悪い……」


 独白じみたテゥントが悪態を吐く。

 後半の言葉は雨音より小さくて聞き取れなかったが、先程まで話していた内容が積もり積もって決壊しての事象だと推察した。

 つまり、


「谷の《ヌシ》が怒ってるってことか…?」

いや、ただの嫌がらせ」

「これが?!?!」


 おそるおそる確かめた俺の緊張と畏怖をさらっと否定して、顰めっ面を隠しもせずテゥントは腕を組んだ。


「神ってこうだから」


 神にとっての瑣末が、ただのヒトにとっては大事である。それだけ。と、淡々と述べる。

 濃いよ!!と絶叫しなかった俺を誰か褒めてくれ。

 神に親しい共和国が恐ろしく、神の神気が薄い平和な王国故郷を今ほど懐かしく思ったことはない。

 激昂を抑えられず地団駄でやり過ごした俺の背後から、ジュビア地方の神品代表である巨体のシャチが雨を弾いて進み出てきた。


〔トリアイナ様…!でどうにかなりませんことッ?〕

「どうにもならないねぇ。アスピダか、ダーリンがいればまた違ったろうけど、一人じゃねぇ?あと、クソほど不本意だけど角野郎が『正当』だから。今回ウチは何も出来ないよ」


 聖騎士ならばあるいはと一縷の希望に縋る神品たちから、絶望と落胆の声が上がる。

 意味ありげに『正当』を強調する聖騎士に、言葉の裏をも読めるオセアノ司祭が、息を呑んで牙の並ぶ口を噤んだ。一体どういう意味なのだろう。

 おそらく窮地の引き金を引いた自覚のある鯆のリソなど、一緒に啜り泣く弟の胸鰭に抱えられていないと泳げないほど哀哭し〔お許しください、ごめんなさい〕と謝罪を繰り返している。

 そんな切羽詰まった神品たちとは対照的に、落ち着き払う聖騎士は、心なしか冷めた色を黒い熨斗目色の瞳に滴らせて観衆を流し見ている。

 この動機が理解できなくて怖かった俺は、一生、真に神を理解することは無いのだと漠然と思った。

 一方で『正当』の真意を理解した様子のアウィリトは、やはりテゥントと似たような意志を込めた目をして聖騎士を注視していた。


 嘆いても笑っても津波は無くならない。

 いよいよもって都市の外周に津波が到達する。市街が水流に巻かれ水没する。────そう成ったかに思えた瞬間だった。




 ぴたりと世界が凪いだ。




 時が止まったような錯覚で、雨も、波も、音も、己の存在さえも、その場に見えず、感じない何かに縫い付けられた。


 次いで凪いだ世界で縫い止められた津波は、毛糸がほつれるようにするすると上から巻き取られていき、それこそ毛糸玉のごとく、神殿の頭上へと集まっていく。


 縫い付けられた体でも自由の効く視界で目撃する現象に驚きを禁じえない俺は、その毛糸玉の遙か上で小さな両手を動かす川縫獺かわぬい姿の《ヌシ》がいた事なんてまったく分からなかった。

 この何もかもが縫い止められた空間で、唯一動ける聖騎士が(こういうところ本当に規格外だよなぁ!)止まる雨粒を避けるのに片手をかざし、毛糸玉と見紛う水球を仰ぐのを視界の端で捉える。


「命拾いしたねぇ。茅の《ヌシ》様の御出座しだ」


 流石に領域テリトリーを破壊されるのは見過ごさないよね。と確信していたかのようににっこり笑う。

 神出鬼没が通常の滅多に拝めない信奉敬愛する《ヌシ》の出現に神品たちが俄かに喜色を帯びる。

 だが誰一人としてまだ動けないし、言葉も発せないので、どうにか頭上を仰げないかと必死になった。


 真下の滑稽な努力を無視して津波をほぐし終えた《ヌシ》は、まとまった毛糸玉を今度はするすると山間の支流本流に戻していく。この光景の壮観さときたら俺の語彙力では筆舌に尽くし難い。

 後に詩人のベタの神殿騎士曰く、まるで冥界の水墨画に描かれた幽境に聳える山々をすり抜ける龍を彷彿とさせる幽玄さだった。とのこと。

 審美眼はそこそこある俺でも芸術方面には疎いので、ベタの神殿騎士に大いに同意していた神品や都市民を散見するあたり間違っていないはずだ。

 津波を処理したついでとばかり、氾濫した都市の本流に浸った市街の水をもするすると糸を紡ぐようにして川へ戻し、茅や葦の薮をすいすいと縫い付け整地してしまうと、くわっと川縫獺かわぬいらしい牙が覗ける大欠伸をかましながら寝転がるように空中で半身を捻った《ヌシ》は忽然と姿を消してしまった。(観察していたテゥント談)

 と同時に、凪いだ世界で縫い付けられていた俺たちは糸を断ち切られたみたいに、一斉に動きを取り戻した。


〔《ヌシ》様は?!?!〕

「どっか行った」

〔あぁああ……!!〕


《ヌシ》に飢えていると言っても過言では無いオセアノ司祭が、背鰭をへたらせ悲嘆に脱力する背中一面に篠突く雨が降り注ぐ。

 この世の終わりから一転、神の御業に興奮した都市では、皆がその場で自発的に膝を着き、右手を下に交差した手で腰に触れ、両肩に触れ、目隠しを模した仕草で黙祷をした。最上の祈りの作法だった。

 危機を脱した求心力が無くならないうちに水流は戻ったとは言え、地震の被害と一瞬の浸水の被害を確認してしまえと、聖騎士が神殿騎士たちを都市内に派遣する。床に懐いていたオセアノ司祭もふらふらと神殿内へ戻って行った。

 さらには皆笠を被る余裕などなかったためずぶ濡れなので、各々笠を身に着けて体を乾かすように指示された。

 そんな最中、べしょべしょに泣き腫らした目で泳いできたイルカの兄弟がテゥントの側へやって来た。


〔トリアイナ様…っ!あの、これー…!〕

〔いつの間にか、リソの背中にあってー…!〕


 背中を見せるように屈んだリソの背鰭に、桃色や赤、黄色といった彩りの雛芥子ひなげしで編まれた可愛らしい花冠があった。


「あぁね。茅の《ヌシ》様が慰めてくれたんだと思うよ?よかったねぇ」

〔えぇ…!?僕、僕ッ…神品失格も同然の失言をしたのにー…ッひぃック。お許しっ、くださるんですかー…ッひ〕


 安堵からかまた大粒の涙をつぶらな瞳から零してしゃくり上げるリソの隣で、オンダも釣られて〔よかったねー、よかったねー…!〕と泣き出した。

 ついには、ワアッとおいおい抱き合って花冠に祈る兄弟の画が出来上がる。


「お許しもなにも、花言葉がまんま〝慰め〟だからさ。発端は別でも元はと言えば、茅の《ヌシ》様の我儘がダーリンを拘束していたからね。そこらへんは、気にすんなってことじゃないかなぁ」

〔ふぇぇーん…っ!《ヌシ》様ッ、ありがとうございますー…!〕

〔ありがとうございますー…!一生ご奉仕いたしますー…!〕


 罪悪感で気の毒なほど悄然としていた兄弟が持ち直してくれた一場面に俺も嬉しくなった。

 兄弟は司祭にも報告してくると飛び跳ねて去って行く。

 いいことを言ったのに、わざわざ「一番はダーリンのお気に入りをイジメたって後でバレたらマジで嫌われるって焦ったんだと思うよ」と続けた残念な忖度について、俺は聞いてないったら聞いてない。

 そして閃きのごとく俺の脳裏に少し前のテゥント台詞が蘇った。


「あぁーっ!!だから、嫌がらせって…!!」


 谷の《ヌシ》執愛のノックスを長時間拘束せしめた都市カルカヤの《ヌシ》に向けての嫌がらせかと、合点がいった。


「だから『正当』ってこと?!」

「まあそれだけじゃないけど、おおむねはねぇ。リソ輔祭の失言は神品として戒めるべきレッドカードでも、まず論点が《ヌシ》基準だからね。我々は所詮、滄海そうかいの一粟なんですよ、と」

「…尊台の座右の銘は、諦めは心の養生だそうでございます…」

「うはは!さすがジュビア地方でサルト・デ・アグワ滝の君とか呼ばれるヒトの名言!真理だねぇ!身も蓋もない!」


 違った意味で盛り上がるテゥントとアウィリトが小憎たらしくて仕方がない気持ちはどうしたら発散出来るだろうか…?

 最初から分かっていたのなら教えてくれてもいいものを。そうすれば阿鼻叫喚の混乱だって起きなかったはずと理不尽な思いに駆られていると。


「エクス少年、『恐怖』って一番ヒトの心に刻み込まれるんだよ。忘れたくても、忘れられないでしょ?」


 明るい調子で紡がれた言葉の中身は、優しさの欠片も無かった。


「助長した甘えを捨てさせるのって、腐敗した果物並みに難しいよね。じゃあ手っ取り早く諦めさせるには、後が無いくらいに追い詰めて、突き放して、抵抗なんか起こせないほど叩きのめさないと。それこそ許しを乞うほどの絶望から救われたとなれば、人生捧げても惜しくは無い感謝の念が湧くよね。そんな救いの神様にはに頼らずとも、を認めて欲しくなる」


 素晴らしい心意気!と仄暗い眼差しが微笑む。


「どいつもこいつも、ノックスにたかりすぎなんだよ。優しいからって調子に乗りやがって。巫山戯んな」


 飛び出す毒吐きが寸の間の憎悪を覗かせる。

 本音だと判る声音に、背筋に氷塊が滑り落ちたような悪寒が走った。

 憎悪の対照には神品や俺、ましてや神にさえ向けられていると本能が訴えている。

 なんでこんなにヘイトが高いんだ?!怖い怖い怖い怖い……!


「だからね、エクス少年。こんなダーリンばっかに負担が掛かるように仕向けた悪党退治にはさ、一緒に行こうか?」


 それが終わったらスパルタ育成しながらケツァール地方に送って行ってあげるからねと、整った容姿で整った笑顔を贈られた俺が戦慄したのは言うまでもない。


 そしてこの悪党退治こそが、ジュビア地方の異常気象事件には切っ掛けがあり、原因がいたことを俺は思い出したのだった。

 聖騎士がその原因を調査するとして、《ヌシ》関連の事件は細工師が来た時点で勝手に収束したとばかり思い込んでいたが、終息にはほど遠かったのである。

 むしろ序章に過ぎなかった。


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異世界で暮らすとこうなる。 虫の息以下 @TAKE1221

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