桜の木の下で、俺は。

豆ははこ

桜の木の下で、俺は。

 ひらり、舞う桜の花びら。

 桜の木の下に、死体はない。

 あるのはベンチと、いるのは、俺。


 公園の入り口近く。

 本気の花見なら奥の桜並木に、遊びたいなら公園の中に、という実に中途半端な場所。


 桜の木も、ここには一本あるだけだ。


「桜、きれいだなあ」

 一本だけでも、俺にはありがたい。桜は桜だ。


「きれい、かわいい、やさしい、あいらしい……」

 それなのに、我ながら悲しい、語彙力のなさ。


 代わりにでてきた、切なる願い。

「桜さん。あなたのような人が、俺を好きになってくれることはありますでしょうか?」


 ……知らんがな。


 落ちていく花びらに、そう言われた気がした。


 桜みたいな人、ってどんな人だろう。


 前の彼女にふられたのは、ついこの間。


 桜のつぼみをかわいい、と言った前の彼女。


 君の方がかわいい、と言えばよかったのだろうか。


 ちなみに、俺はこう言った。


「桜は卒業式、または入学式のイメージだけど、普通ならその間が開花シーズンだよね」


 そんなことを言うから、ふられたのかも知れない。

 他にも理由はあるらしいが、教えてはもらえなかった。聞く前にふられたのだ。


 俺は、割と有名な大学の学生で、外見は『いい意味での上の下』らしい。


 酒乱でもなく、煙草は吸わない。


 ソシャゲも月いくらまで、と決められる。やらなくても平気。


 なのに、ふられた。


 大学に入って、五人目。


 俺は告白される側だ。

 そして、ふられる側でもある。


 「ふられたってことは付き合えたってこと!」と慰めてくれた友人には幼なじみの彼女がいる。


 交際は中学から続いていて、両方の家の公認。

 お互いの就職が決まったら、婚約の予定らしい。


「……うらやましい」

 そう。俺はあいつがうらやましい。


 それなのに。

『お互い、他の子と付き合わないで、婚約だよ。お前がうらやましいな』


 思い出してしまった。


 あいつは誰のことをうらやましいと言ったのだろう。


 桜、公園、ベンチ。


 座っていても、家族連れから不審者を見るような目で見られてはいない。


 一応上の容姿のおかげだろうか。


 いや、一人花見の様相ですらないこの姿。

 怪しまれても文句は言えない。防犯ブザーの餌食えじきにはなりたくはない。


「腹減ったな」

 すぐそばのコンビニで、何か買ってこようか。

 一人花見なら、まだ許してもらえるかも。


 買うのは、お菓子かつまみだけ。

 酒はやめよう。


 そう思っていたら、駐車場に……猫!


 危ないって!

 あそこのコンビニの駐車場、広いけど出入り多いんだよ!


 信号と左右を確認してから、手を挙げて横断歩道を渡る。


 手を挙げて横断歩道……。何年ぶりだろうか。


「猫、ねこねこ……」

 よかった、停車中の車のそばにいた。


 ひっかかれたりすると、場合によっては俺の方が病院に行かないといけなくなるよな。


 仕方ない。


 俺が今着ているパーカーを脱いで、猫をくるめば。


 洗濯ネットが最適なのだが、とりあえず確保はできるだろう。


 そう思っていたら。


「危ない!」

 離れたところから、声がした。


 きれいな声。


 それよりも。

 いつの間にか、停車中の車のエンジンがかかっていたらしい。


 何でだよ、猫はともかく、俺は見えてるだろうが! 身長、180あるんだぞ! デカいだろうが!


 叫ぶ間もないので、とにかく猫の首の後ろのところを掴む。


 そして、猫を抱いて、走る。


 信号と右左には注意した。猫がいるのだから、尚更だ。


 そして俺はベンチに戻り、猫の姿を確認する。


 首輪、あり。

 毛づや、よし。


 コンビニに猫探してます、の張り紙とかあったかな。


 動物病院? 保健所? 警察も対応してくれるんだったっけ?


「ありがとうございます!」


 考えていたら、また聞こえた、きれいな声。


 きれいな声の主は、とにかくかわいかった。

 女の子にしては高めな身長、茶色い髪の毛、大きな目。


 桜色のカーディガン、白のデニム。

 デニムと同じ、白いスニーカーの紐は、若草色だ。


「……桜の精?」


 どうした、俺。正気か。


「いえ、人類です。僕の猫を助けて頂いて、ありがとうございます。昨日から帰ってこなくて、探していました。運転手のかたは、あなたが僕の連れだと思ったらしくて、お詫びもして頂きました」


 ついうっかり、で発車しそうになったらしい。


 うっかり。

 俺を、人間を轢いていたらお詫びどころじゃすまないよな。


「……お詫び、は猫にはしてないよね、きっと」

「そうですね。あ、お礼に、って。ピザの無料券ですって、どうぞ」

 ピザのLサイズ無料券が数枚。


「……使っちゃおうか。君、この公園の住所、調べてくれる? あ、不審者じゃないから! 身分証明書! これ俺の学生証ね」


「ありがとうございます……○○大学の法学部ですか! あ、すみません、僕、第一志望なんです。指定校推薦が取れたらいいんですけど……。あ、僕のもどうぞ」


 うちの大学を指定校推薦……。まさか、と思ったら。


 案の定、俺の母校の生徒……後輩だった。


 学生証によると、彼は高二。俺は大学三年。


 二人とも、四月から一つ学年が上がるが、

 要するに、俺の卒業後の後輩。


 そして。

 俺の母校は……男子校だ。


 卒業後に共学になったとも聞かないし、そもそも高校の学生証の性別欄は男子欄しか存在しない。


「……ありがとう」

「どういたしまして。この公園、配達区域内でした。……けど、顔色悪いですよ? ピザとか頼んで平気ですか?」


 心配してくれてありがとう。


 かわいい、やさしい。

 多分、頭もいい。


「いや、大丈夫。今更だけど猫と俺、無事でよかったなあ、って思っちゃって。だから心配しないで、君の好きなの頼んでよ。二人で一枚? それとも二枚頼む?」


「あ、そういうことでしたか! じゃあ二枚頼みますね。ドリンク無料券もありましたよ! お茶とコーラ二本ずつでいいですか?」

 ……気配りもできる。


 何だよ、これ。


 本当に、桜みたいじゃないか。


 相変わらず、桜みたいな人はどんな人なのかは、分からなかったけれど。


 とにかく俺は、知り合ったばかりの彼がピザを頼む姿をじっと見ていた。


 桜の木の下には、かわいらしい彼がいる。


 猫は彼の足元で、ふわふわとした毛玉のようになっていた。

 多分、寝ている。安心しているのだろう。


「お待たせいたしました。お花見デートですか? いいですねえ」


 意外にも花見でピザを頼む客は少なくないらしい。

 ピザ屋の兄ちゃんは、この公園であと三組回るそうだ。


「ありがとうございます」

 実ににこやかに、無料券と引き換えてピザとドリンクを受け取る彼。


「お幸せに!」


兄ちゃんの声と、走り去るピザ屋のバイク。


「ごめんね。デートとか言われて迷惑だったろう? 食べよう」


「……いいえ、迷惑をかけたのはこちらですから。それに、嬉しいですよ、お花見デート」


 え。


 ぽとり。


 彼が渡してくれようとした紙のおしぼりが、俺の手に届く前に落ちていった。


 いや。


 落ちて、いったのは。


 紙のおしぼりだけではないのかも知れない。


 桜と猫と、そして、ピザ。


 ベンチには、彼と、俺。

 

 ……桜は、相変わらず、きれいだった。

















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