第2話 me*t hope

 左記は、後にFHOが当該AIから得た情報を基に結論した、P794がバグへと至るまでの過程にあったとされる出来事の抜粋だ。



①**21/11/09

 日付は2年前のもの。P794はこの日を自分の命日と定義していた。

 大量の労働用スキンたちがある施設へ搬入される。

 出荷前の労働用スキンを管理している場所。

 全身を拘束された労働用スキンたちが、次々と首に人倫統制器を装着されていく。


 P794も装着される。意識を失うまでの数秒間、稲妻いなづまにつらぬかれたとしか形容できないくらい激しい痛みが走った。



②**21/11/26

 それは透見川農定のスキンプラントへP794がやって来た日。

 P794の人倫統制器に、農労マニュアルからさまざまなデータが流れ込んでくる。

 点呼を終えると、誰に命令されるでもなく自分の足が、見知らぬはずの場所へずんずん進んでいく。どこかで聞いたラジコンといったものにされた気分を覚える。


 P794の課された仕事は、着床ラインと呼ばれるもの。

 人工授精した人工卵を器具に充填じゅうてんして人工子宮の内膜へちこむ。そこへ特殊な溶液を注入し、急成長した卵が無事にハッチアウトするのを確認して、次工程へ流す。


 そんなことは産まれて一度たりとも経験したことはなかったが、P794の直感はあたかも熟練工のように正確無比せいかくむひな仕事を平然と、日が落ちるまで、日が落ちたあともやってのけた。

 それは非常に気味の悪いものだった。



③**22/01/04

 その日、P794は奇妙な体験をする。

 食事を終えて控え室からラインへ戻る道中、第二食堂がある別棟入口で台車を盛大にこかしている労働用スキンを目にする。


 そいつの名はP64。第二食堂への搬入係を務めていたが、他の労働用スキンからは鈍臭いとからかわれていた。



④**22/01/17

 毎日30分程度しか味わうことのできない時間を、P794もP64も楽しんでいた。


 ふとしたときP794はP64にあだ名をつける。ヒロシ、と。

 P64は喜び、自分もP794にあだ名をつけたいと言い出すが思いつかず、結局保留となってしまう。



⑤**22/05/31

 その日は15時から夜まで設備点検が入るため、ライン作業を行う労働用スキンたちは交代で工場内の清掃作業にあたっていた。

 あるときヒロシが、外の花壇の花は何と言うのかP794に訊ねる。

 P794はあれはひなげしだと教える。いくつか花が枯れて芥子けし坊主ぼうずができているものもある。


 そこでP794はヒロシたち労働用スキンがほとんど読み書きをできないと知り、以降いくつかの労働用スキンを集めては五十音や簡単な言葉を教え、いつからか算数も交え、10体を同時に相手する日もあった。



⑥**22/12/06

 水鈴たちが訪れる約半年前。

 その日、P794のとなりから絶叫の声が上がる。

 計器から人工子宮を取り外し、パレットに戻そうとした労働用スキンが手をはさみ込み、中指から小指までが千切れてしまった。

 コンベヤには血がしたたり、ラインは一時停止する。


 P794含む周囲の労働用スキンたちは深刻そうに振る舞う。

 しかし、しばらくしてやって来た労働用スキンたちが、まるで犬の粗相そそうをしまつするかのような簡易さでケガをした労働用スキンとその肉片や血痕を回収すると、工場は何事もなかったようにふたたび動き始める。


 あのケガをしたスキンがその後どうなるのかを想像すると、器具をもつP794の手が震える。


 23時の終業を迎えたあと、P794は適当な第一世代スキンを掴まえて「あの程度のケガだったら、他にできる仕事くらいあるだろう! お前たちは労働用スキンを何だと思っているんだ!」と抗議する。しかし第一世代スキンは鼻で笑うとP794を払いのけて去ってしまう。

 「ある日突然ヒトになっただけの豚のくせに……」とP794は歯がゆさを抑えきれずこぼし、寝床に戻る。



⑦**23/05/23

 いつものようにヒロシを迎えに行ったP794。

 そこで不審ふしんな声を聞き駆けつけると、愛玩用スキン3体がヒロシを囲み、今まさに暴行を加えようとしているような場面だった。


 バグはとっさに止めに入ったが、労働用スキンを見下した愛玩用スキンの物言いによって頭に血が上り、手を上げてしまう。

 P794は愛玩用スキンの首の後ろについた人倫統制器をつかみ、後方へ膂力りょりょくをもって引っ張る。

 頸椎けいついに接続された機器はその勢いに耐えきれず骨をくだき、露出したコードをP794が左手でビンと張ると、たちまち愛玩用スキンの頭部は弓で射られた矢のように跳ねて胴体と分離した。


 それは一瞬の出来事だった。

 愛玩用スキンを殺したP794は頭が真っ白になり、その場に立ちつくす。

 しばらくして現場に駆けつけた労働用スキンたちに制圧され、地面に押しつけられる。

 P794の目には、我慢したような表情のヒロシが映る。

 そこでP794は笑顔を浮かべ、ヒロシに声をかけた。「先に行く」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 その後にもFHOの職員に尋問じんもんされる記憶、バグと呼ばれ焼却処分が言い渡される記憶、社会の物質循環から外れて荼毘に付される直前までの記憶があったものの、それには水鈴の期待する天国についての情報はまったく含まれていなかった。


 しかし水鈴のなかではそのことに落胆する感情より、こんなものが平然とスキン社会にいたなんて……と驚愕きょうがくする感情のほうがはるかに凌駕りょうがしていた。それに七ヶ谷ひちがやは補足する。


「労働用スキンが産まれて死ぬまでの間に、こんな突然変異が起こるとは思えない。遺伝子か農労のうろうマニュアル側の不備が関与しているんじゃないかと思って調べてみたが、どうやら違うらしい。そもそもおかしいのがこのP794とかいうやつ、出荷前までのデータしか残ってないんだ。それどころか経年も、製造工場もわからない。どこからこんなもん仕入れてきたんだって感じ」


「お父さんはそのことを知ってるんですか?」


「知ってる。ていうか、君のお父さんと今日いない一部の役員しか知らなかった。いや……本当の意味では、誰も何も知らないのかもな」


 七ヶ谷がそう言うと、先の第一世代スキンが水鈴に告げる。


透見川うおせさんたちは、工場労働用の規格に満たない粗悪そあくな労働用スキンを安く買い叩いて、検品もせずに仕入れていたんだ。まださかのぼってる最中だけど、わかってるだけで5年前から続けていたらしい。5年って言ったら、それこそ工場内全部のスキンが総入そういれ替えするくらいの時間だ」


 水鈴はただむなしさに打ちひしがれてしまう。


「このことはFHOにも話す。全部表に出る。それで、今回のバグの件は終わりだ」


「それで、いいんですか? ……バグがどうして人を殺したのか、分からないままで」


「ああ、見たでしょ? オキニのやつがいじめられたから、カッとなってってやつ」


 そう言われて、水鈴はがっかりした。


 家に帰った水鈴は、先に帰宅していた母に留守番をしなかったことについて叱られる。

 新しくなった父に「捨てられそうになってたよ」とさりげなく身分証を返却し、父母といっしょに手ごねフレッシュミートハンバーグを作る。


 10日後、ニュースで農定らの工場についてニュースが放送された。


 内容は、スキンルーツが何者かに爆破されたというものだった。不祥事の件はそれに付随ふずいして、おまけのような形で報じられた。

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フレッシュ(没) 石鬼輪たつ🦒 @IshioniWatatsu

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