第45話「凍えた天使」
「お父さん、お父さん!」
私は父が大好きだった。
薬草の臭いがする、穏やかで優しい父だった。父によく似た自分の赤毛も誇らしかった。
だからいつも父にまとわりついていたけれど、父はそんな私に嫌な顔をすることはなかった。
「よしよし、ロビン。なるべく早く帰ってくるから、いい子にして待っているんだぞ」
「うん!」
薬剤師の父は、仕事柄あちこちを飛び回っていた。偉い人のお屋敷に呼ばれることもあるが、父は医者とは違う。医者のような診察をするわけではなく、薬を与えるだけだ。お屋敷に呼ばれる時、使用人の具合が悪い時がほとんどだという。
父の帰りが遅くなると、私は眠い目を擦って待っていた。私を寝かしつけようと母があの手この手を使ってなだめすかしても、私は頑として寝なかった。それがわかっているから、父も急いで帰ってきてくれる。
もし私が聞き分けよく眠ったら、父は安心して遅く帰ってくる。だから私は無理をしてでも眠らなかったのだ。
大好きな父だった。
その父が、ある日。
冬の日、一人の男の子を連れて帰ってきた。自分のコートに包んで抱きかかえている。どう見ても只事ではなかった。
父の腕の中を覗き込むと、男の子の肌は雪のように白く、血の気を失っていた。着ている服は寝間着に見えた。
「あなた、この子はっ?」
「雪の中で倒れていた。早くあたためてあげないと」
父が体についた雪を振り払いながら言った。私は暖炉の前に毛布を重ね、そこに寝かされた子の指に触れた。
氷のように冷たい。人間がこんなにも冷たいなんて、あり得ないことだ。
私はその子の手をギュッと両手で握り締めた。早く元気になるように祈りを込めて。
私たちはその子のために火を絶やさず、常に誰かがつき添っていた。その子が目覚めたのは、翌日の昼頃になってだった。
「う……」
呻き声が漏れて、私はその子に覆い被さるようにして顔を覗き込んだ。ぼんやりとした薄青い瞳がさまよう。
「気がついた? 大丈夫?」
はしゃいだ私を母がその子から引きはがした。
その子は、ゴホゴホと咳き込み、喉から風の通り道のような音を立てた。
「ほら、まだ無理をして喋らせてはいけないわ」
「うん……」
その子は、とても綺麗な顔をしていた。サラサラの金髪で、絵に描かれた
少しあたたかい飲み物を飲むと、男の子の真っ白だった顔にも血色が戻り、頬が薔薇色になる。年の頃は私と同じくらいに見えた。
「あなたは雪の中で倒れていたそうなの。おうちはどこかわかるかしら?」
母がやんわりと訊ねるのを、その子はぼうっと聞いていた。そうして、首を横に振った。
わからないということらしい。
「そうなの? 困ったわね」
母はため息をついた。その子は何も話そうとしなかった。
困った母は何かあたたかい飲み物を用意してくると言ってその場を離れた。私はこの子を任されたという気分になって話しかける。
「ねえ、あなたのお名前はなぁに?」
しかし、返事は得られない。ぼうっとした目が向けられただけだった。
この子は余程恐ろしい目に遭ったのかもしれない。だから口が利けなくなってしまったのだと私は思った。
けれど、そうではなかった。その子はぼうっとしたまま言った。
「好きに呼べばいい」
その口調は幾分尊大でさえあった。
「好きにって、人には大事な洗礼名があるじゃない。あなたにだってあるはずよ」
私は腹を立てながら言い返した。
大変な目に遭った可哀想な子だと思って優しくしようとしたのに、この子は私たちの前にぐるりと線を引いてそこから中へ入るなと全身で語っているのだ。
その子は、軽く眉を顰めてからうつむいた。
「僕は人間じゃないんだよ。だから、名前なんてどうだっていいんだ」
人間じゃないと言う。
それならばなんだろう?
翼を失くした天使が空から降ってきたのだろうか。
それとも、スノードロップの精だろうか。
だとしても、名前は必要だ。
「何よ、それ。困るわ。あなたのことを呼べないじゃない」
私が言い募ると、その子は鬱陶しそうに零した。
「棒切れでも石ころでも好きに呼べばいい」
そんなひどい名で呼べるわけがない。どうしてこんなにひねくれているんだろう。
困った子だな、と思った。
「あなたの名前のことはちょっと置いておきましょう。私はロビンよ」
私が先に名乗れば、そのうちに名乗ってくれるかもしれないと考えた。その子は不思議そうに目を瞬かせた。長い睫毛がもみの木の梢のように揺れる。
「
「そうよ。赤毛のロビン。わかりやすいでしょ?」
その子はこくり、とうなずいた。名前は教えてくれなかったけれど。
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