第39話「夢の終わり」

 悪夢の後のように怯えながら目覚めた。

 私はどこかのベッドに寝かされていた。質素な部屋だから、あの番人たちの小屋だろうか。


 ベッドのそばには私のトランクがあった。

 密猟の手引きの容疑がかけられたとしても、気を失った女性には手荒な真似はしないでいてくれたらしい。


 窓の外から明りが差していて、少なくとも夜は明けたのだとわかる。

 私は自分の肩を抱き締めて震えた。


 ここの猟場番人からフレデリック様に報告が行く。私が企みを持ってジョセフたちを引き入れたと言われるのだ。


 フレデリック様がどんな反応を示すのか、私は考えるのも恐ろしかった。それでも、自分の口でちゃんと説明をしなくては。


 私はフレデリック様を裏切るようなことをしたかったわけではない。結果として嫌な思いをさせてしまったとしても、そのことを謝りたい。


 少しでも早く。誰かから報告が行くよりも先に。

 私はトランクを抱えて部屋を出た。




 小屋の台所の辺りに人の気配はあったけれど、私は声をかけずに外へ出た。

 ジョセフたちがどうしたのかはわからない。そして、それを確かめようとは思わなかった。

 今はただ、早くフレデリック様に会わなくてはとそれだけを考えた。


 運よく馬車が通りかかることはなく、ひたすら歩いた。歩いて最寄りの町まで行き、そこから馬車を何度か乗り継いでやっとラッシュライト・ホールに辿り着くことができた。その頃には足もズタズタで、足の裏の皮がめくれているのか歩くと痛むようになった。


 番小屋のところを通り過ぎる時、いつもの門番たちが挨拶を返してくれた。彼らはまだ何も知らないらしい。知っていたら、通してくれなかったに違いない。


 私は彼らから顔を背けるようにして、足早に楡の並木道を急いだ。




 門から屋敷までが遠い。

 落ち着いて食事する間もなく移動し続けているから尚のこと、体に力が入らなかった。


 それでも私は急がなくてはならない。

 重たい体を引きずり、痛みを伴いながら歩いていると、屋敷の手前で庭丁の一人に会った。


「ああ、ミス・クロムウェル。おかえりなさい」


 おかえりなさいと言ってくれた。私は嬉しい気持ちと疚しさとをない交ぜにして噛み締めた。

 ただいまと答えたかったのに、それをしてはいけないような気分になってしまう。


「あの、イングリス様はどちらに……?」

「庭にいらっしゃいましたよ」

「お庭ですね」


 私はうなずくと、屋敷に入るのをやめてトランクを持ったまま庭に向かう。ただ、そんな私の背に庭丁が何かを言っていた。


「でも、このところ、旦那様のご様子が――」


 急ぐあまり、私はその先を聞かなかった。




 庭のどこにいるのだろうか。

 ひと口に庭と言っても広いのだ。それでも私にはなんとなくわかる気がした。

 私がよく座っていたベンチのところにいるように思えたのだ。


 その読みは当たっていた。フレデリック様は目を閉じてベンチに座っていた。

 久しぶりに会えて、私は泣き出しそうになるのを堪えた。もう会えないような気持ちもどこかでしていたのだ。


 これからフレデリック様の顔を見て許しを請わなくてはならない。それでも、話せばわかってもらえると信じたい。

 フレデリック様はいつも私に優しかった。私の心を尊重してくれたから。


 私が近づく足音で、フレデリック様はハッとして顔を上げた。淡い色の両目が見開かれている。本当に幽霊にでも遭遇したような表情だった。


 まず、何から話そう。私は迷いながら口を開いた。


「あの――」


 その途端にフレデリック様はベンチから立ち上がってしまう。

 おかえりと、あたたかな表情を浮かべてもらえたら、私は他に何も望まなかった。


 この時の私に与えられたのは、願いとは真逆のものだった。それは、耳を疑うほどに。


「僕は、あなたのためにできることをしたいと思っていた。見返りは求めないつもりだったけれど、本心では違ったみたいだ」


 優しく接してくれつつも、時折ふと冷たさを滲ませることもたまにはあった。

 ただしそれは相応の理由があってのことで、後で謝ってくれたり、私を傷つけたのではないかといつも気遣ってくれていた。


 けれど今はそんなこともなく、私に憎しみを持っているかのような鋭さだった。声を荒らげるのではない、静かな怒りが感じられる。あの叔母であるボーフォート夫人に向けたような、救いのない冷たさだった。


 私は用意してきた言葉のすべてを失った。


「僕はあなたに感謝されたかった。けれどあなたは、僕に恩を感じていないようだ」


 フレデリック様に恩を感じていないなんて、そんなことは絶対にない。


「そんなことはありません! 私は――」


 フレデリック様はそんな私の言葉を遮った。


 手にしていた便箋をグシャリと握り潰す。あの手紙は、誰からのものなのか、考えるまでもない。猟場番人からだろう。


「そうだね。少しは感じてくれているとしよう。でも、それは僕が期待したものとは違ったんだ」


 猟場番人からの報告にはどのようなことが書かれていたのだろう。

 フレデリック様はそれを信じた。私に裏切られたと憤っている。


 フレデリック様が私を、密猟の手引きをするような人間だと思っているということだ。薄情で軽率な女だと。

 何かの間違いだと考えてはくれなかったのだ。私が悪さをする人間ではないと信じてもらえなかった。


 もちろん、ジョセフたちにちゃんと断れなかった私に非がある。それでも、正直に話したら少しくらいは事情を酌んでくれるだろうとどこかで思っていた。

 それが現実はこうだ。私は自分で思う以上に信用がなかった。


 その事実に打ちのめされ、呆然と立ち尽くす。

 それでも、フレデリック様の目は私を憐れまなかった。通り過ぎていくだけだ。


「暇がほしいようだから、好きにするといい。これまでの給金は支払うから、タウンゼントに言ってくれ」


 そうして、フレデリック様は私に背を向け、振り返ることなく行ってしまった。もう私の顔も見たくないのだと言わんばかりだった。

 それも当然なのだろうか。


 ――秋を前に、私は夢から覚めた。

 こんなにも呆気ないとは思わなかった。


 涙が出なかったのは、気持ちの整理がつかないせいだ。それでも、胸の奥がごまかしようがないほどに疼いた。




 給金を受け取り、ブレア夫人たち世話になった人々に別れを告げようと思った。

 けれど、私の足は屋敷へは向かなかった。再びフレデリック様と顔を合わせるのがどうしても恐ろしかった。まだいたのかと蔑むような顔をされたら生きているのが苦しくなる。


 フレデリック様の信頼を裏切ってしまったのは私の方かもしれない。信じてもらえなかったと勝手に傷ついている私が愚かなのだ。そう思っても、どうしても行けなかった。


 私は来た道を引き返す。ナンシーとちゃんとした別れができなかったことがひどく悔やまれた。それでも、ナンシーやトレギア家の人々まで私を嫌うとしたら耐えられない。


 荒野をひたすら歩くと、涙でぼやけて咲き始めのヒースなんて見えなかった。


     【◆3 ―了―】

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