第36話「運命」

 向かい合ってメイドが淹れてくれた紅茶を飲みつつ、母は正面から私に問いかける。


「あなたがヨークシャーで働くなんてね。そうなった経緯いきさつは手紙に書いてなかったけれど、求人募集があってあなたから赴いたの?」


 当然のことかもしれないが、根掘り葉掘り聞いてくる。本当のことを言って信じてくれるだろうか。


「いいえ。ロンドンで偶然出会って、話しているうちに雇ってくださるということになって」

「先方はどうして、大勢いるガヴァネスの中からあなたを選んだのかしら」


 私が自尊心を失い、見るに堪えない様子だったから。

 フレデリック様は私を立ち直らせるためにヨークシャーへ連れていくことにしたと。


 そのことを母に言うと、マクラウド邸でのことも話さなくてはならないし、打ち明けたいとは思わなかった。


「私にもよくわからないわ」


 それだけを言うと、母は会話が切れてしまうことを恐れるように続けた。


「それで、イングリス准男爵はどんな方?」


 ジョセフと同じことを訊いてくる。私がまた同じ答えを返そうとすると、重ねるように母は言った。


「金髪に青い瞳でしょう? それで、とても顔立ちの整った方」


 これには私の方が驚いた。


「お母さん、お会いしたことがあるの?」


 この時、何故か母は訳知り顔でフフ、と笑った。


「さあ? そんな気がしただけよ。あなたと縁のある男性はきっと、金髪に青い瞳をしているんじゃないかしらって」

「どうして?」


 問い返しても母は笑ってはぐらかすだけだった。

 もしかすると、母は何かの際にフレデリック様を見かけたことがあるのか。だから、フレデリック様の容姿くらいは知っていたのだ。


「あの方はあなたの運命なのね」


 この発言には私の方がぎょっとした。


「たまたま雇って頂けただけでしょう?」


 母が私に過度な期待を抱いているように思えて、私はこれ以上フレデリック様の話をしないようにした。

 私が抱く不相応な恋心についても触れたくない。




 落ち着かないのは、ここが私にとって他人の家と変わりないからだろうか。


 久しぶりに義父に会った。けれど、義父は私に愛情の欠片も示さない。

 それというのも、私がガヴァネスとして女だてらに給金を得ていることが気に入らないのだ。


 いや、私の父親譲りの赤毛がまず気に入らない。それが最初にあるのだ。

 義父は母のことを大切にしている。その大事な妻に亡き夫のことを思い出させたくないのだ。


 大人になった今だからそれがわかる。ただ、子供の頃はそこまで考えられず、ただ自分はこの家では家族の一員になり得ないということだけを感じて悲しかった。

 その時の気持ちが、義父の顔を見ているとどうしても蘇ってしまう。


「久しぶりだな。あちらにはいつ戻るんだ?」


 目を合わさず、新聞に顔を埋めるようにしながら言った。


「それほど長くは予定していません。近いうちに」

「そうか。戻ったら、雇用契約の延長はしないようにしなさい」


 この義父の言葉には愕然とした。


「先のことはまだ何も決まっていませんが、どうしてそんなことを仰るのですか?」


 私が思わず訊ね返すと、義父はカサリと音を立てて新聞を握った。


「女が一人で生きていけると本気で思っているのか? そのうち、ろくなことにならない。そうなる前に辞めた方がお前のためだ」


 これは私の心配をしているのではなく、私がなんらかの醜聞の種になることを恐れているだけではないのか。

 大体、辞めて私に居場所があるとは思えない。


「この家に迷惑はかけません」


 はっきり答えると、義父は新聞をテーブルの上に放った。やっと顔が見えた。最後にあった時よりも幾分白髪が増えたように思う。ジョセフとは似ているから、彼もいずれこうなるのだろう。


「女は結婚して一人前だ。うちがお前のために用立てられる金はさほどないが、それでももらってくださるかもしれない方がいる。戻ったら暇をもらいなさい」


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。

 持参する金もないのに私と結婚してもいいというのなら、相当年上の、きっと義父と年の近い相手だろうという気がする。

 そんな話を私が喜ぶはずもないのに、義父は父親らしいことをしてやったとでも言いたげだ。


「いえ、私に結婚の意思はございません。どうぞお断りください」

「ロビン!」


 怒鳴られようと、叱られようと、自分を売り渡すつもりなんてない。

 義父は若い嫁を用立ててあげて、その相手になんの便宜を図ってもらう予定なのだろうか。

 私に無断で話を進めたのだから、私が不承知でも仕方がない。


 私は義父に背を向け、部屋に戻った。

 結婚なんてできなくていい。そんなものはもう諦めた。

 それでも、もう少しだけフレデリック様のそばにいたい。これが私の本心だ。


 離れていると、余計にフレデリック様のことばかり考えてしまう。

 ヨークシャーにいるフレデリック様と私を遮るのは、ペナイン山脈だけではなかったかもしれない。

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