後編
思えばわたしの人生は、楽しいことばかりではありませんでした。
父親がDV気質でギャンブルにだらしなく、見かねた母は、わたしを連れて実家に帰ってしまいました。
それから数年、穏やかな日常にも慣れ、ようやく普通の人になれる、そう喜んでいたのも束の間のこと。
わたしが十八歳になると、突然父が現れて、借金のカタと称して強引に連れ去られ、これまたギャンブルで身持ちを崩した男と引合せるなり、強引に結婚させられてしまいました。当然のことながら、お式なんて挙げません。そんなお金はないからです。
父は、両親と同居し、働きもしないこの男の借金のカタとして、わたしを差し出したのです。
けれど。
この男もまた、DVがひどくて。赤ちゃんがお腹にいるのに殴られたり、蹴られたり。身重の体で重労働させたり。働いた分のお金の無心をしたり。
わたしはね、どうだってよかったのです。そういうのにすっかり慣れてしまっていましたから。
だから、産気づくなりすぐ母の実家で赤ちゃんを産み落としました。わたしは苦しくてもいいのです。どうか、この子があの男たちにつかまりませんように、という深い願いを込めて、ありったけのお金を母に預けて、どこか遠くに逃げてくださいと懇願しました。
わたしは血を流しながら男の家に帰りました。時間はすでに夜中でしたが、男の活動時間帯です。
男の家に戻ると、ぺったりとへこんでしまい、血まみれのわたしに、こんな遅くまでどこにいたんだ、赤ん坊はどうした? と聞いてきます。
わたしは、ごめんなさい。流れてしまいました、と嘘をつくと、流石に嘘がバレてしまったようで、飲みかけの一升瓶で頭を何回も叩かれ、ついに命が尽きてしまいました。
それでも構わない。あの子が彼らに見つかりさえしなければ、それだけで充分なのです。だけど、わたしが産んだあの子にだけは、もう一度会ってみたい。成長した息子の姿を見てみたい。それは許されないことなのでしょうか? あの子を産み落とし、一度も抱くことなく母にその後を託し、一人この人生から逃れてしまったわたしに対するそれも一つの罰なのでしょうか?
そのとても強い願いは、わたしを地縛霊としてさっきまで雨宿りをしていた軒先にぼんやりと立つことを許されたようでした。
いつか、息子に会いたい。あなただけを残してごめんなさい、とあやまりたかったのですが、声を出すことは許されません。
それでもいいのです。一目、見ることさえできれば、それだけで。
こうなってくると不思議なことはつづき、父とあの男がずっとそのお店にツケで飲んで騒いでいたところを根に持っていたお得意様のお客さんにつけこまれて、二人共亡くなったと聞きます。
これでようやく、あの子の無事が確定されました。
どうか、あなたが笑顔を絶やさず、幸せでいてくれますように。
そして、雨に導かれるように息子と会うことができたこの奇跡に、いつの日かあの子が気づくこともあるのでしょうか?
いいえ、それはあの子の自由です。自分で決めて、笑っていてさえくれればそれで。
息子はとても筋肉質で、だけどとても優しい子に育っているようでした。
わたしの人生はままなりませんでしたが、この子だけは、なんとか守ることができた。
わたしにはそれだけで充分。
どうかいつまでもお元気でいてください。
わたしはもう、雨宿りをしなくてもよくなりました。
たくさんの感謝を。ありがとう。
そして、さようなら。
おしまい
とおりあめ 春川晴人 @haru-to
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