第二話:パッシング
時刻は運動部がランニングをはじめるくらい。自動車部の面々に捕まった林次郎はのっぺらぼうを連想させる表情で愛車を下から上まで舐め回す自動車部に悟りのような気持ちになっている。
今朝のバトル、その結果によって生じた自動車部との縁、些細な切欠。
「これが茂木峠のカローラ? 吉乃から聞いてたけど……本当に普通のカローラね……」
「本当にエコタイヤやねぇ?」
タクシーや営業車として使用されている車がここまで女子高生に注目される姿は一生に一度見れるか見れないかどうか? バス通学をしている生徒達からは奇異な目で見られている。
自動車部部長、【白石和子】は茂木峠最速の少年に視線を向け、ハニカミ笑顔を見せる。
「ねえ、ジムカーナーで走らない? 部員足りてないのよねー」
「ジムカーナほどパワーが必要な競技はありませんよ……やめておきます。記憶力低いんで」
彼は自動車部員三人、それもとびきりの美少女三人の勧誘を断ってみせた。
三人は残念そうに肩を落とす。
夏の群馬県大会、夏の甲子園と並び立つ高校生ドライバーの夢の道。
ジムカーナー、サーキットレース、ダートラリー……峠、その4つの団体戦も存在しており、4つのレースの合計ポイントで争われる戦い。
そして、与えられる称号。
ジムカーナーのコーナリングマスター、
サーキットレースのサーキットスペシャリスト、
ダートラリーのラリーエンペラー
そして……峠のスピードスター……。
「リンちゃん? その人達は……」
眼鏡を掛けた淑やかな少女が不思議そうに彼に語りかける。
彼は救世主が現れたと言わんばかりの表情で大手を振り回す。
彼女の名前は【東条さくら】中学時代からの腐れ縁、少しの切っ掛けによって生まれた関係性。
「彼女を待たせてるので」
「彼女違います!」
早く車に乗ってくれという表情でアイサインをみせて乗車を促す。
自動車部員の面々が困惑の表情を見せたままに、走り去っていくアクシオを眺めていくしかなかった。
「リンちゃん? あの人達は」
「自動車部らしい……この学校にもあったんだな……」
「……配達で走ったの?」
「最高の危険運転をしましたねぇ……ええ……」
自分の考えと行動の矛盾、それが彼を悩ませる。
実家は製麺所、父親が毎日ラーメンやちゃんぽんの麺を作る仕事。三年前、小学校を卒業したと同時に無免許で二十四時間営業のラーメン屋に早朝に製品を届ける悪いことをやっている。
「リュウお兄ちゃんに憧れてるんでしょ?」
「兄貴は俺とは違う……やってることは同じでもさ……」
「リンちゃんは素直になった方がいいよ、溜め込みすぎてるから」
「どうだろうな? 兄貴は凄いと思うが、自分が兄貴と同じ土俵に立てるとは思えない。免許を持ってる高校生ってだけさ」
四つ上の兄、日本で一番箱車に乗るのが上手いと言われている男。それを間近で見てきた彼にとって、その存在はあまりにも大きすぎた。
兄が高校生最後に挑戦した碓氷峠、相手はランサーエボリューション8、それも本物のラリーショップがガチガチにチューニングした完璧と表現できる戦闘機。それを一回の走行で終わらせた。相手のドライバーも二年生でスピードスター、峠の王座に座った存在。
下馬評は酷いもの。だからこそ、川原竜一郎の伝説は年月が経つ事に強さを増す。
「じゃあ、リンちゃんはF1? とかいうのに挑戦したらどう」
「無免許で箱車に乗ってたんだ……今更カート系は無理だよ……」
「ざんねん……」
「俺は走り屋であって、レーサーじゃない」
流れる車達、軽自動車と普通車、大型トラック。時代の流れによって多くの自動車が作られ、その一部はR、レーシングの名前を与えられる。ふとハンドルに刻まれたエンブレムを見つめる。一般大衆車の王様、それの家紋、リアテールに刻まれている文字は一般的なものだ。
歩行者信号が赤色に変わったと同時に一速にシフトチェンジ、聞き慣れたエンジンサウンドが少しだけ唸って聞こえた。
「リンちゃん……事故だけはダメだよ? 怪我したら泣いちゃうから……」
「わかってるよ、心配性だな……」
巡航スピード、前を見ながらも優しい笑みで彼女の頭を撫でた。
2
ここは町外れにある自動車整備工場。東京でセミリタイアした元会社員が趣味で経営している職場ではく遊び場。そこに集まる三人のおっさん、このメンバーを知る存在にとっては尻餅をついて人差し指を向けるだろう。
1978年、第一回高校生自動車競技大会峠部門の123が綺麗に集まっているのだから……。
一位、桐敷 貴志
二位、川原 始
三位、月村 伸之。
「流石はノブだ……完璧な一台……」
「三十万キロ走ってる33Zは流石に骨が折れましたわー、二十万なら結構転がってるんですがね……でも、ボンネットを開けた瞬間に身震いしましたよ……」
「工業製品の特異点、ことモータースポーツではそれを探すのがレギュレーション、そして至難。次男の性格だったらスイフト辺りでもいいんだが、最近の高校生はレベル高いんだろ?」
「まあ、ピンキリってやつでしょうさ……それにしても、砂埃で汚れてるエンジンなのに妙な威圧感。神奈川に置いてあるL28改と同等、フェアレディってのは曰く付きが多いですなぁー」
ガラガラと台車が転がる音が響き渡り、もう一人のレジェンドが姿を現す。第一回高校生自動車競技大会、峠部門優勝者、初代スピードスター……桐敷貴志……。
フェアレディを眺めていた二人が台車の中に収められている六個のピストンを中腰になりながら見つめ、完璧だと感嘆の言葉を口ずさむ。
「素晴らしい工作精度、ピストンリングは美味しい中古品を使うにして……まだ隠してるだろ……?」
「はは、どうせクランクシャフトも傷んでるでしょ……ちゃんと用意してますよ……」
資材置場から川崎が戻ってきた時――バッテリーを外したフェアレディーのライトが運命を求めるように輝いた。
三人の表情が狂気に染まる。
自分達は公道でも、サーキットでも、結局は大人になれなかった走り屋。オカルトは天啓でしかない。
――このフェアレディは走りたがっている。
「このクランクシャフトを見つけた時……酷く震えましたよ……」
「33型は中途半端な車だからな、本気で走るにしてもボディー剛性以外は二流。世に出てるパーツはドレスアップが主、それでもポテンシャルは一流になれるッ」
「3.5リッターV型六気筒が発生させるターボに依存しない高トルク、エコカーと見間違う程のcd値……立ち上がり加速はGT-Rを凌駕する……」
「走り屋は速い車が好きなんじゃない……面白い車が好きなんですよ……」
「羨ましいなぁ……自分の子供達は車に興味がなくて……」
「親の背中を見ない奴もいるもんさ」
全員が喫煙具を取り出し、各々の銘柄を口に咥えてライターを擦る。
充満する紫煙、大人の遊びというのはブレーキが効かない。命というガソリンが尽き果てるまで止まらない。満足するまで走り続ける暴走機関車。
「ハルちゃんの娘が峠で二連覇中だろ? 泥塗るチャンスだわな」
「リンくんはそれほどですかい……川原さんのDNA濃過ぎでしょう……」
「おめーらは二年から挑戦できてんだろ? 俺は三年の一回しか挑戦できてねぇーんだ。息子でぶっ壊してもいいだろ、学生大会くらい」
「川原さんは若いですなぁー……海外タイヤの輸入が間に合ってよかったです……」
「今も昔もボンボンが速いってのは変わらんな」
昔話は終わり、フェアレディの改造が始まる。
3
早朝、冬の寒さがまだまだ残る春の風。
目覚まし時計や携帯のアラームに頼ることなく空気の変化によって自然な覚醒。体を起こそうと力を入れるが、左腕に感じる重み、そして圧迫されたような痺れ。
林次郎が能面のような無機質な表情で左に視線を向ける。そこには二つ下の妹が大量の涎を流しながら眠っている。
静かに動かせる右手で顔を覆う。
「お兄ちゃんのワキガしゅきぃ~……むにゃむにゃ……」
「……誰がワキガじゃ」
叩き起こすのが普通なのだろうが、こうも気持ちよさそうに眠っている存在を起こすのは躊躇われる。聞こえる音は隙間風と溜息。
慣れた手付きで腕と枕をすり替えて背伸び、眠気を忘却する為に風呂場へと体をひねる。
「快便快便!」
「朝から排泄物の話しはやめてよ……」
「糞しねぇと死ぬぞ」
「医術的観点からの正論ですか……」
ガハハと笑う父に冷ややかな目線を向け、そのまま朝シャン。
乾いた肌が潤い、まだまだ寒い気温が火照った体を冷やしていく。歯磨きと乾燥肌対策の化粧水で準備完了。制服を通し、家業の手伝い。
外に出るといつものように段ボール四個分のラーメン麺をトランクルームに収める父。三年間で見慣れた景色。
「紙コップいる?」
「制服が濡れるからパス」
「表面張力って知ってる?」
「父さんのアルテッツァならギリギリできるけどさ……」
おまえに2リッターは早いと鼻で笑われエンジンに火をつける。
暖機、活力がまだ出ないエンジンを温める。インジェクションになった現代の車には無用の産物だが、車を労るという行為、これが信頼を固くする。大衆車と言えど三年付き合えば愛着はある。
体感数分、エンジン音の変化――カローラからの合図。
「いってくる……」
「帰りにガソリン入れてきてくれ」
「……三千円かよ」
「たのむぞー」
ガソリン代を胸ポケットに入れてクラッチを踏み込み、一速にシフト、チープなエンジン音は軽くしか響かない。
4
海風が流れる早朝、波の音が車内にも響き渡り子守唄を連想させる。
朝日に照らされて光沢を増すパールホワイト、真珠の輝きは永遠のライバル――カローラを求める。
「来たわね……茂木峠のカローラ……」
「……シビック、EK9?」
ホイルスピンの調べを響かせて世代を超えたライバルが峠というサーキットでマシンスペック、マンスペックで殴り合う。
――先手を取ったのはカローラ、譲られた形。
林次郎の額から一雫が流れ落ちる。前日のレガシィとはまるで違う。速さを見せつけるわけではなく、見定めるような走り。一瞬でも気を抜けば追い抜かれるという感覚――上級者と下級者の形に酷似している。
「まるでF1……VTECサウンド……」
「回してる回してるぅ! ちゃんと回せる子は好きよ……」
VTEC、ホンダ・レーシングが必ず装備する可変バルブ機構。その前身は三菱自動車のMIVEC、その後にホンダ自動車のVTEC、トヨタ自動車のVVTが続き、レーシングを名乗る車には必然的に装備されている機構。
エンジンのホンダ、メカミニマム・マンマキシマム思想の名の下に組み上げられた小型高出力のエンジンは2Lターボすら食らう。まさしく羊の皮を被った狼。
「こっちにもVVT付いてるが……音はVTECに負けるな……」
「綺麗な走り……直線でもわかる余韻……」
緩やかなコーナーをノーブレーキで駆け抜け、最初のブレーキタイミング、急勾配からの視認性の悪い左コーナー、二台は100を軽く超える速度で駆け抜け――テールに赤が灯る。
ヒール・アンド・トゥ、荷重移動が完了した二台はギャラリーが存在するなら悲鳴を響かせる程の速度で曲げていく。テールランプは小刻みに赤を灯し、二人がブレーキとアクセルを効かせながらアンダーを殺すのは芸術的に映る。
「綺麗にアンダーを消してる……教習車も乗り慣れればここまで来るのね……ッ!」
「俺もFF乗りだが……シビックに乗る奴は一味違うな……」
アウト・イン・アウト、コーナーの出口でアンダーステアを出しながら直線を食い荒らす加速、シビックに追い抜くだけの余裕があるが――まだ抜かない。見定める。
林次郎は相手の実力を考慮し、ルームミラーを見えない角度に曲げる。後ろの車は余裕がある。余裕があるなら事故は起こさない。表現するなら100ccの余裕を魂に秘める闘争心が感じ取った。
「……まさか兄貴か? いや、兄貴だったら並走しながら手を振ってくる」
「……そう、それがここのラインなのね!」
ロングストレート、四速130を刻み風切りが草木を揺らす。ストレートとは言えど、対向車というイレギュラーが存在する場所で高速道路以上の速度、命知らずのデッドヒート。
加速が完了したと同時に現れる右左右の連続コーナー、ギアを二速に固定、最小限のブレーキワークで抜けきった先は開けた下り坂、そしてキツイ右コーナー。
「この速度で曲げられるのッ!?」
「抑えたな……シビックのホイールベースだとコレは――難しいかッ!」
二台の距離が離れていき、大ぶりなフェイントを見せたカローラが四本のタイヤすべてに負荷をかけ派手なスキール音――命知らずが選択する慣性ドリフト、それを見せつけた。
「兄貴だったら外側から被せてくる……誰なんだ……」
「見せてくれるわねぇ……FR小僧でもそこまで綺麗に曲げられないわ……」
車間約六台、シビックが自分の兄ではないと断定した彼は力みを捨てる。
鈴鹿サーキットを本拠地にする【三重GT5】に所属する兄が予告も無く帰ってくるわけがない。
「野良だが、遅くはない……走り屋らしい走り屋は久しぶりだ……」
「130……並の心臓じゃないわね……」
二人と二台の心臓はレッドゾーンギリギリ、緊張感と回転数は比例する。強烈な登り坂を荒々しい一台、官能的な一台、互いのエキゾーストを響かせて次のコーナーに向けて弾丸に成る。
110……120……125……狂人の130に達し、現れる見通しの悪い右コーナー。
「――右に寄せた!?」
「ここは深いコーナーに見えるが……案外浅いッ!」
右車線にベタリと貼り付けたカローラ、まだ対向車に恐怖心のあるシビックは同じラインを走れない。
――その車はリアを滑らせることなく、テレビや新聞に飾られている芸術、一般教養が育つ年齢なら知っている芸術家の作品のように抜けていく。
白石和子が駆るシビックEK9、前輪駆動の傑作、それが完璧にチギられる。マシンスペックで挽回することもできる。だが、それはある種の恥、もし、GT-Rや高級外車で走らせていても結果は変わらないだろう。
「負けよ……完敗……」
「パッシング……レガシィの子より冷静だな……」
シビックのVTECサウンドが消えた。
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