スピードスター! 珠城高校自動車部
Nシゴロ@誤字脱字の達人
第一章:出会い
第一話:峠のスペシャリスト
どうにも寝付けない、そんな時間が午前三時まで続いた。
春の暖かさを感じるこの時期だけど朝日はまだ昇っていない。酷く静かな道を退屈凌ぎに走らせていた。
その車はいつの間にか後ろに存在していた。暗くてその時には車種はわからなかった。
こんな時間帯に速い車がいるわけがない、そう思ってドライブの気分からレースの気分へと切り替わる。そして、自分専用に煮詰めたこの車のすべてを出し切って走る。
――離れない。
その車は完璧に自分専用にチューニングされた私のレガシィから離れない。ターボ4WDのこの車、確かにインプレッサと違ってガチガチのラリーカーに比べたら見劣りするかもしれない。だけど、この車で中学生最速の称号を与えられた。負ける筈がない。
はじめての場所、そういう恐怖感すらへし曲げてアクセルを踏めるだけ踏んで、そして――後ろから感じる気配が消えた。そう思った。
何個ものコーナーを抜けていく、そして自分の実力が高校生離れしていると実感した。
でも、バックミラーに光る2つの光、あの車は追いかけてきていた。
そして、減速しなければならない直線からのコーナー、私は減速を選択した。もう一台は……加速を選択した……!
オーバースピードで突っ込んでいく姿に体中から冷や汗が滴り、クラッシュの瞬間を見てしまう。そう思った。だけど、その車は常識では考えられないスピードでコーナーを攻略していった。
理屈は単純、ブレーキじゃなくて……タイヤのグリップ力だけで無理矢理に曲がっていた……。
その時、車種をハッキリと認識できた……。
【カローラ・アクシオ】
トヨタが販売している……言い方は悪いが、オジサン車、それが一級の戦闘力がある4WDマシーンを容易く抜き去る。
悪夢でも見ているのではないか、自分は死んだ走り屋の幽霊でも見ているのではないか、何度も自問自答を繰り返し……そして、恐怖から安全運転で帰路についた。
1
「塞ぎ込んでどうしたのよ?」
珠城高校、長崎県にある普通の共学の高校。
特出するような部活があるわけではなく、教育方針が特殊というわけでもない。平凡な高校、そこにある自動車部。県大会での実績も少なく他の部活と同じでパッとしない。
――去年までは。
自動車競技の全国大会、インターハイ群馬県大会。甲子園と並ぶ夏の風物詩。
その前段階、インターミドルチャンプ【古川吉乃】が在籍してから燻っていた才能が一気に開花したように思える。
「いえ……幽霊の存在を本気で信じそうになってて……」
彼女は静かに語りだした。長崎県では無名に等しい茂木峠で遭遇したカローラアクシオ、最新型とは言えど100馬力に毛が生えた程度の馬力しかない1.5リッターNA車。自分が乗っていた車はスバルを救った大衆セダンであり、レースの世界でも実績を残した名車【レガシィB4】、インプレッサと同じ2リッターターボで武装したその車はチューニングの末に320馬力を発揮する。
「それは所謂ところの本物ね、どこの峠にもいるのよ……長年の経験を経て神業のようなドラテクを手に入れたスペシャリストが……」
「部長もそういう経験が?」
「まー私の場合は軽トラのおじいちゃんだったけどねー」
スペシャリスト、どこにでも居てどこにも居ない、ただ巡り合えばカルチャーショックか自信の喪失を引き起こす。
道を知り尽くし、どんな状況でも車体を艷やかに曲げていく。その姿には余韻すら感じさせる。
「それにしても……茂木峠、水族館側からは道幅が広くて走りやすい道なんだけど、その先は本物の農道、路面は荒れ放題の跳ね放題、並の心臓なら60も出せない際どい道ね」
「……その農道に入る前に千切られましたが」
「えっ? あのパワーがダイレクトに出せる前半で……」
「ドラテクなんでしょうが、レガシィとの信頼関係にほつれ……それを感じます」
レースの世界で戦う人間なら必ず存在するマシンとの信頼関係。高校生ドライバーともなれば現在乗っている車がファーストカーの場合が多い。彼女の場合もレガシィが最初の一台。そして、中学時代を駆け抜けた相棒。
長い時間で蓄積される信頼関係、それをほころばせる要因。
「でも、あの走り……もう一度見たいです……」
「……これは止まらないパターンね」
キーを握りしめた。
2
どうしてもパワーが足りない、長年走り続けて理解した性能の二文字。
カローラアクシオ、営業車にも使用される一般大衆車、馬力は109。有名な改造キットも存在しないオジサン車、限界がすぐに見え隠れする。
前輪駆動の大衆車に応用なんてない、純粋なマンパワーが物を言う。
「……レガシィか、ナイトドライブにしては飛ばしすぎてたな」
早朝の一方的な勝負、それに勝利した少年は圧倒的なマシンパワーの差を実感していた。
純粋なスポーツタイプを喰らうには……あまりにも非力すぎる。
そして、それでもという気持ちが止めどなく押し寄せてくる。
「……兄貴とは違うんだ。俺はレースの世界には踏み入れない」
どうしてだろうか、そう自問自答しながら自分の兄貴の言葉を思い返す。
『おまえはドライバーとして失格だ』
三年前、兄から配達の仕事を交代する前夜、その車はオーバーレブを引き起こした。
そして、エンジンブロー……知り合いに頼み込んで誰にも気づかれないままガレージに戻した。
そして、弟が車を壊したかのように見せた。そして、浴びせるのは罵詈雑言。
中学生になりたての子供に告げた言葉、それは非情とも表現できる。
――すべての元凶が言った最大の大ホラ吹き、それに騙されて高校生になってしまった。
最初のカローラ、まだ5ナンバーで純粋カローラの称号を与えられた大衆車。
その日、彼がいつものように家業の手伝いに出ようとラーメン屋に届ける麺を四箱積み込んでキーを回した。その瞬間、ボンネットから白煙が巻き上がり心臓が壊れてしまった。
「……兄貴の嘘だと理解してる。でも、嫌いだ」
父に憧れ、兄に憧れ、車に憧れたのは過去の話。
今は心底うんざりしている。まだ幼さを残した年齢で告げられた言葉が古傷のように疼く。
運転は好きでもレースは嫌い、それが現状。
「……公道最速、けったいな称号だ」
体を起こして静かに立ち上がる。
ただ、家業の手伝いをするために……。
「早いな……」
ラーメン屋に下ろす段ボール箱を積み終えた父が悪い笑みを浮かべる。
彼は気だるそうに頷くだけ、早朝の日課。
だが、今日に限って変な予感がする。何か劇的な変化を感じる。
数日前に抜き去ったハイチューンのレガシィ、三倍の馬力を有する本格的なレーシングカーを相手に燻っていた欲求が静かに動き出す。
アクシオが配達に向かったと同時に携帯電話を取り出した。
「……林二朗が走るかもしれねぇ、最高の一台を用意してくれ」
直感、燻っていた闘争心を察知する。
3
午前三時と少し、一台の車が一台の車を待って静かに闘争心を剥き出しにしている。
――そして、時は来た。
チープなエンジンサウンドが響いた瞬間に場が凍りつく。
「……今日は絶対に」
ランナーのテンションは最高潮に達した。
「――リベンジ? カローラに何を求めてるのやら」
彼、川原林次郎はムッとした表情でアクセルを踏み込んだ。
最初の立ち上がり、それは上りのロングストレート馬力がダイレクトに影響する。後方からグングンと力強いエキゾースト音が響き渡りストレートで抜かれる。予定調和、当たり前の現実。それを捻じ曲げるのがドライバーテクニック、圧倒的パワーを捻じ曲げるのが峠の走り屋の性分。
上りきりタイトなコーナー、台数で言えば車六台分、それが一気に五台分に減少する。
「コーナーのツッコミで負けた……300kg近い重量差、確実にコーナリングで差が出る」
「軽さから来るコーナーの切れ味、これは四輪駆動の重たい車には出せない領域。ツッコミ勝負なら案外二輪駆動の方がフラットに軽くタッチできる……それに付け加えて右コーナー、まだまだ公道の恐怖感が抜けきれていない。上手いが浅いの典型だな……」
エスケープゾーンの存在しない峠道、舗装されたアスファルトがあるとは言えど峠の基本はサーキットじゃなくラリー、荒れた路面を常識外れのスピードで突き進む気狂いの走り。
本物のラリーストなら道のことなんてお構いなしに駆け抜ける。だが、アマの世界ではそれができない。
一つのミスでクラッシュ、車だけじゃなく人命まで奪いかねない。公道を走る人間ならランナーズハイよりもモラルが勝ってしまう。
「ハイパワーターボ4WD……車の完成形とも呼べる存在、前輪駆動も後輪駆動も過去の遺物にした生粋の戦闘機……」
今では軽トラックでも四輪駆動を選べる時代、それでも二輪駆動が生き残る理由、それは価格が安く抑えられるからじゃない。
――時に四輪駆動すら凌駕するパフォーマンスを発揮する領域が存在する。
言ってしまえば安定、四輪駆動は突き詰めても安定してしまう。
「完璧に乗れている……それなのに突き詰められる……!」
「俺も四輪駆動に乗った時、不思議な感覚を覚えた。二輪駆動とは違う走り、地面に吸い付く設置感、甘いコーナーワークを補助してくれるような絶対的な安定感。もし、最初の車がそれなら――峠では伸び悩む」
車間が直線で広がり、緩いコーナーで縮まる。
それを何度も繰り返して前半でベタ付け、320馬力が109馬力に食らいつかれる。
ありえない光景、ドライバーが下手というわけではない。全国クラスの一流ドライバー、それを煽るのが地元の走り屋、その道を知り尽くした人間のマンパワー。
「不思議だよな、営業車が一級のマシンを相手にしている。本当に不思議な光景、まともな人間が走るのなら高揚感を感じるだろうさ……多分、俺はまともな人間から外れちまってる。煮詰めたセッティングをした車も、何もしてない刺し身みたいな車、どっちも同じにしか思えない」
ド・ノーマルのカローラとチューンドカー、どちらも元を辿れば大衆車には変わりない。一部の例外を除いてスーパーカーなんて存在しない。だからこそ、土俵は同じ、生まれる場所も同じ、走る人間も同じ。フルフラット、平坦。
その平坦な部分に存在する優劣、それは少しのマシンパワー、大きなマンパワー……。
先にあるのは結果だけ、結果の先には何もない。勝者なんていない。それがジャッジのいない公道の世界の常識。
「前半が終わっちゃった……ここからは車二台がギリギリ通れる本物の農道……」
「ここで落とさないのか……根性だけじゃない、意地を感じるな……」
峠の走り屋には得意分野が存在する。茂木峠の前半は広々とした踏み込める峠道、そして後半は車二台がギリギリ通れる農道、大柄なレガシィには苦しい領域、彼は静かに笑った。
「――譲った?」
「ここから先は本気を出しちゃいけない……熱くなってるその頭じゃ事故しちまう。俺はレースは嫌いだが、車は大好きなんだよ、その手塩にかけた愛車を事故らせたくない……」
峠でのルール、公道で暴走運転とも呼べるスピードで駆け抜ける走り屋。それの暗黙の了解、それは相手を事故らせない、相手を本気にさせない。
エスケープゾーンの存在しない峠道での事故は車だけじゃなく、命すら奪いかねない。
――轢き殺すことと同じ行為。
「……そうですね、そうです。少し我を忘れていました」
「それでいい、ここは初見だろうが……ある程度の峠のルールは意識しているだろう。だからこそ、俺の意思をダイレクトに受け入れた。受け入れられた。生半可な走り屋ならもっと熱を帯びていただろうな……」
速度は危険な領域から巡航スピードに戻り、付かず離れずのナイトドライブに入っていく。
彼女は自分の焦りに似た焦燥感を感じている。それは自分が絶対の信頼を置いているマシンに対するある意味での裏切り、安全と速さを両立した走りを心がけている彼女にとって、安全を削った自分の行いを悔いる。そして、暴走していた自分に諭す減速を見せた地元の化け物に敬意を募らせる。
「これが本物の走り屋……自分だけじゃなく、相手まで考える……」
「君は速くなるよ、見る限りインターハイに出る車だ……こんな人が少ない峠で車を壊す必要はない……」
レガシィが道を譲った。
4
「あの! ……どんなチューニングをしているんですか」
少しの余韻という名の慢心を掻き消す為にフェリーターミナルでブラックコーヒーをチビチビ煽っているとレガシイを駆る少女が声をかけてきた。
彼は向上心が高いと苦笑いを見せた。
「ノーマルだよ、ドノーマルのカローラ・アクシオ……タイヤも典型的なエコタイヤ……」
「……エンジンを見せてください」
ムッとした表情の彼女を見るに嘘つきのレッテルを貼られていると肩を落とす。
アクシオのボンネットを開けて心臓を見せつける。教習所で一度は見たことがあるだろうカローラアクシオの心臓部分、本当に純正の何もないスッカスカのエンジンルーム、1.5L直列四気筒DOHC……。
「……何も、何も無い」
「整備性抜群のスカスカエンジンルーム、ここまで来ると清々しさまで感じるよな」
「……テクニックで負けた」
ドラテクという響きの良い言葉、自分と車の実力、人馬一体という言葉の延長線。
ビッグパワーを持つ車を駆る人間がローパワーの車に負けた時の表現できない虚無感、実力がある人間の方が虚無感が増してく。
「気にするな、俺は無免で何年も走ってる。アスファルトの窪みすら記憶してる……」
「……わたしの、わたしの何が悪かったんですか!」
「……エンジンを見せてくれ」
彼女は悔しいという表情で愛車のボンネットを開いた。月明かりに照らされるハイチューンカー、その心臓はわかる人間には息を呑む程の完成度、上手いチューナーが吟味して組み上げた一級のチューンドカー……。
「スバルのエンジンは芸術的だな。水平対向エンジンによって低く抑えられた重心、芸術とも表現できる四輪駆動技術……それにしても綺麗に整備してある。インターハイレギュレーションの350PSに抑えたライトチューン、基本的に排気系に手を加えて吹き上がりで勝負、悪くない」
「……インプレッサのことを言わないんですね」
「インプレッサ? ああ、確かにスバルスポーツならインプレッサを推すのはわかる。だが、最近のインプレッサは技術の限界を突破しようと藻掻いた結果、方向音痴……この世代のインプ・レガシィならレガシィの方が早いのは常識だろう」
ボンネットを下ろして静か向き直る。
車の状態、完璧にセッティングされているチューニングカー、峠を走ることを念頭に置かれた一台。
敗北の意味、それを説明するのは簡単。
「右コーナー……対向車線に少し恐怖感が残ってる。車が走りそうにない時間帯、それでも頭の片隅に対向車が来るかもしれないという恐怖心が残ってる。コーナーの侵入がそれに引きずられて安全マージンを無意識の中で設定してるんだろう。慣れた峠ならそうも無いだろうが」
「……そうですね、確かに。ですが! それでも直線で……」
「知ってるか……峠で100出せたら合格、120出せたら一流……それ以上は死にたがり……!」
「――ッ!?」
「直線で最高150は出してた……君は精々130、出待ちの加速には驚かされたが――突き放すまでのスピードに達しない」
彼は静かにレガシィのボンネットを撫でた。
その瞳には優しさが見え隠れしている。
「良い車だ……大切に乗ってるってのがわかる……」
「……車、好きなんですか?」
「……わかんない。カッコイイ車はカッコイイ、でも、走らせるのが好きかどうかわからない」
自分の車に戻ろうとする彼に最後の質問を投げかける。
「あの! わかっています……でも、教えてください! どうして……譲ったんですか……」
「熱を感じたんだ。負けたくないって闘志という熱を……でも、それは車との対話の無い独りよがり、俺も一度は体験してる。板金屋の世話にはなってないが、まあ、気づいた時は酷く後悔したよ」
彼はチープなエンジン音を響かせながらフェリーターミナルから去っていった。
彼女はテールランプの光が消えるまで……その光景を目に焼き付けることしかできなかった……。
そして、時間は昼になり、
「「えっ?」」
運命の歯車が回りだす。
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