5
僕は奴隷だった。
よくできた犬のように妻の言いつけを守った。仕事場と503号室を行き来した。503号室にあるのは僕の部屋だけだった。居間もシャワールームもからで、しんとしていた。僕は近場の銭湯で湯につかり、食事は買ってきたコンビニ弁当を自分の部屋で食べた。ほかにやることがなく、読書をしていた。
本を閉じ、ベッドの上に体を沈めると、上の階のことが思い出された。上の部屋で何が起こっているのか、妄想は止まらなかった。下着姿の男女。七日間にわたる酒池肉林。そこで繰り広げられるあられもない情事。彼らは
寝不足のまま朝を迎えた。僕はスーツに着替え、会社に行く。仕事をする。家に帰る。食事をする。排便をする。
せめぎ合う肉と肉。混ざりあう体液と体液。水分を口に吸い込む音。フローリングの床に捨てられた使用済みのコンドーム――踏みつけられて中身をぶちまけている。部屋のわきに寄せられたシーツ。どこかから生花の腐ったような臭いが漂ってくる。
――妄想だ。すべてが妄想だ。僕はなにも見ていない。なにも聞いていない。手足を切られ、目玉をえぐられ、舌を抜かれ、男性器を切り取られた人間だ。妻が作り出したこの地獄のなかにあっては。
目覚まし時計は朝九時を示していた。就業時間を三十分超過していた。耳元で鳴りつづけているのは携帯だった。カレンダーに視線を送った。あと二日。あと二日でこの地獄も終わりだ。僕は携帯を切り、掛け布団を口元まで引きあげた。ベッドから起きると、コーヒーショップに向かった。ホイップクリーム入りのドリップコーヒーを飲んだ。やけにさわやかな朝だった。
妻の体は軽々と持ちあげられ、男の手から男の手に渡される。妻はジェットコースターに乗りこんだ子どものようにはしゃぎ声をあげる。リビングのレコードプレイヤーがクイーンのアルバム「オペラ座の夜」を再生し、華麗なる音色が部屋を彩る。いくつものクラッカーが打ち鳴らされ、妻の誕生日を祝う。男のひとりが持ってきたバースデーケーキの火を妻はふき消す。
――願い事はこめた?
――ええ、もちろん。
――誰のためにお願いをした?
――ええ、もちろん。
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