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家に帰ってくると、大勢の話し声が聞こえた。玄関の土間には、見慣れないたくさんの靴があった。革靴、スニーカーなど計七足。いずれも男物だった。談笑のなか、ひときわ楽しそうな声が上がった。下品さすら感じる甲高い声は、妻の声にほかならなかった。
居間に通じる廊下を渡った。そこは圧倒的な静けさが支配していた。それは僕から声を奪い、足音を奪い、きぬずれの音を奪うのだ。居間と廊下とを仕切るガラス戸の向こうに、大勢の姿が見えた。
普段何気なく開けている扉は、鉄でできたように重たかった。居間に立ち入ると、その場にいたすべての人の視線が僕に突きささった。リビングのソファや食卓に、妻を含めた八人の姿があった。
「あら、あなたおかえりなさい」
妻は言った。酒気を帯びた底抜けに明るい声色だった。
「ねえ、三喜子、この人たちは」
たずねる声は震えていた。妻を含めてその場にいた全員が下着姿だったのだ。にぶいぼくもようやく悟った。いよいよ始まるのだ。七人の男たちは、中年の男、壮年の男、若い男、少年のような男までさまざまだった。見とれるような美男子もいれば、みにくい男もいた。まるで白雪姫と七人のなんとやらだ。……それにしてもこの人数は。
「あら、それにこたえる必要あるの?」
妻はくすりと笑った。
「やあ、あなたが旦那さんですね。はじめまして」
食卓の僕がいつも座っている席に、サングラスをかけた男がいた。
「すてきなお住まいですね。部屋数も多いし、リビングも広い。もしかして、お子さんを作る計画でしょうか――失礼、立ち入ったことを聞いたようですな」
男は分厚い胸板を誇示するように両手を広げ、部屋中をみわたした。立ち上がった妻がその男に身をよせ、男の太い首に腕を絡ませた。年のころ四十のなかばぐらい。全身日焼けしていた。
妻が身に着けているのは下着の上下とヘアピンだけだった。下着は体の必要最小限しか隠していなかったので、体のほとんどがさらけ出されていた。サテン生地に染められたあでやかな黒色が、肌の白さをきわ立たせている。妻の手のひらは、男の肩を
「家庭的で温かみのあるお家だ。これこそ私が求めていたものです。こんな部屋で過ごせることをうれしく思いますよ」と男はいった。
「何だって」
僕の問いかけは声にならなかった。男の視線が妻に移った。
「おやハニー、彼に話していないのかい? これからの七日間のことを」
「ええ。話してないわ」
妻は言った。その繊細な指先は男の肩をまだ触り続けていた。
「一週間この八人だけで過ごします。
部屋を出て、廊下を引き返し、僕のドアを開けた。なかは見事にもぬけのからだった。書棚からCDラック、読書机、クローゼットの中身そのすべてがなくなって、空き家の様相を呈していた。
居間に戻ると、男たちの嘲笑が迎えた。千代田という男もサングラスの向こうから冷たい視線を送っていることが分かる。
「どうしてだ。僕はここにいられないのか」
「そうよ」
妻は言った。
「あなたは私たちのプレイのなにひとつ見ることはできない。聞くこともできない。感じることもできない。すべてを想像のなかにとどめてもらうわ。それができないのなら今すぐ中止よ」
「穏やかじゃないね」
千代田から苦笑の声が上がった。
「やめろ。やめてしまえ」
ことのほか大きな声が喉をついて出た。白けた空気が流れた。短い沈黙を破ったのは妻のくすくす笑う声だった。七人の男たちも
「威勢がいいわね」
「頼れる旦那さんですな」
それから妻と千代田はキスした。唇と唇を触れさせるだけのキスではない。それは肉欲を満たすキスだった。唾液に濡れた口の内側と内側をひとつにつなげようという
めまいがした。足元がふらついた。頭から床に倒れずに済んだのは、男たちの腕に支えられたからだ。唾液をついばみあう音が妻と千代田のキスの続行を伝えてきた。男のひとりが「部屋まで送りますよ。アナタの部屋までね」と僕の耳元でささやいた。
エレベーターは数秒をおかず下の階まで降りた。妻が説明したように、僕はこれからの一週間を下の階で過ごすことになる。いつもの603号室ではない。503号室だ。僕は部屋(その部屋はまさに603号室の僕の部屋を完全に再現していた)に置き去りにされた。カチャ。ルームキーがベッドサイドテーブルの上に投げ置かれた。
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