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午後九時の遅い晩飯の最中、妻が切り出したのは夜の営みの禁止だった。話を耳にした瞬間、箸でつかんだひと切れのチキンカツが皿に落ちた。
「セックスの相手を見つけたのよ。近いうち、するわ。最高の体験にするために官能性を最大限に高めておきたいの。だから、それまでセックスは禁止する」
「僕はどうなる?」
「どうなる、ですって? あなたも禁欲してもらうわよ。当然でしょ。だって誰のためにすることだと思っているの?」
「僕が言い出したことだ」
チキンカツを箸の先でつつく。カリカリに揚がっていて、ひと口かめば肉汁があふれるであろうことは想像に難くない。でも、食欲はうせてしまった。
「ちょっと考えたら分かることでしょ。頭の回転がにぶいのよ、あなたって」
妻はベネチアングラスについだ赤ワインを飲み干した。昨夜を機に妻は変わってしまった。酒なんて、僕が勧めるとき以外は口をつけもしなかった。新婚旅行先のイタリアで買ったベネチアングラスは、何か特別な時に使おうと話し合っていたのに。
それから禁欲の日々が続いた。妻は僕に食事を出すと、すぐ布団に向かった。もちろん眠るためだ。いい睡眠は、いいセックスに欠かせないのだという。そして、話をする余裕は僕には与えられていなかった。
ある夜、静まり返った居間にひとりで腰かけながら、スマートフォンにおさめられた思い出の画像をながめていた。去年の今頃、深沼のビーチに行った時の写真が出てきた。
ビキニ姿の妻に僕は息をのんだ。妻の豊満な乳房、日光を照り返す肉づきのよいふともも、丸みのある尻。濡れた長い髪。その肢体をながめているうち、肉体の中心部に血が集まってきた。興奮はおさまらず、僕は欲望を充足させるための行為にふけることにした。
そのベルベットのようにやわらかな肉体の感触を細部まで思い描く。肌は大海。僕は波打ち際で遊ぶ。ぐっと深いところまで潜りこんだらどうなるだろう? 興奮が高まってきた。しかし、途中で手が止まったのは、妻の怒った顔が脳裏によみがえってきたからだ。
『あなたも禁欲してもらうわよ。当然でしょ。だって誰のためにすることだと思っているの?』
行為を中断した。とはいえ、欲望のでっぱりは一度いきり立ったら収まろうとはしてくれない。存在感を主張しては、僕の理性を吹き飛ばして、その座に居座ろうと試みる。何度も、何度も。
――苦痛。
夜は寝苦しかった。満たされなかった欲望が抗議の声を上げて、全身をさいなむ。
いつになったら妻はほかの男と寝るのだろう? 誰と寝るのだろう? どこで寝るのだろう?
……すべてが秘められていた。
そのようにして七日間が過ぎた。
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