初恋さがし

@LIONPANDA1991

初恋さがし

赤坂克己は、田中美奈子を探して福岡に来ていた。

昔の手紙の住所を頼りに、スマホで場所を確認しながら初めて来た町で美奈子の家を探した。

手紙をもらったのは約四年前、それ以降手紙が来なくなり、克己が何度手紙を送っても返事は来なかった。しばらくすると、投函した手紙は尋ね人当たらずで戻ってくるようになった。

何があったのか状況が分からず、美奈子のことが心配で、一刻も早く福岡に行きたかったが、当時中学生だった克己を一人で東京から福岡に行かせるなんて、両親は許してくれなかった。

中学生の時、克己は携帯電話を持っていた。しかし、美奈子は親に反対されて携帯電話を持っていなかったので、二人の通信手段は電話やメールではなく、必然的に手紙だった。

克己は高校生になると、部活と勉強で忙しくなり、福岡に行くタイミングがなかった。

この春、大学受験と高校の卒業式が終わり、ようやく念願の福岡に来ることができたのだった。

スマホで検索した住所の場所に辿り着くと、そこには新しい高層マンションが建っていて、田中という家族が住む一軒家は、なかった。

マンションの管理人に尋ねてみたが、何の情報も得ることはできなかった。

ある程度は想定内とはいえ、実際に現状を見ると、少なからず気持ちは落ち込んだ。

手紙以外、何の手掛かりもなく、とりあえず美奈子が住んでいたと思う街を、歩いてみることにした。

美奈子とは幼稚園からの幼馴染みで、克己にとって美奈子は初恋の相手であった。

小学校時代、美奈子は克己の彼女として学校内で公認されていたほどの仲だった。

最初は同級生に冷やかされたりしたが、お互いに否定もせず受け入れてしまうと、周りがからかうことに飽きてしまい、誰も何も言われなくなった。

それぞれに同性の友達はいたが、登校時と下校時はいつも二人一緒だった。

中学校に入学すると、克己は男友達に誘われて野球部に入ることになり、早朝と放課後は野球部の練習に明け暮れ、美奈子との登下校の時間は必然的に減ってしまう。

そんなある日、美奈子から父親の仕事の関係で引っ越すことになったことを突然告げられた。

克己にとって、今までの人生で一番淋しかった記憶である。美奈子がこの街から居なくなることを考えたことがなかった。いつか大人になって、この街を離れる時が来ても、その傍には克己がいるとずっと信じていた。

克己はショックで、その後美奈子と上手く話をすることができなかった。

美奈子が転校する最後の日、美奈子は野球部の練習が終わるのをグラウンドの外で待っていてくれた。

制服に着替えた克己に美奈子が声をかけ、何度も一緒に歩いた帰り道を二人で歩きながら、久しぶりに言葉を交わした。

「福岡か、遠いね。すぐには会いに行けない距離だ」

「飛行機を使えば、日帰り出来るみたいだけどね」

「いつ、引っ越し?」

「明日、昨日荷物をまとめたから、今日運送会社のトラックが引き取りに来てると思う」

「もう会えなくなっちゃうのかな?」

克己の言葉に、美奈子の胸の中は淋しさで覆われそうになるが、気持ちを切り替えて淋しさを跳ね除けた。

「克己くん、大人になったら会いに来てよ」

「そうだね。でも、大人になるまで美奈子と一緒にいられないのは、やっぱり淋しいな」

「じゃあ、福岡に着いたら手紙を書くよ。克己くんも手紙書いて送って」

「俺、手紙書くの苦手だなぁ」

「思ってることを書けばいいのよ。難しく考えない」

「そうだね、美奈子が元気でいることがわかれば安心だし、俺も伝えたいことがきっとあると思うから、頑張って手紙書いてみようかな」

「じゃあ、決まりね。手紙が届いたら、すぐに返事出してね、約束」

「できるだけ頑張るよ」

「ダメ、絶対頑張って。じゃないと絶交だからね」

美奈子の声に怒気が混じり思わず大きな声になった時、二人の瞳が重なり、言葉が途切れた。

別れ際、最後かもしれないと思うと、なかなかサヨナラを言い出せなかった二人だが、突然美奈子が克己に近づきキスをした。そして、また会う日まで元気でねと言って、克己から離れていった。克己は一歩も動けず、去っていく美奈子の後ろ姿を呆然と見ていた。

今でも、柔らかい唇の感触と、キスが涙の味だったことを覚えている。

数日後、引っ越した美奈子から手紙が届き、克己も約束通り一生懸命返事の手紙を書いた。

日常の些細な情報交換のような内容だったが、頻繁に手紙を書くうちに美奈子と会話をしているようで、次の手紙の内容を考えることが楽しかった。

お互いの誕生日や、クリスマス、バレンタインなどにはプレゼントを送り合い、今でも大切に持っている。

しかし、中学2年の冬、突然美奈子からの手紙が途絶えたのだ。

真相を確かめるため、ようやく福岡までやって来たが、今日ここで美奈子を探す手掛かりを失った。

克己は美奈子からもらった手紙を思い出し、美奈子が通っていた中学校が近くにあることに気づいた。中学校に行けば、美奈子のことについて何か手掛かりがあるかもしれないと思い、克己は思い切って中学校を訪ねてみることにした。スマホで中学校の名前を検索すると、すぐに場所を確認することができた。

昇降口で客用のスリッパを拝借して、とりあえず職員室を探した。

一階の校舎中央に職員室の案内札が出ていた。

見た感じ木製の年季のある引き戸だったが、手で引いてみると思ったよりスムーズに扉は開いた。

職員室を見渡すと、教師らしき女性が一人、向こう側を向いて座っていたので、後ろ姿に声をかけた。

「すみません。この学校の卒業生のことでお尋ねしたいんですけど」

突然声をかけられ驚いたように女性が振り返り、不信な眼差しで克己を見ながら席を立ち、克己の方へ近づいてきた。

「どちら様ですか?」

克己はなるべく怪しまれないよう、笑顔を保ちながら話した。

「ある人を探していまして、この学校を3年前に卒業している人なんですけど」

女性は困惑した顔のままで答える。

「突然尋ねて来られても困ります。個人情報に関することだとお答えできませんし、申し訳ありませんが事務室の方でお尋ねください」

女性は、克己を職員室から追い払うように事務室の場所を案内してくれた。

事務室へ行くと、定年が近いと思われる白髪の男性が親切に応対してくれた。

「3年前、この学校を卒業した田中美奈子さんを探しているのですが、現在の連絡先をご存知ないでしょうか」

克己は、自分の身元を証明するため高校の生徒手帳を事務室の男性に見せて、事情を話した。

事務室の男性は、松田さんといい、整理された棚から3年前の卒業アルバムを持ってきてくれた。一緒に美奈子を探してくれたが、卒業生の中に田中美奈子の存在は見当たらなかった。

この中学校を卒業する前に、他の中学校へ転校したのだろうか。

克己は、一緒に美奈子を探してくれたお礼を松田さんに言って、中学校を後にした。

一体田中家は、どこに行ったのだろう。

今の世の中、個人情報保護法の影響もあり、個人で人を探すことは容易ではない。

仕方なく、今回は福岡で一泊して、翌日東京に帰ることにした。何の成果もなく、出口の無い迷路に迷い込んだような気持ちで帰ることになった。

数日後、克己は大学の理工学部建築科に入学をした。


ある日、克己は夢を見た。

克己が通う大学の校門に、高校生ぐらいに見える田中美奈子が待っていた。

「克己くん、遅いよ。私、ずっと待ってたのに全然来ないんだもん」

突然美奈子に怒られて、思わず克己も反論してしまった。

「えっ、だって、美奈子が手紙の返事をくれないから」

「ずっと同じ場所には居ないんだよ。克己くんも引っ越したでしょ」

確かに、中学3年の年明けに父方の祖父が亡くなり、祖母一人では心配だということになって、中学卒業の春に東京から父親の実家の茨城県に引っ越した。

それまで暮らしていた家は売却し、克己は父親の実家に近い私立高校に進学した。

「どうして、俺が引っ越したこと知ってるの?」

「克己くんに会いに行ったから」

「いつ?」

「中学を卒業した3月の中頃」

克己が引っ越して、まもなくだった。

「でも、どうして手紙を書かなくなったの?」

美奈子は不思議な顔をする。

「私、手紙書いたよ。見てないの?」

克己も首を傾げる。

「見てない」

美奈子はまた怒った顔になり、克己に言った。

「ウソ!克己くんのウソつき」

美奈子の目から涙が溢れ、猫のイラストが描かれたハンカチで涙を拭いた。

「克己くんに新しい住所を書いて送ったのに返事くれないから、もう私のこと嫌いになったのかと思ったの」

克己は慌てて首を横に振った。

「美奈子のこと嫌いになるはずがないじゃないか。今でも好きだし、ずっと美奈子を探していたんだ」

すると美奈子は突然走り出し、克己の胸に向かって突進してきた。

克己は美奈子の勢いを受け止めきれず、二人は地面に倒れこんだ。

その時克己は地面に頭を強く打ち、一瞬意識が朦朧とした。そして、克己は目を覚ました。

頭から血は流れていなかったが、頭が鈍より重く感じる。

何でこんな夢を見るのだろう。

そして、自分はどうしてウソつきと言われていたのだろう。最後の体当たりは、なんとなく空気がぶつかってきたような掴みどころのない感じがした。

夢でも、納得できない思いが、心に強く広がった。


しばらく時が経ち、ウララかな春から鬱陶しい梅雨を経て、灼熱の夏に季節が変わっていく。

連日、テレビのお天気キャスターが夏日や真夏日になることを伝え、熱中症への注意と対策をを呼びかけている。

そんな暑さで寝苦しい夜、克己の夢の中に美奈子が再び現れた。

克己は見覚えのない街の中で、美奈子と並んで歩いている。

状況がわからず、隣の美奈子に話しかけた。

「ここ、どこかな?」

美奈子は不思議そうな顔で答える。

「どこって、大井町だけど」

「何で大井町にいるんだっけ?」

美奈子はさらに不思議な顔で、克己の顔を覗き込みながら言った。

「克己くん、記憶喪失?」

克己は何をどう説明すればいいのかわからず、困った顔で美奈子の顔を見ていたが、大井町に来た経緯がどうしても思い出せなかった。

「克己くん、大丈夫?前から一緒にミュージカルを観たいって言ってたじゃない」

確かにそんな話を美奈子としたような気がする。

「そうだよね。美奈子が前に観たミュージカルの話をしてて、俺も観たいって思ったんだ」

美奈子の顔が安堵したように笑顔になった。

「思い出した。やっとの思いでチケット取って、ようやくこの日を迎えられことを」

二人で線路下の商店街を歩きながらミュージカルの劇場に向かっていることを理解した。

劇場の前には、すでにたくさんの人が列を作っていて、俺たちも列の最後尾に並んだ。

「すごい人だね」

「人気があるミュージカルだからね。克己くん、ミュージカル観るの初めてだっけ?」

「うん、小学校の体育館で観た子供劇ぐらいで、劇場に来たのは初めてだよ」

「きっと感動するよ。迫力があるし、歌もすごく上手いから」

「楽しみだなぁ。パンフレットとか売ってる?」

「もちろん。私、劇団の会員だから少し安く買えるよ」

「じゃあ、記念に買っておこうかな」

劇場の中に入ると、座席を案内してくれる係りの女性に座席番号を伝え、自分たちの席を容易に見つけることができた。

克己は、いつの間に買ったのかわからないパンフレットを見て、これから始まるミュージカルの世界に慕っていた。

開演を知らせるブザー音が会場に響き渡り、会場内が一瞬にして真っ暗になった。

克己が目を開けると、部屋のベッドの上にいた。

小学生5、6年の時、美奈子から両親と妹の四人でミュージカルを観に行った話を聞いた時、中学生になったら一緒に観に行こうと約束したのを思い出した。思い出したというより、いつか美奈子と二人で叶えたいと思っていた克己のささやかな夢のひとつだった。

美奈子が克己の夢に出てくる回数が、徐々に増えてきて、昔二人で語った夢や思い出を蘇らせていった。

会いたい。だけど、美奈子とその家族は、今どこで暮らしているのか、探す手掛かりが見つからず、モヤモヤしたものが心の中に蓄積していくようだった。


克己は大学に入学してから、スーパーの惣菜コーナーで、夕方から閉店までのバイトを始めた。

目的は、お金を貯めて日本全国の城郭を巡るためだ。

子供の頃、TVゲームで戦国武将に興味を持ち、そして同時にお城に興味を持った。

一番興味を引くのはお城のフォルムだが、優れた建築構造や地形に適応した城下の整備など、実に奥が深い。やはり、命を賭けて戦う拠点として、当時の知恵を結集している建築物だ。

バイトの仕事も要領がわかってきて、いつのまにかバイトリーダーになり、バイトの新人に仕事を教える立場になっていた。

夕方は、惣菜の値引きを待つ客を牽制しながら素早く値引きシールを貼っていく。

棚に溢れていた惣菜が一気に消えていくこの時がこのバイトの快感だ。

閉店前に調理場の掃除を終えて、閉店時間と同時にタイムカードを打刻する。

来年の夏休みには、お城巡りを実現したいと思っていた。

美奈子と一緒に行けたら、どんなに楽しいことだろうと考えていたら、その日、また夢に美奈子が出てきた。

「克己くーん、こっち、こっち」

美奈子の声がする方を見ると、お城の天守閣から美奈子が叫んでいた。

克己は両手をラッパのようにして、叫び返した。

「いつの間に、登ったの?」

美奈子の声は聞こえて、克己の声は届かない。

お城のフォルムを見ると、そのお城は信州の松本城だとすぐにわかった。

お城の雑誌の表紙でよく見る角度から、僕は松本城を見上げている。

右手のお堀にかかる橋から門の中に入り、中庭を抜けて城内に入ると、窓から陽射しは差しているが、薄暗い。木の階段を上っていくと、最上階に美奈子がいた。

「お疲れさま。疲れた?」

急な階段があり、かなり息が弾んでいた。

「こんなところで、何してるの?」

美奈子は少し怒った顔をした。

「ずっと、克己くんを待っててあげたのに、何してんのは失礼よ」

どうして待っていたんだろうと思いながら、克己は美奈子に謝った。

「ごめんなさい」

美奈子は渋々克己を許し、克己の手を引いて窓際に連れていった。

「見て、松本の街が一望できるの」

克己は、美奈子が見ている景色を見渡した。

「すごい。本当に殿様になったみたいだ」

「じゃあ、私がお姫様ね」

「姫じゃ、娘じゃないの?奥さんなら、正室とか側室かな?」

突然、美奈子が俺の鳩尾をグーで殴ってきた。

克己は思わず呻く。

「どうして私が側室なの。克己くん、ひどいよ」

そこか。

「ごめんなさい。側室じゃないよ、当然美奈子は正室だよ」

一瞬美奈子の顔が緩んだが、すぐに新たな質問を投げかけられた。

「側室は、何人いるの?」

「そりゃ、多いに越したことはないけど、体がもたないから2、3人で」

もう一発、鳩尾にグーパンチが飛んできた。

克己はその場にうずくまり、弁解した。

「冗談だよ。美奈子がいれば、他に側室はいらないよ」

「本当に、そう思ってる?」

克己は顔の前で、キリストに祈るように両手を組んだ。

「神に誓って」

美奈子が克己の頭を撫でて、「よかろう、今回は許してたもう」と、昔言葉で茶化した。

克己は、両腕を上にあげて、うちわのように振り下ろし、「姫、わらわは、幸せものにございまする」と、頭を下げた。

二人で、めちゃくちゃな戦国時代に酔っていた。

信州の山々の大パノラマを見たあと、二人で下の階へ降りた。

松本城には月見櫓があり、窓から外を眺めた。

「昔は、ここでお酒を飲みながら月見をしたんだね」

「月見なら、団子を食べるんじゃないの?」

美奈子には、お酒より団子の方が魅力的なのだろう。まぁ、未成年じゃ、お酒の魅力はわからない。

「確かここは、城主の松平直政が、徳川家光をおもてなしするために、後から作った櫓なんだよ」と、克己はお城の雑誌で読んだミニ知識を披露した。

「ヘェ〜、よく知ってるね」

美奈子に褒められると、嬉しい。

「でも、家光は来れなかったんだよ」

「せっかく作ったのに、もったいない」

苦労が実を結ばなかった松平直政に同情しているようだ。

「でも、今では松本城の貴重な一部になってるから、それはそれでいいんじゃない」

克己は美奈子に微笑んで、もう一度外の眺めを堪能した。

その時、なぜか体が自然に前に乗り出し、克己はお堀に向かって下に落ちていった。

「あっ!」

身体がビクッとして、目が覚めた。

お堀の水に落ちたかのように、全身に汗をびっしょりかいていた。

生きててよかった。


大学で、新しい友達ができた。

福岡県久留米市出身の酒井龍男だ。

同じ学部で、同じ授業を受けていた時、克己の後ろの席に酒井がいた。

授業が終わって、克己がスマホを確認した時、待ち受け画面の画像が酒井の目に留まり、声をかけてきた。

「そのお城、小田原城?」

克己が後ろを振り向くと、克己のスマホの画面を覗き込む酒井の瞳が輝いていた。

「よくわかったね。お城、好きなの?」

酒井はまるで子供のように大きく頷いた。

「九州出身だから、熊本城は何度も行ったし、大阪から西にある有名なお城はほとんど行った」

「すごいね。僕なんか、小田原城と修学旅行で行った京都の二条城と沖縄の首里城くらい」

まさかお城の趣味がきっかけで友達ができるとは思ってもいなかった。

大学の帰り、駅前のコーヒーショップで酒井のお城マニアの知識を思い知ることになる。

その日をキッカケに、大学では酒井とともに過ごすことが多くなった。

酒井の出身が福岡と聞いて、美奈子のことを思い出したが、福岡市と久留米市では、さすがに接点はないだろう。

ある日、酒井といつものように大学の構内を歩いていたら、同じ大学の女子から声をかけられた。

「タツ、久しぶりだね。元気?」

声をかけてきた女子を見て、酒井も応える。

「ミハル、全然見かけないから大学中退したのかと思ったぞ」

「そんなわけないだろ。友達?」

ミハルと呼ばれた女子は、克己を見て、酒井に尋ねた。

「ここで知り合った赤坂くん、お城の話で意気投合してさ。赤坂くん、こいつ同じ高校の同級生で、ミハルサクラコ」

「はじめまして、三つの春に複雑な花の櫻に子供の子と書いて、三春櫻子です」

「はじめまして、赤坂克己です」

慌てて自己紹介をしたが、漢字までは説明しなかった。

三春って、名前じゃなくて、苗字なんだ。と、克己は考えていた。

「せっかくだからさ、どこかでお茶しない?」

三春櫻子から、積極的に誘ってきた。

「どうする?」

酒井が克己に尋ねた。

「特に今日は予定無いけど」

「じゃあ、行きましょ。どこにする?候補が無ければ私が決めてもいいけど?」

克己と酒井は互いの顔を見て、異議なしを確認した。

三春が決めた先は、名古屋発祥のコーヒーのチェーン店だった。

4人席に克己と酒井が並んで座り、テーブルを挟んで三春が一人で座る。

克己と酒井は、三春おすすめメニューのアイスコーヒーと洋菓子のセットを注文した。

「赤坂くん、克己くんって呼んでいい?私は櫻子でいいから」

えっ、いきなり名前で呼べという。

「ちょっと待って、僕の名前はいいけど、三春さんをいきなり呼び捨てにはできないよ」

「そうかな、別に気にしないけど、私」

「酒井くんは、三春さんのこと苗字で呼んでたよね。じゃあ僕も、三春さんでいいよ」

三春は、つまんらなそうな顔をした。

「タツも、克己くんも、よそよそしくない。今日から私達友達だよ。よし、わかったアダ名で呼ぼう。それならいいでしょ?」

「それなら」と、渋々了解した。

完全に三春のペースで全てが進んでいる。今日出逢った女子にイニシアチブを取られてる。

「じゃあ、タツはタツでいいよね。克己くんはそうすると、カツだ。私のアダ名は二人で決めてよ」

面倒くさい会議も三春がいたら、スムーズに終わる気がした。

「櫻子だから、サクは?」

酒井が流れを重要視して、答える。

「却下。サクじゃ、男みたいじゃん」

落ち込む酒井。

よし、酒井くん、仇は僕に任せろ。

「サッコは?」

「採用。今日から私はサッコね」

克己の案が、あっさり採用。酒井くん、すまん。

「タツとカツは、いつもどんな話をしてるの?」

三春の問いに酒井が答える。

「二人でお城巡りしたいって、話してる」

「じゃあ、私も行こうかな」

「男子二人に、女子一人はバランスが悪くない?」

「じゃあ、女子を一人調達すればいい?」

「いるの?お城好きな女の子」

「お城が好きかは知らないけど、一緒に行けば好きになるでしょ。カツもそう思わない?」

いきなり振られて、克己はドギマギしてしまった。

「そうだね。でも、その子の気持ちを聞いてみないと」

「そうだね。さすがカツ。いいこと言うじゃない。早速本人に確認しとくよ」

終始、サッコこと三春のペースで、初対面のお城巡りの企画を考える三人の話は終わった。

その日から、克己は酒井をタツ、酒井は克己をカツと呼ぶようになった。

後日、前回と同じコーヒー店で、サッコこと三春が友達の女子を連れてきた。

「紹介するね。大学で知り合った立花佳奈子さん」

「立花佳奈子です。よろしく」

克己は言葉を失った。

美奈子が少し大人びたら、こんな感じになりそうな女子だった。

「はじめまして、タツこと酒井龍男です」

酒井に続いて克己も挨拶をする。

「はじめまして、カツこと赤坂克己です。立花さんのアダ名は、どうする?」

サッコが答える。

「カツ、今日は積極的じゃない。佳奈子のアダ名はカナでいいでしょ」

サッコの一声で終了。

「立花さんは、出身はどこ?」

タツこと酒井が尋ねる。

「東京の世田谷です」

克己が話に割り込む。

「僕も同じ東京。でも、中学の時茨城に引っ越したけどね」

「東京のどこですか?」

佳奈子から出身地を聞かれた。

克己は、言いづらそうに答えた。

「足立区」

タツが笑い出した。

「世田谷と足立区じゃ、全然違うよね」

佳奈子に言ったが、佳奈子は克己に申し訳なさそうに、何も言わなかった。

名前は、美奈子と一字違い。これは、単なる偶然だろうか。姿形も似ているし、美奈子じゃない美奈子に再会したような複雑な心境だった。

それ以降、毎週水曜日に同じコーヒー店で四人が集うようになった。

克己と酒井のバイト日と、学校の終わり時間を考慮してのことだ。


立花佳奈子に出逢った日、克己は美奈子の夢を見た。

克己は、昔住んでいた足立の街にいた。住宅街の中の公園でベンチに座っていると、前から声をかけられた。

「克己くん、何してるの?」

顔を上げると、美奈子が目の前に立っている。

「美奈子を待ってたんだよ」

「ウソ!本当は違う女の子を待ってるんじゃないの?」

「美奈子以外に遊ぶ女の子はいないよ」

「どうかな。私が福岡に引っ越したら、別の女の子と遊ぶんじゃない?」と、美奈子がからかって笑った。

「どうしたの?今日はやけに他の女の子にこだわるね」

「だって、遠くの彼女より近くの女っていうでしょ」

「それは、遠くの親戚より近くの他人でしょ」

克己は笑い飛ばした。

そんな時、目の前にもう一人の美奈子が現れた。

「カツくん、何してるの?」

美奈子ではなく、佳奈子だった。

「アレ、これはどういうこと」

美奈子がキョトンとした顔をしている。

「カナ、美奈子のこと知ってたっけ」

佳奈子は首を振って否定した。

「克己くん、誰?」

美奈子が克己に尋ねる。

「美奈子は、カナを知らない?」

「知らないよ。カツって、克己くんのこと?」

どうして知らない同士の美奈子と佳奈子がここにいて、自分が二人の女性から責められているようなシチュエーションになっているのだろうと克己は混乱している。

「大学で、みんな僕をカツって呼ぶんだ」

さらに美奈子の質問は続く。

「カナさんは、克己くんの何?」

一瞬答えに迷っていたが、答えを見つけた様子で佳奈子が答えた。

「私は、カツくんの彼女です」

美奈子の顔色が変わった。

「この方は、カツくんのお友達?」

佳奈子が克己に尋ねる。

克己は、またまた答えに迷う。

すると、美奈子が答えた。

「私も克己くんの彼女なんだけど」

えっ、いつのまに二股交際になっているんだ。

でも二人の女性に、彼女だと言われたら否定も出来ず、こっちが彼女だと明確に言うこともできない。

克己は、現実逃避するべく目を強く閉じて祈った。

もしも神様がいるのなら、助けてください。

その時、けたたましいベルの音が響き渡り、目が覚めた。

克己はベッドの上で、冷や汗をかいていた。


次の週の水曜日。

学校の帰り、いつものようにコーヒー店に行くと、佳奈子が一人、席に座っていた。

「カナ、一人?」

克己に気づいた佳奈子が、克己を見てホッとした表情になった。

「サッコ、急用で来れなくなっちゃって」

「そう、実はタツも急遽バイト先からヘルプを頼まれて来れなくなったんだ。じゃあ、今日は二人だけだね」

二人だけの言葉に佳奈子が異常に反応して、そのあと話しづらくなってしまった。

いつものように、コーヒーと洋菓子のセットを注文した。

「どうする?今日は中止にしょうか?」

そう言った克己を、佳奈子は直視した。

「私と二人だと、ダメですか?」

佳奈子は櫻子と違って、マイナス思考が強い。言葉の意味を悪く考えてしまうようだ。

「そういう意味じゃないよ。お城巡りを企画する集まりは中止で、たまには二人でゆっくりするのもいいかなって」

佳奈子の表情が少し明るくなった。

「ごめんなさい。私、自分にあまり自信がなくて、すぐ悪いことを考えちゃうの。サッコみたいな女の子の方が、カツくんも好きなんだろうなって思っちゃって」

佳奈子は可愛いし、性格が明るかったらもっとモテるのにって、克己は思った。

「もっと自信持っていいよ。カナは、凄く魅力的な女性だと僕は思うよ。実はね、僕も自分にあまり自信がないんだ。だから、カナの気持ちは、すごくわかるんだ」

「ありがとう。カツくんて、優しい人だね」

「そんなこと面と向かって言われたら、照れちゃうよ」

二人で笑った。やっと緊張が溶けてきた気がした。

「カナに初めて会った時、僕の初恋の女の子に似ていてビックリしたんだ。最初、その女の子かと思っちゃったんだ」

「そんなに似てるの?」

「うん。中学生の時、引っ越してしまって、それから会ってないけどね。とても仲が良かった女の子だから、僕が見間違うってことは、やっぱり似てると思う」

佳奈子は、本当はお城には興味が無く、アニメや漫画が好きだってこともわかった。

克己もアニメは好きだったので、共通の話題で話は予想以上に盛り上がった。

その時、克己のお腹の音がグーと鳴った。

二人は一瞬固まったあと、笑った。

「カナ、お腹空かない?」

「もう6時過ぎてるもんね。私もお腹空いた」

「よし、ご飯食べに行こう」

カナも笑顔で頷いた。

カナと二人で夕飯を食べたあと、夢でカナが言ったように僕の彼女になるのかもしれないと克己は思った。


7月の初め、連日どんよりした天気が続いていた。

いつものようにタツこと酒井と、学食で昼食をとっていた。

「最近、カツとカナの仲が良過ぎないかって、サッコが言ってた」

タツの言葉に、食べていたラーメンを吹き出しそうになった。

「ごめん、大丈夫?」タツが謝る。

「突然変なこと言うから、ビックリしたよ。そりゃ毎週会ってれば、少しずつは親しくなるでしょう」

「そうなんだけど、サッコが言うには、カナがカツに好意があるんじゃないかってことみたい。カツはみんなに優しいからさ、カツの気持ちはわかりにくいって」

前からサッコの洞察力はかなり鋭いと思っていた。おそらく、サッコがそう思うのならそうなのだろう。でも、カナは自分から告白するタイプではないから、克己が告白しなければ恋愛は始まらない。克己は、今の四人の関係を壊したくなかったので、今はまだその時期ではないと思っていた。そして、いくら似ていてもカナは美奈子ではない。克己の中には、未だに美奈子を思う気持ちがあった。

「このことは内緒だよ。僕から聞いたって、サッコに言わないでね」

「了解。でもサッコがそう思うなら、僕も気をつけるよ。今まで通り、四人で仲良くしたいからね」

「でもさ、正直カツはカナのことどう思ってる?」

克己はラーメンを吹き出した。

慌てて、ナフキンでテーブルを拭いた。

「ごめん、大丈夫?」と、タツが謝る。

「突然変なこと聞くからビックリしたよ。今は友達として接してるから、まだ恋愛感情はないかな」

タツの顔が突然真剣になって、克己を直視している。

「タツ、どうかした?」

「カツ、じゃあ僕がカナを好きになってもいいかな?」

もうラーメンはない。

「本気?」

タツは小さく頷いた。

想定してなかった。でも、タツだって恋をする権利はある。僕が許可する問題ではない。

「驚いた。僕はてっきり、タツはサッコのことが好きだと思ってたから」

タツは首を横に振った。

「同じ高校だったけど、サッコは僕にとって常にライバルだった。いつもテストの成績が僕の上にいた。だから悔しくて、一生懸命勉強したけど、最後までサッコの上にはいけなかった。だから、僕を少しだけ見下している感じがするんだ。むしろ、サッコが好きなのはカツだと思うよ」

飲んでいた水を吹き出した。

さすがに周りから非難する視線を感じた。

「ごめん、大丈夫?カツは知ってると思ってた」

テーブルをナフキンで拭きながら克己は言った。

「ホントに?」

タツは、大きく自信を持って頷いた。

「この話、今日は終わりにしてくれる。これ以上周りから顰蹙を受けたくない」

タツは話を変えて、夏休みの予定について話し始めた。

「お盆に久留米の実家に帰るんだけど、よかったらカツも一緒に来ない?」

突然、タツから誘われた時、美奈子のことを考えた。

久留米と福岡は、電車で30分程度の距離だ。

もう一度、福岡を訪ねてみたいと思っていた。

「せっかくの家族団欒に、僕がお邪魔していいのかな?」

「そんな気を遣うような家じゃないし、たまには東京を離れるのも悪くないと思うよ」

「ちょっと福岡に行きたい用もあるし、ちょっとだけお邪魔しちゃおうかな」

「じゃあ、決まりってことで。サッコとカナにも言っておくよ」

「えっ、サッコとカナも久留米に行くの?」

「まぁ、サッコは僕と同じく里帰りだけど。サッコがカナを誘うってことになってる」

タツとサッコが何かを企んでるような気がしたが、今は友達として素直に応じることにした。


水曜日の午後、いつものコーヒー店で四人が集まった時、カナも久留米に行くことを聞いた。

「せっかくだからさ、久留米に行ったら四人でどこ行くか決めようよ」サッコがいつものように進行を務める。

熊本城へ行きたかったが、熊本地震の影響で改修中だった。

サッコとタツは、それぞれの実家にニ週間滞在する予定だったが、克己は福岡に用があったので、久留米には2泊だけタツの実家に泊まり、福岡で1泊することにした。

カナも克己の予定に合わせて、サッコの実家に2泊だけ泊まって帰ることになった。

航空券の手配については、カナがよく利用する旅行代理店があるとのことで、サッコがカナに一任した。

克己は、カナに福岡の宿泊プランを付けてもらうようにお願いした。

8月に入り、暑い日々が続く。

夏休みになって、いよいよ久留米に旅立つ日が来た。

混雑を避け、一般企業のお盆休み前に出発した。

羽田空港のターミナルに、飛行機の出発30分前に待ち合わせをした。

克己が早めに待ち合わせ場所に行くと、すでにカナが来ていた。

「おはよう。相変わらず早いね」

ぼんやりしていたカナの表情が一瞬で明るくなり、克己を確認した。

「私、心配性だから、いつも待ち合わせより早めに来ちゃうの」

克己は、カナが座る椅子の横に座った。

「カナは、気を遣い過ぎかもね。でも、人に気遣うことができる人は素敵だよ。無理して、バテないように気をつけて」

「ありがとう、カツくん。カツくんみたいに言ってもらえると、なんだか救われる気がする」

「やっぱり、頑張り過ぎでしょ、1時間半前は。そういう僕も心配性かな」

笑った克己につられて、カナも笑った。

時間が早いので、二人でファーストフードへ移動することにした。

「カツくんは、福岡で用事があるってサッコから聞いたけど」

「あっ、大したことじゃなんだけど」

初恋の女の子の消息を探しているとは、言いにくかった。

「ごめんなさい。余計なこと聞いて」

カナが申し訳なさそうな顔をして、頭を下げた。

「本当に大したことじゃないんだ。頭下げないでよ。昔の友達が福岡にいるはずなんだけど、ちょっと前に連絡が途絶えてて、訪ねてみようと思っただけなんだ」

カナの落ち込んだ表情を見て、理由を話さない訳にはいかなくなった。

ただ、相手が初恋の女の子ということは言わなかった。

「会えるといいね」

「ありがとう」

それ以上、カナは何も聞いてこなかった。

「カナは、福岡に行くのは初めて?」

「うん、修学旅行で行った広島より西に行ったことがないから」

「広島か、広島城は行った?」

「木でできたお城だっけ?」

「そう、外観に木の部分が見えるお城。僕は行ったことないんだけど、お城の池にたくさんの鯉がいて、野球の広島カープのカープはその鯉から付けたんだって」

「そういえば、カツくん野球部だったんだよね」

「高校の最後の試合、僕が最後のバッターだったんだ。もう最後だと思って、思いっきりフルスイングしたらボテボテのサードゴロ、情けなかったよ」

「情けなくなんかないよ。高校野球の選手って、みんな一生懸命だからカッコイイ」

「ありがとう。カナに言われると、辛い思い出も良い思い出に思えるよ」

カナが微笑ながら、時計で時間を確認した。

「そろそろ戻らないと」

「もうそんな時間、じゃあ戻ろうか」

待ち合わせ場所に戻った時、タツとサッコが心配そうに待っていた。

「お待たせ」

「30分前丁度、間に合わないのかと思ったよ」

サッコの声に苛立ちが感じられた。

僕とカナが一緒に来たのが悪かったのかもしれない。

「早く着いちゃったんだけど、それよりも早くカナが来てたから、下の階のファーストフードで時間潰してたんだ」

「早く行くよ」

サッコに速され、三人は後をついていった。

タツは、まだ一言も喋らず、サッコの機嫌が悪いことを頭に人差し指を2本立てて、僕とカナにそっと怒りを表す鬼のジェスチャーで伝えた。

機内は空席が見当たらないほどの満席だった。

窓側の三人席に、カナ、サッコ、カツと並び。後ろの席の窓側にタツが座った。

ほとんどサッコとカナが話をしていて、少しずつサッコの機嫌が良くなっていった気がする。

克己は隣で、寝たふりをして二人の会話をじっと聞いていた。

昼過ぎに福岡空港に着き、地下鉄で福岡の中心地、天神に向かった。この日は福岡市内を観光して、屋台で夕飯を食べて、久留米に向かう予定だ。

昼は全国的に有名なラーメン店の本店でラーメンを食べ、天神の地下街を散策して、福岡タワーまで足を伸ばした。中洲の屋台をはしごして、夜の9時頃、天神の駅から久留米に向かう電車に乗った。久々に、楽しく遊んだ一日だった。

久留米の駅からタクシーで、サッコの実家経由でタツの実家に向かった。

10時過ぎまで、タツの両親と妹が起きていて、克己たちを待っていてくれた。

明日は、湯布院の温泉に行くことになっている。

克己とタツは、近隣の城跡を巡る提案をしたが、女性陣に却下された。女性陣といってもサッコが主に発言していたが、結局、女性陣の提案で温泉地に行くことになった。

湯布院ではゆっくり温泉に浸かり、楽しく遊んだ、充実した一日だった。その日、もう一晩タツの実家に世話になり、翌朝タツの家族に見送られて、克己はタツの実家を出発した。

「大変お世話になりました」とお礼を言うと、「また来てください」とタツの家族から言ってもらった。

タツが運転する車で、久留米の駅まで送ってもらい、車の窓から手を振り、タツは実家に帰って行った。

切符を買って、時刻表を確認すると、10分後に電車が来る。ホームのベンチで電車を待つことにした。

駅のベンチでボーッとしていると、突然、「カツ」と呼ばれ、びっくりして声の方を見ると、サッコとカナが立っていた。

「偶然だね。カナを見送りに来たんだ」

サッコとカナに、久留米を出る時間を伝えてなかったので、びっくりした。

必然的に克己とカナは、同じ電車に乗ることになった。

ホームでサッコと別れ、空いている席にカナと並んで座った。

電車が走り出してしばらくすると、カナが思わぬことを言い出した。

「カツくん、一緒に行ったらダメかな?」

「何のこと?」

「今日これからカツくんが行くところに、私もついて行ったらダメ?」

「だって、飛行機の時間があるんじゃ」

カナがチケットを見せて言った。

「飛行機、明日なの。ごめんなさい、私もカツくんと同じプランにしたの」

初めから克己に同行するつもりでいたのだろう。

「僕はいいけど、見つからないかもしれない人探しなんて面白くないよ」

カナは何も言わず、克己の許可を待っているようだった。

「ひとりで心細かったんだ。じゃあ、付き合ってもらおうかな」

やっと、カナが笑顔になった。

やっぱりカナは不思議な女の子だ。克己の友達を一緒に探して、楽しいのだろうか。

克己は探している友達について、正直に話すことにした。

「前に、カナに似ている初恋の女の子の話をしたよね」

カナが頷く。

「探しているのは、その女の子なんだ。中学ニ年の時引っ越して、しばらく文通してたんだけど、ある日突然連絡が取れなくなって、一度大学入学前に福岡へ来たけど、何の手掛かりも得られなかった。今回も空振りで終わる可能性が高いけど、せっかく福岡に来たから、もう一度彼女の住んでいた街に行ってみたいと思ったんだ」

カナは黙って、克己の話を真剣に聞いていた。


克己とカナは、以前克己が行った美奈子の手紙に書かれていた家の住所の場所に来た。

目の前の高層マンションを見上げながら、克己が話す。

「手紙の住所はここなんだ。住所の番地からすると一軒家だったと思うんだけど」

「5年前だと、だいぶ環境が変わってるかもしれないわね」

「通っていた中学校に行って、卒業アルバムを見せてもらったんだけど、写真が載ってなかった」

「前から住んでる近所の人に聞いたら、何かわかるかも」

克己は、カナの意見に同意した。

「そうだね。あの辺の家なら昔から住んでいそうだから、ちょっと聞いてみようか」

克己とカナは、築年数の古そうな家を見つけて、インターホンを押してみた。

留守の家が多く、人が居てもご老人で田中家について知ってる人はいなかった。

克己とカナが近所を歩いていると、小さな公園で子供を遊ばせている母親や、犬の散歩をしているお爺さんがいた。

カナが遊んでいる子供を優しい目で見ていると、犬の散歩をしていたお爺さんに声をかけられた。

「ミナちゃん?」

お爺さんは、カナを見て、ミナちゃんと呼んだ。美奈子のことだと思った。

「お爺さん、美奈子のこと知ってるんですか?」克己は思わず尋ねていた。

あけっに取られた表情で、お爺さんの動きが固まっていた。

「ごめんなさい。私、美奈子さんではないんです」と、カナが答える。

お爺さんは、さらにカナをよく見て言った。

「そうですか。ミナちゃんによう似てるから、帰ってきたのかと思ったわ」

克己とカナは、お爺さんと近くのベンチに座り、美奈子について話を聞いた。

「ミナちゃんは、とても優しい女の子だった。もう何年前になるかな、よくこの公園でポチと遊んでくれたんじゃ。あっ、この犬の名前だがな。ミナちゃんの家は、大変だったんじゃ」

お爺さんは急に声が小声になった。

「お母さんがお父さんを殺してしまって、お母さんも自殺した」

克己とカナは、お爺さんの話にびっくりして、自分の耳を疑った。

「いつ頃ですか?」と、克己が尋ねた。

お爺さんは空を見上げて、しばらく考えていた。

「まだミナちゃんが中学校に通ってたから、うーん」

「四年ぐらい前ですか?」克己は助言をする。

「そのくらいかの」お爺さんが曖昧に答える。

「そのあと、美奈子の家はどうなりました?」

お爺さんはまた、空を見上げて思い出そうとしている。

「わからん。ミナちゃんと妹は、親戚に預けられたのかわからんが、あの家にはおらんかった」

その後克己はお爺さんに色々と訊ねたが、これ以上の情報を得るのは難しそうなので、克己とカナはお爺さんにお礼を言って公園を出た。

克己は、お爺さんの話にショックを受けた。

田中家に起きた悲劇を想像すると、当時中学生の美奈子がどんな悲しみの中にいたのか、考えるだけで胸が苦しくなる。克己は無言のまま目的もなくただ歩いていた。

「カツくん、カツくん」

カナの声で、克己は現在に呼び戻された。

カナの顔を見る。

「どこに向かってるの?」

「ごめん。何も考えてなかった」

「カツくん、お爺さんの話、確かめてみたら」

「どうやって?」

「ネットで検索すれば、何かわかるかも」

あっ、カナの言葉に克己は冷静さを失っていたことを自覚した。

時計を見ると、もうお昼の時間を過ぎていた。

カナと相談して、駅前まで戻り、飲食店でランチを食べながらネットで田中家の事件を検索することにした。

福岡の地名と殺人事件などのワードを入力して、検索を繰り返した。

「あった。四年前の12月、妻の田中美沙が夫の田中陽一郎を自宅で刺殺。その後、自ら首を吊って死亡した」

二人の子供は二階で寝ていて、両親の状況には気づかなかったと書いてある。二人の子供がその後どうなったかはわからない。

美奈子からの手紙が来なくなったのも、たしか冬だったような気がする。

クリスマスプレゼントに何を送ろうか考えていた覚えがあるからだ。

克己は、犬のキャラクターの小さなぬいぐるみを送った。戻ってこなかったから、プレゼントは受け取ってもらえたのだろうか。

美奈子からお礼の手紙や、クリスマスプレゼントは届かなかった。

暑い日の中、カナに付き合わせてしまったので、克己はこれ以上の捜索はやめることにした。カナと宿泊するホテルに行くことにした。

カナは克己と同じホテルに予約を入れてあった。やはり、今日の行動は最初から計画していたのだろう。

でも、カナが一緒にいなかったら、お爺さんから美奈子の話を聞くことはできなかった。美奈子の家の事情を知ることができたのはカナが一緒にいたお陰だ。

せっかく福岡に来たので、お礼を兼ねてカナを福岡名物のもつ鍋屋に誘った。

「カナ、ありがとう。カナのお陰で友達のことを知ることができた」

カナは、たまたまだと首を振る。

「でも、カツくんもお爺さんも見間違えるくらい私って、美奈子さんに似てるのね」

「うん、似てる。茨城の家に帰れば何枚か写真があるから、今度見せてあげるよ」

「カツくん、今でも美奈子さんのことが好き?」

「どうかな?もう5年以上会ってないし、今どんな風になってるかわからないから。だから、僕の頭の中の美奈子は5年前で止まったままなんだ」

「そんなに想える人がいるなんて、羨ましいわ。私は、そんな恋をしたことがないから」

「カナは、これからたくさん恋をできるよ」

「どうして?」

カナの言葉に克己は戸惑った。

そこまで深く考えて言ったことではなかった。

「どうしてって、カナなら、カナを好きになる人がたくさんいると思うから」

「ありがとう。でも、たくさんなんて要らないから、好きな人に愛してほしい」

言ったあと、自分の言葉を振り返って恥ずかしくなり、カナは顔を赤くして俯いた。

夏でも、もつ鍋は美味しかった。

あとで思えば、もう少しお洒落なお店に誘えばよかったのかもしれない。

克己とカナは、ホテルのそれぞれの部屋に入った。克己は部屋のバスルームでシャワーを浴びたあと、ベッドに横たわり、美奈子が福岡で経験した日々と苦悩をずっと想像していた。


「克己くん、克己くん、起きて」

美奈子が呼んでいる。克己は起き上がり、呼んでる美奈子を探した。

「こっちだよ、克己くん」

振り向くと、小さな公園のブランコに美奈子が乗っていた。

克己は美奈子に近づき、隣のブランコに座って漕ぎ始めた。

「聞いたよ。お父さんとお母さんのこと」

美奈子は微笑んだまま、頷いた。

「福岡に来てから、お母さんが土地に馴染めず可愛そうだった。お父さんも東京にいた頃より仕事が忙しくて、よく喧嘩してた。ほとんどお酒を飲まなかったお父さんがお酒を飲むようになって、時々お母さんに暴力を振るっていたみたい。私と妹は、家の二階に上がって夫婦喧嘩を見ないようにしてたの。でも、今思えば私たちがお父さんとお母さんを助けてあげなきゃいけなかったと後悔してる」

克己は何と言ってあげたらいいのか、わからなかった。

「美奈子のせいじゃないよ。夫婦の問題だから」

「でも、結果が結果だから。まさか、あそこまで酷い状況になるとは想像してなかった」

「美奈子と妹さんは、これからどうするの?」

美奈子は、アメリカ人みたいに両手を上に向けて、お手上げのポーズをした。

「わからない。でも、ここにはもう居られないから、親戚に引き取られるか施設に預けられるのかな?」

「どうして、ご両親のこと、連絡くれなかったの?」

美奈子の表情が変わった。

「私、克己くんに手紙書いたし、東京にも行ったんだよ」

そういえば、克己が引っ越したあと尋ねてきたと、いつか聞いた気がする。

「ごめん。その手紙、見てないんだ。引っ越したから、届かなかったのかもしれない」

美奈子は首を横に振る。

「手紙は戻ってこなかった。絶対克己くんの家に届いてるはずよ。お母さんに聞いてみて」

「わかった。東京に帰ったら、母さんに聞いてみるよ」

「あっ、ポチ。ポチが来た」

美奈子はお爺さんが連れていた犬に駆け寄り、座り込んで犬を撫でていた。

克己は、その様子を穏やかな気持ちで見ていた時、ブランコの釣りがねを掴み損ねて、ブランコのバランスが崩れて、克己の身体が激しく後ろにひっくり返った。背中と後頭部を地面に叩きつけた瞬間、身体がビクッと動いて目が覚めた。ホテルのベッドから転げ落ちていた。


いつの間にか、カーテン越しの窓の外が明るくなっていた。

時計を見ると、6時だ。

今日は、東京に帰る日だ。

飛行機の時間は午後だったので、午前中はお土産を買い、お昼を食べて空港に向かえば余裕で間に合う。

克己は今見た夢を振り返り、夢に出てくる美奈子が自分に何かを伝えようとしているような気がした。

8時過ぎに、カナから電話がかかってきた。

「どうする?飛行機の時間まで、少し時間あるけど」

「ちょっと天神の街を散策しようか。お土産も買いたいし、お昼食べてから空港に向かっても飛行機に間に合うでしょ」

「わかった。ロビーで待ち合わせでいい?」

「OK。どのくらいで準備できそう?」

「30分あれば用意できると思うけど」

「じゃあ、少し余裕を持って、9時にロビーでいいかな。カナ、少し遅れてもいいから早く来ないでね。カナを待たしたくないからさ」

「ありがとう。じゃあ9時に」

電話を切って、簡単にシャワーを浴びると、荷物をまとめて出掛ける準備をした。

9時5分前にロビーに降りていくと、ロビーの椅子でスマホを見ているカナがいた。

「カナ、早いね」

カナは克己に気づいて、立ち上がる。

「今降りてきたばかりよ。全然待ってないから」と、言い訳をした。

「別に強制じゃないから、カナのペースでいいよ。よく考えたら、早く来るなって、カナの自由を奪っていた気がする」

「カツくん、やっぱりカツくんは優しい人だね。私に気を遣ってくれてるのがわかるから嬉しい」

カナは素直に褒めてくれるので、克己は照れてしまう。

克己とカナは、二人で福岡の街を歩いた。

天神にはデパートも複数あり、地下街のお店も充実している。

3日前にも四人で来たが、サッコの案内にお任せだったので、今日はカナの行きたいお店を中心に歩いた。カナが、いつもより楽しそうに見えた。

お土産は、いろいろ悩んだ挙句、定番のお菓子通りもんにした。辛子明太子も考えたが、予算オーバーになりかねないので自重した。

お昼はラーメンではなく、イタリアンにした。

少し行列が出来ているお店があったからだ。

人頼みではあったが、味に間違えはなかった。

カナの笑顔からも、満足であることが読み取れた。

早めに空港に向かい、余裕を持って、空港内のお土産屋さんも物色した。

ラーメン、イカしゅうまい、いきなりまんじゅうなど、どれも魅力いっぱいの九州土産ばかりで、カナと感想を言いながらお土産の量は増えてしまった。結局予算オーバーになった。

「カナ、ありがとう。付き合ってもらったお陰で手掛かりも見つかったし、楽しい旅行になったよ。カナのことも少しわかった気がする」

「役に立てたなら、よかった。本当はカツくんの邪魔になるかもしれないと思って、ギリギリまで言い出せなかったの」

「カナはみんなに気を遣ってるから、僕にはもっと気楽でいいよ。僕もその方が嬉しいし」

「ありがとう。カツくんは、やっぱり優しい人だね」

克己は、カナに優しい人と言われる度に照れ臭かった。

「幼馴染の女の子、これからも探すの?」

「どうかな、警察に問い合わせても行き先は教えてもらえないだろうし、探し出すのは難しいと思ってる。探偵事務所にでも頼めばいいのかもしれないけど、そうやって探すのも何か違う気がするんだ」

克己はカナの顔を見て、あることを打ち明けた。

「実は今朝、彼女の夢を見たんだ。しかも、かなりリアルな夢で、何となくだけど、美奈子が僕に自分を見つけて欲しいと思っているような気がしてるんだ」

カナは真剣な顔で克己の話を聞いていた。


帰りの飛行機の中では、早朝に目が覚めた寝不足と昼間歩きまわった疲れがドッと出て、克己はすっかり眠ってしまった。

「克己くん、私、克己くんが来てくれるのを待ってるから」

美奈子の声が聞こえる。

でも、美奈子の姿はどこにもない。

「美奈子、どこにいるの?姿を見せてよ」

克己は一生懸命目を凝らして、暗闇の中、美奈子を探した。

「克己くんには、私が見えないの?どうして見えないの?こんなにすぐ近くにいるのに」

「そんなに近くにいるなら、僕の手を握ってよ」

克己は、暗闇の中に向かって、両腕を前に伸ばした。

風が手のひらを撫でているような感覚がある。

「わかった?私がここにいること」

克己は頷いて、涙を流していた。

「会いたい。美奈子に会いたい。美奈子〜」

身体を左右に揺すられて、克己は目を開けた。

「カツくん、大丈夫?」

目の前に美奈子がいた。

「美奈子?」

美奈子だと思った女性は、首を振った。

「私は、佳奈子だよ。カツくん、美奈子さんの夢を見てたんだね」

様子を見にきたキャビンアテンダントに声をかけられ、ただの寝言だと言って謝った。

眠っていて受けられなかった飲み物サービスで、冷たい林檎ジュースを飲んで、完全に目が覚めた。

「カナ、ごめん。迷惑かけなかった?」

「私はいいけど、突然声を出したから、後ろの方で赤ちゃんが泣いてたみたい」

「うっかり寝ちゃった」克己はため息を吐いた。

「かなり辛そうな顔してたけど、嫌な夢だった?」

「そんなことないけど、美奈子が僕のそばにいる気がするんだ。なんとなくで、理由はないんだけど」

飛行機が羽田空港に着陸したのは夕方だったが、夏の夕方は明るかった。

カナと品川まで移動し、品川の駅で別れた。

大きな荷物と袋いっぱいの土産を持って家に帰ると、両親が克己の帰りを喜んで迎えてくれた。

母親に土産の袋を渡して、とりあえず自分の部屋に向かった。

すでに夕飯の用意ができていたので、荷物を部屋に置いてすぐリビングに戻った。

「楽しかった?」

料理をテーブルに運びながら母親が克己に話しかけてくる。

「楽しかったよ。温泉にも行ったし、ご飯も美味しかったから」

家族3人で旅行の話をしながら夕飯を食べた。

「そういえば母さん、近所に住んでいた田中美奈子のこと覚えてる?」

克己がいきなり美奈子の名前を出すと、母の顔が一瞬、凍りついたような気がした。

「ミナちゃんのことでしょ、それは覚えてるわよ」

「実は、美奈子の住んでいた福岡の家に行ってみたんだ」

母は何も言わない。

「でも、もうそこには居なかった。美奈子のお父さんとお母さん、亡くなったんだって」

あえて事件のことは言わなかったが、母が返答に困っているような様子から、何となく母は知っていたしたような気がした。

「美奈子が福岡に引っ越した後、文通してたんだけど、中学2年の冬から突然手紙が来なくなったんだ。お母さん、その後手紙見たことない?」

「どうかしら、覚えてないわね。あれば克己に渡してると思うし」

母は考えるフリをしている。

「あっ、洗濯物取り込むの忘れてた」と言って突然席を立ち、2階のベランダに向かった。

確か、美奈子が夢の中で、お母さんに聞いてみてと言っていた。母の様子が不自然に思うのは、単なる考えすぎなのだろうか。

翌日、父と母は、先祖の墓参りに出掛けた。

夕方バイトの予定がある克己は、ひとり家に残り、クーラーの効いた部屋で、朝から高校野球の中継を見ていた。

少子化と言われながらも、野球の上手い選手が次々に現れ、今年の甲子園にもプロ注目の選手が何人も出場していた。

毎日同じように練習をしていても、甲子園に出場する選手は、最初から素質が違うのだろうか。自分が高校で3年間積み重ねた努力は、この先の人生に役立つ日が来るのだろうか。

野球に打ち込んでいた高校時代、美奈子はどんなふうに生きていたのだろう。

父親と母親を失って、妹と二人でどうしていたのだろう。たぶん幸せではなかっただろう。

克己が想像できないほど、辛い毎日を過ごしていたのでないか。そんな時だからこそ、克己に連絡をしてくるのではないか。

野球部の休みは、元旦と試験前しかなかったので、美奈子のことを真剣に考える余裕がなかった気がする。

一番辛い時に、何もしてあげられなかったと思うと、胸が苦しくて涙が溢れた。

バイトの時間ギリギリまで、甲子園の中継を見ていた。

福岡で買ってきた土産を持って、バイトへ行く準備をする。

久々に行くバイトは、克己の心をいつもより憂鬱にした。


タツとサッコが久留米から戻ってきた。

早速、連絡があり、いつものコーヒー店に四人で集まることになった。

克己がお店に入ると、いつものようにカナが先に来ていた。

「早く来ちゃうのは、性格の問題だから直す必要はないみたいだね」

カナは克己の顔を見て、微笑んだ。

「カツくんだって、十分早いわよ」

「確かに。遅れて人を待たせるのが嫌なんだ」

「実は私も、同じ。待たせている間、気持ちが落ち着かないのが嫌なの」

カナとは、いろんな意味で気が合う。

店員が水を運んできたので、一旦会話が途切れた。

「カナは注文した?」

「まだだけど」

「先に頼んで、待ってようよ」

克己とカナは、コーヒーとサンドイッチのセットを注文した。

克己は、一枚の写真をカナの前に差し出した。

カナが写真を覗き込むと、一瞬息が止まった。

「この子が田中美奈子。中学生の時だから少し幼さがあるけど、顔や雰囲気がどことなくカナに似てるでしょ」

カナは、克己の顔を見て言った。

「これ、私だよ」

「えっ、どういうこと?」

カナが首を傾げる。

「この写真に写っているのは、私だと思う」

「そんなはずはないんだけど」

カナは、写真の人物が自分である理由を説明し出した。

「この場所、ディズニーシーでしょ。この日、私の通ってた中学校の遠足でディズニーシーに行ったの」

カナは、写真に記されている日付を指差した。

「そして、このカバン、私が使っていたカバンと一緒。これ、カツくんが撮ったの?」

「いや、僕ではなくて、学校専属の写真屋さんが撮った写真だけど」

「どうして、私の写真をカツくんが持ってるの?」

「この日、僕の学校もディズニーシーに行ったんだ」

「違う。私じゃない。似てるけど、制服がちょっと違う」

「じゃあ、やっぱりこれは美奈子なんだ」

「そうみたいね。驚いた、こんなに私に似てる人がいるなんて」

「僕が見間違うのも、わかるでしょ」

カナは、まだ信じられないような顔で頷いた。

店員がコーヒーとサンドイッチを持ってきたので、一旦写真をカナがしまった。

そこにサッコが来て、いつも通りカナの隣に座った。

「お待たせ。タツはまだ?」

「いつもの順番通りで、最後みたいだよ」

克己は、サッコに美奈子の写真を見せるつもりはなかった。カナの動揺が意外にも大きかったからだ。

そして、タツがやって来て、克己の隣に座った。

カナは、写真を克己に返すタイミングを失い、一旦自分のバッグの中にしまった。

店員がサンドイッチとコーヒーを運んできたので一旦会話を中断し、サッコとタツも同じメニューを注文して、サッコのリードで話しが再開した。

「カツとカナ、久留米から帰ったあと、どうしたの?」

克己はサッコの予想外の問い掛けに、一瞬言葉が詰まった。正直に答えていいのか、嘘をついた方がいいのか、わからなかったからだ。

カナの表情も困惑してるように見えた。

「天神まで行って、カナとはそこで別れた」と、克己は嘘をつくことにした。

「カナ、本当?」

サッコは、克己ではなくカナに確認をする。

カナは、無言で頷く。

サッコは視線を克己に戻し、さらに質問を続けた。

「カツは、福岡で何してたの?」

「幼馴染みに会いに行ったんだけど、もう昔の住所には住んでいなかった。結局、仕方ないからさ、天神の街をブラブラしてた」

「教えてくれたら付き合ってあげたのに」

「せっかく里帰りしたのに悪いよ。サッコの家族にも悪いし」

「全然暇だったのよ。両親は畑仕事で忙しいし、何もやることなくてゴロゴロしてるだけなんだもん」

「タツを誘えばよかったじゃないか」

「タツと二人っきりだったら、地元の友達に付き合ってると誤解されちゃうじゃない」

「僕と二人っきりでも、同じように誤解されちゃうよ」

サッコは、不満顔で克己を睨んだ。

「ごめん、なんか悪いこと言った?」

「もういいよ。カナは、東京に戻ってから何してたの?」

サッコの話し相手がカナに移動して、なんだかホッとした。できるだけ友達にウソをつきたくはなかった。

「特に何もしてないわ。買い物に出掛けたくらい」

当たり障りのないカナの返答に、サッコの興味が萎えていくのがわかった。

「タツは、どうだった?」

克己は、まだ一言も話していないタツに話しかけた。

「妹に、あっちこっち振り回されたよ。ゆっくり休んでる暇がなかった」

「妹孝行できてよかったじゃないか」

とりあえず、全員の近況報告が終わったが、サッコの機嫌が悪く、いつもよりギクシャクした感じの集会になってしまった。

四人の関係を保つには、特定の相手との交際をすることができない。微妙なバランスで成り立っていることを理解した。

解散した後、しばらくするとサッコから克己の携帯電話に着信があった。

一瞬電話に出ることを躊躇ったが、逃げることはしたくなかったので、決心して電話に出た。

「今日は、ごめんなさい。私のせいでシラけた感じになっちゃって」

「別にサッコのせいじゃないよ。久しぶりで、みんなのテンションが上がらなかったのかもね」

サッコは、何度も謝っていた。いつも陽気なサッコの知らない一面を知った。

「サッコ、気にするな。サッコが笑顔じゃないと、みんなが笑顔になれないからさ」

「カツ、どうしていつもそんなに優しいの?ある意味、罪深いのよ」

「ごめん」

克己は、何故か謝らないといけないような気がした。

「カツ、一つ聞いてもいい?」

「急に改まって、怖いよ」

「カツ、私のこと好き?」

いきなりの核心に、声が詰まった。

「もちろん」

「ひとりの女性として?友達として?」

克己は答えに悩んだ。でも、サッコが真剣に聞いているなら、真剣に答えるべきだと思った。

「サッコは、周りの人を元気にする明るさがあるし、美人だし、可愛いし、おっぱい大きいし、いろんな服が似合うし、魅力がいっぱいある女性だと思ってるよ。ただ、僕の中に忘れられない女性がいて、今もその人を追いかけているから、だから今は友達としてしか考えられない」

しばらく無言の後、電話の中からすすり泣く声が聞こえる。

「ありがとう。やっぱりカツは、優しい罪な奴だった。その人は、捕まえられそう?」

「わからない。今、探してる。でも必ず見つけ出すつもりだよ」

「カツ、頑張れ。私は友達として応援するよ」

「ありがとう」

「カツ、私のおっぱい見てたのね」

「ごめんなさい」

最後は明るい声で、またねっと言ってサッコの電話が切れた。


「カナ、ちょっといいかな」

帰り際の歩道でカナに、タツが声をかけた。

向き合ったカナの目をじっと見つめ、タツは真剣な顔で話し出した。

「僕、カナのことが好きだ。付き合ってください」

タツは街中であることも気にせず、深々と頭を下げた。タツの一世一代の告白だった。

カナは突然の告白に、戸惑っている。

「いきなり、ごめん。でも、初めて会った時からカナのことが好きだった」

「ありがとう。タツの気持ちは嬉しいわ」

「ホント?」タツの顔が綻んだ。

「でも、タツとは、お付き合いできない」

タツの顔が一転険しくなる。

「やっぱりカナは、カツが好きなの?」

下を向いていたカナが、顔を上げた。

「タツがちゃんと告白してくれたから、私もちゃんとお話しするね。私は、カツが好き。でも、今のカツの心の中には初恋の女の子がいて、私のことは見えていないの。だから私、カツの初恋がどうなるか見届けるまで、待つことにした。私にとって、カツは初恋だから」

タツの目から一筋の涙が流れた。

「僕は、カツじゃなくて、カナを応援する」

「タツ、こんな私を好きになってくれて、ありがとう」

カナはタツの手を握って、感謝を伝えた。


毎週水曜日にコーヒー店で集う四人のお城を巡る会は、消滅した。

進行役のサッコが参加しなくなり、まとまりがなくなってしまったからだ。

それでも、克己とタツの仲に変わりはなく、大学の構内では行動を共にしていた。

タツは、カナに告白して撃沈したことを克己に伝えたが、カナの克己への気持ちは伝えなかった。

タツから克己に伝えることをカナは望んでいないと思ったし、余計なことをしている気がしたからだ。

カナと会う機会も、少なくなっていた。


美奈子の消息が分からないまま、季節は変わり、ニ年の月日が流れていった。

噂では、サッコに医学部の彼氏ができたらしい。

少しずつ春に近づく季節、克己の元に一通のハガキが届いた。

中学校一年の時の同窓会の知らせだった。

当時の担任が定年退職となり、同時に還暦のお祝いをするらしい。克己たちの世代が二十歳を超え、お酒を飲めるようになったので、同窓会を地元の居酒屋で開催することになった。

中学の卒業とともに引っ越しをした克己は、当時の友達で現在も付き合っている人間はいなかったが、何人かと年賀状のやり取りをしていたので、連絡が取れるようになっていた。

久しぶりに当時の友達に会ってみたいと思い、克己は参加希望にマルを書いて、返信のハガキを投函した。

桜が満開の3月末、北千住の居酒屋で同窓会が開かれた。

克己が開始時間前にお店に入っていくと、すでに来ていた同級生から声をかけられた。

風貌が変わりすぐにわからない同級生もいたが、ほとんどの同級生は面影があり、会えばすぐに笑顔が溢れた。

開始時間ちょうどに担任の桑原先生が姿を見せ、同窓会が一気に盛り上がった。

先生からの挨拶で始まり、三十人近い同級生で乾杯をした。

中学校の卒業で引っ越してしまった克己には、それ以来の再会となったため、多くの同窓生が声をかけてくれた。

同窓会が始まって一時間が過ぎた頃、島村雅子が克己に話かけてきた。

「赤坂くん、元気だった?」

隣に座り、コップにビールを注いでくれた。

「マチャコ?懐かしいな」

島村雅子の当時のあだ名で呼んだ。

雅子の名前の発音を崩したような呼び方だった。

「そういえば、美奈子に会った?」

「えっ、いつの話?」

島村は、宙を見つめて考えていた。

「赤坂くんが引っ越したすぐ後かな」

「美奈子、東京にいたの?」

「中学を卒業した頃だったと思うけど、東京に遊びに来てたみたいで、たまたま街でバッタリあったの」

夢の中で美奈子が言っていた通り、本当に克己に会いに来ていたんだ。

「美奈子、赤坂くんが引っ越したの知らなくて、引っ越し先を聞かれたんだけど、私も知らなかったから教えてあげられなかったの。男子なら知ってる人がいるんじゃないって話してたから、誰かに聞いて、会いに行ったのかなって思ってた」

「残念ながら、会いに来なかった」

「美奈子、元気かな?あの時、連絡先を聞いておけばよかった。そうしたら、今日会えたかもしれないしね」

「元気ならいいんだけど、どこにいるのかな?」

島村雅子から美奈子の話を聞いたことで、美奈子を探すことを諦めかけていた気持ちが、再び蘇ってきた。

最後は、桑原先生への花束贈呈と幹事の締めの言葉でお開きになった。

克己は中学時代の友達と別れ、懐かしい思い出と克己に会いに東京まで来たという美奈子の心情を考えていた。


その日の夜、克己の夢の中に美奈子が現れた。

「克己くん、克己くん」

何度も俺の名前を呼ぶ声の方を見ると、中学の制服を着た美奈子が立っていた。

満面の笑みで克己を見ている。

「早く、行こう」

美奈子の背後には、暗い色の海が白い波を押し寄せている。

「美奈子、どこに行くの?」

「せっかく海に来たんだから、海に入ろう」

「こんな寒い日に海に入ったら、風邪ひくよ」

「大丈夫だよ。足だけだもん。早く来て」

克己は美奈子の元に駆け寄った。

砂浜に足を取られながら一生懸命走ったが、まったく美奈子に近づけない。

「美奈子、先に行かないで。待ってよ」

克己は足がもつれて、無様な格好で転んだ。

顔を上げると、美奈子の姿はどこにもいなかった。

克己は海に向かって美奈子の名前を叫んだ。

360度周りを見渡し、ある建物を見つけた克己は、ある記憶を思い出した。

ここは、小学生の頃学校の遠足で来た水族館が近くにある海岸だ。

当時の遠足の休憩時間に、克己は美奈子の手を引いて砂浜を歩き、この海岸で見つけた綺麗な貝殻を美奈子にプレゼントした。

その時、克己は美奈子に言った言葉を思い出した。

「美奈子、大きくなったら、この貝殻より綺麗な宝石の指輪をプレゼントするから、俺のお嫁さんになって」

美奈子は喜んで、「うん」と答えた。

ここは、克己が美奈子に初めてプロポーズした記念の場所だった。

「克己くん」

呼ばれて我に返り後ろを振り向くと、中学生の美奈子が笑顔で立っていた。

「克己くん、思い出してくれて、ありがとう」

美奈子の右手には遠足の時にプレゼントした貝殻を持っていて、克己に向かって見せた。

「マチャコから聞いたよ。美奈子が僕に会いに来てくれたこと」

「私は、ウソつかないもん」

「俺だってウソつかないよ」

「だって、私の手紙読んでないってウソついたでしょ」

「ウソじゃないよ。犬のぬいぐるみを贈った頃から、美奈子の手紙が届かなくなったんだ」

美奈子は、首を傾げる。

「変だね。私が贈ったライオンのぬいぐるみは持ってる?」

今度は、克己が首を傾げる。

「ライオンのぬいぐるみ?何のこと」

「克己くんが犬のぬいぐるみをくれたから、私はライオンのぬいぐるみを贈ったの」

「それ本当?探してみる」

「手紙もライオンのぬいぐるみも、どこに行っちゃったんだろう?」

二人の間に沈黙が流れた。

「克己くん、もう私行かなきゃ」

「どこに?」

美奈子は海に向かって走り出した。

慌てて克己も後を追う。

しかし、美奈子の姿はどんどん遠ざかり、やがて海の向こう側に消えていった。

克己は美奈子の名前を叫びながら、必死で美奈子を追いかけた。泣きながら、何度も美奈子の名前を叫び続けた。

砂浜の傾斜に足を取られて転げ回った時、克己は突然目が覚めた。夢の記憶が鮮明に残っていた。

ベッドから起き上がった克己は、とりあえず家中を探し始めた。

ライオンのぬいぐるみが、この家の中にあるような気がした。

自分の部屋はもちろん、両親や祖母の部屋、納戸やテレビの裏まで、家中のあらゆる場所を探し廻ったが、見つからない。

思い過ごしだったのかと思った時、ふと、窓から外を見ると、家の外の古い物置が目に入った。

この家に引っ越してきた時、祖母から農具をしまってあるところだと聞かされ、物置の中に関心を持ったことがなかったが、祖母が箪笥の引き出しに鍵をしまっていた記憶があった。

何となく今だけはどうしても物置が気になり、この家に来て初めて物置を開けてみようと思った。

箪笥から物置の鍵を見つけ、物置の扉を開くと、乾いた土がこびり付いた農具の中に、比較的新しい有名デパートの紙袋を見つけた。

デパートの紙袋に手を伸ばし、ゆっくり紙袋を開くと、20cmくらいの白いライオンのぬいぐるみが入っていた。克己は、とうとうライオンのぬいぐるみを見つけた。

「美奈子、見つけたよ」

克己はぬいぐるみを胸に抱きしめ、泣きながら心の中で美奈子に謝った。


「母さん」

克己は、台所に立つ母親の後ろ姿に声をかけ、

振り向いた母親の前に、白いライオンのぬいぐるみを突き出した。

ライオンのぬいぐるみを見た母は、その場でしゃがみ込み、手で顔を覆って泣き出した。

「ごめん、克己」

母は泣きながら、涙のわけを話してくれた。

母さんは、克己と美奈子が文通をしていたことを当然知っていた。

ある日、福岡で起きた美奈子の両親の事件をニュースで知り、途轍もない衝撃を受けた。

その頃克己は、部活で毎日朝早くから夜遅くまで学校に行っていて、テレビのニュースや新聞を読むことがほとんどなかった。

それから届いた美奈子からの手紙は、克己に気づかれないように母がすべて処分していたのだ。

その後、茨城に引っ越し、しばらくは転居先に郵便が届いていたが、ライオンのぬいぐるみが届いた時、郵便局に転送をストップさせた。

手紙はゴミと一緒に処分したが、ぬいぐるみを捨てることを躊躇って、物置にしまっていたらしい。きっと、母の良心がそうさせたのだろう。

母が克己のために美奈子との交際を断とうとしたことは理解できるが、当時苦しんでいた美奈子の気持ちを考えると、母のしたことを許すことができなかった。

克己はスポーツバッグに服を詰め込み、そのまま家を出ることにした。

もうこの家には戻れないような気がした。

そして、今克己が頼れるのはタツしかいない。

克己は、タツに電話をした。

「どうした、同窓会で彼女でもできた?」

タツには中学校の同窓会に参加することを伝えてあったので、その報告だと思ったのだろう。

「タツ、申し訳ないけど、しばらく泊めてくれないか?」

「いいけど、何かあった?」

「タツ、落ち着いたら親友の君には、ちゃんと話をする」

僕の言葉に真剣味を感じ、タツも真面目に答えた。

「わかった。大したおもてなしはできないけど、親友の君を歓迎する」

「ありがとう」

克己は、母を心配させないように母のスマホにメールを送った。

「友達の家にしばらくお世話になります。心配しないでください」

メールを母に送ったあと、克己は美奈子を見つけ出すことで、母を許すことができるような気がした。

その後の克己は、スーパーのバイトを辞め、タツの紹介で同じファミレスでバイトを始めた。


毎日、学校とバイトに通いながら、美奈子の両親の事件から美奈子の消息を探し続けていた。

有力な情報がなくても、諦めずに探し続けることを克己は決心していた。

そのなある日、突然カナから電話が掛かってきた。

「カツくん、久しぶり。美奈子さんの写真預かったままで、ごめんなさい。今度の土曜日、よかったら会えないかな?」

「今度の土曜日は、バイトが入ってるから難しいんだけど」

「何とかならないかな?」

隣で様子を見ていたタツが、克己に言った。

「土曜、バイト代わってやるからさ、行ってこいよ」

克己はタツに両手を合わせて感謝の合図をして、カナに答えた。

「タツのお陰で、なんとかなりそうだよ」

「じゃあ、一緒に行って欲しい場所があるの。朝の9時、新宿の駅に来てほしいの」

克己は、了解した。

その日の夜、久々に美奈子の夢を見た。

いつもは、克己の名前を呼ばれて振り向くと、そこに美奈子がいることから始まるが、今回は俯瞰から見たことのない家を覗いていた。

「あなた、もう飲むのやめて」

「うるさい」

美奈子のお父さんとお母さんのやり取りを見ていた。

あまり美奈子のお父さんには会ったことがないが、美奈子のお母さんには何度も会っているので、すぐに気づいた。

お酒を飲むのをやめさせようとする美奈子の母親を、酔った父親が腕で振り払い、突き飛ばした。

突き飛ばされた母親が壁にぶつかって、激しい衝突音がした。

そこに美奈子が現れて、母親の様子を心配している。

父親の怒りの矛先が母親から美奈子に代わり、怒鳴っている。

「美奈子、お前は俺の娘じゃない。この家から出て行け、本当の父親の元へ帰れ」

父親の言葉を聞いた美奈子の母親は立ち上がり、泣き叫びながら父親に殴りかかる。

母親の攻撃を両手で防いだ父親が、反撃して母親の頬を平手で叩いた。

母親はまた、吹き飛ばされた。

酒に酔った父親は美奈子の前に立ち、「俺の娘じゃないのに、可愛い顔しやがって」と言い、

美奈子の身体を押さえつける。

父親の怒りの表情に怯えた美奈子は、身動きができず、暴力に身構えるように顔を伏せていた。そんな美奈子の服を、父親は力づくで破いた。

「キャー」と、美奈子が叫び声が響いた時、母親が後ろから父親に体当たりをした。父親がよろけて体勢を立て直すと、体当たりして転んだ母親に跨がり、母親の首に手をかけた。このままじゃ、美奈子のお母さんが死んじゃうと克己が思ったその時、父親の後ろから美奈子が体当たりをした。

父親は悲痛の叫び声をあげ、床にうつ伏せになったまま動かない。背中が大量の血で染まっていた。美奈子が包丁で、父親を刺したのだ。

母親が立ち上がり、包丁を持ったまま立ち尽くす美奈子を抱き抱えた。

二人は泣きながら、崩れるようにこの場に座り込んだ。

美奈子の手から包丁が落ち、呆然としていた。

その後、母親が冷静を取り戻し、美奈子に話しかけた。

「美奈子、お風呂で身体を洗いなさい。明日の朝、お母さんがお父さんを殺したと、警察に連絡しなさい。わかったわね」

美奈子は泣きながら首を振る。

「お母さん、お母さんはお父さんを殺してないもん、お父さんを殺したのは‥」

母親は美奈子の言葉を遮り、美奈子の両腕を掴んで、首を振る。

「ダメ、あなたには未来があるの。お母さんの言うことを聞いて、お母さんがお父さんを包丁で刺したと警察に言うのよ。いい?」

「お母さん」

母親は美奈子をもう一度強く抱きしめた。

克己は何も出来ずに、ただ見ていることしかできなかった。

声も出ず、身体も動かず、目だけがこの悲劇を見ている。

映画の終わりのように、暗い部屋が明るくなると、眩しい朝の日差しに包まれていた。

「美奈子、これは何なんだよ。僕に何を伝えようとしているの?こんな悲しみを僕はどうしたらいいのか、僕にはわからない」

あまりに辛すぎて、克己は号泣しながら朝を迎えることになった。


土曜日、新宿駅の改札でカナが待っていた。

「早いね」

「まだ、30分前。カツくんならこれくらいかなぁって思って」

カナから電車の切符を渡された。

乗車券と特急券があり、行き先は長野の松本だった。

「松本城でも行くの?」

おどけた克己を見て、カナが真剣に答えた。

「カツくん、美奈子さんに合わせてあげる」

思わぬ言葉に、克己は凍りついた。

「えっ、どういうこと?」

「詳しいことは、ここでは言えない。さぁ、行きましょう」

今までになく、カナがたくましく見えた。

特急列車に乗って、カナと二人で松本に向かった。

座席に着くと、カナは椅子にもたれ掛かり、目を閉じた。

克己は、恐る恐るカナに声をかけた。

「カナ、この状況を説明してくれないかな」

目を閉じたまま、カナが答える。

「カツくん、ごめん。私もまだ、心の整理が出来てないの。松本に着くまで待ってほしい」

克己もカナの隣で目を閉じて、椅子にもたれた。そのまま二人は一言も話さず、列車の揺れに、ただ身体を委ねていた。

松本に着くと、カナの後についてタクシーに乗り込んだ。

あるお寺でタクシーを降りると、カナは躊躇することもなく、お寺の中に入って行く。

克己はカナに問いかけることを諦め、黙って後をついて行った。

墓地の中を歩き進むカナが、一つのお墓の前で立ち止まった。

墓石には、「立花家」と書かれていた。

克己は沈黙を破り、カナに話しかけた。

「ここは、カナの家のお墓?」

カナはゆっくり頷き、話す。

「ここに美奈子が眠っている」

克己には、理解ができなかった。

思考回路がショートし、小学生の算数も解けないくらいにパニックになっていた。

カナが、すべての経緯を話し始めた。

「美奈子は、私の双子の姉。まだ幼児の頃、私の父と美奈子の母は離婚したの。双子の娘を一人ずつ引き取り、やがてそれぞれが再婚をした。母は、同じ会社に勤めていた田中さんと再婚して、もう一人女の子を産んで、家族四人で暮らしていたの。しかし、旦那さんが会社の仕事で重大なミスを犯して、福岡に左遷された。それから、旦那さんがおかしくなったみたい。一滴も飲まなかったお酒を飲むようになり、家族に暴力を振るうようになった。そんな時、母が旦那さんを包丁で刺殺する事件が起きた。旦那さんを殺して、母も自殺を図った。両親を失くした美奈子と妹は、一旦佐賀の施設にあずけられたんだけど、中学を卒業した頃、美奈子は妹を連れて行方不明になったの。それから数日後、神奈川県の海岸から美奈子の遺体が見つかった。一緒にいた妹は、海岸近くのファミレスに置き去りになっていて、警察に保護された。美奈子の死から母のことを調べた警察は、美奈子の本当の父親がいることを突き止め、立花の父に連絡をしたの。警察から連絡を受けた父は、美奈子の遺体を確認した。もっと早く福岡の事件のことを知っていれば美奈子を助けられたと、涙が止まらなかったと父は言っていた。

父は、母と美奈子の家族が福岡に引っ越したことを知らなかったの。だから、福岡の事件が母のことだと気付かなかった。父は、美奈子の遺体を引き取り、私たち家族にも話さず、火葬して、このお墓に美奈子の遺骨を納めたの。これで、私の説明は終わり」

今まで見た夢と、美奈子が克己に伝えたかったこと、すべて合点ができた。

克己にはカナの話で、疑問に思ったことを訊ねた。

「カナのお父さんは、どうして家族に内緒にして納骨したことを、カナに話してくれたの?」

カナは、カバンの中から一枚の写真を取り出して、克己に見せた。

「お父さんに、この写真を見せたの。そして、この写真の持ち主が、大学で知り合った赤坂克己くんだって話した。お父さんは、私に美奈子のことを話して、これを赤坂克己くんに渡してほしいって言った」

カナは、赤坂克己宛の美奈子の手紙を克己に渡した。

克己はその場で手紙を読み始めた。

すべての真実と克己に寄せる想いが綴られていた。手紙の最後に、「初恋は実らなかったけど、克己くんに会えてよかった。」と書いてあった。

克己は手紙を読み終えると、墓前で手を合わせ、呟いた。

「美奈子、初恋を探して、やっとここに辿り着いたよ」

その時、克己の頭の中で美奈子の声が聞こえた。

「克己くん、遅いよ。ずっと待ってたんだよ」

克己の閉じた目から、流れる涙が止まらなかった。













































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初恋さがし @LIONPANDA1991

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