ある程度の良識は欲しい。
ダンジョンと配信が組み合わさった世界観で、すごく強い主人公がバズるという話で、現実の配信者武勇伝?からの着想の現実をモジッたキャラの武勇伝?を5人以上ぶち込まれた時の、配信世界はそんな話まであるのかという驚きとともに、肖像権的に大丈夫?という疑問と、そのチャンネル内でのdisをカクヨムで掲載していいの?主人公の話を進めてよという要望をコメントで残してしまいました。
そういう系の現実の配信者を推察できる下げエピはどうなの?系のコメントは消されて、養護コメだけ残り、養護コメだけは見えるのでめっちゃ気持ち悪いコメント欄が残り、その後、その章は取り下げられました。
もともとそういう下衆い主人公や、考察的な話だったり、2,3個のエピソードだったり、前書きあり限定公開なら良かったかも知れませんが、そういう前提を作っていませんでした。面白い話だと感じても、アウトロー系は許容範囲が人それぞれにあるので、いろいろ考えて出したほうがいいと思います。
作者からの返信
コメントを頂きありがとうございます。
厚かましさについて、私の言葉が足りなかったと思います。
ごめんなさい。
私としては「この程度の作品を公開したら場を汚すのではないか」という遠慮をするのは止めましょうという趣旨で書いたのです。
酷いとか低レベルだとかという認識は読者側が判断するもので、@syun0810様の言われるとおり、これ、どうなの?という作品は目にすることがあります。
私としては話の筋が通ることの重要性を説いていますので、それを前提に作品が出来上がり、それを推敲の上で公開するという流れで書かれていれば、さほど酷い作品にはならないと考えているのですが。
推敲や誤字脱字の話はまだ公開しておりませんが、私なりの意見をいずれ公開いたします。
ライトノベルの場合、初動の三話が重要と言われておりますが、私自身ラブコメジャンルでその範囲でメインヒロインを全く出さない作品を公開しております。
ヒロインはどこに行ったと怒られそうな展開ですが、最終話付近で使うエピソードへのフラグため、登場させる余裕がなかったのです。
読者への配慮は当然必要です。
趣味の創作の場合は自己満足で大丈夫という部分がありますので、そのバランス取りは確かに難しいと思います。
「読まれなくても良いから書きたい」という作者の存在は中高年限定ではなく、アマチュア創作家全体の裾野を広げるという意味では良いのですが、モラルの問題となると対応が難しいのだろうと頂きましたコメントを読んで感じました。
このようなことについても、言及できるよう私も考えていきたいと思っております。
初めてのコメントを綴らせていただきます。
『厚かましさ』。いいですね。
歳を重ねるにつれ、自身の選択を補う責任力が培われると思います。
それは経験だったり、お金だったり、はたまた面貌に刻んだ皺の数だったり。
それらによる裏付けでこそ『厚かましさ』が生まれるーーいわば『厚かましさ』とは自分の中の『正義』を押し通す力の現れであるとも思います。
というのも、私も自作品を執筆する中で突き当たってしまうのです。
時には正解のないテーマにも、主人公には一つの解答を用意しなければなりません。
その解答を導き出すのは他でもない私自身であり、必ずしもそれは読者を満足させるものではないかもしれません。
そうした時、『厚かましさ』というものが活きるのだと思います。
これが私の考え、私の正義なんだ!と胸を張って言えるように。
作者からの返信
コメントを頂きありがとうございます。
『厚かましさ』も色々あると思いますが、プラットフォームを自作で埋めるのもいくつもある筋道を一つに絞るのもどちらも自らの考えを誰かに見た貰うという点では同じだろうと思います。
読者を傷付けるような選択でなければ、小説の場で通された我が儘こそが『個性』なのだろうとも思います。
日常生活の場で許されない尖った個性が許されるのが創作の場だと思えば、ひょっとしたら普段は無意識に抑えている自分が知らない自分の内面を知れるのかもしれません。
そう考えると創作とは自己を解放してくれる数少ない機会なのかも、というところに思い至りました。
案外、創作とは表現だけではなく内面にも大きな影響を与えるもの……だとしたら凄いことを作家達はしているのですね。
※直接コメントとは関係ありませんが、愛媛ゆかりの方でしょうか。
愛媛は柑橘好きの私には大変魅力溢れる土地です。
そろそろ愛媛特産の「紅マドンナ」の季節だと気付きました。