第12話 : 厚かましいことを許されるのが中高年の特権です

 こんな風に小説は自由で良いのだと書いていると、カクヨムであれ他の小説投稿サイトであれ、「作文程度の作品や駄作で場を汚すな」との意見は出てくるのだろうと思います。


 そんなことを気にしますか?


 テレビで大阪のおばちゃんが出てくる映像を見ていますと、凄く元気で、気さくに誰とでも話をしているように感じます。

 もちろんそういうテンプレ的イメージに相応しい方を選んで放送しているのでしょうが、ここで一つ疑問が湧きませんか。


 なぜおばちゃん(=中高年)なのだろうと。


 私としては、若い頃よりも多少厚かましく生きているのかなと感じるところはあります。

 若い頃は一人でデパートに行き、服を選ぶとなると店員があれこれ言うのを聞き、似合っているかどうかも分からずシャツやネクタイを買ってきた記憶があります。

 それが今になったら店員相手に「これは誰が見ても似合わないでしょ」くらいのことは平気で言えます。年齢と共に自分の意見を堂々と言えるようになってきていることを実感します。


 悪く言えば厚かましくなってきています。


 でも、そうしないと自分の希望は通らない。

 いや、服を買わない選択肢もあるだろうと言われそうですが、どうしても必要な時はあります。


 小説も同じ事、誰かに見られる、批評されるのは洋服選びと一緒です。


 人生経験を積んできた皆さんはその手の意見に動じず、自分を貫けば良いのです。

 もちろん読者を傷付けようなしてはいけない差別的発言や放送禁止用語的なものはあります。裏返せばそこに配慮さえすれば何を書いても自由なのです。


 自分が書いた駄作でプラットフォームの容量を使うのは申し訳ないなどと思わないことです。

 感想や星の数がどうのこうのではなく、PVが一つあれば誰かが読んでくれたという事実が大事です。それは自分の分身である小説という作品に興味を持ってくれたと理解すべき事なのです。


 好きの反対は無関心とは良く言ったもので、仮に批判的なコメントを頂いたとしてもそれは自分の作品に向き合ってくれた証拠だと思えば良いのです。

 それをバネに次作はどうすれば良いのかを考えるだけの話です。


 もちろんコメントに迎合する必要はありません。

 己を貫くか、指摘に対する反省から何かを変えていくのか。


 それを判断するのも立派な脳トレです。


 適度な厚かましさを持って文章を書き進める。

 中高年にこそ出来る素敵なことだと思いませんか。

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