第8話 : 日常の全てが小説の素材だと思いましょう

 小説を書いていると日常の風景を見る眼が変わってきます。

 ただ何となく見ていたものが「素材」や「題材」になるのです。


 食事の風景を考えてみましょう。

 自分なりの無意識なルーティンが存在する人は多いと思います。一口目は味噌汁とかですね。

 それでは家族ではない他人の食事を観察する事ってどの位ありますでしょうか。何を食べているかは気にしても食べ方や仕草まではあまり意識して見たことがない方が多いと思います。


 でも、食事のシーンを小説で書こうとすると、見る眼が変わっていきます。

 食べる品物はもちろん、食べる順番、一口の量、噛んだり飲み込んだりする時間……

 更にはその表情や食べる時の姿勢など、とにかくネタとして使えないかと観察するようになります。それが望ましいとか品のある行為などという話ではなく、見逃していた日常を意識して見るようになるのです。


 小さな子供は毎日が発見の連続で、それらの経験を経て成長していきます。

 大人も一緒で、発見があれば成長できるのです。

 発見するものは微々たるものかも知れませんが、それが見つかるかどうかはゼロと一ほどの違いがあります。

 それは日常に新しい刺激を生むことに他なりません。

 旅行のようなイベントがなくても日常には刺激が溢れていることに気が付けばしめたものです。


 テレビドラマなんかも見る眼が変わります。

 私は俳優もストーリーも関係なく、手許の動きや仕草を見るようにしています。

 演出家やプロデューサーが作品を売るために、つまり視聴者から受け入れられるためにさせている演技はどんなものか、それを小説に落とし込むとしたらどういうシーンでどう書くだろうか。


 今まで漠然と見て、ストーリーを追ってきた世界の見え方がまるで違うのです。


 もちろん、放送時間中にずっとこんなことばかり考えているわけではありません。

 それでも、気になるシーンはストーリー以外のことも細々こまごまと追いかけます。

 指の使い方一つで目から鱗が落ちるようなこともあります。



 人に読まれる文章を書くということは、読んで理解してもらえる文章を書くと言うことです。


 自分が見たシーンをスチル写真と捉え、文章を書いてみれば、それだけで四百字くらいは埋まるのではないでしょうか。

 そして、それをどこかのワンシーンで使ってやる位の気持ちでいれば、普段から頭を使う格好の訓練になるでしょう。


 書く素材はどこにでもあります。

 それを見つけ出すチャンスは誰にでも平等にあります。

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