第11話

 人影は体格からして男だった。グレーのカーゴパンツに青いジャンパーを着ており、千里に背を向けてあぐらをかき、ヘッドフォンを付けた状態で、棚の上に置かれたテレビのモニターに至近距離から凝視している様子であった。そこは八帖程度の洋室で、小さな木製のテーブルと椅子、簡素なクローゼットがあるが、目立つのは、至る所に立方体の段ボール箱が二段、三段と積まれている。千里が開かれた箱の中を見ると、クリアケースに入ったディスクが数十枚と入っている。そのうちのひとつを手に取ってみると、黒のマジックペンで年月日が記されていた。それを箱の上に置いた千里は、こいつはなにを見ているのかと、男の背後からモニターを覗いてみると、部屋の中で着替えている下着姿の若い女ふたりが映し出されていた。そこで感づいた千里は、男のしているヘッドフォンを無理やり剥ぎ取った。男は肩を跳ね上げ振り返り、目を丸くして、立っている千里に視線を向けた。

「だ、誰だ!あんた!なに勝手に入ってんだよ!」

黒く短い前髪を立ち上げた中年の男、萩迫はぎさこが驚きの声を上げた。千里が上着から警察手帳を取り出し開く。

「警察・・・」

萩迫は動揺を隠せないといった表情になった。

「あんた、このマンションの部屋、盗撮してるでしょ。あと盗聴も」

その盗聴した音声が、ヘッドフォンから大音量で漏れている。千里は萩迫を見下ろして言うと、段ボール箱を顎で指して語を継いだ。

「で、その映像をDVDにしてる。ほかの段ボールの中身も全部そうだとしら、ひとりで見るには数が多すぎる。もしかして、これをどっかに売ってんじゃないの?」

「それは・・、えー・・、その・・・」

萩迫が口ごもっていると、ヘッドフォンを放った千里が尋問さながらに述べる。

「あんたは管理人の立場利用して、管理会社からスペアキーを借りた。昔と違って、管理人はスペアキーを持てないからね。相手がいつ留守にするかも、あんたなら把握してるはず。タイミングを見計らって部屋に入り、カメラと盗聴器を仕掛けた。対象は主に女性。でしょ」

千里の推論はどうやら図星らしい。萩迫は焦りの色を見せてうつむき、後ろを向いた。

「まさか、こんなとこで盗撮犯と遭遇するなんて思わなかった」

意外とばかりに千里が口にする。萩迫は棚の上に置かれた筒状の文具入れに、ペーパーナイフが入っているのに気がついた。汚い心が一気に噴き出した萩迫は、ペーパーナイフを咄嗟に手に取ると、再び振り返った。だが、目の前にもうひとつ、ナイフの刃先が見えて動きが止まる。その距離わずか数センチ。少しでも振動が起きれば、右の眼球に突き刺さる。千里がいつの間にかしゃがみ込み、バタフライナイフを取り出して、刃の先端を向けていたのだ。

「その眼、潰してやろうか?」

千里が怪しく微笑む。寒気立った萩迫はナイフを落とし、両手を挙げた。

「すいません。もうやりません。カメラもすぐに撤去しますから、逮捕するのは勘弁してください」

唇を震わせて許しを請う萩迫に、千里が訊いた。

「借りたスペアキーは、マンションの住人全員分?」

「はい・・。いつ、どの部屋に女性が入居してもいいように、一応、全室分のキーを借りました」

「それ、まだ持ってる?」

「キー自体は返却しましたけど、複製したものならあります。万が一なにかあったときのために・・・」

随分と用意周到だなと千里は思ったが、かえって都合がいい。

「だったら、ちょっとお願いがあるんだけど」

千里の笑みは萩迫に恐怖を感じさせた。


 白手袋をはめた千里は、萩迫が複製した鍵を使い、柴谷の部屋のドアを開け、中に土足で踏み込んだ。誰もいないのを改めて確かめると、部屋中を物色した。この行為は違法だ。しかし千里にとって、知ったことではなかった。


 数十分後、部屋を出た千里はスマートフォンで電話をかけていた。相手は七節署の生活安全課だった。

「そう・・。そのマンションの管理人。至急、身柄確保して」

一度電話を切った千里は歩き始めると、滝石に連絡を取るべく、スマートフォンを操作して耳に当てた。

「滝石さん。そっちはどう?」

―今、布施が経営していた塾の辺りにいます。ちょっとですが、情報を得ることができました。

「ちょっとでもあれば十分」

千里は階段を下りながら語を継いだ。

「これから布施の自宅に行こうと思うんだけど、滝石さんも一緒に来る?」

―はい。お供します。ちょうど聞き込みも済みましたので。

「わかった。住所言うから、そこで合流しましょう」

滝石に住所を伝え、通話を終えた千里が、管理事務室の窓口にあるカウンターに鍵を置いたとき、パトカーが一台やってきた。正面玄関前に横付けして停まり、制服警官がふたり降りてくる。駆け寄ってきたその警官らに、千里は警察手帳を開いて見せた。ふたりは即座に敬礼する。

「この中。逃げられないようにしといたから」

千里は事務室を指差し告げると、さっさと歩いて行ってしまった。怪訝な顔で見送ったふたりが事務室のドアを開けてみると、まるで出迎えるかのように萩迫が現れた。一瞬ギョッとしたふたりが萩迫の手元を見ると、左手に手錠がかけられていた。そして、もう一方の輪はドアハンドルに繋がれている。制服姿のふたりを見た萩迫は、断念したかのように視線を下げた。この男は女の部屋を盗撮していた。しかも盗聴まで。同じ女として許せない。千里は容赦しなかった。


 榎本家のある住宅街から、十数キロ離れた場所にある別の住宅街の公園脇。滝石が覆面パトカーの前で千里を待っていると、そこへ、もう一台の覆面パトカーが走ってくる。滝石の車の後ろに停車し、運転席から千里が降りてきた。


 布施の自宅へ向かう途中、滝石は聞き込みの結果を千里に話した。冬美と蟹江の証言と、蟹江の証言を基に、当時、電気修理などを柴谷に依頼した家があったのか、周辺住民へ再度聴取したが、誰も依頼をしてはいなかった。そのあと、布施の学習塾があるビルを訪れてみると、すでに塾はなく、別のテナントが入っていた。ビル近くの喫茶店の店主が布施と交流があったと聞いたので伺ってみると、布施の逮捕後、それが報道された影響で生徒が激減し、経営が成り立たなくなった挙句、倒産したという。それから店主は、もうひとつ証言を加えた。十年前、事件が起こる数日前から、白いワゴン車が度々、喫茶店の前に停まっていた。そこは路上駐車禁止であるため、注意しようと店主が運転席を覗くと、男がひとり乗っていた。店主がその旨伝えると、男は不快な顔で走り去っていったという。しかし、常連客が同じワゴン車を、喫茶店から少し離れた場所に停めているのを見たと話していたので、ただ移動しただけらしい。それを聞いた滝石が、確認のために柴谷の写真を見せたところ、この男だと店主は供述した。そして滝石は、それらを踏まえたうえで、柴谷は榎本芽衣の行動を監視していたのではないかと、千里に推測を述べた。


 滝石の話を聞いた千里がポツリと言った。

「チャンスを狙ってたのかも・・・」

どこか断定的な口調であった。


 千里と滝石は呆然と立っていた。布施の自宅であるはずの戸建てはなく、更地になっていたのだ。≪売地≫と書かれた看板がひとつ立っており、雑草が点々と生い茂っている。

「隣の人に話を訊いてみましょう」

滝石は隣家を訪ねようとそこへ向かった。千里が更地を見つめていると、滝石が少し声を上げて呼びかけてきた。

「緋波さん!」

千里が見ると、滝石が早い動きで手招きしている。千里が滝石のもとへと行く。そこは、瓦屋根に引き戸の玄関、昔から住んでいるのであろうと思わせる外観の民家だった。

「どうしたの?」

千里が訊くと、滝石が表札を指差した。その表札には≪椎名≫とあった。

「椎名・・・」

呟いた千里は、滝石と顔を見合わせた。以前、千里がウェブカメラの向きを変えたとき、一番に声をかけた捜査一課の刑事、椎名剛の顔が浮かぶ。まさかと思いながらも、滝石は呼び鈴を押した。


 迎え入れたのは、椎名幸穂ゆきほという高齢層の女だった。玄関の土間で滝石が訊ねる。

「お隣は、布施信利さんのお宅だったんでしょうか?」

「はい」

幸穂はゆっくりと返した。千里は滝石の後ろで引き戸に背を預け、話を聞いている。

「どこかに越されたんですか?」

滝石は続けて問うた。

「ええ。奥さんが過労で亡くなられたあと、息子さんが土地を売って引っ越されたんです」

「過労・・。それは・・、布施さんの事件が関係してるんでしょうか?」

言いづらそうに滝石は口にした。

「おそらく。奥さんはご主人を亡くされてから、小学生だった息子さんを女手ひとつで育てていました。仕事を掛け持ちして、なんとか息子さんを大学まで進学させました。ご主人が経営していた塾の倒産で、かなりの借金もあったみたいですが、息子さんも高校生からアルバイトをして家計を助けたおかげで完済したそうです。でも、疲労が重なったのでしょう。一年前に脳出血で・・・」

沈痛な面持ちの幸穂は語を継ぐ。

「布施さんは無実ですよ。世間がなんと言おうが、私はそう信じています」

「なぜ、そう思われるんです?」

滝石が訊くと、幸穂は訴えかけるように答えた。

「あの人は教師以上に教育熱心で、理由があって学校にいけない子にも、積極的に勉強を教えていました。子どもの将来をちゃんと考えているんです。奥さんや息子さんにも優しかった。そんな人が、不純な気持ちで女の子に手をかけるなんて、あり得ません」

あくまで幸穂の主張だ。明白な確証はない。だが、その言葉には信憑性が感じられた。少しの間、場が静まり返る。やがて、滝石が問いかけた。

「息子さんがどこに越されたか、ご存じですか?」

「どこかはわかりませんけど、連絡先なら聞いています。それを書いたメモがあるので、少々お待ちください」

幸穂がメモを取りに奥へと入っていく。すると、千里が口を開いた。

「一連の事件の犯人は、布施の遺族か、その関係者の犯行かもしれない」

「遺族って、布施の息子ってことですか?」

滝石が振り返って訊いた。

「まだなんとも言えないけど、そう考えれば辻褄が合う。動機の点では」

千里の脳内では、ロジックが組み上がっていきつつあった。そのとき、幸穂がメモ用紙を手に戻ってきた。

「こちらになります」

幸穂が用紙を差し出した。千里は身を乗り出し、その番号を見た。記されていたのは固定電話の番号だった。滝石は手帳に書き留めながら質問した。

「ちなみに、布施さんの奥さんと息子さんのお名前はご存じですか?」

「ええ。奥さんは柚乃ゆずのさん、息子さんはとおる君とおっしゃっていました」

滝石は続けざまに、気になっていたことをそれとなく問うた。

「つかぬことをお聞きしますが、椎名さんはお子さんっていらっしゃいますか?」

「はい。息子がひとり。おふたりと同じで警察官です」

今度は千里が問いかける。

「ひょっとして、下の名前は“剛”?」

「はい・・。息子をご存じなんですか?」

ふと頭をよぎった「まさか」は本当だった。キョトンとした様子の幸穂に、千里が素っ気なく答える。

「よくは知らないけど、まあ、部署が同じだから」

千里の言葉を聞いて、幸穂はやや驚きの色を示した。

「そうでしたか。剛がいつもお世話になっております」

かしこまった幸穂は深々と頭を下げた。こんなことは久しぶりの千里は、どう返していいかわからず当惑した。そんな千里を察してか、滝石が代わりに述べた。

「いえいえ。お世話になってるのはこっちのほうですから」

如才じょさいなく応じる滝石に対し、幸穂の温厚な表情を見た千里の胸中は、煩わしいほどに交錯していた。

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