第10話

 諸星は腹をくくったように答えた。

「布施を逮捕、送検したのは綿矢警視正なんです」

「なに!?」

高円寺は我が目を疑った。

「警視正は当時、捜査一課の係長で、その事件を担当していました」

諸星が事由を述べると、高円寺が問いかけた。

「管理官には、このこと言ったのか?」

「はい。少し前に。電話で進捗状況を訊かれたので、ついでに報告しました」

「なんて言ってた?」

「いえ、特にはなにも」

「なにも?もっと詳しく訊かなかったのか?」

問い詰める高円寺に、諸星が困り顔で答える。

「僕だと、ちょっと・・・」

どうやら諸星は、綿矢に物怖じしている様子だった。

「わかった。それは俺から訊こう」

そう言うと高円寺は会議を続行した。しかし、捜査を進展させる報告は上がってこなかった。


 捜査会議が終わりに近づく頃、高円寺が指示を出した。

「諸星、柿田組は柴谷の身辺を洗うんだ。少しでもおかしな点があれば報告するように」

そのとき、輪島が手を挙げた。

「高円寺係長」

「輪島君、なんだ?」

起立した輪島は高円寺に訊いた。

「十年前の事件、再捜査という形になるのでしょうか?」

高円寺が難しい表情になる。

「こっちの独断で再捜査はできない。まずは管理官にお伺いを立てないと。だから今は、そうなった場合に備えて最低限のことはするつもりだ」

そう答えた高円寺は捜査員らに命じた。

「残りは通常捜査。これから各自、明日の担当を知らせる」

高円寺が担当を振り分けているなか、千里が隣の滝石に声をかけた。

「で、話ってなに?」

「はい。さっき聞いたんですが・・・」

滝石は茉莉から耳にしたことをそのまま伝えた。

「緋波、滝石組は署で待機」

高円寺の声が響く。その声を聞き流した千里は、滝石の話を聞いて言った。

「そいつの見当ならついてる」

やや驚いた様子で滝石が返す。

「え?誰かわかったんですか?」

「不審な動きしてる奴がひとりいた。でも、そっちはあとで」

千里が席を立つと、滝石がもうひとつ告げた。

「緋波さん、会議で出てきた事件のことなんですけど・・、自分、もう知ってるんですよね」


 会議が終わって数分後、千里は長机の上にタブレットを立てかけ、最後尾の席に腰掛けた。隣には滝石が座っており、同じくタブレットを置いている。実を言えば、千里と滝石にとって、十年前に起きた例の事件は既知の事実であった。千里は東京地検で供述調書を調べてもらった際に、第一と第二の被害者の名前が出てきた事件がそれであり、滝石は第三の被害者が記事を持ち込んでいた出版社のいくつかに聞き込みを行ったところ、当時、被害者が取材していたのがその事件であった。千里が事件について報告するつもりでいたかはわからないが、滝石は報せようとしていた。しかし、その前に諸星らが捜査本部で話したために、機を逃す形となったのだった。

「裁判になった事件じゃないかと思って地検で調べてもらったら、さっきの十年前の事件に突き当たった。最初の被害者、桑原俊克は当時大学生、布施の塾で講師のバイトしてた。あと第二の被害者、足立邦子はその塾の生徒だった。ふたりとも布施にとって不利になる証言をしてる。それがこのデータ」

千里はタブレットの画面を滝石に見せた。東京地検の供述調書だった。十年前、警察に布施のことを悪く言っていたのは、このふたりであったのだ。

「こっちも収穫がありました」

滝石はタブレットを操作すると、千里に画面を向ける。そこには、雑誌の記事が表示されていた。≪ロリコン塾長の性癖≫と見出しが載っている。

「竹林さんは布施をまるで変質者みたいに書いています。出版社の担当の方に訊きましたら、特にそういう人だという証拠もないのに、警察の情報だけを基にして記事にしたそうです。担当の方も竹林さんの実績を信頼してか、誌面を埋めるためもあって、やむなく掲載したと。その記事には本人だけじゃなく、布施の家族についても触れています。さすがに名前までは出してませんが。あと当時、テレビのワイドショーでも、事件や布施について取材した話をしていたそうです」

説明をした滝石が語を継ぐ。

「この事件の被害者が十年前の事件に関わっていた。これって偶然じゃないですよね?」

「ええ。犯人が出したヒントの事件はこれね」

千里は確信を得た様子であった。

「でも、柴谷さんの名前は出てませんよ。本当に関係してるんでしょうか?」

滝石の質問に、千里はタブレットを手に取って答えた。

「犯人は十年前の事件を再捜査させようとしてる。もしかしたら、布施じゃないのかもしれない」

「じゃあ、当時の事件の犯人は柴谷さんだと?問題にあった“罪”ってそういうことなんですか?」

千里は首を傾げた。

「どうかな。それはこれから調べる」

そう言うと、千里はまたも滝石に申し入れをした。

「滝石さんにちょっとやってほしいことがあって。ひとりじゃ大変だし、手がかりが摑めるかわかんないことなんだけど」

手を両膝に置いた滝石は、意気盛んな目つきになった。このままジッとしているのは性に合わない。

「いいですよ。なんですか?」


 数分後、会議室では千里がひとり、タブレットから十年前の事件の捜査資料を表示させ、それを読み込んでいた。すると、気になる点を発見し、席を立った。


 翌日、七節町内にある戸建て住宅。滝石は榎本家を訪れていた。膝を正し、仏壇の位牌に手を合わせている。置かれた遺影には、芽衣が無垢な笑顔を見せていた。後ろには、母親の実緒みおが正座をして、暗い面持ちでいる。父親の嵩史たかふみは仕事で留守にしていた。

「お聞きしたいことがあるとおっしゃっていましたが、なんでしょうか?」

実緒が問いかけると、振り返った滝石は早速、聴取に入った。

「娘さんの事件が起こる前、この付近で不審な人物は見かけませんでしたでしょうか?」

「いえ。見ておりません」

「なにか変わったことなどは?」

「ありません」

さらに滝石は続けた。

「では、柴谷功吉という男性の名に心当たりは?」

「柴谷・・っていうと、近所にある電気屋さんの名前と一緒ですね」

滝石が実緒に向かって軽く指を差す。

「そこです。その店のご主人と面識はありますか?」

上着からスマートフォンを取り出した滝石は、捜査本部から取り寄せた柴谷の顔写真を実緒に見せた。

「この人なんですが・・・」

実緒が写真画像に目を凝らすと、首を振った。

「ありません。お店は見たことありますけど、中に入ったことはないので。お店の方が誰かも知りませんでした」

答えた実緒は、言葉を重ねた。

「なぜ今になってそんなことを?」

「詳しくは申せませんが、事件をもう一度調べ直す必要が出てきまして」

滝石の遠回しな言い方に、実緒は疑念を抱いた。

「どういう意味です?もう犯人は捕まったんですよね?」

「はい」

「なら、なぜです?その柴谷って人が、事件となにか関係してるんですか?」

「すみません。これ以上は話せないんです」

事情は明かせない。滝石が憂い顔で答えると、実緒は哀感に満ちた様子で言った。

「芽衣のことは決して忘れません。でも、事件のことは思い出したくないんです。話がそれだけでしたら、お引き取りください」


 榎本家を辞した滝石は、次に近隣を周った。千里に頼まれていたのは聞き込みであり、遺族に聴取したのも、その一環だった。千里は勝手に再捜査を始めたのだ。しかし、十年も前の出来事、事件自体は覚えていても、それ以外のことを覚えている者はいなかった。けれども滝石は、めげずに聞き込みを続けた。


 滝石は数軒目かの家を訪れた。玄関先に出た女、小池冬美こいけふゆみが答える。

「十年前っていうと、私が引っ越してきた時期ですから、あまりよく存じません」

「なんでもいいんです。気になったことなどはありませんか?」

食い下がる滝石に、冬美はしばらく考え込むと不意に思い出した。

「たしか・・、まだ引っ越す前。建ったばかりの家を下見に行ったときに、お向かいさんの家に車が駐車してあったんです。白のワゴンで、運転席にいた男の人があちらを見てました」

冬美が指した先は榎本宅であった。

「あっちを見てたんですね?」

滝石も指を差して訊いた。冬美がうなずく。

「はい。それで、引っ越してきた日にも、その車が同じ場所に駐車してあって。あのときは、誰も乗ってなかったですね」

冬美は過去を辿りながら続けた。

「最初、私はお向かいさんの車かと思ったんですけど、違うみたいでした」

「男の人って、この男性でしたか?」

滝石が柴谷の写真を見せる。冬美はおぼろげな口調で言った。

「さあ・・。私もずっと見てたわけじゃないので・・。ちょっと・・、わかりません・・・」

「いえ。貴重な証言、ありがとうございます」

滝石は丁寧に礼を述べた。


 次に滝石は、冬美の向かいにある住宅へと向かった。そこの住人は蟹江桔平かにえきっぺいという男であった。滝石が車について訊ねると、蟹江ははっきりと答えた。

「そりゃ柴谷さんとこの車だよ」

「柴谷功吉さんですか?電器店の?」

「ああ」

蟹江は柴谷のことを知っているようだ。

「ここに駐車されるのは、どういう訳で?」

「柴谷さんは電気修理も請け負っててね。この辺りで仕事のときは、いつも停めてんだよ。ウチも世話になってる。腕もいいし、礼儀正しいよ。あの人は」

柴谷を好意的に述べる蟹江に、滝石は聴取を進めた。

「十年前も駐車されていたそうですが、本当ですか?」

「そんなのいちいち覚えちゃいないよ」

と言いつつも、蟹江は思い出す態度を示し、やがて答えた。

「停める位置が違ってたかなあ・・・」

「位置、ですか?」

「いつもはもっと後ろ側に停めてんだよ。そこ」

蟹江が自宅のブロック塀沿いに敷かれたコンクリートの道を指した。

「当時、修理などをお願いしてたお宅ってわかりませんよね?」

滝石は訊いてみるが、予想通りの受け答えが返ってきた。

「わかんないよ。さすがにそこまでは」


 聴取を終えた滝石は、先ほど蟹江が指した場所に小走りで向かい、榎本宅が見えるか確かめてみる。その場所からでは外壁が障害となり、見ることができない。聞き込みから推測するに、もしかすると柴谷は榎本家を監視していたのではないか。そう脳裏をよぎった滝石は、訊ねる内容を変え、もう一度近隣への聞き込みを始めた。


 その頃、千里は柴谷の住むマンションにいた。<七節ブルーハイツ>という名の五階建てマンション。そこの二階のひとつが柴谷の部屋だった。玄関ドアの前に立ち、呼び鈴を鳴らすが応答がない。ドアハンドルを押し引きしても施錠されている。諸星の話によると、柴谷は仕事に復帰しているという。今の時間、店は営業中。店主が自宅にいないのは当然であった。しかし、それは千里にとって想定内であり、あくまで留守であることを確認するためだった。


 千里は一階の管理事務室に向かった。窓口はカーテンで閉め切られており、管理人がいるかわからない。呼び鈴を押したり、ガラスをノックして呼び出そうとするが、出てくる気配がない。ため息を吐いた千里は、仕方なく事務室のドアまで行き、拳で強めにノックした。しかし、なんの反応もない。苛立たし気にドアハンドルに手をかけてみると、そのドアが開いた。錠前は付いているので、おそらくかけ忘れたのだろう。中に入った千里は、三帖ほどの室内を見渡すが誰もいない。だが、奥でなにやら物音がしている。それが耳に入った千里が静かに歩みを進めると、そこに人影を見つけた。

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