第12話

 ふたりが覆面パトカーのもとへ戻ってくると、千里が滝石に言った。

「私はこれから柴谷に会いに行くけど、滝石さんはどうする?」

「もちろん同行しますよ」

無論とばかりに答えた滝石は千里に訊いた。

「ひょっとして緋波さん、柴谷さんを追及するつもりですか?」

「着いたら話す」

千里はそう言うと車に乗り込んだ。


 柴谷が経営する電器店、<シバタニデンキ>の駐車スペースに、白いワゴン車が一台停まった。バック駐車し、作業着姿で運転席から降りた店主の柴谷が、最後部のドアへ向かおうとすると、正面に千里と滝石が現れた。

「どちら様?」

訊ねた柴谷に、滝石が警察手帳を提示する。

「警察です」

「私を監禁した人が捕まったんですか?」

その報告かと思った柴谷は、ワゴン車のバックドアを開く。

「違います」

滝石が言うと、柴谷は脚立や工具が入ったツールボックスなどを整理しながら、訝しげに訊いた。

「じゃあ、なんの用で?」

「十年前、この近所に住む小学生の女の子が殺害された事件がありました。柴谷さんはご存じですか?」

問いかける滝石に、柴谷は作業を進めつつさらりと答えた。

「そんなのあったかな。十年も前のことなんて覚えてませんよ」

柴谷がふたりに背を向けていると、千里が口を開いた。

「この子、見覚えある?」

滝石は一枚の写真をかざした。それは榎本芽衣の顔写真であった。母親の実緒から借り受けたのだ。柴谷はそれをチラと一瞥する。

「ありません」

そう答えた柴谷は、すぐに作業を再開した。

「もっとよく見て。ほんとに知らない?」

千里はもう一度訊いた。ため息を吐いた柴谷は、再度写真に視線を向けると、ぞんざいに返した。

「知りませんよ」

「ほんとにほんと?」

「はい」

「ほんとね?」

同じ質問を繰り返す千里を鬱陶うっとうしいと感じたのか、柴谷はつい腹が立ってしまう。

「しつこいな!だから知らないって言ってるじゃないですか!」

気色ばんだ様子の柴谷に、千里は上着からある物を取り出して示した。

「だったら、これは?」

千里が手にしているのは、透明ビニールの証拠品袋だった。中にはハンカチが一枚、四つ折りにした状態で入っている。白い花の刺繍に青いレースが施された水色のハンカチだった。それを見た柴谷は目を見開き、声を上げた。

「あんた、私の家に勝手に入ったのか!?」

千里が微笑を浮かべる。

「認めたわね。これがお前の部屋にあったってこと」

途端に柴谷の表情に動揺の色が現れ始めた。千里が問いただす。

「これ、見た感じ女物よね。独身のお前の部屋になんであんの?」

柴谷は言い訳めいたことを口にした。

「もらったんですよ。男が女物持ってようと構わないでしょう。ダメなんですか?」

「べつにいいけど、問題はここ」

千里は証拠品袋を裏返した。ハンカチには筆記体で≪Mei.E≫と刺繍があしらわれていた。

「これ、榎本芽衣の私物でしょ。十年前の事件のとき、母親が供述してた。いつも持ち歩いているハンカチがなかった。娘の部屋を探しても見当たらなかったって」

それは捜査資料から得た情報であった。証拠品袋を上着にしまった千里は続けた。

「お前、相当好きみたいね。小さい女の子が。部屋ん中、その手のDVDや写真集でいっぱいだったわよ。でも、被害者の榎本芽衣、彼女への思い入れは強かった。ハンカチを十年間も大事に持ってたってことは、そんなに好みだった?」

黒目を泳がし、黙っている柴谷に、千里が言い放つ。

「榎本芽衣を殺したのはお前じゃないの?」

千里は鋭い目で語を継ぐ。

「お前は彼女を監視して行動パターンを摑んだ。そして、彼女がひとりになったのを狙って拉致した。淫行目的のために。でも拒絶され、好意が一瞬だけ殺意に変わったお前は、彼女を殺した」

その発言に、柴谷は狼狽しつつも異議を唱えた。

「わ、私を犯人扱いするなんて心外です。せ、説明してください」

千里はそれを受けて、今まで知り得た情報と捜査資料の情報を踏まえ、自らの推論を述べ始めた。

「遺体遺棄現場に、真新しいタイヤ痕が残ってた。けど当時の警察は、犯人が被害者を現場に誘い込んだって決めつけてたから、それほど重要視されなかった。お前の下足痕が見つかってないとなると、目撃者の証言から考えて、お前はこの車で彼女を拉致し、現場まで連れてきた。麻酔薬でも使っておとなしくさせたんでしょうね。そして後部座席に乗せた。行為に及ぶんなら、そっちのほうが自然よ。でも、そうしようとした矢先に彼女は目を覚まし、結果、殺した。つまり、実際の犯行場所はこの車内、後部座席ってこと」

ワゴンの車体を平手で軽く叩いた千里は、言葉を重ねる。

「私の考えだと、お前は多分、彼女を拉致してから殺すまで一度も車を降りてない。後部座席へは運転席から直接、車内を移動した。自分だと示す証拠を外に残さないために、全部その車内で済ませようした。もちろん手袋もして。ほんとはじかに触りたかったんでしょうけど、あとんなって調べられたら都合悪いからね」

千里は柴谷を見据えながら続けた。

「彼女の死亡推定時刻と布施のスマホの発信記録から考えると、殺した直後、彼女のスマホに布施から電話がかかってきた。お前は彼に罪を着せようと思いつき、父親をかたって現場に呼んだ。警察に通報したのもお前。布施に疑いがかかりやすいように。そして、それまでの間、お前は急いで彼女の靴を履いて、プレハブ小屋に入り、ハンカチを除いた遺留品を捨て、下足痕を残した。そのあと、靴をまた彼女に履かせ、車内から遺体を放り投げて遺棄した。現に、彼女の下足痕はつま先から半分しか検出されてないし、彼女が履いてた靴のかかとが潰れてた。子どもの力じゃ、あんな潰れ方はしない。サイズが合わなかったせいね。当然だけど。で、現場から逃走し、布施や警察が来る様子をどこかで見ていた。運よくことが運んで安心したでしょ」

柴谷は千里を指差し抗弁する。

「全部、あんたの憶測じゃないか」

千里は腕を組み、ひと言返した。

「まだある」

そして、さらなる推論を立てる。

「遺体の指先に微量の“あか”が付着してた。もちろんDNAも採取してある。被害者でも布施のものでもない。前科者に該当する奴もいなかった。彼女は死ぬまでの間、激しく抵抗してるはず。そうなると、犯人の皮膚にも触ってる可能性が高い。そのときにったかして付いたのね。けど警察は、犯人が布施であるという線が濃厚になってきたことで、そっちに目が行って、それ以上調べようとしなかった」

千里は微笑んで柴谷に訊いた。

「そのDNA。お前のものと照合してみる?」

初めて耳にした事実に、柴谷の顔色は青ざめていき、閉口してしまう。そんな様子を見た千里は語を継いだ。

「お前は榎本芽衣を知らないと言い張った。でも、さっきのハンカチには彼女の指紋が付いてるはず。それと、垢のDNAがお前のものと一致すれば、お前と彼女に接点があったことが明確になる」

黙る柴谷に、千里が眉間を寄せて詰問する。

「こっちは徹底的に調べるわよ。どうすんの?」

滝石が落ち着いた態度で言葉を継ぐ。

「柴谷さん、こちらはあなたを参考人に加えたうえで、本格的に再捜査を行おうと考えています」

それが決定打となったのか、肩を落とした柴谷は虚ろな目となり声を発した。

「しょうがないじゃないか・・。可愛かったんだから・・・」

「え?」

滝石が訊き返すと、柴谷はふたりに視線を向けた。

「あの子が可愛いのがいけなかったんだよ!」

まるで正当化するように吐いた柴谷は、千里を顎で指すと続けた。

「そうだよ。あんたの言うとおりだ。布施って男は全然関係ない。でも、ひとつ勘違いしてる。淫行が目的じゃない。ただ、抱きしめたかっただけなんだ」

千里が険しい表情で言った。

「同じようなもんでしょ」

ふたりが軽蔑の意を示すなか、柴谷は視線を下げ、おもむろに自供を始めた。

「最初は予定通りに行ってたんだ。でも、抱こうとして私が近づいたら、急に意識を戻して騒ぎ出した。黙らせようとしたけど、暴れながら私のことを罵倒するから、なんかイライラして、カッとなってしまって。前に廃品で回収したコードであの子の首を・・・」

それから少し沈黙すると、呟いた。

「よかったこともあるよ・・。あの子に口づけできたからね・・・」

滝石は目を見張り、嘘だと思いつつ訊いた。

「あなた、まさか遺体にキスしたんですか!?」

柴谷は千里と滝石を見ると、気持ち悪い笑みを浮かべた。ふたりはおぞましいほどの不快感を覚えた。

「柴谷功吉。お前を殺人容疑で緊急逮捕する」

千里はそう告げると、滝石に言った。

「今私、手錠持ってないから、滝石さんがやって」

「は、はい」

滝石が腰のケースから手錠を取り出そうとした瞬間、柴谷が外へと駆け出した。逃走を図ったのだ。

「待て!」

滝石が声を上げて後を追いかける。千里も走ってついて行く。柴谷が角を曲がって姿が見えなくなったとき、突然、衝突音と急ブレーキの音が同時に響き渡った。そこへ向かったふたりが目の当たりにしたのは、大型トラックの前でうつ伏せに倒れている柴谷であった。滝石が駆け寄ると、トラックの運転手が慌てて降りてきた。

「この人が急に飛び出してきて・・・」

どうやら柴谷は轢かれたようだ。運転手は不意の出来事に混乱している様子である。滝石がしゃがんで柴谷の容態を見る。出血はしていないが、意識がないようで、何度呼びかけても応答がない。滝石は救急通報のために上着からスマートフォンを出した。それを千里は、厳しい表情で遠目に眺めていた。


 柴谷は病院に搬送され、ふたりは同行することとなった。なんとか一命は取り留めたものの、重度の脳損傷のために意識は戻らず、医師の診断では遷延性せんえんせい意識障害。つまり、植物状態となってしまっていた。柴谷から自白は引き出せた。しかし、それを聞いているのは千里と滝石だけ。いつ回復するかはわからないが、そのまま真犯人を放っておくわけにはいかない。ここは正式に再捜査を求めようと、ふたりは改めてそう考えた。だが、まずは現在起きている事件を解決しなければならない。


 千里と滝石が七節署に戻ってくると、塀の向こう側で、カメラやスマートフォンのレンズを警察署に向けている大衆がいた。おおかた、クイズ配信の件がネット上で広まったことで興味本位にやって来ているのだろう。制服の警察官が注意を促しているが、馬耳東風と言った様子だ。それらを横目にふたりは署の中に入っていった。


 七節署の廊下を、捜査一課の椎名が歩いている。すると、眼前に滝石が立ちはだかった。何事かと戸惑う椎名に、後ろから声がかかった。

「椎名」

振り向くと、そこには千里が立っている。ちょうど挟み撃ちになる形になった椎名に向かって、ふたりがじりじりと近づいてきた。

「ちょっと話があるんだけど」

千里は謎の微笑みで言った。


 千里と滝石、そして椎名の三人は取調室にいた。

「なんで俺がここに座んなきゃいけないんだよ」

椎名が不満を垂れた。本来、被疑者や参考人などが腰を下ろす席にいたからだ。向かい側の席には千里がおり、隣で滝石が立っている。

「捜査本部に詰めてる関係者全員のスマホの通話履歴を調べてもらった。そしたら、発信者不明の番号に何度も出てる奴がいた。椎名、あんたよ」

千里が切り出し、語を継ぐ。

「それにもうひとつ。あんたは担当の係でもないのに、上司に直訴して捜査本部に入れてもらったそうね」

諸星からの情報だった。千里が訊く。

「ねえ、誰と話してたの?」

椎名は抗する意を示した。

「答える必要ないだろ」

千里は口角を上げて言った。

「答えられない相手ってわけ?」

椎名は視線を逸らし、口を結んでいる。千里は続けて訊いた。

「もしかして、犯人と話してたんじゃないの?業火の道化師って奴と」

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