第39話 増税クソメガネ

「まったく。兄弟同士、仲良くしないか」



 呆れたように言ってからワインを飲むのは、浜部利之助はまべりのすけ、数緒の父であった。


 グレーのスーツに紺のネクタイ。銀縁のメガネがよく似合っており、ビジネス雑誌から出てきたのではないかと思われる身のこなしの利之助は、現職の国会議員である。


 場所は来賓館。彼は、数緒に会うために訪れていた。既に数緒は生徒会長を辞職しているのだが、利之助の権力をもってすれば来賓館のレストランくらい簡単に予約できる。数緒の最も尊敬する大人であり、目標とする人だ。ただ、利之助は肉料理が嫌いなので、一緒に食事をする際は魚メインのコースとなり、それだけが嫌だった。

 


「すいません。文吾はうちの家系では珍しくまっすぐなので、ついからかいたくなるんです」


「文吾も文吾で困ったものだが、おまえもまだまだ子供だな。仕事と遊びはきっちりと分けろ」


「そうですね。気を付けます」



 数緒は鯛のポワレにナイフを入れつつ、利之助の言葉を素直に聞く。実際のところ、文吾がここまですると事前に予想することは不可能だっただろうが、煽り過ぎたことは事実だと反省している。


 まぁ、とりあえず、と利之助はグラスを数緒の方に向けた。



おめでとう」



 ふふ、と思わず笑って、数緒は自分のグラスを父のグラスに当てた。父に習って、赤ワインを口に含む。酒類は学園内では控えているが、父が来たときは別だ。ただ、渋くて、アルコール臭がきつい。これが美味しいと感じるには、もう少し慣れないといけないだろう。政治家たるもの酒を飲めないと、という千恵美の言葉を思い出す。彼女の言うことをまじめに聞いて、少しくらい酒に付き合ってあげるべきだったと数緒はいささか後悔した。



「ありがとうございます」


「あざやかなものだったな。恋愛税を目くらましにして、スマホ付属機器破損の保険料増率を議論なく通した」


「文吾が思った以上に盛り上げてくれましたからね。もう少し反抗があるかと思っていましたが」



 スマホ付属機器破損の保険料。正式には、電子端末に付属する機器破損における保険料改正に関する校則案。スマホの付属機器、たとえばスマートウォッチ、それからスマートグラス、これらの破損した際の保険である。


 今回の生徒総会では、恋愛税の裏で、その保険料の改正案を提出し、そして可決していた。改正内容は二つ。保険料の像率、それから、スマホ付属機器所有者の保険加入の義務付け。


 つまり、数緒は増税を達成していたのだ。



「不思議なものです。


「政治家になるならば、人がどれだけバカかを認識する必要がある。多くは説明文を読めない。タイトルからしか物事を認識できないんだ。だから内容ではなく、名前こそが大事なんだよ」


「なるほど」


「だが、いささか軽率けいそつだったな。世間では、保険料は既に税金の一種だという認識が生まれつつある。もっと名前を工夫すべきだった。たとえば、支援金、賦課金、協力金とかな」


「はは、さすがにそれは露骨じゃないですか?」


「案外、名前さえ変えておけばバレないものだ。不祥事を起こしたときに、社名や党名を変えるだろ。あれだけで十分なんだよ。人はそれだけで同じものと認識できなくなる」



 情報量の多さも関係しているのだろう。流れていく情報が多すぎて、ヘッドラインしか追えない。それ以上は脳がパンクする。結果として、正しい認識ができなくなっていく。現国会議員ということで、この手の人の心理を取り扱うことに関して、利之助はあまりに聡かった。数緒も見習いたいところだ。



「だが、できればもう少しメインの税をいじってほしかったな。スマホ付属機器の保険料は、さすがにニッチだろ。文科省の評価委員も悩んでいたぞ」


「そんなことありませんよ。これからスマートグラスが主流となります。そうすれば、スマホ税と同様に、この保険料はすべての人が払うことになるでしょう」


四方木よもぎも同じようなことを言っていたな。スマホ税を通したあいつが言うと説得力が違う。当時はスマホ税なんて誰が払うんだと笑われたものだが、今となっては主要な税の一つだ。世の中、どうなるかわからん。まったく、次々と新しいものが出てきて困るよ」


「今度、スマートグラスをプレゼントしますよ。政治家が一番に使ってみなくてはならない、でしょ」


「はは、頼むよ。どれがいいのか私にはわからんからな。実際に、そのおもちゃが、スタンダードになるのならば国の方でも考えよう」



 口ではわからないと言っておきながら、しっかりと仕事に取り込んでしまうあたりはさすがといえる。



「しかし、恋愛税なんて言い出したときは、どうしたものかと思ったがな」


「はは、あんな馬鹿げた税制、本気で通そうとするわけないでしょ」


「それにしても、もう少し信憑性のある方がよかったんじゃないか? お遊戯会じゃないんだぞ」


「相手は学生ですよ。あのくらいセンセーショナルな方が気を惹けます。実際、盛り上がったでしょ?」


「そういうものか。私が在籍していた頃は、もう少し硬派だった気がするが、これも時代か。ただ、国政だと老人向けに政策を考えなければならない。その点、国政に出るときは考え方を変える必要があるぞ。切り替えろよ」


「はい」


「すぐに卒業するのか? おまえのことだから既に履修したい科目は取り終えているのだろう。それならば、秘書がほしいと言っている議員を紹介するが」


「いえ、今年度は学園に残るつもりです。青柳派と握っていたとはいえ、白樺派はいい気分ではないですからね。後輩の指導や生徒会の支援をして、ある程度、整理をつけるつもりです」


「そうか。まぁ、すぐに政界に来る必要もない。若いうちは十分にモラトリアムを楽しんでおけ」


「わかりました」


「ただ女は選べよ。おまえ、まだあの性悪と付き合っているんだろ?」


「それは父さんの助言でも聞けませんね」


「なぜだ?」


「顔が好みなんです」


「はぁ、女を見る目がないのが、おまえの唯一の欠点だな」



 呆れた顔を見せる利之助に、数緒は笑みを返した。父が嫌うのも無理はない。数緒が彼女として千恵美を紹介しようとしたとき、待ち合わせのレストランに彼女は寝坊して遅れてやってきた。しかもぼさぼさの髪にスウェット姿でやってきたものだから、父は終始ぽかんと口を開けていた。


 当時はフランス料理を前にしてスナック菓子が食べたいと言い始めるヤンキー娘であったが、今は、テーブルマナーも覚え、得意げにナイフとフォークを使う。遅刻は直らないが、そこに目をつむれば良い女だ。


 顔が好み、という発言に嘘はない。入学してすぐに一目ぼれして、それ以来の付き合い。実のところ、数緒も驚いている。これほど長く付き合うことになると思わなかった。


 千恵美を切り捨てるという発想が出てこない、この気持ちを愛と呼ぶのだろうかと数緒はふと思う。



「そういえば、父さんに聞いてみたかったことがあるんです」


「何だ?」


「どうして、政府は増税を推進するのでしょうか?」


「? おまえらしくないことを聞くな」


「ここ最近、同じことを何度も聞かれまして。財政規律のため、多賀根学園で良い成績を得るため、罰則的規制のため、理由はいくらでも思いつきます。俺も聞かれたらその都度、理由をつけて応えました。ですが、どれも本質ではありません」


「まだまだ若いな。本質なんてものは言葉だけだ。政治とは上っ面で出来上がった張りぼての城だ。中を覗こうとしてもあるのはうつろ。つまり時間の無駄だ」


「そうは言っても順位付けはあるでしょう。俺は父さんから教わって、増税を行うことが政治家の務めであると学びました。その父さんが思う、一番の理由を教えてもらいたんです」


「順位なんて流動的だ。一番なんてものを作ったら、それに囚われる。政治家が死ぬのはそういうときだ。それでも、もしも順位をつけろというのならば、おまえはもう答えを知っている」



 そこで、利之助はにやりとシニカルに笑って、メガネをくいと直した。



「私も父にそう教わったからだ」



 





 



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くたばれ! 増税クソメガネ!! 最終章 @p_matsuge

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