【7】兄、翻弄。ノエル、奔走。

ミラルドが屋敷に戻ってきてから、数日。


晴れやかな空の下、ミレーユはノエルと手を繋いでタウンハウスの庭園を散歩していた。

(推しの手ちっちゃい! やっぱりノエルは天使だわ。髪の毛が日光でキラキラ反射するのとか、これ本当2次元の世界じゃ表現しきれない。生ノエル最高………………。最高、なのに。なのにさぁ……)


最高すぎるほど最高な推しとの日々が実現しているというのに、ミレーユの心はどこか晴れない。

ふとした瞬間につい、兄のことを考えてしまい気が滅入るのだ。


はぁ――、と口から溜息がこぼれていた。


王宮に泊まり込みで働いていた兄は、帰宅して以来どこか態度が冷たい。

雪解けの日差しを思わせるいつもの優しい眼差しが、ミレーユに注がれることはなくなった。


あからさまに拒絶されているわけではないが、見えない壁をひしひしと肌に感じる。

ミラルドは、どこか別人になってしまったようだ。


「そういえば子供の頃にも、同じことがあったわね……」


仲睦まじい兄妹だったはずなのに、ミラルドは成人した頃を境にミレーユを避けるようになった。

今回の豹変も、あのときの感じにそっくりだ。


(お兄様とはすっかり打ち解けていたつもりだったけれど、全部私の独りよがりだったのかな。……また、距離感ができちゃった。やっぱりお兄様って、何を考えてるのか全然分からない人)


婚約破棄の一件で、兄を心の底から信頼するようになっていた。

兄がパトロンになってノエルを孤児院から引き取ってくれたとき、心の底から「兄は神!」と思った。

感極まって「お兄様大好きです」と言ってしまい、他意はないつもりなのに後から恥ずかしくなった。


兄はいつも親しげに笑ってくれた。ちょっと意地悪なことを言いながら、結局はいつも助けてくれて。「可愛いよ」と言って、甘やかしてくれた。

……なのに。

兄は再び、ミレーユを心の壁の外に追い出した。



(…………なんか、寂しいな)


庭園のベンチに、ノエルと並んで腰を下ろす。

涙が勝手にこぼれそうになっていた。



「ミレーぅ、かわいそう」

ノエルがベンチによじ登り、ミレーユの頭をよしよししていた。

「かわいそう? ……私のこと?」

「うん。ミレーぅが悲しいと、ノエルも悲しくなってくる。だからミレーぅが悲しいのはイヤ」


(……私ったら。こんなちっちゃい子に心配させちゃうなんて)

にっこりと笑って「大丈夫よ」と言ってみたが、ノエルは納得しなかった。


「ぜんぜんだいじょうぶじゃない。ミラぅドが悪い」

「えっ!?」

「ノエル、なんかミラぅドのこと嫌いになってきた。ミレーぅを困らせる奴、むかつく」

「ちょっとちょっと……」


ミレーユは冷や汗をかいた。

(ノエルって、本当に鋭い子なのね。まるで、私がお兄様のことを考えてるのを見透かしてるみたい)





――ちなみに。

ノエルが心を読めることを、ミレーユは知らない。

ゲームの公式情報にも攻略wikiにも、読心チート関連の記載など無かったからだ。

ゲームに登場するノエルは単なるミニゲーム担当の「ふしぎ系モブ幼女」であり、正体が花の精霊だという情報自体が存在しなかった。




(……ともかく、ノエルがお兄様に反感を持つのだけは避けないと。お兄様の温情で屋敷に置いていただいてるんだもの。私がしっかりしないとダメだわ!)


ミレーユは、明るい声でノエルに言った。


「ノエルの勘違いよ。私は元気だし、お兄様とは何のトラブルも起きていないわ。まぁ、最近少しお話する回数は減ったかもしれないけれど、それはお仕事の関係よ。私は全然さびしくない。むしろ幸せよ! だって、ノエルと一緒なんだもの!!」


推し最高!! 心の中でそう叫び、ミレーユはノエルをぎゅっと抱きしめた。


「そうだ、ノエル! 明日は一緒に、メインストリートにある王立歌劇団のミュージカルを見に行かない? 国内最高レベルの歌手や俳優が出るから、お歌の勉強にもなるし! それに私、ノエルといっしょにお洒落してお出かけするのが夢だったの!! ねぇ、いいでしょ?」


「…………いいけど」

うなずきつつも、ノエルはまだ物言いたげな顔をしている。


「嬉しいわ! それじゃあ後で使用人に頼んでチケットを取って来てもらうわね。ノエルのドレスは何色にしようかしら! せっかくだからお揃いにしたいな……あぁ、楽しみ!」


空元気からげんきを出すミレーユを、ノエルはじとっとした目で凝視し続けていた。


    ***




(ミレーぅ、うそつき。ほんとは泣きそうなのに、わざとらしく明るい顔してアゲアゲになってる)

心を読むまでもなく、ノエルはミレーユの本音を見抜いていた。


自分の部屋でベッドに寝転び、ノエルは不機嫌そうに足をぱたぱたさせていた。


(ミラぅドがいけないんだ。ミレーぅのこと好きなくせに、ちゃんと言わないから。……ヘタレめ)


ノエルは、ぷすー。っと頬を膨らませていた。


(兄妹じゃないって、さっさと言っちゃえばいいのに。ミラぅドが隠してるから、好きどうしなのに好きどうしになれない。ココロの中で、うだうだうだうだ言い訳してるミラぅド、むかつく。くそヘタレ)


ミラルドの心を読めるノエルには、「兄妹だと打ち明けられない理由」についても聞き取っていた。しかし、聞き取るのと理解するのは別次元の問題である。

隣国との複雑な政治事情など、ノエルに理解できるはずがなかった。


ゆえに、『告白しない=ミラルドがヘタレ』という図式がノエルのなかでは成立している。

ミレーユにふられるのが怖くて好意と事実を告げられないのだ。と、ノエルは思い込んでいる。



そしてノエルは決意した。

(ノエル、ミレーぅが泣きそうなのイヤだ! 絶対になかよくさせたい! だから、ヘタレなミラぅドにちゃんと言わせないといけない)


直談判が必要だ。と、ノエルは考えていた。

しかし、どう説得すればミラルドはミレーユに告白する気になるだろう?


(ほんとは2人とも好きどうしなんだから、きもちが伝わればぜんぶうまく行く。………………あ、そっか。『ノエルはココロ読めるから、好きどうしって知ってるよ』って教えてあげればいいんだ! そしたら、ヘタレでも安心できるはず!!)


女神フローレンは、『チートを隠せ』とは一言も言っていなかった。

だから読心チートのことをミラルドやミレーユに打ち明けるのは、何も問題ないはずだ。


「よーし! ノエルがんばる!! まずはミラぅドに話つけてこよう!!」

ノエルはベッドから飛び起きて、棚から画材を取り出した。


「そしたら、とりあえず絵を描かなきゃ。適当なのちゃちゃっと描いて、それ持ってミラぅドに会いに行く!!」




   *



――時刻は、夜8時。



こん。こん。

ミラルドの執務室に、幼いノックが響いた。

その叩き方で、ミラルドは「ノエルか」と察した。


「入れ」

「しつれいします、ミラぅドさま」


大きなキャンバスを抱えたノエルが、トコトコと入室してくる。


「あたらしい作品をおもちしましたー。献上けんじょーいたしますー」

「ご苦労」


ノエルはガスターク家の『お抱え絵師』であり、作成した絵画をミラルドに納品する契約をしている。

その契約の報酬として、ノエルはこの屋敷に住まわせてもらっているのだ。


ノエルの描いた女神フローレンの油絵に目を落としミラルドは、「ふむ」と納得した表情でうなずいている。

「瑞々しい筆致だな、体温すら感じる。その年齢でこれほどの腕前とは、やはり将来が楽しみだ。知り合いの画商も、前回お前が納品してきた絵に甚く感動していたよ」

「ありがとうございますミラぅドさまー」


「引き続き励んでくれ」

そう告げてから、ミラルドは自分の書類仕事を再開しようとした。


しかしノエルはいつまでも立ち去らず、じぃぃぃ……とミラルドを凝視し続けている。

あまりの熱視線に、ミラルドはキャンパス画を握ったままノエルに声を掛けていた。


「――どうした? 退室して良いぞ」

「………………」

「……前にも注意したと思うが、その不躾な視線はやめなさい。他人を凝視するのは非礼に当たる」



「……………………ミラぅドさま。ノエル、ココロ読めるよ」

「?」

「ミラぅドさまが思ってること、ぜんぶ分かるよ。今もずっと、ミレーぅさまのこと考えてるのも」

「!?」


予想だにしないことを言われて、ミラルドは絶句していた。

内心、とても驚いている。

心が読めるなどとはもちろん信じないが、いきなり無礼な発言をするノエルの頭は正常ではないと思った。


「しんじてよ。ノエル、本当にココロ読めるんだもん。だから、ミラぅドさまはミレーぅに「好き」って、ちゃんと言ったほうがいいよ」

「…………は?」

「だいじょうぶ、ミレーぅも本当は、ミラぅドさまのこと大好きなんだから」

「! おい、」

「ミラぅドさま、がんばって言ってごらん。ぜったいに、好きどうしになれるから。だから――」


「黙れ」



氷の声に遮られ、ノエルはぴくりと身を強張らせた。


ノエルの前に立っているミラルドは、先ほどまでの物静かな様子とは違う。

憎しみさえこもった冷たい目で、彼はノエルを見下ろしていた。



「……何を言い出すかと思えば。鎌をかけているつもりなのか?」

「!? ちがうよ、ノエルは……」

「無礼者が。子供だからと言って容赦はしない。お前の契約を解除して、屋敷から追い出してやろうか」

「ぐっはぁ」

弱点を一撃で突かれて、ノエルは奇声を上げた。


ミラルドは熱のこもらない声で、ノエルを静かに非難し続けた。


「弁えろ、ノエル。お前は私の慈悲で雇われているに過ぎない。にもかかわらずお前は、主人わたしへの態度がまるで成っていない。放逐されても文句を言えない立場だと忘れるな」

「ぅぐっ」


ミラルドは容赦がない。

冷たい怒気に気おされて、ノエルはすっかり慌てていた。


「このガスターク家で雇われている以上、お前には使用人相当の教養と礼儀作法が求められる。しかしお前はこの屋敷で働く要件をまるで満たしていない」

「ぐぬぬぬ」

「本来なら即刻解雇してやりたいところだ。……しかし、年齢を鑑みて特別に家庭教師ガヴァネスをつけてやろう」

「がばねす!?」

「ああ。とびきり優秀で血も涙もない家庭教師を探してやるから、寝る間も惜しんでしっかり学べ」

「ひぃ……! ね、寝れない……!?」


あわわわわ……と半泣きになっているノエルを、ミラルドは無表情に見下ろしていた。


ちょうどそのときノックが響き、ミラルドは「入れ」と声を返す。

ミレーユが、書類を持って入室してきた。


「失礼します、お兄様。所領から上がってきた決算報告書の件ですが――、あら? ノエルも来ていたの?」


青ざめるノエル。キャンパス画を手に持ったまま、氷点下の不機嫌さを滲ませているミラルド。

その2人を見た瞬間、ミレーユはおおまかな事情を察した。


「お、お兄様。ノエルがなにか失礼なことをしましたか……?」

「解雇を検討していたところだ」

「!?」


すみません! と頭を下げたミレーユが、あわててノエルを抱き上げる。


「私の責任できちんと教育しますから! 本当に申し訳ありません」

「二度目はないと、よく教えておけ」


身振りで退室を促され、ミレーユはノエルを抱えたまま執務室から出て行った。


廊下をやや早足で歩きながら、ミレーユはノエルを叱っていた。

「もう! お兄様に何を言ったの、ノエル。追い出されたらどうするの? お兄様は意外と気難しいし、なにを考えてるか全然分からない人なんだから……」


ノエルは、ぷー。っと不満そうに頬を膨らませたまま、横抱きで運ばれていく。

「……なに考えてるか、分かるもん」

「え?」

「なに考えてるか分かるから、すごくむかつく! ミレーぅが悲しいの、ノエルは嫌なんだもん。……むぅぅ」


ノエルの発言の意味が、ミレーユには理解できなかった。





   *



――翌朝。

いつものように、ミレーユはミラルドと二人で朝食を摂っていた。

ちなみにノエルは使用人という区分なので、食事の席は別である。


学園時代に実家に戻って以来、食卓はできるだけ家族一緒に囲むのが自然なルールになっている。

それは、今でも変わらない。

ただ、これまでは弾んでいた会話が、最近はほとんどまったくなくなっていた。


今朝の空気は、とくに重たい。

「お兄様、昨晩はノエルが大変失礼をしました」

「今後改善の見通しがあるなら、今回の件は不問でいい」

ミラルドは淡々とした様子で言った。

昨日は不機嫌そうだった彼も、今ではすっかり平静を取り戻している。


感情の起伏を感じない彼の返事に、ミレーユはむしろ寂しささえ感じていた。


「……あの、お兄様? 今日は登城日ではありませんよね」

「ああ、そうだが」

「良かったら、一緒に王立歌劇場へ観劇に行きませんか?」

アイスブルーの静かな瞳が、ミレーユを見た。


「実は今日、ノエルと一緒に王立歌劇場に行く予定なんです。もしかしてお兄様も一緒に来てくれるかな……と思って、チケットを1枚多くおさえておきました。一緒にいかがです?」


ミレーユは明るい声を出して彼を誘った。


「この前、一緒に行ったときは平民街の小劇場でしたから、お兄様にはご不満だったでしょう? でも王立歌劇場ならお兄様もよく――」

「次の機会にしておくよ。ありがとう」


気を付けて行っておいで、と静かな声を投じる兄に、ミレーユは作った笑顔で「わかりました」と返事をしていた。


以後の会話もなく、朝食の時間は静かに過ぎ去っていった――。


   *




「さぁ、ノエル! 今日は2人で一緒にお出かけよ!」

ノエルの部屋を訪ねるや、ミレーユは声を弾ませた。


「楽しみだなぁ。準備しなきゃ、いっしょにドレスルームに行きましょ。メイド達がノエルのドレスも準備してくれてるから」


「あぅ。ミレーぅ……昨日は…………」

「昨日のことなんてどうでもいいから。今日はともかくパーっと楽しみましょう! ミュージカルを見て、お買い物して、おいしいスイーツも一緒に食べたいわ。さぁ、こっちよ!」

「……」


ハイテンションになっているミレーユに手を引かれつつ、ノエルは深刻そうな顔でミレーユのことを凝視していた……。

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