【6】義兄side

ノエルがガスターク家のタウンハウスで暮らすようになり、その翌週からミラルドは王宮の官吏棟に泊まり込みで仕事をしていた。

毎年この時期になると、法律案の審議や国勢調査会による報告内容の確認などで多忙になる。


昼夜問わずの働き詰めで早2週間。

領地経営に関しては現地執政官とミレーユに任せられるので心配ないが、王宮での業務もあらかた落ち着いてきたからそろそろ帰宅の頃合いだ。


そう思っていた矢先に、国王から呼び出しを受けた。


筆頭政務官は文官のトップだが、仕事で国王と直接のやりとりをすることはない。

とするとこの呼び出しは、『筆頭政務官ミラルド・ガスターク』ではなく、ガスターク侯爵家当主としての謁見となるはずだ。


……おそらく、ミレーユ関連の話題だろう。

ユードリヒによる婚約破棄に関しては賠償金の受け取りまで完了しているから、今さら追加の話はないはずだ。

とすると、ミレーユの今後に関する内容だろうか――?


ミラルドは国王の執務室へと赴いた。

室内には国王と侍従、のみならず王妃までいたのでミラルドは内心、怪訝に思う。

「よく参った、ガスターク侯爵。楽にしてくれ」

ミラルドは応接ソファへの着席を促され、国王自身と王妃が対面に座る。


国王は控えていた侍従に席を外すよう告げてから、しばしの沈黙を挟んだ。


「ミレーユは息災か?」

「はい、心身ともに健やかに過ごしております」


ミラルドが答えると、黙して聞いていた王妃はわずかに目元を緩めた。

国王は「そうか」と呟いたのちに長い息を吐き出す。


「愚息ユードリヒがミレーユを手酷く扱ったこと、何度謝罪しても謝罪しきれない。まさか、あやつがそこまで痴れ者だったとは」


暗い表情を隠すこともせず、国王は「計画が水の泡になってしまった……」と嘆いている。


――計画が水の泡?


「陛下、お伺いしてもよろしいでしょうか。王家とガスターク家との盟約に従い、私はミレーユを我が妹として扱い続けております。ですが私は、『彼女が何者なのか』を知りません。亡き父母は私に、多くを語りはしませんでした」


「今日はその話をするために、そなたを呼んだ。ミレーユの出自は私と王妃、そして先代ガスターク侯爵夫妻以外に知る者はいない。ユードリヒに教えておけば、あのような馬鹿げた婚約破棄騒動は起こさなかったのかもしれないが――いや、過ぎたことを悔いても時間は戻らない」


溜息をつく国王は、普段より十歳は老け込んで見えた。

王妃と視線を交わしたのちに、国王は重たげに口を開いた。


「そなたに事実を明かそう。ミレーユは、だ」


――? 

思いもよらない言葉を聞いて、ミラルドは目をみはった。


「そしてこのフローレン王国の王家の血も、濃く継いでおる。ミレーユを王家の妻に迎えることで、隣国との敵対関係の解消を秘密裏に目指していたのだが――」



東の隣国・ヨルン皇国は、女神フローレンに見捨てられた国。

神話によると、女神フローレンはとある兄弟に花を贈った。感謝して受け取った弟は「花の国フローレン王国」の初代国王となり、花を踏みにじった兄は荒れ果てた大地に追放されたという。

その『追放された兄』が建国した国こそが、隣国ヨルンなのだ。


だからヨルン皇国とこの国は、宿命的に仲が悪い。


ヨルン皇国の国土は大半が荒涼地で、貧困にあえぐ下層民と利権を独占する皇族・貴族が頻繁に衝突している。

一方で、ヨルン皇国の西に位置するフローレン王国は温暖湿潤な気候に恵まれた資源豊富な土地であり、基本的には穏やかな国柄だ。


ヨルン皇国の人々は、『本来ならばフローレン王国の国土は、我らヨルン国民の住むべき場所であった』と主張して『奪還戦』を引き起こそうとする。


今は停戦状態だが、少し前までは数年に一度は小競り合いが、さらにその昔は数十年単位で大規模な戦争が続けられてきた。


「……しかし、ミレーユが両国の血を引くというのは?」


「20年前の白百合戦役で我が国がヨルン皇国への報復侵攻を行った際、時の将軍セオドア・ルベルス公爵が失踪した事件については知っておるか?」


ミラルドは事件当時には2歳だったが、知識としてはもちろん把握している。


「将軍セオドアは我が弟だ。敵の奸計に嵌められたセオドアは幽閉され――そして運命のいたずらか、時の皇女ユフィーナと出会って道ならぬ恋に落ちたという」


そして生まれた娘がミレーユだ。と、国王はミラルドに告げた。


「セオドアとの姦通により皇女ユフィーナは処刑され、セオドアもまた非業の死を遂げた。ミレーユが生きて我が国にたどり着いたのは、奇跡としか言いようがない。ユフィーナの懐妊・出産を隠し通した者たちの機転と命がけの献身により、ミレーユは我が国への亡命を果たしたのだ。――これらの事実は、赤子だったミレーユを届けた者が数々の証拠とともに伝えてきた」


ミレーユは両国の王族・皇族、ひいては建国神話の兄弟双方の血を引く貴重な存在なのである。


「だからミレーユに我が国の王太子妃という立場を与えた上で出自を国内外に公表し、ヨルン皇国との友好の象徴として活躍させたいと考えていた。だが、我が国にはもちろんヨルン皇国を嫌悪する者も多く、ミレーユの出自を早々に明かせば命を狙われる危険があった。そこで――、」


出自を伏せて、ミレーユをガスターク侯爵家の長女として扱うことにしたのだ。

と、国王は言葉を続けた。



ミラルドは、言葉を選ぶようにして問いかける。

「数ある家門のなかからガスターク侯爵家をお選びになったのは、当家が極端な保守・革新に走らぬ『中庸派ネルケ』の筆頭だからでしょうか」


この国はの貴族勢力は古くから『革新派オーキッド』・『保守派グラジオラス』・『中庸派ネルケ』の3大派閥に分割されており、政治的な主張の違いからしばしば対立が生まれる。とくに革新派と保守派は軋轢が大きく、中庸派は全体調和の重視を根底的な思想としていた。


国王がうなずく。

「たしかに政治姿勢は最大の理由だが、ガスターク侯爵の謹厳実直な人柄を評価してのことでもあった。ミレーユを特別扱いせず、あくまで自分の子として育てるようにと徹底させた。絶対に特別扱いをせず、ただの子女として育てるように」


……それは失策だったのではないか? とミラルドは思う。


亡き父母は、ミレーユに対して『実の娘』に接するような親しみある態度を取れずにいた。

もともと、実の息子であるミラルドに対しても厳格すぎる両親であったし、ミレーユに接するときはさらに肩に力がこもっていた。

あの両親は、責任感が強すぎたのかもしれない。


「次期当主となるそなたに対しても、成人するまで明かさぬようにと先代侯爵夫妻には口止めをしていた。……不自然な素振りを見せようものなら、いつ誰に怪しまれるか分からないからな。だから王家としても、王太子の婚約者という範囲を越えてミレーユを見張ったりはしなかった」


指摘したい点は多々あれど、ミラルドはそれを口に出す立場にはない。


「……国王陛下。今後は、どのようになさるおつもりですか?」

「私も頭を抱えておる。第二王子のリゲルはまだ5歳、ミレーユを妻に娶らせるならば、まずは婚姻法の改正が必要となるな」


ふざけるな、とミラルドは腹の中で叫ぶ。

ミレーユを政略の駒に使われるのは、心情的には我慢がならない。

しかし、貴族とその一門は本来、王家の駒なのだという事実も彼は理解していた。


『中庸』派閥の序列一位と言えど、若い自分の政治力など高が知れているのだ。


4年前に若干20歳で家督を継ぐこととなって以来、血を吐く思いでガスターク侯爵家の権益を守り役目を果たしてきた。ミラルドを引きずり落とそうとする者も多く、困難の連続だ――苦労を他人に悟られないよう、如才なく振る舞ってきたつもりだが。


三大派閥の一翼を担う存在とはいえ、自分はまだ政治的な地盤を固めきれていない。だから今の自分にはまだ、国王の決定に異を唱える力などない。



(――ミレーユを私の妻にするなど、始めから考える余地もないことだったのか)



膝の上に握った拳に、爪が食い込む。


王妃は、表情もなく黙するミラルドを見つめていた――そして、静かに国王へ問う。


「陛下……。たしかにミレーユは王太子妃としても、隣国との融和の象徴としても十分な素質を備えた娘です。しかし5歳児リゲルの婚約者にするなど、あまりにも理不尽ではありませんか?」


「しかし王族に迎えるとなると、他に適した男がおらん」

国王が深いため息をつき、王妃も眉根を寄せていた。


「ともかくミレーユの今後と両国間の外交関係については、今後も検討していかねばならん。ガスターク侯爵には、引き続きミレーユの養育者として協力を頼みたい」


「仰せのままに」と答えるほかに、ミラルドに選択肢などあるだろうか?

恭しく礼をして退室しようとしたミラルドを、王妃が呼び止める。


「……ガスターク侯爵。十八年もの年月、『兄』を演じ続けてきた貴方には、ミレーユへの扱いに思う所もあるでしょう。この場には部外者もいませんから、言いたいことがあるのならば聞きましょう」


――ミレーユを駒に使うな。

――ミレーユと自分が血縁関係にないことを、公言しろ。そうすれば自分は一人の男として、彼女に愛を告げることが出来る。


そんな叫びは胸に留め、淡い微笑を彼は刻んだ。


「ミレーユは私にとって、かけがえのない女性です。彼女が何にも脅かされず生きることを、私は願ってやみません。……ただひとりの、家族ですので」



   *



その日の夜。

ミラルドは2週間ぶりにタウンハウスへと戻った。

「お帰りなさいませ、お兄様」

満面の笑みで迎えるミレーユに、目を合わせることが出来ない。


――隣国の皇女と、この国の王弟セオドア・ルベルス将軍の間に生まれた子供? ミレーユが、そんな数奇な星の下にあったとは。


素っ気なく返事をして、ミラルドは自室に戻って行った。

彼の態度に滲んでいたのは、明らかな距離感。それを感じ取ったミレーユは、迷子になった子供のような顔をして戸惑っていた。


ミレーユの隣に立っていたノエルは、じぃ……っとミラルドの背中を見つめて心を読み続ける。


(りんごくのこうじょと、このくにのおうていせおどあるべるすしょうぐんの……?? ミラぅドのことば、むずかしすぎて分かんない)


「ミレーぅって、『すうきなほしのしたにあった』の?」

「え? 何それ」


ミレーユとノエルはそれぞれ、要領を得ずに困惑していた。

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