【4*】兄の推し活
――これでよし!
パーティの食事を楽しむ孤児院の子供たちを見守りながら、私は大満足だった。
(シナリオとは随分違う展開だけど、とりあえず、何とかなったわ)
ゲームでは「ノエルは他の子供たちに虐められていた」という設定だったけど、子供たち以上に
孤児院そのものがここまで劣悪な状況だったとは、ゲーム内では説明されていなかった。
やはりゲームでは語られていない情報が、バックグラウンドにはかなり埋もれていたんだなぁ……と実感してしまう。
「肉うめ~!」
「このパン、ふわふわで美味しい!!」
大喜びしている子供達のなかで、ひとり黙々と料理を頬張っているノエル。
(たぶんアイラは、ノエルに今まで一度も関わってこなかったんでしょうね。ということは……)
私はノエルの向かいの椅子に座り、ノエルに話しかけてみた。
「ねぇ。あなた、ノエルって言うのよね?」
「……」
ノエルは金色の瞳と白銀の髪が特徴的な、まるで妖精さんみたいな美少女だ。
無言で私を見つめ返してくる。
「お食事、気に入ってくれた? あなたはどの食べ物が好きなのかしら」
ところがノエルは、私の問いには答えなかった。
料理はおいしいらしく、無言で目を輝かせながら頬っぺたいっぱいにモグモグしている。
他の子供たちが横から私に話しかけてきた。
「院長先生。こいつに話しかけても無駄だよ」
「このチビ、ノエルっていうんだけど全然喋れねぇんだ」
(やっぱりノエルは、まだ声を発しない状態なんだわ。本当はしゃべれる子なのに、誰とも口を利こうとしないのよね……)
「ノエルって何考えてるか分かんないし、気持ち悪いんだぜ」
「そうそう。ずっとチビのままで、全然背も伸びないし」
「いつもボッチだし」
私は軽く眉をひそめ、やわらかい声で子供達に注意した。
「そんな意地悪を言わないの。私は皆に、仲良しでいて欲しいわ」
……はぁい。とちょっと不満そうに答える子供達とノエルを交互に見つめ、私は今後のことに考えを巡らせていた。
*
――1週間が経過した。
新体制下の孤児院で、子供達は早くも元気いっぱいの笑顔を見せてくれるようになった。
新任の先生たちもよく働いてくれている。
でもノエルは、今日もひとりぼっちだ。
他の子たちが全員でボール遊びをしている中、裏庭の壁にひとり黙々とチョークで落書きをしている。
そんな彼女の小さな背中を、私は離れた場所からじっと見ていた。
(……ノエルは集団生活に不向きな性格なのかもしれないわ。ノエルがのびのび暮らせる環境にしたいのだけど……どうしたら良いかしら)
本来なら個性を尊重すべきだし、喋れないというハンデも考慮しなければならない。
でも孤児院では子供を個別にケアする環境は作りづらいし、ふと目を離すと一人でフラリとどこかに行ってしまうノエルのことは、先生たちも目が届かないようだった。
ノエル専用の先生を新しく雇うか、むしろ私がずっとノエルのそばに居たいくらいなんだけど……。
(でも『特別扱い』は嫉妬のもとだし、他の子たちがますますノエルを避けてしまいそう。どうしたらいいかしら。…………ってか、この落書き、上手すぎない!?)
壁の落書きを見て、私は愕然とした。
落書きどころか、どこをどう見ても天才的な芸術画だ。
灰色の壁に白いチョークで濃淡豊かに描かれていたのは、この国の建国神と言われる花の女神フローレン。
教会の大聖堂の壁画よりも瑞々しくて、女神は人間味にあふれる笑顔を浮かべてこちらを見つめている。
「すごっ――」
「なるほど、見事な才能だ。お前が推すのも理解できる」
――へ?
すぐ後ろから聞こえた声に振り返れば、兄の姿があった。
「……今日も来てたんですか、お兄様!? 筆頭政務官のお仕事はしなくていいんですか? いつもあんなに忙しそうにしているのに」
「有給消化さ」
兄はノエルのすぐそばまで歩いていき、至近距離で壁の絵を見つめた。
ノエルは、ぽけーんとした顔で兄を見上げている。
「……ふむ。適切な教育を与えれば、稀代の画家になるかもしれないな。その子が希望するのであれば、私がパトロンになってその子をガスターク家の『お抱え絵師』として雇い入れても良いが?」
兄の言葉が、私は理解できなかった。私が首を傾げていると、
「先行投資のようなものだ。孤児院では才能を伸ばしきれないと感じるのなら、うちの屋敷に住まわせてもいい。衣食住と教育は保証するから、その対価として描いた絵を私に納品してもらう」
(……! それって……)
兄の意図を理解し始めた私は、大きく目を見開いていた。
兄はこちらを振り返り、私に優しく微笑んでくれた。
「お前の『推し』なんだろう?」
「……お兄様!」
心の中に花が咲いたように、胸がぽっと温かくなった。
お兄様が助け船をだしてくれるなんて!
ノエルを我が家に迎え入れる……そんな、素敵なアイデアを。
嬉しすぎて声が、うわずってしまった。
私は目を輝かせてノエルに駆け寄り、「うちに来ない!?」と誘ってみる。
ノエルはきょとんとした顔で、まっすぐに私の目を見ていた。
あまりに長い沈黙に、拒絶されてしまうのでは……と不安になったけれど。
――こくん。
ふわふわの銀髪を小さく揺らして、ノエルはうなずいてくれた。
無言だけれど、大きな金色の瞳はとてもキラキラしている。
どうやら、嫌ではないらしい。
そこから先は、とんとん拍子だ。
手続きを済ませ、ノエルの居場所は孤児院からガスターク家のタウンハウスへ変更。
着替え以外の私物を何も持っていなかったノエルは、ほとんど身ひとつで出発することになった。
孤児院には何の未練もないらしく、ノエルは私に手を引かれるままトコトコと馬車に乗り込んだ。
兄と私の間にちょこんと座り、好奇心いっぱいの目で馬車の中を見回している。
(幸せ過ぎる! これからは推しと一緒に暮らせるなんて!)
馬車の乗り心地が良かったのか、ノエルは馬車が出発してしばらくするとウトウトし始めた。
小さな体をそっと抱き寄せ、彼女の銀髪を撫でてみる…………柔らかくて尊い。
「くぅぅぅ……」
幸せを嚙みしめていると、兄が機嫌のよさそうな顔で私を見つめていた。
「お前の『推し活』に、私は貢献できたかな?」
「ええ! 最高ですお兄様、大好きです! 恩人です! この御恩は一生忘れません!」
幸せ過ぎて目から涙がにじんできた。
再び「くぅぅ……」と漏らしてノエルを撫でまわしてしまう。
「そんなにお気に入りなのか?」
「ええ、もちろん! 前セ……っじゃなくて、大昔からの最推しです。まさかこの手で触れられる日が来ようとは……!」
前世では、ノエルのグッズは全部買っていた。
クリアファイルもアクリルスタンドもフィギュアも毎日愛でていたのだけれど。
「そんな小さな子供が相手なのに『大昔』なのか? ……平民の子供と、いつの間に接点を持っていたんだ?」
兄は苦笑していた。
私が返事に困っていると、「まぁ、いい」と息を吐き出した。
「可愛いよ」
兄がノエルを褒めてくれたと思ったから、私はとても嬉しかった。
「でしょう!? ノエルは本当に可愛いんです! お兄様がノエルの魅力を分かってくれて嬉しいです! それじゃあ今日から、兄妹揃って仲良く一緒に推し活を――」
「お前だよ」
「……え?」
アイスブルーの瞳が、雪解けの日差しのように温かく私を見ていた。
「お前が、可愛い」
――――。
なにも言葉が、出なくなった。
顔が、身体がかぁぁっと熱くなる。
心臓が、ぎゅっとくるしくなった。
おかしい。
こんなふうにドキドキするなんて、ダメだ。
肉親に対する反応じゃあない。
……どうしてこの人は、私を困らせるようなことをときおり言うのだろうか?
困らせてからかっているのかしら。
だとしたら……ちょっと意地悪だ。
私は返す言葉を見つけられず、赤くなった顔を見られるのも恥ずかしく、無言で顔を逸らしてしまった。
居心地が悪くてたまらない。
戸惑いをごまかすように、ノエルの髪を梳き続けていた。
ずいぶん長い沈黙のあと、お兄様の「ふっ」という息を吐くような笑い声が聞こえた。
「……ところで、ノエルは歌手じゃなかったのか? 全然しゃべらないじゃないか」
兄が話題を変えてくれたのだと気づき、私は多少ぎくしゃくしながら明るい声で返した。
「こ、これからいっぱい歌うんですよ。絵も歌ももっと上手になります」
「どうして分かるんだ?」
「えっと。推しのことは、なんでも分かるんですよ。ともかく、パトロンになったことをお兄様には絶対後悔させません! この子は正真正銘の、天才なんですから!」
胸の高鳴りを押さえつけ、私は意識的に声を弾ませて兄にノエルの魅力を語り続けた――。
***
――2週間後。
ミレーユが買い取った孤児院に、フードを目深にかぶった若い女が尋ねてきた。
「はぁ!? ノエルがここにいないって……どういうことよ!?」
女が声を荒げた拍子に、フードの中からピンク色の髪がこぼれ出た。
女に応対していた孤児院教師は、
「失礼ですが、あなたは……?」
と、困惑気味に尋ねた。
「わたしは……ノエルの身内よ。それよりノエルはどこに行ったの? わたし、会わなきゃいけないんだけど」
「院長先生のご自宅に引き取られましたが」
「は? 院長? 訳わかんない。そんな設定じゃなかったでしょ!?」
「せ、設定というのは……?」
フードの女は教師の問いには答えずに、目を血走らせてぶつぶつと呟いている。
「何なの? この世界、狂い過ぎなんですけど。孤児院の名前も前と変わってるし、なんか改修工事してるし……」
孤児院の入り口に立っていた工事看板を睨んで、女は忌々しげに舌打ちをした。
そしてその工事看板に書かれた『施工主』の氏名に目を留め、愕然とする。
「……院長ミレーユ・ガスターク!? この孤児院の院長がミレーユなの?」
女は青ざめて踵を返し、逃げ去るように孤児院をあとにした。
「どういうこと? ミレーユが院長? てことは、ミレーユがノエルを引き取ったってことなの!? ノエルは私の物なのに、横取りするなんて」
狂気じみた形相で独り言を漏らしていると、女と同色のフードを被った男性がどこからともなく近寄ってきた。
「アイラ嬢、どうかお静かに。貴女とユードリヒ殿下が王都に潜入したことがバレては、すべてが水の泡です」
「わ、分かってるわよ。……ちょっと想定外のことがあって、取り乱しちゃっただけ」
フードの男は、アイラにとって『協力者』だ。
王都に戻ろうとしていたアイラとユードリヒを手助けして、密入境させてくれた。
「あんたたちには感謝してるわ。私だけじゃ絶対に、王都に潜入する前に関所で捕まってたもの」
「お役に立てて光栄です。それでは、殿下のところへ戻りましょう。身をひそめるのにちょうどよい場所も、すでに確保してありますので」
わかったわ。とうなずいてから、アイラは悔しげに歯ぎしりをした。
(――ここでノエルを手に入れられれば、すべてうまく行くと思ってたのに! またミレーユに邪魔されるなんて、許せないわ)
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