【3*】ノエルに捧ぐ『ざまぁ』

今世で初めて生推しノエルの姿を拝むため、私は王都の平民街にある小さな劇場へと向かった。

ゲーム通りの進行ならば、ノエルはこの時期には劇場の人気歌手として大活躍しているはずなのである。


侯爵邸から乗ってきた馬車を広場に停留させ、護衛の騎士を伴って下町を歩くこと十数分。


「……なぜ平民街などに来た。やはりお前の情夫は平民なのか」

兄・ミラルドが低く問いかけてきた。氷の美貌は無表情を装っているが、その実、かなり不機嫌そうだ。


「情夫ではないと言ったでしょう? しつこいですよお兄さま。私の推しノエルは、ただの歌手です」

「歌手?」

「はい。なので私達は今、劇場に向かっています」

言いながら、ちらりと隣の兄を見た。


絶対について来ると言うから、ここまでの道中で平民男性の服を調達して兄に着せてみたのだけれど……粗末な服は兄の美貌にはあまりにも似合わない。

麻のシャツから高貴なオーラが漏れ出てチグハグだ。


「全然似合いませんねお兄さま、不自然です」

平民街の小劇場なんて、兄みたいなキラキラした貴族男性が来るような場所じゃないのに。

「お前も相当浮いているよ。まったく平民に見えない」

「……またそういう意地悪を言って。私は入念に変装してきたので、どこからどう見ても商家の娘です」

そんな会話をしながら劇場に辿りついた。


「まぁ、折角なのでお兄さまもノエルの歌を聞いてみてください。絶世のエンジェルボイスなので! ……公演が終わったら、楽屋で出待ちしましょう」

並んで着席し、公演の開始を待った。

公演は1時間。

ノエルはどのあたりで出演するのかしら!? 

胸をときめかせているうちに、開演の時間となった。




――しかし。






ノエルは最初から最後まで、一回も登場しなかった。


「……は?????」


愕然としている私の横で、兄が「質の悪い歌劇だったな」と退屈そうにしている。

「それで。どれがノエルだったんだ?」

「…………」

ノエルが出ないなんて、あり得ない。

ノエルはここでは1番の売れっ子歌手で、将来的には王立歌劇場の専属歌手にまでのぼりつめる運命なのに。


まさか、ノエルの運命シナリオが狂っている!?

私は血相を変えて、歌劇場の支配人を呼びつけた。


「はぁ……ノエル? 誰だそりゃ、そんな歌手はウチにはいないよ?」

「いないですってっ!?」

支配人に言われて、私は頭を抱えた。


おかしい。

私が貴族学園を卒業する年には、ノエルはとっくに人気歌手になっているはずなのに……。


「まさか、アイラが……」


もしかしてゲームヒロインのアイラは、ノエル育成の連続イベントを起こさなかったのではないだろうか?


ノエルはこのゲームでは、王都の平民街で暮らすモブキャラだ。

不幸な境遇で育ち失声状態だったノエルは、アイラとの出会いによって救われていく。

ノエルは最初まったく喋れない状態だけれど、『なかよしイベント』を繰り返して親密度を上げると話してくれるようになり……すばらしい歌声を披露してくれる。

親密度が上がるたび、歌だけでなく絵や語学、占星術など多方面で天才的な才能を発揮していき、同時に「音ゲー」や「塗り絵」、「クロスワードパズル」「占い」などの激かわいいミニゲームが次々と解放される仕様だった。


「順当にイベントを進めていけば、学園生活2年目あたりでノエルが歌劇場にスカウトされるイベントが発生しているはずなのに。劇場に入る前ということは、ノエルが暮らしている場所は……」

ぶつぶつと呟く私を、兄がしげしげと眺めている。


「もう! 許せないわ、あのヒロイン! 3年間もノエルを放置するとか、どれだけ鬼畜なの!?」

私は血相を変えて、劇場から飛び出した。




――サン・トルクト孤児院。

わたしは護衛を従えて、貧民街の一角にあるボロボロの孤児院に向かった。

兄も当然のようについて来た……あれこれ聞かれると面倒だから帰ってほしいのだけれど、兄は一筋縄ではいかない男だ。

絶対に口出ししないよう、兄に釘を刺してから孤児院の門をくぐる。

それと同時に、裏庭のほうから中年女性の怒鳴り声が聞こえてきた。


「オイ、ぐずぐずしてんじゃないよ、この屑ども! 身寄りのないお前らは、誰のお陰でタダ飯食えてると思ってるんだい!? ちょっとは役に立ちな!!」


物凄い罵声だ。

裏庭を覗き込むと、シスター姿の中年女性と、畑で働く二十人ほどの子供たちの姿が見えた。


「さっさと耕せって言ってるだろ! 早くやりな!」

「ご……ごめんなさい、シスター。でも、すきが重くて……」

「口答えするんじゃないよ! 農作業もできないんじゃ、お前らに生きる価値はないね! あぁ嫌だよ、役立たずばかりで!」


子供たちは泣きべそをかいたり暗い顔をしたりしながら、シスターに従って農具を振るっている。


木箱いっぱいに詰まった種芋を、4歳くらいの銀髪の少女がふらふらしながら運んでいる――あの子は。


シスターが、銀髪の少女をぎろりと睨みつけて叫んだ。

「もたもたすんじゃないよノエル、あんたが一番の役立たずさ! お前みたいな役立たずは、奴隷商にでも売り飛ばしちまおうかね。顔だけはそれなりだから、高く売れそうだねぇ」


「ちょっと!!」


私は思わず声を張り上げ、ずかずかと踏み込んでいった。

少女ノエルのすぐ目の前に立ち、彼女の手から種芋の木箱をそっと取り上げる。

木箱は、私でもふらつくほどに重かった。

背後で兄が「……ノエルは子供だったのか」と呟く声が聞こえた。


私は足元に木箱を置くと、シスターを睨みつけた。


「あン? 誰だい、あんたは」

「……通りすがりの者ですが、子供たちへの暴言が聞こえてきたので立ち入らせていただきました。ここは教会の運営する孤児院でしたわね。シスター、あなたがここの責任者ですか?」

「あぁ、そうさ」

「孤児院は身寄りのない子どもたちを保護する場所でしょう? あなたの態度は目に余ります」


ふん、綺麗ごとを。と、吐き捨てるようにシスターは言った。

「どこの商家のお嬢さんか知らないけどね、部外者が口出しするんじゃないよ! こっちは安い運営資金で、愚図なガキどもの面倒見させられるんだ。少しくらいは働かさなきゃ、やってけないんだよ!」


「子供たちへの不当な扱いの原因は、経営難ということですか?」


「ああ。教会もケチでねぇ、孤児の生活費に金を回す余裕はないんだろうさ。まぁ、あんたみたいなお金持ちが寄付金でも送ってくれれば、憐れな子供たちの待遇も少しは良くできるんだけど……」

このシスターは、私を金持ち商家の娘と見たらしい……とすると後ろの兄は、商家の金持ちボンボンといったところか。


私は溜息をついてから、護衛に目配せして財布を出させた。

「寄付金ね、わかったわ。これで良いかしら?」

ドルク金貨1枚。

上流市民の収入1か月分くらいに当たる金額だ。


シスターはいきなり恭しい態度になり、「神の祝福が貴女様にありますように」と首を垂れて金貨を受け取った。

しかし丁重な態度だったのは受け取るまでの間だけ。

次の瞬間ニヤリと笑って、

「これでガキ一匹分の1か月の生活が保障されたよ。好きなガキを一匹選びな、そいつだけ今月の労役は免除してやるから」

「なっ……!」

「ここのガキは全部で20匹だから、全員分なら金貨20枚。1年保障なら12か月分で2400枚だよ?」

「に、2400……!?」


とんでもない詐欺師だ。

いくらなんでも、孤児院の運営に年間2400ドルクは必要ない。

私は兄のもとで領地経営も手伝っているから、相場くらいは知っている。


「あ、あなた、いい加減にしなさい! 吹っ掛けるにもほどがありますよ!?」

「いいや、これは必要経費さ。世間知らずなお嬢さんには分からないだろうけどね」

「くっ……」


こんな女に話しても、埒が明かない。


私はすぐそばにいるノエルをちらりと見た。

ノエルは、じっと私を見上げている。大きな金色の瞳でただひたすらに『じーっ』とこちらを見つめていて、感情が読み取れない。


(……そうだわ。ゲームでもノエルは最初、こんな感じだった)

ゲーム初登場時には4歳だったはずだから、今はきっと7歳。

にもかかわらず、4歳くらいの背格好のままなのはどういうことだろう?

(まさか栄養が足りてないとか!? 許せないわそんなの……!)

3年前に救われるはずだった彼女が、いまだにこんな孤児院で不当な扱いを受けているなんて。


私はしゃがみ込み、ノエルの幼い手をきゅっと握った。

「必ず助けるから」


ノエルの手を放し、悔しさを滲ませながら立ち上がる。

「あいにく、今はもう手持ちがありませんの。……今日のところは、これで失礼しますわ」


シスターに礼をして私は立ち去った――。




   *




翌日。


「なっ、ななな、何なんだい、あんたたちは――!?」

孤児院の中から響いたシスターの声を聞き、私はほくそ笑んでいた。

今、サン・トルクト孤児院には建築ギルド経由で雇った三十人の大工が集まり、私の指示のもとで改修工事を始めている。


「ちょっと! あたしは、大工なんて呼んでない! 誰の許可で勝手に工事をしてるんだい! ここはあたしの孤児院だよ!?」


「あら。もう、あなたの孤児院ではありませんよ?」


驚いている子供たちとシスターの前に、私はドヤ顔で登場して見せた。

……ちなみに呼んでもいない兄は、やはり今日も私の後ろで見物している。

筆頭政務官って、ヒマな仕事じゃないと思うけど――「有給休暇が溜まっているんだ」とか言っていたから、まあいっか。


「つい先程より、この孤児院の運営権は私のものとなりました。申し遅れましたが私はミレーユ・ガスターク侯爵令嬢と申します」

「こっ……侯爵令嬢!? 運営権があんたに? でも、ここは教会の孤児院で……」


「ですから。私が教会から、この孤児院を買い取ったのです。昨日あなたが要求してきた金額の4倍以上に当たるドルク金貨1万枚を、教会に直接寄進して交渉しました」


「い、いちまん……!? そんな金を小娘ごときが出せる訳が、」

「侯爵令嬢を舐めないでくださる?」


カジノで稼いだポケットマネーと婚約破棄で手に入れた賠償金。それらを使えば楽勝だ。

「国内初の民営孤児院の誕生ですわね。今日から私が院長です。教会から派遣されていたあなたは勿論クビですから、お荷物をまとめてさっさと出て行って下さいね」


私はくるりと踵を返し、大工たちに指示を出し始めた。


「建物がかなり老朽化していますから、先ほど渡した建築計画をもとに補修工事をお願いします。西棟は補修ではなく改築したいので、棟内の物品をいったん東棟に移動して――」


「お、お嬢様……! お待ちくださいまし!」

シスターがいきなり媚びへつらった態度になって、私に声を掛けてきた。

「あたくし、お嬢様の手腕に感動しましたわ。お嬢様お一人では、ガキ……じゃなくて子供達の管理をするのは大変でしょう。あたくしは経験があるので、どうかあたくしを雇ってくださいませ! これからは心を入れ替えて働きますので、どうか……」


「あなたは必要ありません」


にべもなく言い放つ。


「教育や保育を任せる人員は、面接を済ませて優秀な人材を確保してありますからご心配なく。……そういえば、孤児院の資金繰りに疑問を感じたので教会に問い合わさせていただきましたが、どうやらあなたは教会本部に支給されていた運営費を私物化していたようですね」

「ひっ……!」


「子供たちに最低限の食料しか与えず、保護・教育の職務を怠っていた。教会はあなたを破門にして、横領の件で裁判を起こすと言っていましたよ。公正な裁きが下されますように……それでは、ごきげんよう」


私がスッと手を上げると、門の外で待ち構えていた憲兵隊が敷地内に入ってきた。

うろたえるシスターを、憲兵隊は躊躇なく連行していく。


「ま、待っておくれよ、あたしは、あたしは……あぁああああああ!」




「どこまでも浅ましいシスターだったわね……」

溜息をついていると、兄が隣までやってきた。

兄は楽しそうに、クスクスと笑っている。


「お前を見ていると退屈しないね。随分と思い切ったことをするじゃないか。ノエルを助けるためだけに、孤児院を買い取ったのか?」


「きっかけはノエルでしたが、それだけじゃありませんよ。もちろん一時的な支援にとどまらず、孤児院経営者として責任をもって子供達全員を守ります。こう見えて私、前世ずっとまえから福祉事業に関心がありましたので」

「それは初耳だ」


ぽかんとしていた子供たちに、私はとびきりの笑顔を見せた。


「皆さん! 私が新しい院長のミレーユです。他の先生たちも、もうすぐ到着しますからね。今日は新しい孤児院のスタート祝いに、パーティをやりましょう。温かいミルクと柔らかいパン、お肉料理も用意してますから!」


わぁ!! と子供たちが歓声を上げる。


ノエルだけはぽかんとした表情のまま、金色の大きな瞳で瞬きもせずに私を見つめていた。



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