レリ

八雲たけとら*

レリ

 ご飯が炊ける匂いがする。

 夢の中に居た朧気な頭が、無意識のうちに朝を認識する。目を開けた先、カーテンの向こうが明るかった。そうか。もう朝か。

「朝ごはんですよー。」

 そうか、朝ごはんか。むくりと身体を起こす。一度腕を上げて「んー!」と伸びた。

 まな板をトントンする音が小気味良い。豆腐とワカメの味噌汁が飲みたいなぁと思いながら、食卓につく。置かれてるご飯を見ると、残念、お麩の味噌汁だった。両手を合わせる。

「いただきます。」

「はいな。召し上がれー。」

 ご飯。納豆。お味噌汁。目玉焼き。ウインナー。味付け海苔。 オーソドックスな、でもちょっぴり豪華な朝食。俺はペロリと平らげた。とても美味しい。朝ごはんを食べれるなんて、随分と久しぶりのことだった。再び両手を合わせる。

「ご馳走様でした。」

「はいな。お粗末様でした。」

 いつの間にか対面の席に座っている彼女。キラキラした顔でこちらを見ていた。感想を待っているのだろうか。

「お味噌汁の味付けが絶妙でした。しょっぱすぎず薄すぎない。実にちょうどよい。あと目玉焼きが、しっかり焼けてるのに黄身がとろっとしてるのが、嬉しかったです。ありがとうございます。」

 感想をつらつらと述べると、彼女は満足そうに微笑んだ。キラキラと可愛く笑う人だ。どうやら料理は得意らしい。

 さて、ところで。


「 あなたは、いったい誰ですか? 」


 俺は一人暮らしである。勝手に上がり込んでくる幼馴染みもいなければ、彼女もいないし、家族もいない。

 昨日はいつも通り帰宅してそのまま寝たんだ。酔い潰れて、行きずりの恋をしたわけでもない。となると、どうだろう。記憶が確かなら、この状況すらさっぱり分からない。この彼女はいったい誰なのだろう。

「ふふふ。まさか完食するまで聞かれないとは思いませんでしたよ。」

 まぁ。確かに。素直に食べる俺もおかしかっただろう。

「いや、出されたご飯は、冷める前に食べるべきだと思いまして。」

 我ながら律儀である。これで毒でも入っていたら今に天国である。

「大丈夫ですよ。毒なんか入ってませんよ。天国にはまだ少し早いです」

 ですよね。よかったよかった……。んっ?

「……今、心を読みませんでした?」

「ええ。読みましたよ。」

 さも当たり前かのように言い放つ彼女。俺は、それならば試してみようと思い、全く脈絡のない単語を思い浮かべてみることにする。

 カボチャサラダチキンコンソメスープスパゲティ。

「お昼ご飯のリクエストですか? カボチャサラダはともかく、チキンコンソメスープスパゲティは作ったことないですね。」

 本物だ。完璧に読まれた。軽く人知を超えてきた。

「あなた、いったい何者ですか?」

「わたしは、死神です。あなたの命をいただきます。」

 さらっと吐き出されたその言葉に、俺は今日はじめて驚愕する。しにがみ?

 困惑する俺に「驚いて貰えないかと思いました。」と笑う彼女。

 どうやら俺は、死ぬらしい。



 彼女は、心が読めることを除けば、ごくごく普通の女の子に見えた。ブレザーを着れば学生に見えるし、スーツを着ればOLにも見えただろう。漂う印象は華美ではなく、むしろ落ち着いた日常感のあるものだった。これで死神だと言うのだから驚くほかない。

「うふふ。褒め言葉として受け取っておきましょう。」

 こうして俺の心の声は、またしても拾われていく。おちおち考えることもできない。

 俺は散歩に出かけていた。彼女は散歩にもついてきた。数歩後ろを歩いては、ちょいちょい絡んでくるつもりらしい。

 話しかけようとして、ふと、気がつく。彼女の名前を知らない。

「なんて呼べばいいですか?」

「はい?」

「『死神』は名前じゃないでしょう? あなただって俺のこと『人間』とは呼ばないように。」

 俺がそう言うと、彼女は「そこの人間、苦しゅうない。」などと、わざとらしく口にする。さてはこの死神、面白いな。

「あ、そうそう人間さん。ちなみに敬語じゃなくても良いですよ。わたしはフランクな関係が好きなんです。」

 笑ってそんなことを言う死神さん。死神とフランクな関係ってどうなんだろうかと思いつつも、敬語を外すことには大いに賛成だった。話しづらくて仕方ない。

「じゃあお互い様ってことにしようか」と言うと、死神さんは嬉しそうに笑った。

「わたしの名前は、獅童 仙花。どんな風に呼んでも良いよ。死ぬまでよろしくね。」

 和名なのか、と驚く。てっきりエキドナとかラミアとか、悪魔のような名前なのかと思っていたのだ。でもまぁ、見た目は日本人だし、和名のほうが逆にリアリティーがある。いっそ、その方が死神っぽくもある。

「死神っぽいでしょう! 今、咄嗟に思いついたの。」

 ……即興だったようだ。いたずらっぽく笑う彼女がなんだか愛らしく、少し笑った。

「ところで、俺の名前は知ってんの?」

 担当する、という表現が正しいか分からないが、これから死に誘う相手なのだから、知っているのではないかと思ったのだ。

「うーんと……じゃあ、斉城 優斗!」

 全然見知らぬ名前が飛び出してくる。俺の名前は知らなかったようだ。

「誰が即興で名付けろって言ったよ。鑪部 哲太だ。」

「たたた、てた?」

 経験上「たたらべてった」が呼びにくい名前だというのは把握している。でも、それにしても「たたたてた」は無いだろう。

「呼びにくいから、もう優斗でいい?」

「いや、良くねえよ。」

 彼女は……仙花は、ふふふ、と楽しそうに笑った。



 てくてく呑気に歩いて、近くの土手まで来ていた。うっすらと温かい空気が、風になって顔を撫でていく。土手沿いを走ったり歩いたりする他の人たちが、とても日常的で和やかだった。この中で一人、俺だけがもうじき死ぬ。

「……なぁ仙花。死神の役割って何なんだ?」

 咄嗟にそんな疑問が口から出た。仙花は、きりりと顔を輝かせた。どうやら説明したかったようだ。人差し指を一本立ててコホンと咳払いをする。

「簡単に言うと、死の宣告です。それからあなたの最期を看取ること。」

 俺は「まるで医者みたいだなぁ。」と感想をこぼす。死神と言うのだからてっきり、命を奪うとか、魂を食らうだとか、そういう物騒なイメージだったのだ。

「死神とはいえ神だからね。そんな野蛮なことはしないよ。」

 そろそろ心を読まれる会話にも慣れてきた。俺はお試しで、ふーんそうなんだ。と、心の中で相槌を打ってみる。これでも聞こえるわけだろう。

「……テッタは、不思議な人だね。」

「不思議ってどの辺が?」

「普通は死神なんてもん信じないし、自分がもうじき死ぬなんて認められないものなのに。テッタはすぐに全部受け入れてるから。」

「受け入れたつもりはないけどね。俺はただ、根拠もなしに疑いたくないだけだよ。うじうじ悩むよりも、バカみたいにまっすぐ生きた方が案外うまくいくんだ。」

 ふと俺は振り返った。さっきまで後ろにあった足音が無くなったので、仙花が立ち止まったのが分かったからだ。

 彼女の顔には、色んな感情がごちゃまぜになって現れているように見えた。悲しみ。戸惑い。驚き。そして……ほんの少しの喜び?

 俺が思い浮かべたことが、当然仙花に伝わる。仙花は「どうして分かったの?」と驚いている。

「俺も死神だったりして。」

 そう言いながら俺は、さりげなく手を差し伸べてみた。仙花は、すっと手を重ねてきた。



 世界が、どこか静かに感じた。死が近いからだろうか。ゆったりと、悠々と、そんな気持ちのまま、仙花との散歩を続けていた。

 穏やかで安らぐ時間である。時計もなければ、スマホも持ってきていない。今頃、家に放置したスマホへ、職場から山ほど連絡が来てるだろう。はじめての無断欠勤だ。

「悪い子さんだ。」

 仙花は、俺の手の先で柔らかく笑った。その感覚が、どこか心地いい。

「今まで、どんな人を看取ってきたんだ?」

 何気なく聞いてみた。すぐ返ってくると思った質問の答えが、なかなか返ってこない。言葉にできない、何か曖昧なものを感じとる俺。でも何も言わないし、何も思わない。

 しばらくそのままで歩いた。ちょっぴりだけ重たい沈黙だった。そのまま歩き、歩き、ずっとこのまま歩くのだろうか、と思っていると、仙花が「その女の子は……。」と、静かに語り始めた。俺は無言のまま、そっと先を促した。

「ミュージシャンを目指してたんです。いわゆるシンガーソングライター。曲を書いて、ギターを弾いて、歌を歌って。いつも路上で歌ってましたが、夢はアリーナ会場を満席にするほど、有名なアーティストになることでした。」

 ギュ、と彼女の手に力が入る。無意識なのだろう。仙花は何もなかったかのようにしている。俺も何もなかったようにしている。

「そんなときです、彼女の前に死神が現れたのは。未来を信じる彼女の、未来が全て絶たれた瞬間でした。その絶望を、今でもよく覚えています。」

 俺は絶望しなかったので、全く正反対の反応だったのだろうと想像がつく。そんな俺の心を感じ取ったのか、仙花は軽く笑った。

「ええ。そうですね。テッタは、彼女の正反対でした。驚かせたくて試しに料理を作っただけなのに、まさか何事もないように食べて、ましてや褒められるとは思ってませんでした。」

 ふふふ、と笑った。羽のような心地よい軽さがあった。彼女の浮かべる笑みが好きだった。

 その笑みに、また少し力が入る。話が戻るようだ。

「彼女は、死と死神にかなり混乱しましたが、やがて受け入れることができました。最期をどう彩るか死神と相談して、華々しく飾る方法を思いついたんです。」

 仙花は、当時を思い出しているのか、今度はとてもキラキラした顔をしていた。思わず「どんな方法だったんだ?」と聞く俺。

「渋谷のスクランブル交差点をエアガン片手に占拠。交差点のど真ん中で路上ライブをしました。」

 そう言われて俺は、思い出していた。

 当時、そのニュースは話題となっていた。ネットではそのニュースをこぞって取り上げたのだが、その歌手は勾留中に病死したことで、よりセンセーショナルな話題となっていた。

「そう、そう。その通りです。彼女は、アリーナでのライブという夢を叶えることはできませんでしたが、どんな一流アーティストでも叶わない場所で歌うことができました。なかなかに良い思い出です。」

 お話終わり。そんな様子で、彼女はそっと優しい笑顔を作った。



 駅まで行って電車に乗った。少しだけ都心に出たのだ。スマホがないせいで、検索できないのがもどかしく、電車の乗り換えも、銀行のATM探しも、少し手間取った。しばらくブラブラ歩いているうちにお目当てのATMが見つかった。

 全額引き出そう……と思っていたのだが、できなかった。考えてみれば当たり前なのだが、ATMには限度額があり、最大で五十万円しか引き出せなかった。

「テッタ、そのお金で何するの?」

 聞かれて気付く。仙花はさっきのエピソードを敬語で話していたのだ。敬語とタメ口を行ったり来たりしている。

「その変化の基準はなんなんだ?」

 そう聞くと、少し困ったような顔で「もともと友達とかにも敬語だったりしたし……だから、ついつい敬語出ちゃうんだよ。」と話した。

 だったら別に敬語でも良いのに。そんなことを思うと、仙花はちょっぴり嬉しそうにしていた。

「しゃべりやすい方でいいよ。」

 俺がそう話すと「もう少しタメ口でいる。」と笑った。



 目的のお店は、なかなか見つからなかった。アナログではこうも難しいのかと、文明の利器のありがたさを知った。しばらく歩きっぱなしである。

「どこ行くの?」

「内緒。良いところ。」

 気付いたことがある。死神は心を読める。しかし心が読めるとはいっても、全部くまなく筒抜けではないようだ。だって全部分かるなら、さっきATMでお金の用途を聞く必要なんてなかったからだ。そうだろ?

「むぅ。その通りだよ。」と、不服そうにふくれる仙花。

「心の表、っていうのかな。思い浮かべてることまでは分かるけど、その真意までは分からないの。不憫な能力だよね。」

「そうか? それでも相当便利だと思うぞ。」

 仙花はそれに対して頷かない。

「だって、今どこに向かってるかさえ分からないんだよ? 不便だよ。」

 生きてる人間からすると、そんなこと当たり前なのだけど、死神からすると不便らしい。

「推理してみなよ。良いところだ。」

 しばらく「良いところ……?」と仙花は考える。ふと視界に、とあるピンク色の看板が入る。同時に仙花がハッとする。

「まさかラ 「ホテルではないよ。」

 俺が意図を察して先に言うと、仙花は、またふくれてみせた。ふと、とある疑問が浮かんだ。

「……死神って、そういうこともするのか?」

「場合によってはね。そういうことする人もいるらしいよ。したいの?」

「別にそういう訳じゃないよ。」

 俺はそう言いながらも、街中を見回している。その店を探していた。なかなか見つからなかった。

 その店を見つけたのは、それからしばらく経ってからだ。駅前のデパートに見当をつけて探したところ、二階のフロアにちょうどいいお店を見つけた。ずかずかと入っていく俺と、入り口で立ち止まる仙花。答え合わせの時間だった。

「ここって……。」

 ギターが立ち並び、ショーケースには金管楽器が飾られている。そう。楽器屋さんである。俺は迷わずカウンターにいた店員さんに話しかける。

「すみません。五十万で買えるギターってあります?」

「えっ? メーカーとか種類とか……。」

 楽器に詳しくないので「あー、全部おまかせで。」と口にすると、後ろから「ちょ、ちょっと!」と、仙花に腕を引っ張られた。

「そ、それはさすがに非常識……ある程度はこっちで決めないと……。」

「アコギ……とかそういうのか? 俺じゃよく分からないから、仙花が好きなの見繕ってくれよ。」

 仙花に、そう伝える。心を読んだ訳じゃないだろうが、俺の意図に気付いたらしい。仙花は一瞬泣きそうな顔になる。でも、すぐに落ち着いて、店員さんにあれこれと注文していた。俺には何一つ分からないワードばかりだった。

 店員さんが持ってきた、三十七万八千円のギターを「これでどう?」と仙花が聞いてくる。俺は「ああ。じゃあそれで。」と札束を差し出す。終始驚き尽くしの店員さんだったが、現金の束を見た途端、よろめき倒れそうになっていた。



 散歩のお供に加わったギターケースを背負い、仙花の手を引きながら、まだ街中を歩いていた。今度探していたのは、カラオケボックスだった。都心の方なので、すぐに見つかると思いきや、またもや見つからない。俺には探し物の才能がないのだろうか。すたこらと歩いていく。

「……聞いても良い?」

 そんな仙花の声が聞こえてきた。一通り考え抜いた後で声をかけてきたようで、雨が上がったあとのような顔をしていた。

「なんだ?」

「……どうして、そんなにすぐ死を受け入れられるの? それだけが、どうしても分からなくて。」

 まさか俺のことを聞かれるとは思ってなかったので、少し驚いた。てっきりギターの話かと思ってたのだ。

「……ふぅ。それは難しい質問だな。」

 本当は……簡単な話だった。一言で言えること。難しいのは、それを語るときの心の方で、本当は語りたくないというのが正しい。

 過去を思い出す。思い出すと今でもキリキリと辛い。様々な情景が瞬時に頭を巡る。色んな感情を思い描く。もしかすると仙花には伝わったかもしれない。それでも、仙花には話そうと思った。そんな時間も必要だと思ったんだ。

「数年前、俺はもう既に死んでたんだよ。心を殺して、魂を失くした。身体だけは、なぜだか残ってるけどな。」

「……さっきの思い出してたのは、彼女さん?」

 やはり仙花には、俺の頭の中が見えたのだろう。そんな風に聞いてくる。

「そう。不思議と気が合う仲でさ、色々話して、色んなことして、あぁ、こいつと出逢うために生まれてきたんだと思ったよ。それだけ大切にした。それだけ好きだった。」

 それだけ、たったそれだけでは、続いてくれないものもある。

「いつの日からかは分からないけど、あいつ、なぜだか冷たくなってよ。俺は浮気でもされてるんじゃないかって、疑心暗鬼になっちゃってさ。」

 不安にかられて、根拠のない疑いを持ってしまった。深く考えず、バカでまっすぐになっていれば、もしかするとまだ隣には、彼女がいたかもしれない。疑った途端、それまで通じあってたのが嘘かのように、口を開けば愚痴やら喧嘩やらひどいもんだった。それはまさに悪循環で、尚更のこと「他に好きな人でもできたに違いない」と思い込むようになった。

「ある日、ご飯前にお互いカッとなっちゃって言い合ったんだ。その時、俺はその、あらぬ疑いを口に出してしまった。他に男でもいるんじゃないかって。言ってしまってから、言いすぎたと思ったよ。俺は一旦家を出たんだ。頭を冷やそうと思って。そしたら……。」

 すっと、仙花の指が俺の唇に伸びてくる。首を振って「最後まで言わなくてもいいよ。」と言ってくれた。

 俺は頷く。しかし、心は止まってくれない。あの日の、あの時の記憶が流れ込んでくる。

 あの日、彼女は出ていった。自分が作ったご飯を、皿ごと投げつけて流しに散乱させて。それからはもう二度と、彼女の顔を見ることはなかった。あんな状態になっても、俺は彼女が好きだった。俺は、彼女が好きだった。

「なんかさ、失ってから色々してみたんだけど、何をしても埋まらなかったんだよ。気がつかない間に彼女は、それだけ大きな存在になってたんだ。君が現れて、俺が死ぬ運命だと分かって、俺は気付いてしまった。俺はあの日から、生きようとも、生きたいとも思ってなかったんだ。あの頃、あの時までに……俺の人生はもう全て、費やしてしまったのだと。そう思っていたんだ。死を受け入れた理由は、それだけ。本当にそれだけだよ。」

 仙花は、俺の話を聞き終わると、一筋だけ涙を流し、あとは何も言わなかった。



 話し終えて、またしばらく探して歩いても、カラオケボックスは見つからなかった。この街の人は歌を歌わないのだろうか。俺は仙花の歌が聞きたいのに。

「やっぱりそういうことなんだね。」

 仙花が、複雑な笑みでそう言った。俺は、思ったままに行動したかっただけだった。俺の命がもう長くないというのなら、あとの少しはバカなぐらいにまっすぐ生きたかった。

「やっぱり知ってたでしょ?」

 仙花がまたあの顔をする。悲しみと戸惑い。ほんの少しの喜び。

「なんのこと?」と、俺はシラを切る。


 バカなぐらいに まっすぐ生きれたなら

 あの日のあなたに たどり着けただろうか


 以前、街中で聞こえてきたそんな歌詞に、喧嘩別れしたあの日を重ねてしまったことがあった。いい曲だと思っていたが、後日ニュースでその人がもうこの世にいないことがわかった。歌詞と歌ばかりが印象に残っていて、その人の名前など、忘れていたのだ。

 最初は気付けなかったけれど、その人に再び出会えたことが、実は本当に嬉しかった。あの歌をもう一度で良い聞きたかった。

 でもそんなこと。仙花は知らなくてもいいこと。

 仙花は、いたずらっぽく「そんなの無理だよ。もう伝わっちゃったもん。」と笑ってみせる。

 でも俺は、もう一度「なんのこと?」と惚けてみせる。仙花が何者でも、もうなんでも良かった。たとえそれが死を連れてくる死神だとしても、生きている人と遜色ない何かだとしても。

 今、目の前にいる仙花。料理が上手くて歌が上手い獅童 仙花。それだけでいい。それだけで良かったんだ。

「……ははは。なるほど、そういうことね。分かった。それなら、死神じゃなくて、わたしとして付き合ってあげる。ギター貸して。」

 俺は、背中のギターケースを差し出すと、仙花はパチンとケースを開けてギターを取り出した。

「わたしね、カラオケボックスもライブハウスも実は好きじゃないんだ。だって空、見えないでしょ?」

 ぴーんぴーん、とチューニングを始める。その顔は、今まで見せたどの笑顔よりも、楽しそうに生き生きとしている。

「別にいいでしょ? 歌うの、今ここでも。」

 路上も路上。都会の歩道のど真ん中だった。

「無許可のゲリラだから、警察来たら殴って止めてね。」

 それはそれは物騒なことを言う。でもそれは、あの日のスクランブルを彷彿とさせて、俺は少しわくわくしてしまっていた。

 しばらくして「……よし。」と準備を終えた仙花。はじまる。それが伝わってくる。


 一瞬……そんな一瞬で。

 不思議なんだけど。

 あと少し。もうちょっとでいい。


 なんだか、生きていたくなってしまった。


 仙花は、そんな俺にニコッと笑いかけると、天高く腕を振り上げた。




終。

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レリ 八雲たけとら* @yakumo_taketora

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