泣かない季節(千尋)
帆尊歩
第1話 (千尋)
僕の横で千尋は、知らない名前の墓を見つめている。
久しぶりに休みが合ったので、どこかに行こうと誘う。行きたいところがあると言うので、来てみたら墓地だった。
付き合って三年、そろそろプロポーズでもしようかなという頃だ。
「誰の墓」と僕は聞く。
「お母さん」千尋は、じっとお墓を見つめながら言う。
「えっ、いや」
「そうだよ。生きているけど、ここに眠っているのが本当のお母さんなんだって」
「えっ」
「今の両親は、実はおじさんとおばさんなの」
「えっ」
「そう思うよね。でも私も知ったのは、最近だから、付き合わせてごめん。でも言っておかないと、と思って。実は、今日が命日なんだ」
「いや、いきなりで。法事的な事は?」
「そんな物、私を捨てた人だから悲しくもない。だからこの季節は泣かない季節なんだ」
「いや捨てたって、それに、もしそうだとしてもなんか事情があったとか」
「関係ない。どんな事情があろうと、私を捨てたことには変わりがない。でも母は言うの。
命日だけはお墓に行って、手だけでも合わせて来いと。
だから泣かないけど、手だけ合わせに来た。ごめんね、付き合わせて」
「いやそれは。そうなった事情とかは聞いているの?」
「少しね」
「なら・・・」
「今の両親に申し訳ないでしょう。ここまで愛情を持って育ててくれたのに」
「そうかな。それに手だけでも合わせて来いと言ったのは、今のお母さんなんだろう」
「本心じゃないよ。せっかく二十五年間育ててきたのに、今更心を本当に母親に持って行かれるなんて、私だったら嫌。だからこの人が亡くなったこの季節は、私にとって泣かない季節なんだ」
「仕方のない事情で手放したのなら、捨てたという表現は正しくないと思うし、百歩譲って、千尋が言うように捨てたとしても、千尋を捨てたなんて表現を使うべきではないと僕は思う」
その僕の言葉に千尋は何も言わない。そしてしばらく経って、口を開いた。
「不倫だったらしいの」
「不倫?」
「だから余計に私には言わないようにしていたみたいだけれど」
「本当のお母さんに会いたかった?」
「そうね。恨み言の一つでも言いたかったな」
「お父さんは?」
「分らない。最後まで誰とは言わなかったみたい。そもそも、その人が子供が出来たことを知っていたかどうかも怪しいしみたいだし。この子は私が育てると言っていたのを、無理だと言って、無理矢理引き取ったらしい」
「そうなんだ」
「私の気持ちが分る?」
「えっ」
「何事もない、どこにでもいる娘、普通に両親がいて、普通に育って来たのに、いきなり目の前の両親は本当の両親ではない。実は本当に母親は別にいたが、三年前に亡くなった。そんな事実を知って、本当のお母さんに会いたい、お父さんに会いたい。なんて言出したらどうするつもりだったんだろう。そして三年前に死んだと言うより、三年前まで生きていたことを知って、どうして会わせてくれなかったって、泣き崩れたらどうするつもりだったんだろう」
「親の覚悟だろう」
「私が、そんな泣き崩れるような娘に見えなかったのかな」
「いや、千尋がたとえ、どうして教えてくれなかったと言って、泣き崩れたとしても、それを甘んじて受け入れようとしていたんじゃないかな。千尋のお母さんならそう思ったはずだ」
「何よ、うちの両親の事なら何でも分かりますみたいな事言って」
「だってわかるよ。何度も何度もご飯を食べさせてもらい、お父さんとだって何度飲みに行った」
「二人は、私にとっては本当の両親というつもりなんだけど、一応今の両親は、私に取っても義理だから。義理の、義理の両親になっちゃうけれど、良いかな」と言って、千尋は頭を下げた。
「そんな事心配していたの?」
「うん、あとで聞いて気分を害さないかなって」
「そんなことあるわけないよ。今のご両親は大事で、大好きな千尋を育ててくれた人達だ。感謝、感謝だ。お墓のお母さんも、大切な大好きな千尋を産んでくれた人で感謝、感謝だ。そして誰だか分らない本当のお父さんにも感謝、感謝だ。僕はみんなに感謝、感謝だ」
「じゃあ感謝ついでに、私のこともよろしくお願いします」と言って、千尋は頭を下げた。
「ちょっと待ってよ。そういうことは、せめて僕が結婚してくださいと、言ってからにしてくれる?逆プロポーズされたみたいじゃん」
「そうか、ごめんなさい」
「じゃあ、千尋の本当のお母さんにご挨拶」と言って、僕は墓の前で、目をつぶって手を合わせた。
きっと、千尋は僕を本当のお母さんに紹介するために、ここに連れてきたことが、なんとなく分った。
そして手を合わせる僕の後ろで、泣いている千尋にも気付いたけれど、今は千尋にとっては泣かない季節だったので、僕は千尋が泣いていることには気付いていない振りをした。
泣かない季節(千尋) 帆尊歩 @hosonayumu
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