あさきゆめみし
岩戸の向こうは闇ばかりかと思ったが、中に入ると小さな光が無数に瞬いているのが分かった。だが、どうも地面の上を歩いているという感覚がない。道は確かにあるように見えるのだが、ふわふわして頼りない感覚が、足を踏み出す度に身体に伝わってくる。時間の感覚も定かではなくなり、どれくらい歩いたのかもわからなくなっていた。
けれど、不思議と恐ろしい感じはしなかった。静かに、何かに見守られているような気さえする。
そうして歩みを進めた先に、仄白く光る一本の細い木があった。その枝には、紫色をした、艶やかな山葡萄の実が生っていた。周囲には泉が湧き、そこの水自体が発光しているように、水面が揺れる度に光が乱舞する。泉は細い川になり、更に彼方へと流れていっていた。
『ああ、何やら懐かしい匂いがするな』
言いながら、シンの傍らに月読がその姿を現す。月読はその泉に足を浸すと、袴の裾が濡れるのも構わずに歩いていき、木から山葡萄の実を一つむしった。それを口に入れると、美味そうに飲み下す。
『あなたも来るといい。
月読が手招きし、キズナが勾玉を掲げると、ユイが横たわった状態で顕現した。
ユイは固く目を閉じていて、キズナは水辺に膝をついてその頭を支えた。ゆらゆらと
『キズナ……。ここまで来てしまったのだな……』
キズナはユイの手を握り、微笑む。
「ええ。あなたは祟り神になんかならない。わたしがさせないって、約束したでしょう?」
『こんなことをすれば世界が……。お前とて帰れる保証などないというのに……』
「あなたは十分に戦ってくれたわ。これが、わたしがあなたにしてあげられる、最後のことよ」
しかし、ユイは駄々っ子のようにかぶりを振る。
『わしはどうなってもいい……。元より、産みの父と母にさえ打ち捨てられた身だ。惜しくなどない……。だから、わしを拾い上げてくれた人の子らのために、わしの力を……』
「わたしも、わたしに力を貸してくれたあなたに報いたい。それだけよ」
キズナはユイの頭を両腕で包み、そっと抱きしめた。ユイは逆らわずにそれを受け入れる。その肩が、微かに震えているように見えた。
『すでに黄泉への扉は開かれた。ここまで来たら、否やも何もあるまい』
その声にユイが顔を上げると、月読はユイの口元に山葡萄の実を持っていく。
『食え。これで
ユイは観念したように、その実を口にした。そうすると、少し楽になったようで、呼吸が落ち着き、顔色もわずかに良くなったように見えた。
『キズナ……わしは、お前と共に歩くことができて、楽しかったぞ』
「わたしもよ……。わたしを見つけてくれて、ありがとう……」
ユイは月読に肩を支えられて、一緒に暗い道の先へと歩みを進めていく。その後に、勾玉と鏡に納まっていた、須佐之男や幾多の魂たちも、小さな光の玉となってふわふわと続いた。
『嘆くことはない。全ては一度終わりを迎え――そして、また始まるものもあるのだろう』
二人の輪郭はだんだんと朧げになり、霞んで闇の中に溶けていく。
『帰り道は、決して振り返るなよ。よいか、何があってもだ』
月読は微かに振り返って、それが言い残した最後の言葉だった。
シンは目を閉じ、彼らのことを思った。長かったような、短かったような旅だった。だが、ここまで来たことに後悔はない。
「ありがとう……。さよなら」
キズナは、去っていく彼らの後ろ姿を、いつまでも見送っていた。ユイと月読の姿が完全に見えなくなって、キズナは力が抜けたようにその場にへたり込む。
「……これで終わり。目的は果たした。わたしの旅もここまで……」
背後から風が吹いてくる。それはどんどん強くなっていくようで、水面や木を揺らす。その風に乗って流れてくるのは、地上に留まることを余儀なくされていた、死者たちの魂の群だった。
戻ろうとすれば、目を開けていられないほどの強烈な向かい風が襲ってくる。シンは本能的に危機を感じた。
「おい、早く戻ろうぜ」
だが、キズナは座り込んだまま動こうとしない。呆けたように呟く。
「わたしはいい。どうせ、この身体も長くはもたないし……。あなたたちだけでも、早く」
「キズナ様!」
「何をおっしゃるのですか!」
アサヒとヨツユはキズナの腕を引こうとするが、キズナはそれをすげなく振り払う。二人はあまりキズナに強く出られないようだが、シンはその様子に痺れを切らして、キズナの腕を掴んで強引に立たせる。
「いいから! 早く帰るぞ!」
本当に彼女の寿命がもう近いのだとしても、今この瞬間、まだ生きているのだ。キズナはシンに引っ張られながらよたよたと走り、アサヒとヨツユも後に続いた。
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