還りゆく場所-4

 言い終わるのと同時に、サクラはキズナに向かって足を踏み出す。大きく振るわれた刃が届く前に、キズナはかろうじて短刀でそれを弾いた。

 だが、距離を取ったキズナに向かって、サクラは身体を回転させて、そのままの勢いで刀を振り抜く。大ぶりなその動きは、まるで舞を舞っているようだった。キズナは身体の前に短刀を構えてはいるが、大きく後ろに跳んでその軌跡から逃れるばかりで、明らかに押されていた。


「なんであいつ、戦わないんだ?」


 呟くと、頭の中に月読の声が響く。


『あの娘たちは、戦いの訓練を積んでいるわけではない。まともに刀を振るうことができるのは、我らをその身に降ろしている間だけだ』

「じゃあ、助けないと……」


 力を貸してくれと言おうとしたシンだが、月読は先手を打ってそれを遮った。


『サクラも神を降ろしてはおらぬ。そこにわたしが手を貸すのは、野暮というものだろう』


 月読の言い方は、どこか突き放したふうだった。しかし、月読もだいぶ消耗しているようだったし、どちらにせよ加勢は望めないのかもしれない。

 だが、戦闘経験に差がないのであれば、単純に体格と得物の間合いがものを言う。キズナより上背があり、間合いの長い太刀を握っているサクラの方が、圧倒的に有利だった。


 なんとかして止めるべきか。しかし、月読の力を借りることのできないシンは、丸腰だ。その状態で真剣を振るう彼女たちを止められるとは、到底思えなかった。


『それに』


 と、月読は声を落とす。


『あやつらは、天照に捧げる舞を舞っているのだ。そこに闖入するなど、あってはならぬ』


 そう言ったきり、月読は沈黙した。後には、刀が触れ合う高い音と、彼女たちの足音だけが響く。シンは、そしてアサヒとヨツユも、毛の先ほども動くことが憚られるような気がして、祈るような気持ちでじっと事の推移を見守っているしかできなかった。


 そのうち、キズナの動きが変わった。サクラの太刀筋を無暗に受けたり逃げたりするのではなく、彼女の動きと対を成すように短刀を振るい始めた。互いに殺気は感じられない。二人の動きは同調、あるいは共鳴し、一つの洗練された舞台を形作っていく。

 互いに大きく腕を振り、円が交差する刹那、刀がぶつかる音がする。それすらも、規則的に旋律を刻んでいるように思えた。それはもはや戦いではなく、洗練された舞だった。剣舞だ。


 長いような短いような時間の果て、キズナの短刀が、サクラの太刀の柄を絡め取り、その手から取り落とさせた。はずみでサクラの手に、赤い筋が一筋走る。

 サクラはその傷を押さえ、床に落ちた刀に、呆けた顔でしばし目を落とした。やがて顔を上げて、満足そうに微笑む。


「見事な舞だったわ。さすがね」


 サクラは息を切らせながら、その場に座り込む。キズナも肩で息をしながら、彼女のもとに跪いた。


「サクラ、あなた……」


 彼女の顔色は、激しい運動の後とは思えないほど、青ざめていた。苦し気な息遣いも、一行に納まる気配がない。


「何でもないわ……。少し疲れただけ。……それより、見て」


 サクラは目線で岩戸を指し示す。そこに巻かれていた注連縄が落ち、小さく地響きを立てながら、大岩が少しずつ横に滑るように開こうとしていた。微かに土埃が舞う。


「勾玉の力とあなたの願いがこの場に満ちたことで、封印が解かれようとしている……。さあ、行くといいわ」


 開きかけた岩戸の隙間から、微かに風が吹いてくる。この向こうに、太陽の女神、天照がいる。もう一戦交えることになるのかとシンたちは身構えたが、そこには何もいなかった。深淵に向かう闇だけが、ぽっかりと口を開けている。


「……天照の御方は、わたしにここを任せて、とうの昔にこの向こうへいってしまったわ。とは、そういうことよ……」


 サクラは溜め息と共に、そう吐き出す。


「じゃあ、どうして……」


 彼女たちはここで舞わ戦わなければいけなかったのか。


「天照は、人間を、わたしたちを愛してくれていた……。だから、自分にこの世界を支える力はもうないけれど、最後まで人の子らのいいようにしなさいと……。黄泉津比良坂の扉を封じるなんて、本来の流れを捻じ曲げるようなことにも力を貸してくださった。わたしは天照の巫として、その意思に報いなければならなかった。でも、こうやって誰かが終わらせてくれるのを、待っていたのかもしれない……」


 サクラの身体もまた、限界が近いのだろうか。倒れそうになった背中を、キズナが支えた。サクラは苦しい息の下で、尚も言葉を紡ぐ。


「キズナ、あなたは自分の生命を、作られた紛い物だと思っているのだろうけれど……。あなたは自分の意思で、己の道を選んだ。それは、間違いなく生きているということの証。だから、胸を張って生きて……」


 その言葉に、キズナは虚を突かれたような顔をした。そして、目を伏せて唇を噛み締める。彼女の胸の内は、シンには計りかねた。

 サクラは疲れ果てたように大きく息を吐いて、それきり口を閉ざした。その胸は小さく上下して、静かに眠っているように見えた。

 シンたちは彼女を広間の隅に運び、なるべく楽な姿勢になるように、壁にもたれさせた。


「キズナ、彼女は……」

「大丈夫よ。……今はまだ」


 シンは眠るサクラを見下ろし、それ以上言うのはやめた。

 その間に、岩戸の隙間は人が一人通れるくらいに開いていた。ここから、今まで連れてきた魂や、ユイを送ればいいのだろうか。だが、そこに近付いても、シンたちの周囲に変化はなかった。


「確実に送るなら、奥まで行く必要がありそうね」


 岩戸の向こうには、全てを呑み込むような闇が広がり、ひんやりとした空気が立ち上ってくる。背筋が粟立つ。この先は、明らかに異質だ。

 そこを覗き込んでいたキズナがシンを振り返り、何か言おうとするが、


「行かなきゃいけないんだろ? だったら、さっさと終わらせようぜ」


 シンがことさら明るく言うと、キズナは「……そうね」と呟き、闇の中に足を踏み入れた。アサヒとヨツユもそれに続き、シンもごくりと唾を呑んでから、足を踏み出した。

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