魂の在り処-3

須佐之男スサノオ、我が弟よ……。そなた、かようなことに手を貸すか。相も変わらず、場を引っ掻き回すことにはけておるな』


 月読が大男の刃を返し、一歩距離を取る。


『俺は人の世界がどうなろうと知ったことではない。楽しければそれでいい。この娘の願いを叶えてやるのも、一興だろう』


 野太い声が響く。その間にアサヒとヨツユは、キズナを背後にして部屋の隅に退避していた。


『兄弟と刃を交えたことはなかったな。ここで雌雄を決するのも、楽しそうだ』


 須佐之男が口角を上げて、にやりと不敵な笑みを浮かべる。


「邪魔をするなら、ここで死んでもらうわ。――須佐スサ


 ヒイラギがその名を呼ぶと、二人の姿が一つに溶け合う。そして次の瞬間、彼女の手の中に、鋭く冷たい光を放つ、白銀の刃が握られていた。


『やるぞ、シン』

「は!?」

『あれは荒ぶる力の神、須佐之男。戦いに長けた、我らの弟だ。水蛭子ヒルコの君は戦える状態ではない。半端な覚悟では、やられるぞ』


 言うが早いか、月読はシンの中に入ってくる。依り代があった方が、力を効率よく発揮できるらしかった。そして、光の刀を顕現させると、迫ってきたヒイラギと須佐之男の刃を受け止める。


「あら、あんたが相手をしてくれるの? 部外者なのに、あんたに何の得があるわけ?」


 須佐之男の力を身に宿したヒイラギは、常人とは桁違いの膂力をしていた。こちらも月読の力を借りているし、通常であれば男で体格差もあるシンの方が有利だろうが、今は押し切られそうだった。


「もう部外者じゃねえ」


 交差した刃の下で、シンは己の心を確認する。

 キズナにも、そしてヒイラギにも、それぞれ抱えている苦しみがある。それを知った今、彼女たちの苦悩の上に、のうのうと生きていることは自分にはできないだろうと思った。

 だから、この世界の仕組みは一度終わらせた方がいい。


「俺は、キズナに協力する。黄泉比良坂の扉ってのを開ける」


 ヒイラギが顔を歪める。


「そう……。じゃあ、あんたから始末してあげる!」


 叫んで、刃を振り抜いた。その勢いに、シンはたたらを踏む。


『すまぬ。わたしの力もまだ戻っておらぬ。ほんの少し力を貸してやることしかできん』


 須佐之男とヒイラギの刃をかろうじて受け止めることはできるが、シンは刀を振るったことなどない。まして戦うことなど、からっきしだ。

 それでも月読のお陰だろうか、あちらの太刀筋を見きって躱し、受けることはできるが、段々とシンは押されていた。


「おい、なんとかならねえのかよ!」

『わたしは戦いは得意ではないのだ。わたしが戦う物語など、皆無だから』


 あくまで落ち着いた声音で返されるが、シンは焦っていた。腕や頬が浅く切られ、血が滲んでいく。

 ついに壁際まで追い詰められ、もう逃げ場がないところまで追い詰められてしまった。


「ここまでかしら。偉そうな口を利く割には、呆気ないわね」


 シンが刀の扱いに慣れていないことを差し引いても、戦闘能力の差は圧倒的だった。ヒイラギは獲物をなぶるのを楽しんでいるようだ。シンは肩で息をしながら、この場を切り抜ける方法はないかと思考を巡らせるが、そう簡単に状況を打開する術などあろうはずもない。


「さよなら」


 刀を水平に構えたヒイラギが、突進してくる。

 しかし、その顔が不意に苦痛に歪み、足取りはよろめく。

 彼女が胸を押さえて足を止めたところに、背後からユイをその身に宿したキズナが飛びかかり、袈裟斬りに刃を振り抜いた。


 白い着物の背中が、斜めに赤く染まる。床に倒れ伏したヒイラギから、須佐之男が分かたれた。その身体は視認することはできるけれど、質量は伴っていないはずなのに、どお、と重い衝撃に当たりが揺れた気がした。


『不意打ちとはいえ、この俺に一太刀浴びせるとは……』

『そのくらいで死にはせんだろう。だが、あの小僧に仇なすのであれば、容赦はせん。このままおとなしくしているか、わしに斬られて消えるか、好きな方を選ぶがよい』


 ユイはキズナの口を借りて話していが、その息遣いは荒く、辛そうだった。しかし、刀は油断なく須佐之男に向けている。


『まだひと暴れくらいはできるぞ。俺は、小娘の望みを叶える……!』


 須佐之男はなおも立ち上がろうとする。その身体からは、徐々に黒い気が立ち上り始めているようだった。しかし、


須佐スサ……もういいわ」


 ヒイラギが弱々しく言って、倒れたまま須佐之男に向けて手を伸ばす。その手には、白と翠、二つの勾玉が掲げられていた。須佐之男の身体が光の粒になって、その中に吸い込まれていく。


「……ひふみよい、むなやここのたり……」


 ヒイラギが何度か聞いたあの不思議な言葉を唱える。


「ふるべ、ゆらゆらとふるべ……」


 途中からキズナの声がそれに重なり、勾玉に光が吸い込まれるのと一緒に溶けていった。


「あなたと過ごした時間は、悪くなかったわ……」


 苦し気な荒い呼吸を繰り返しながら、ヒイラギが呟く。


「キズナ……わたしはずっとあんたが嫌いだったわ。アオイのこともね。おとなしく元老院の言いなりになっているかと思えば、急に黄泉比良坂の扉を開くなんて、馬鹿みたいなこと……。じじいどもに従って、この世界を守らなければ、わたしたちに存在価値などないと言われ続けていたのに、その命に逆らって、自分の行く道を決めるなんて、本当に馬鹿みたい……。わたしだって、ちゃんと生きて……ちゃんと死にたかった……」


 吐息と共に吐かれた言葉は、静寂に包まれた空間の中で響き、シンたちの耳朶を打つ。

 キズナは彼女の元に跪き、そっと囁いた。


「あんたのことも、黄泉へ連れて行くわ。安心して」


 ヒイラギは唇を歪め、自嘲のような笑みを、微かに漏らした。


「……あんたに気遣われるなんて、ごめんだわ……」


 その言葉を最後に、ヒイラギはその瞳を閉ざした。

 キズナは胸の前で手を合わせて、厳かにその言葉を唱えるのだった。

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