せめて、人間らしく-5

 シンは、ともかくキズナに追いつこうと、休息は最低限にして、黙々と早足で歩き続けた。


『童よ、そんなに急ぐとバテるのではないか?』


 人の身体は脆弱だからな、と心配しているのか揶揄からかっているのかよくわからない口調でいう月読をよそに、シンはひたすら足を進める。月読はどうやら、顕現していなくても言葉を交わすことができるらしく、時折こうして笛の中から話しかけてくる。


 話し相手がいるというのはいいものだ。ハヤテとの一人と一頭の旅にも不満はなかったが、キズナと旅をするようになって、別に彼女と親しくなった覚えはないが、この世界に一人ではないと常に思えることが、どれだけ心の支えになるかということを、図らずも実感していたのだった。


 そうやって歩いて歩いて、ようやく遠くに霞む、白い奇妙な建造物を目に捉えた。そして、そこに向かおうとするキズナたちの背中も。

 だが、彼女たちが足を踏み出した先には、結界がなかった。

 シンは躊躇したが、それはほんの一瞬で、拳を握りしめてキズナたちの後を追う。一度経験したことだ、きっと大丈夫だ。こんなところで死ぬつもりなど、毛頭ないのだ。


 結界の外に出た途端、周囲を取り巻く空気が変わる。重く粘りつくような空気。聞こえてくるのは、死者たちの恨みと嘆き、悲しみの声。

 それらは、自分の力ではどうにもできない。だからせめて、この魂たちがどうか安らかなれと祈った。


 そうしているうちに、前方に三つの人影が見えた。

 二つはアサヒとヨツユ、そしてもう一つは、耳を押さえてうずくまるキズナだった。


「キズナ!」


 アサヒとヨツユが、弾かれたように振り返る。


「シン殿!」


 二人は驚きに目を見開いた後、その瞳を潤ませた。キズナも、ゆらりと顔を上げる。


「……なん、で」


 信じられないものを見たような顔で声を震わせるキズナを、シンは呆れたように見返した。


「なんでって、言いたいことだけ言って、人のこと置いてくんじゃねえよ」


 あの時、とっさに何も言えなかったのは事実だ。キズナもシンを突き放すつもりだったのだろう。


 だが、それでも。


 あんな話を聞いた以上、シンはキズナのやろうとしていることの結末を、この世界の行く末を見届けたい――見届けなければいけないと思った。それが、真実を知り、曲がりなりにも月読という神と共に在る自分は、そうしなければいけない気がした。何より、何もせずに世界が終わるのを見るのは嫌だと思った。何もできることなどないとしてもだ。


「俺は、お前と一緒に行く」


 そう言って、精一杯笑って見せた。

 キズナはくしゃりと顔を歪めて、しかしその顔を見せるまいとするように、すぐに顔を伏せる。


「あんたは……どうして、そんなふうに笑っていられるの……」

「お前はお前の思うようにすればいい。俺も、お前のすることを見届けたい。そのために手を貸す。それが、俺のやりたいことだからだ」


 どんな道を行くとしても、覚悟を決めて進むだけ。どうせなら、その道が少しでもいいものになるように、笑っていよう。今までだって、そうしてきたのだ。

 この世界がどのような仕組みでできていても、生きているものはいずれ死を迎えるという事実に変わりはない。だったら、何があっても最後まで己の心に添うように、後悔のないように生きたいと思ったのだ。


「お前も、そんな悲壮なツラしてないで、さっさと行こうぜ。ハヤテもきつそうだし」


 ハヤテもここまでついて来てくれたが、動物にも何か感じられるものがあるのか、神経質そうに尻尾を振り、しきりに首を振っている。

 シンはキズナに手を差し出す。キズナはじっとその手を見つめた後、それに自分の手を重ねた。そして、ゆっくりと立ち上がる。


「……わたしに説教なんて、百年早いわよ」


 言って、口の端をわずかに上げて見せた。


「だったら、説教されるようなことするんじゃねえよ」


 言い合う二人を、アサヒとヨツユは目を細めて見つめていたが、二人はそれに気が付かなかった。




「お礼を申します、シン殿」


 先頭を歩くのはキズナ、その後ろにシンがハヤテの手綱を引いて続いていたが、ヨツユがそっとシンの横に寄って来て、耳打ちする。

 いくら加護があっても、この怨念の渦の中を歩くのはいつ何があってもおかしくないし、長時間気を張っているのにも限界がある。全員足早に歩いていて、キズナがこちらを振り返る様子はない。


「わたしたちでは、本当にあの方のお心に添って差し上げることはできませんから」


 シンは首を傾げる。


「なんでだよ? お前ら、ずっと一緒に旅をしてたんだろ?」


 しかし、ヨツユは静かに首を横に振る。


「我々は、そうあるように作られたもの。キズナ様も、それだけだと思っている節があります。だから、わたしたちをその役目から解放しようと、突き放すようなことも時々なさいます。わたしたちは、それが歯がゆくてなりませんでした」


 一旦言葉を切ったヨツユは、キズナの背に視線をやる。


「わたしたちに果たせなかったことを成せるあなたが、少しうらやましくはありますが……。今は、ただ感謝を」


 それだけ言って、ヨツユはキズナの隣に戻っていく。

 やがて再び彼らは結界に守られた領域に辿り着いた。

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