ひとのつくりしもの-3

 シンとキズナは、挫けそうになる足を必死に動かして、集落の外へ転がり出た。全身を覆うようだった重苦しい空気が消え、深く息を吸い込んだ。

 しゃがみ込んだ二人の前に、アサヒとヨツユが駆け寄る。今にも泣き出しそうに、目を潤ませていた。ハヤテもシンの姿を見つけると、嬉しそうに嘶いた。


「お二人とも、よくご無事で!」

「本当に、よかった……!」


 アサヒとヨツユは、二人に水筒を差し出す。シンはそれを受け取って、ごくごくと飲み干す。人間離れした動きをさせられて、全身が悲鳴を上げているようだったが、それで少し気持ちが落ち着いた。


『まこと、大儀であったな……』


 シンから離れた月読も、傍らで座り込んでいた。最初に出会った頃のように、顔色が悪く見えた。そういえば、力が弱って消えるところだったと言っていなかったか。


「あんた、大丈夫なのか?」

『わたしの心配をしてくれるとは、よい心がけだな。まあ、案ずるな。少し、あれの毒気に当てられただけだ。だが……』


 月読は視線を上げる。その先には、


「ユイ! ユイ!」


 必死な様子でその名を呼ぶ、キズナの姿があった。ユイもキズナから離れたのか、ほの明るい白へと変化していたキズナの髪は、元に戻っている。その傍らに、人の姿を取ったままのかの神がうずくまっていた。しかし、何か様子がおかしい。

 ユイは顔を歪めて瞳を閉じ、苦しそうに呻いていた。そして、その身体からは、黒い靄のようなものが漂い始めている。まるで、先程この地の神が変じた時のような。


『シンよ。笛を吹け。そなたの笛ならば、少しは力になるやもしれん。祈っておく

れ。我らが神としてあるには、人の子の存在が必要なのだ』


 清めの儀式で奏でていた笛。あれが一体何の役に立つというのか。わからないが、やってみるしかなかった。


 シンは笛を取り出して構える。そして、ユイのために祈るように、唄口に息を吹き込んだ。澄んだ音色が、伸びやかに夜の静寂の中に響き渡っていく。

 ゆっくりと旋律を奏でるうちに、ユイの様子は穏やかになっていき、やがて眠るようにゆっくりと規則的な呼吸を始めた。そして、その姿が朧げにゆらめいたかと思うと、白い小さな蛇の姿に戻った。


「よかった……」


 キズナはその蛇を抱き上げ、そっと抱きしめる。


『……やはり、そなたの笛には不思議な力があるな。生きようとする意志、そのもののような……』


 そう呟くと、月読の姿も光の粒になって、笛の中に戻っていく。


『わたしも休ませてもらうぞ……』


 二柱の神が眠りに就いた時、空は白み始めていた。


「……わたしたちも、移動しましょう」


 シンの疲労は限界だったが、このまま結界の縁で休むのも憚られた。沈み込みそうになる身体を気合で動かして、先に歩き出したキズナたちに続いた。ハヤテは荷運び用だから、その背に乗ることはできないのは残念だったが、この生き物が変わらず傍にいてくれることが、泣きそうなくらいありがたかった。




 少し歩いて完全に夜が明けた頃、彼らは小川を見つけて、そこで小休止を取ることにした。道は平坦になって、歩くのは楽になっていた。

 川でざぶざぶと顔を洗うと、少しさっぱりした気分になった。水も補給して、携帯食を腹に入れると、ようやく思考に余裕が出てきた。


「……おい、キズナ」

「何」


 キズナはちびちびと携帯食をかじりながら、地面に視線を落としている。


「あれは何だったんだ。お前、鬼なんていないって言ったじゃ……」


 月読はあれを「祟り神」と呼んだ。しかし、シンにはそれが人々に「鬼」と呼ばれているもの、そしてこれまで何度か見た「鬼」と思っていたものそのもののように思われた。

 今度こそ、全部話してもらう。そう息巻いていたシンだが、キズナはこれまでのように「知ってどうするの」などとは言わなかった。

 キズナは観念したように大きく息を吐く。


「そうよ。、鬼なんていない。……力を持ち、災禍をここまで生き残ったあんたには、仕方ないから教えてあげるわ。人々が鬼と思っているもの――あれは、結界の内側から生じるものよ。そして、鬼などと呼ぶべきものじゃない。あれは、ご神体に封じられていた神の成れの果て。わたしたちは、〝祟り神〞と呼んでいるわ」


 そして、キズナは重い口を開く。




 それは、シンたちよりも何世代か前の話。


 人類は、滅びの危機に瀕していた。戦争や環境汚染などの人災に加え、天災や疫病が度重なったというのは、人々に伝わっている通り。しかし。


「世界には八百万やおよろずの神がいて、ずっと人と共に在り、それぞれの土地を守っていた。けれど、地上が荒廃するのに合わせて、神々も死に絶え、皆黄泉の国へ下ろうとした――」


 だが、土地神がいなくなっては、その地も恵みを失い、水は枯れ、実りのない死の土地になってしまう。そこで、時の権力者たちは、一計を案じた。


 それが、黄泉の国へ続く黄泉津比良坂ヨモツヒラサカの扉を閉ざし、そこへ行けないようにすることだった。土地神たちはご神体に封じられて縫い留められ、半ば無理矢理その地の守りとされた。そうやって、人類は生き永らえるはずだった。


「でも、そう上手くはいかなかった――」


 本来、人も神も、死を迎えると黄泉の国へと向かう。そして、全ての母なる女神の元で現世うつしよのことを忘れ、安らぎを得たのち、時が来ればまっさらな魂となって、再び地上に生まれてくる。その流れが、黄泉津比良坂の扉を閉ざしたことで、断ち切られてしまった。

 その具体的な影響は、胎児のほとんどが死産か流産となるという形で現れた。魂の入らない肉体は、この世に生まれてくることはできない。


「だから、肉体の死後、安らぎを得る場所を失った人の魂は、わたしたち巫の力で応急処置的に浄化され、次の肉体へと生まれ変わることとなった」


 その流れの一端が、キズナが度々取り出していた鏡だということだった。死者の魂を回収し、浄化された魂を胎児に宿す。

 

「でも、それにも限界があった。浄化しきれなかった魂は、生者を呪う怨念となり、人類を脅かす脅威となった。そこで、ご神体に封じた神々の力を変質させ、生者を守る結界を作り出した。――それが、今のこの世界の姿よ」

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