ひとのつくりしもの-1
シンはハヤテの手綱を握って、無我夢中で走っていた。途中で家々の扉を叩いて住人を起こして回ったが、誰一人として逃げおおせた者はいなかった。誰も彼も、眠そうに目をこすりながら、あるいは夜中に叩き起こされたことに憤りながら、砂になって崩れていった。
そのうち、ハヤテを守るのと、自分が逃げるので精一杯になって、ただひたすら走っていた。集落の外に出て、結界の中に入ったのを感じると、ようやく立ち止まった。
崩れるように座り込んで、荒くなった呼吸を整える。こんなに走ったのは、生まれて初めてかもしれなかった。少し後から、アサヒとヨツユも追いついてきた。しかし、その後には誰もいない。
「住人たちは……?」
二人は、肩で息をしながら、ゆるゆると首を横に振った。
後から誰も来ないことが、それを何よりも雄弁に物語っていたのに、現実を突きつけられると、事実が心に重くのしかかった。
目の前で、大勢の人が消えて、死んでいった。自分は、ただそれを見ていることしかできなかった。カイのことも助けられなかった。せっかく生き残ったのに。
呆然と地面に視線を投げていたシンは、思い出したように顔を上げる。
「キズナは」
「戦っておられます」
アサヒとヨツユは、悲し気な、それでいて何かを諦めたような目で、結界の消えた集落の中を見つめている。
目を凝らすと、夜の闇の中心に、更に濃い闇の塊が蠢いていた。その周囲で、断続的に小さな白い光が瞬く。しかし、闇はその光を飲み込もうとするかのように、広がりうねる。
そして、闇がその掌を大きく広げたように見えた時、光の粒は非力な虫のように、地面に叩き付けられていた。
『苦戦しておるようだな』
不意に響いた声に驚いて、自分の傍らに視線を移すと、
アサヒとヨツユにその姿は見えないはずだが、何かを感じることはできるのか、一歩引いて居住まいを正す。
『何を呆けておる。手を貸さぬのか』
月読は、シンに咎めるような言葉を向けた。
『あれほどの邪気を孕んだ祟り神、あれひとりで斬ることは難しい。手を貸さねば、おそらくあの娘も死ぬぞ』
「祟り神……?」
シンは、ぼんやりと月読の言うことを繰り返すことしかできない。月読は「なんだ、知らぬのか」と呟く。
『ああなっては、もう清めることは叶わぬ。斬るしかない。神は同じく神にしか斬れぬ。故に我らがいる』
こいつは何を言っているのだ。混乱するシンに構わず、月読は言葉を続ける。
『我らは巫に神気を分け与え、各地に封じられた土地神の浄化を行ってきた。それと同時に、清めることが叶わぬほど邪気を溜め込んで祟り神へと堕ちたものを斬るのが、我らの真の役目。そのために、古くからこの地にある神々の中でも、特に名のある我らが、巫たちと契りを結び、力を貸してきたのだ』
月読は一旦言葉を切り、ひどく痛みを感じているような顔で、闇の中心を見遣る。
『理由はわからぬが、この地の神は、何者かによって歪められ、余計に邪気を溜め込んでおった。あれの力は強いが、それでも限度がある。このままでは負けるぞ』
シンは、深く息を吸い込む。
何が起きたのか、そして起きているのか、まだ全部は理解できない。知っているふうなのに、誰もきちんと話してくれない。そんなのはもうごめんだ。だから、今度こそキズナに洗いざらい説明してもらおうと思った。そのためにも、死なせるわけにはいかない。
「……俺にも、あれと戦う力があるんだな?」
『そう言うておろう。飲み込みの悪い
嫌味な言い方をされてシンはむっとするが、今は構っていられない。
「どうすればいい」
『お主、得物は?』
「えもの?」
狩りの獲物のことだろうかと一瞬考えたが、そうではなく、得意とする道具、ひいては武器のことかと思い当たる。
しかし、シンは武器など持っていない。木を削ったり、魚を獲ったりする時に使う小さなナイフなら持っているが、これは武器などといえる代物ではない。
『まあ、仕方あるまい。夜はわたしの力が強まる刻だ。なんとかなるだろう。――心を鎮めて、目を閉じろ』
シンは言われた通りに瞼を閉じたが、心を鎮めると言われても、こんな状況下でどうすればいいのかわからない。それでも、何度か深呼吸を繰り返すうちに、少し心が落ち着いてきた気がする。
そして、
『ふむ。上手くいったようだな』
今までよりも近くで、月読の声が聞こえたようだった。目を開けると、右手には白く輝く、細く反り返った刀が握られていた。驚く間もなく、足が勝手に動き、地面を蹴って走り出す。
『この身体、しばし借りるぞ』
「シン殿!」
「どうか、ご無事で」
見送るアサヒとヨツユの声が、遠ざかっていく。
「お前、何しやがった!?」
シンは事態が飲み込めない驚愕と恐怖に慄く。身体は自分の意思に反して動くが、言葉は話せるようだった。
『何を言うておる。巫とは、神の声を聞き、また神をその身に宿す才を持った者のことだ。これくらい、当然のことだろう』
月読は何を今更、とでも言いたそうだが、シンには何もかも初耳だった。絶対に後で全部説明してもらうからなと心に誓って、闇の中心に向かってシンは駆けた。
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