疑念と真実-9
「……何か、用?」
警戒を露わに、キズナはレキに対峙する。
「いやあ、あんたらこそ何してんのかと思ってさ」
言いながら、レキはもったいぶるように一歩一歩土を踏みしめながら、こちらに近付いてくる。その手には、松明と、鶏のケコを繋いだ細い縄が握られていた。
「お嬢ちゃん、ずっとこそこそしてただろ? 禁忌だなんだと言う割に、その理由は話そうとしない。俺はそこらの連中と違って、言われたことをそのまま信じるほど、素朴で信心深くはないんだよ」
レキが近付いてくるのに合わせて、キズナは後退る。彼はシンのことは眼中にない様子で、キズナだけを見ていた。シンは思わず気圧されてしまい、レキに道を開けてしまう。
しかし、レキは
「……あんた、何が目的」
「別に、これといった目的はないさ。ただ、知りたいんだよ、この世界の仕組みをさ。お嬢ちゃんといれば、それが叶うんじゃないかと思ってついてきたのさ。お嬢ちゃん、禁忌とやらを犯そうとするとあれだけきつく止めるってことは、祈りだのなんだのってのは、単に心の在り方の問題じゃなく、何か実質的な影響があるってことだろ?」
キズナは、ひたとレキの瞳を見つめている。
「それを知って、どうするの」
「……俺が暮らしていた集落は、結界が消滅してなくなっちまったんだ。十歳くらいの時だったかなあ」
少し遠くを見るような目をして語るレキは、重い告白をしているはずなのに、口調も態度も変わらず飄々としている。その何も移していないような瞳に、シンはぞくりと怖気を感じた。
「カイと似たような感じでさ。ちょっと外に遊びに出て、戻って来たら何もなくなっちまってた。たまたま近くに他の集落があって、助けを求めることができたから生き延びることができたが――それからずっと考えていた。言われた通りにご神体には祈りを欠かさなかった。なのに、どうして結界は消えて、家族も仲間も皆死んでしまったのか。結界はどういう仕組みでできているのか。瘴気とは何なのか。何故、結界の外では生きられないのか。――どうして俺だけが生き残ってしまったのか。俺の生まれ育った集落に、巫はなかなか来なかった。……どうして助けてくれなかった。どうして俺も、家族と一緒に死ねなかった!?」
レキは、感情を抑えきれなくなったように叫ぶ。シンもキズナも、思わず息を呑んで動けずにいた。だが、彼は激昂したのを恥じるように、静かな口調に戻る。
「だから俺は、この世界がどんな仕組みで動いているのか――特に、どうしたら結界が消えるのか、いつか確かめたいと思っていたんだ。そこに、何かいるんだろう? それなら、試すのにちょうどいい。お嬢ちゃん、ご神体の前で殺生は禁忌と言っていたよな? 話す気がないなら、自分で確かめてやるさ」
レキは、握っていた縄を引き寄せ、鶏を持ち上げる。
「あなた、まさか……!」
キズナは目を見開いて、鋭く叫ぶ。
「アサヒ、ヨツユ! あいつを止めて!」
同時に、二人が地面を蹴る。
しかし、二人の手が届く前に、レキはケコを持ち上げて、空中に放り投げた。鶏は、突然の暴挙に驚いて翼をばたばたとはためかせるが、羽を切られているので飛ぶことは叶わない。
そして、その首にレキの投げたナイフが突き刺さった。鶏は甲高い叫び声を上げ、赤い鮮血を撒き散らしながら落下していく。赤い一滴が闇の塊に落ちた刹那、それは始まった。
闇が震え、一瞬屈みこむように丸くなったかと思うと、大地が震えるような苦悶の声を上げながら、一気に膨れ上がった。それは足玉の力で編まれたらしい光の網を破り、外に広がっていく。
それと同時に、薄い膜が割れるようなかそけき音が、空に響いた。結界が崩壊し、光の粒が飛び散るのが、シンの目には見えた。
そして、ぞわりと背筋が凍るような気配が、四方から迫ってくる。結界の外に出た時と同じだ。瘴気――生きるものを許さない死者たちの怨念が、集落の中に流れ込んできていた。
レキにはその一連の様子は見えていないはずだが、それでもこの禍々しい気配くらいは感じ取れるのか、空を見上げて静かに佇んでいる。寝静まっていた住人たちもそれに気付いたのか、辺りは所々明かりが灯り、ざわめき始めていた。
「なるほど、こうやって結界は消えるのか」
レキは感情の読めない顔で、視線を空に彷徨わせていたが、やがて口の端を微かに上げて、にやりと笑ったように見えた。
「やっと、俺も皆のところへ行ける……」
そう呟いたのを最後に、レキの身体は闇に包まれる。そして、一瞬だけびくりと痙攣すると、砂のようにさらさらと崩れていった。シンは、呆然とそれを見つめることしかできなかった。
「……シン、アサヒとヨツユに勾玉の加護を」
言われても、シンはとっさに動けなかった。そんなシンを叱咤するように、キズナは厳しい口調で言う。
「早く。わたしたちにはユイと
シンはよろよろと勾玉を目の前に掲げる。
だが、キズナの言わんとしていることは理解できたが、具体的に何をすればいいのかわからない。けれど、とにかく今はとにかく動かなければと、二人を守ってくれるよう、勾玉に念じた。すると、ふわりと青白い光が溢れ、二人を包み込んだ。
「アサヒ、ヨツユ。可能な限り住人の避難を。無理だと思ったら、自分たちの安全を最優先するのよ」
「かしこまりました」
短く首肯して、二人は走り出す。
「あんたも、早く逃げなさい。いくら勾玉と月読命の加護があっても、これほどの邪気が相手じゃ、持ちこたえられるかわからないわ」
「でも……」
足が震える。この状況で、助かる術などあるのか。キズナは闇の中心から目を離さないが、どうするつもりなのか。
ざわざわと、死者たちの声が耳を覆う。力が抜けていく。
こんな世界を生きて何になる。頑張って生きても、最後には何も残らない。ならば、何もかも無駄ではないのか。そう思った時、
「生きようとする意志を失えば終わりだと言ったでしょう! 〝生き延びたければ走れ〞!」
力強く澄んだ声が、耳朶を打つ。かつて母に言われた言葉と同じだった。母の笑顔と優しい声が、脳裏を駆け巡った。
シンは弾かれたように顔を上げ、集落の外に向かって、力の限り駆け出した。
キズナはシンの背中を見送ると、大きく息を吸って、深々と吐いた。帯に挟んだ短刀を抜き、意識を集中する。その傍らに、人の形を取ったユイが、ぼんやりと姿を現した。
「……どうして、人間はいつまでも愚かなのかしら」
ぽつりと呟いたキズナに、ユイは不敵に笑って見せる。
『そうよなあ。それでもわしは、お前たちを愛おしいと思うぞ』
「……ありがとう」
周囲から命の気配が消えていくのを感じながら、キズナは刃を掲げた。
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