疑念と真実-8

 そして、その日の夜更け。サカキが寝入っているのを確認して、キズナとシン、それにアサヒとヨツユは、そっと部屋を抜け出した。

 彼らは岩場の多い地面を、足音を殺してご神体の元へと急ぐ。夜は起きていてもできることはないし、明かりに使う燃料も節約しなくてはいけないので、誰しも暗くなればあとは寝るだけだ。野宿している間は夜通し火を焚いていたが、集落で暮らしていればその必要もない。明かりの全くない夜は、深い闇がとっぷりと垂れ込めていた。


 常に厚い雲に覆われた空は、日が落ちれば一点の光もない暗闇に覆われる。シンはそのことを、久しく忘れていた。夜風は冷たく、服の隙間から肌に沁みてくる。

 さして広くもない集落を横切り、彼らは社の前に出た。キズナが一歩前に出て、そこにいるはずの神に呼びかける。


「この地にします神よ、今一時ひととき、お姿を拝することこと、叶いますでしょうか」


 声は低めているつもりだが、静まり返った闇の中では、思った以上に響く。誰か聞きつけて起きてこないか、シンは冷や冷やしていた。

 キズナと旅をするようになってずいぶん経った気がするが、こうしてご神体の神に直接呼びかけるのは、初めてだった。ユイや月読とは言葉を交わしたが、あれはこちらから呼びかけたのとは違う。


 この地の神は、こちらの呼びかけに応えてくれるのだろうか。しかし、緊張した面持ちで待ったものの、キズナの声が辺りに吸い込まれて静寂が戻っても、何も変化はなかった。


「……なあ」


 何も起きないのであれば、明日からまた旅をするのだし、戻って寝た方がいいのではないか。

 シンはそう言おうとしたが、


「しっ」


 キズナはシンの動きを手で制して、表情を険しくする。シンは訝ったが、次の瞬間、地の底から響くような呻き声が、彼らの耳に届いた。背筋が泡立って、腹の底が気持ち悪くなるような声だった。

 それと同時に、社の中で、闇がより濃くなって蠢いた気がした。人の姿を取ろうとしているようにも見えるが、頭部と思しき部分に見えるのは、澱んだ血のような、赤黒い二つの光だった。


「おい、あれ……!」


 同じだと思った。カイの住んでいた集落の側で見たものと、かつて母と別れた集落で見たものと。

 あれが鬼なのだと、シンは少し前まで思っていた。だが、キズナは鬼などいないという。では、あれは一体何だ。


「こんな状態になっているなんて……。でも、それなら何故……」


 キズナは呆けたように呟いている。その間に、それはずるりとこちらに動いてくる。

 思わず一歩後ろに足を引いたが、その漆黒の闇は、社の外に出てくることはなかった。寸前で社の周囲に、淡い緑色の光でできた網のようなものが現れ、それの動きを阻んだのだ。束の間、周囲がぼんやりと照らし出される。


「そうか、足玉の力をこんなふうに使って……」


 苦々しげに言ったキズナは、顔を上げてそれの前に立つ。


「神よ、どうかお鎮まりください……!」


 キズナはそれに呼びかけるが、闇の深さはいや増したように見えた。


『もう……よいだろう……。この地の人の子らは、わらわのことを忘れた……。何故わらわだけが、この地に止まらねばならぬのだ……』


 ようやく聞き取れた呻くようなその声は、深い悲しみに満ちているように、シンには感じられた。


「キズナ様、一体何が……」


 アサヒとヨツユには、この声は聞こえず、姿も見えていないのだろうか。だが、異様な気配は感じているようで、彼女たちの瞳は、社への警戒とキズナの身を案じることに揺れている。

 光の網は、今はそれを内側に止めているが、いつ突破されてもおかしくないように見えた。

 キズナは扇を取り出し、さっと広げて闇の前にかざした。途端、闇はびくりと動きを止める。


「シン、笛を吹いて」

「は?」


 笛も勾玉も、肌身離さずに持っている。流石に眠るときは枕元に置いているが、部屋を抜け出した時に持ってきていた。月読ツクヨミが笛に宿ってからは、尚更そうしている。


 キズナは今ここで清めの儀式をするつもりだろうか。だが、ここで笛を吹いたりしたら、住人たちが起き出して邪魔されるのではないだろうか。

 しかし、キズナの声は切羽詰まっているように感じられた。


「早く。一か八か、やるしかないわ。でないと、結界がもたない」


 その様子に気圧されたシンも心を決めて、笛を取り出す。その時、妙に間延びした声が背後からかかった。


「よう。こんな夜更けに何やってるんだい? 俺も入れてくれよ」


 この場にそぐわないにやけた笑いを浮かべて現れたのは、レキだった。

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