疑念と真実-4

 ご神体は、他と同じように、集落の中心部にあった。立派な社が建てられており、きちんと奉られていることがわかる。――否、奉られていた、と言うべきだろうか。ここの住人たちは、この地の神への祈りはもう捧げていないと言っているのだから。


 シンは祠を観察し、周囲の様子にも目を走らせる。彼らを案内してきたのはサカキだけで、他の住人はそれぞれの仕事に戻っていた。

 結界の綻びは見えない。だが、何か妙な気配がする。それが何なのか、シンには言い表すことができなかった。


 キズナも同じように険しい視線で周囲を見ていたが、やがてサカキに向き直る。


「確かに、ここの結界は機能しています。ですが、清めの儀式だけで、神気を正常に維持できるものではありません。ここに住む皆さんの、毎日の祈りがなければいけないのです。それをしなくていいという巫がいるなど、同じ巫としてありえないと言わざるを得ません。その巫はあなた方に、具体的にどんな指示をしたのですか?」


 キズナの鋭い視線にたじろぐようにしながら、渋々といった体でサカキは答える。


あまはらの神のために、祈りと供物を捧げよと。特に信仰心にあつい者は、天ツ原に召し上げてくださるともおっしゃいました。その巫様は月に一度この集落を訪って、信仰心が篤いとお認めになった一人を、天ツ原に連れ帰ります。皆、今度こそ自分がそれに選ばれようと、日々教えを守って暮らしているのですよ」


 シンは思わず目をみはった。

 そんなことをすれば、互いを蹴落とそうとして、争いが起こるのではないだろうか。

 キズナがその疑問を口にすると、


「争うことなく、謙虚であれ。清い心を持てと言うのが、あのお方の教えですから。皆それを、忠実に守ろうとしております。それに――」


 サカキは、つと視線の先に広がる畑を指差す。そちらには、遠目からもわかるほど青々と作物が成長し、たわわに実をつけているのが見て取れた。


「あちらに植えられている稲や野菜は、巫様がもたらしてくださったものです。この厳しい環境でも容易に育つように、加護があるのだとか。味も美味い。そのおかげで、食料の生産量が増え、我らは飢えることなく、子もよく育ちます。……ご神体の神に祈っても、このような恵みはない」


 信ずる神を変えるには、十分ということか。

 キズナは拳をきつく握っている。地の神の存在を否定されることは、彼女にとって許し難いことなのだろうと、これまでの経緯で想像はつく。


「ちょうど、そろそろ巫様の訪れがある頃合いです。よければ、あなた方もお目通りを願ってみては?」


 にこやかに言うサカキに、キズナは感情を押し殺したような目で応じる。


「その巫、名は名乗りましたか?」

「ヒイラギ様、とおっしゃっていました」

「ヒイラギ……」


 キズナは唖然としたように、その名を呟いた。




 一行はとりあえず、その天ツ原の巫が訪れるまで、集落に滞在させてもらうことにした。サカキの家に空き部屋があったので、そこに宿を借りながら、集落の様子を見て回ったり、仕事を手伝ったりしていた。

 シンとレキはいつものように、旅先で手に入れた珍しいものと、村で作られた食料などを交換して、減った物資を補給した。これで、またしばらくは旅ができる。しかし、いままであった清めの儀式の対価としての分がないので、量は十分とは言い難かった。不足分は、労働の対価として交渉するしかなさそうだった。


 その集落に入った日の夕方、シンが畑仕事を終えて当てがわれた部屋に戻ると、キズナはヨツユに髪を梳いてもらっているところだった。部屋の隅に、アサヒが替えの着物を洗濯して干している。


「おかえりなさいませ、シン殿」


 ヨツユがシンに労いの言葉をかける。三人とも、心なしかさっぱりしているように見えた。


「ここ、温泉が湧いているんですって。あんたも入ってくれば?」

「温泉?」


 聞き慣れない言葉に、シンは首を傾げる。


「地熱で温められた地下水が、長い時間をかけて地表に湧き出してくるのよ。天然のお風呂ね」

「へえ」


 そう言われてもピンとこなくて、シンは気のない返事をする。

 水は割とどこででも手に入るとはいえ、浴びるほど無尽蔵に使えるわけではないし、大量の湯を沸かすような燃料もない。普段は絞った手ぬぐいで身体を拭くくらいが精々で、風呂など贅沢の極みだった。まあ、後で見てみるかとシンは思う。


 そうこうしているうちに、カイと一緒に外に出ていたレキも戻ってきた。カイは相変わらず、鶏のケコと一緒に行動している。ここにはカイと同じ年頃の子供もいて、遊び相手をしてもらったのか、頬に紅潮した名残があった。


「カイの引き取り手も決まりそうだぜ。困難な状況にある人に手を貸すことも、天ツ原の神の御心みこころに適う、清い行いだからってよ。寛大で結構なことだな」


 レキは肩をすくめて言うが、キズナはぼんやりと窓の外に視線をやる。


「信仰のありかたとしては、間違ってないんじゃない」

「おや、お嬢ちゃんがそんなことを言うとはな。てっきり、怒りだすかと思ったぜ」


 キズナは億劫そうにレキを見遣る。


「……別に、人々が日々を乗り越えていけるのなら、それでいいのよ。生きていくには、心の支えが必要だしね。だからこそ、一度この地の神から離れた人々の心を戻すことは、容易いことじゃないのもわかる。幸い、結界は曲がりなりにも機能しているみたいだけど……ヒイラギという巫が何をどうやっているのか、もう少し調べてみるわ」


 それからキズナは、口元に手を当てて呟く。


「……ヒイラギ……わたしが確認した状態ステータスでは、ロストになっていたはず……一体どういうこと……」


 その呟きを聞き取ったのは、近くにいたシンだけだった。

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