第三章 争乱

疑念と真実-1

「でも、魂を黄泉よみの国へ導くのも、巫の役目だって言ったよな? だったら――」


 いずれ怨念にまみれた魂たちも全て救われて、結界の外を恐れなくてもよくなるのではないか。

 そう言おうとしたが、


「無理よ」


 キズナはシンがそれを口にすることを見越していたように、最後まで言わせずぴしゃりと遮る。


「ああなってしまった彼らには、もうわたしたちの言葉なんて届かないし、何より量が多すぎて、一つ一つ導くなんて不可能よ」

「じゃあ……」


 自分たちは、結界が消えることに怯えながら、狭い世界で生きるしかないのか。どうにかすることはできないのか。


「――だからわたしは、黄泉津比良坂よもつひらさかの扉を開きに……っ」


 キズナは突然、胸を押さえて苦しそうにうずくまった。


「おい、大丈夫か!?」


 シンはその傍らに膝をつく。彼女の背中をさすろうとしたが、触れていいものか迷って、結局その手は宙を半端に彷徨った。


「……平気よ。原因はわかってるから……」


 キズナは青い顔をしながらも、懸命に息を整えようとしているようだった。しかし、少し前にも同じようなことがあったし、何でもないとは思えない。

 シンの心配をよそに、キズナは何度か深呼吸を繰り返して、何とか持ち直したようだった。立ち上がると、膝に着いた土埃を払う。


「行くわよ。時間がないわ」


 キズナはさっさと歩き出し、シンは訝りながらもそれに続く。


「お前、どこか悪いなら、旅なんて無理じゃないのか?」


 途中で倒れられたら、旅どころではなくなるし、もしものことがあったらこちらも寝覚めが悪い。だが、キズナは真っ直ぐ前を向いたままだ。


「そうだとしても、わたしにはやらなければいけないことがあるの。――この話は、他言無用よ。いいわね?」


 それは結界の話だろうか、それともキズナの体調の話だろうか。


「なんでだよ。多くの人が真実を知れば、解決方法だって見つかるかもしれないじゃんか」


 シンは真っ当なことをいったつもりだが、キズナはそれを鼻で笑った。やっぱり、こういうとことが気に食わないと思う。


「世の中、賢い人間ばかりじゃないのよ。このことが一般に知れ渡っても、無用な混乱を招くだけだわ。だから、くれぐれも誰にも言うんじゃないわよ」


 確かに、この事実が世間に広まれば、混乱することもあるかもしれない。でも、シンは今見聞きしたことを、知らない方がよかったとは思わなかった。知らなければ、考えることもできないのだから。


 だが、キズナは続けて言う。


「特に、あのレキって奴。わたしには、あの人がどうも信用できないわ」


 吐き捨てるように言われて、シンはやや面食らう。

 確かに、レキの言動にはシンも胡散臭さを感じていたが、年上の人間がいて多少心強い部分があったことも否定できないし、キズナの言うことに即座に賛同することはできかねた。

 そんなシンの心を見透かしたように、キズナは言葉を重ねる。


「ねえ、月読命ツクヨミノミコトはあんたに力を貸すと言ったけれど、わたしと行動するのが嫌なら、笛と勾玉をわたしに渡して、ここで別れてもいいのよ」


 言われて、シンは一瞬言葉に詰まった。

 笛と勾玉は渡したくない。だが、キズナはこれが必要なのだと言うし、双方の望みを叶えようとすれば、共に行動するのが最善と思われた。そして、シンには明確に目的地があったわけではないし、彼女と一緒に行くことを拒む積極的な理由もない。


 なんとなく釈然としないものが残っているのは否定しない。大舞台の一幕だけを見せられて、まだ大事な部分があることを隠されているような。

 それでも、この先に何があるのか、見届けたいと思った。自分にその資格があるのなら、尚のこと。


「一緒に行ってやるよ。お前、なんだか危なっかしいしな」


 シンが軽く笑いながら言うと、キズナは一瞬目を見開いて、すぐに逸らした。


「……後悔しても、知らないから」


 自分で決めたことだ。後悔するもしないも、覚悟して受け止めるだけだ。そう思った。

 



 シンとキズナは、その後はほぼ無言で歩いた。彼らも疲れてはいたし、山道を歩きながら会話するほどの余裕がだんだんなくなっていった。

 キズナは、黄泉津比良坂の扉を開くと言っていた。それが何を意味するのか疑問だったが、聞くタイミングを完全に逃してしまっていた。


 しかし、考えている間にも、容赦なく時間は過ぎていく。


 シンたちが結界の外から戻ってきたのは夕方、既に辺りは暗くなっているが、安全な寝床を確保するためには、やはりご神体の近くまで行かなければならない。夜は死者たちの怨念が強まり、結界の内側にいても捕らわれてしまう可能性があるからだと、キズナが言ったからだ。


 その辺りに落ちていた枝に、念のため持っていた松脂まつやにで火をつけ、足元を照らしながら歩く。疲労で挫けそうになる足を叱咤しながら歩き続け、山の麓に焚火の明かりを見つけた時は、心底ほっとした。


 とはいえ、あの焚火を囲んでいるのがアサヒたちとは限らない。一応の用心をしながら近づいていったが、シンとキズナがそこにいるのがアサヒたちとハヤテだと確認できたのとほぼ同時に、向こうもこちらに気付いたようだった。目に涙を浮かべたアサヒとヨツユは、キズナに抱きつかんばかりに飛び出してきて、その無事を喜んだのだった。

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