残されたもの-8

 それから、彼らは来た道を急いで引き返した。色々と聞きたいことはある。キズナと神様たちだけにわかる話をされて、シンだけが蚊帳の外に置かれたような居心地の悪さがあった。しかし、ここに長居は無用だ。ともかく、無事に話は無事に帰ることができてからだ。


 ほとんど無言で歩き続けた一行は、なんとか結界の内側、出発地点に帰り着いた。気が緩むとどっと疲労が押し寄せてきて、シンはその場にへたりこんでしまった。知らず、息を詰めていたようだ。大きく息を吸うと、緑の匂いのする空気が肺を満たす。生きていることを実感して、心底安堵した。


 ユイも大儀そうに頭を振り、ふう、と深々と息を吐いた。神に呼吸やその他の肉体的な活動があるのかどうか、シンは知らないが。


『大儀であったのう。……さて、わしも疲れた。少し休ませてもらうぞ』


 欠伸あくび混じりに言うと、ユイの姿は輪郭がぼやけたようになり、見る間に細く小さな白蛇の姿に戻っていた。こうして変化するところを目の当たりにしては、この白蛇と、先頃の人の姿をした神が同一のものだと、信じざるを得なかった。

 キズナは大事そうに白蛇を腕に抱き、懐に収める。それから二人は、水筒の水を飲んで携帯食を少し口に入れ、一息ついた。


 二人とも無言だったが、シンはちらちらと横目でキズナの様子をうかがっていた。先程の彼らの会話を反芻すると――否、キズナたちと出会ってからずっと感じていたことだ。彼らだけが知っていて、シンは知らないことがたくさんある。

 だが、これまでの傾向からして、聞いたところで素直に答えてくれるのか。そして、何から聞けばいいのか、シン自身も混乱している部分が、少なからずあった。


「……なあ、お前、母さんの――アオイのことを知ってたのかよ?」


 竹筒の水筒を傾けていたキズナは、口元を袖で拭うと、視線を落とす。


「……知らないの。は、きっと面識があったんでしょうけれど」


 また奇妙な言い回しだ。まるで、〝キズナ〞という少女は、自分一人ではないとでも言うような。


「どういうことだよ?」


 聞いても、キズナは手の中で水筒を弄んで押し黙っている。彼女は質問に答えてくれるのか。シンはキズナが口を開くのを待とうと思ったが、じりじりと時間だけが過ぎていく。

 シンは痺れを切らして、休憩を終わりにして先に進もうと思った。とりあえず、先行しているアサヒやヨツユたちが心配しているだろうし、急いで合流しなければ。


「ともかく、行こうぜ。ここで野宿するわけにもいかないし」


 間もなく、夜になってしまう頃合いだった。別れた彼らがどこまで行っているかはわからないが、ご神体から離れた場所で野営することは避けたい。

 促すと、キズナはのろりと立ち上がった。そして、心を決めたように、歩きながらぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「……ねえ、わたしはあんたをどう扱っていいのかわからないの。あんたはアオイの笛を正当に受け継いだ。であれば、あんたには巫の知識を受け取る権利がある。でも、単なる好奇心だけなら、首を突っ込まない方がいい。その笛と勾玉をこちらに渡して、あんたは何も見なかった、聞かなかったことにして、違う方向に行きましょう。……どうする?」


 そう語るキズナの瞳は、静寂に満ちているようだが、同時に奥底に底知れぬ炎を湛えているようで、シンはそれに気圧されて、思わずたじろいだ。

 そんなことを言われても、キズナが何をしようとしているのかわからない以上、迂闊な答えをすることはシンにはできかねた。彼女が悪人ではないと思いたいが、悪事に手を染めるようなことはしたくない。


 両者はしばし睨み合う格好になったが、やがてキズナが視線を逸らす。


「……まあいいわ。知りたいことがあったら、教えてあげてもいい。何から聞きたい?」


 キズナは再び歩き出しながら言う。

 シンは少し考えて、


「じゃあ……あの鏡。あれで何をしていたんだ? 母さんの魂も連れて行くとか言ってたよな?」


 キズナが度々取り出している、小さな鏡。あの中に、母の魂だと言われた光が、吸い込まれていったように見えたし、カイの集落の近くで舞った時も、それを使っていた。一体、何をしていたのか。


「……この鏡には、死者の魂が収めてあるの。彼らが迷わないように導くのも、巫の役目の一つ。人は死んで肉体を失うと魂だけになるけれど、何もしなければ霧散して消えてしまうか、その場に留まって呪いを振りまく存在になってしまう。わたしはそうなる前に回収して、黄泉よみの国へ連れて行ってあげたいのよ」

「黄泉の国……?」


 神話か何かで聞いたことがある。死者の魂が行くという、この大地の母なる女神が治める場所のはずだ。それも実在するというのか。


「結界の外に、鬼なんていないわ。瘴気と言われているものの正体は、黄泉へ下れなかった死者の怨念。呪いにまみれてしまった彼らは、生きているものを許さない。――おかしいと思わなかった? 戦争や環境汚染やらで、地上は住めない場所になったって一般の人の間では言われているけれど、だったら物理的な壁でもない結界で、人の住む領域が守れるはずないじゃない。結界はね、呪いからわたしたちを守っているのよ」

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