残されたもの-7
シンは怪訝な顔をする。この月読という神は何者なのか。母のことを知っているのか。
しかし、最期ということは。
「母さんは……やっぱりもういないんだな……」
元より、生きてはいないだろうと思っていた。だが、心のどこかでもしかしたらと思っていた部分があったのも否定しきれない。旅を続けていれば、ひょっこりどこかで会えるのではないかと。
『そう気を落とすな。アオイの魂は、まだここにある。もっとも、これも消える寸前だが。巫が来てくれたのなら安心だ。連れて行ってやってくれぬか』
月読が言うと、その掌の中にぼんやりと淡く光る白い玉のようなものが出現した。
「それって……」
『あの娘の魂だよ。だが、もう自我も消えかかっている。会話なんかはできぬぞ』
あれが、母の魂。シンは胸が締め付けられるような気持ちで、それを見つめた。目の奥がつんと熱くなり、慌てて目を伏せる。
『もしもお前にもう一度会うことができたら、きちんと聞こえなかったかも知れぬから、改めてこう伝えてほしいと。何があっても、強く生き抜け。それから、傍にいてやれなくてすまない、と』
シンは、嗚咽を堪えるのがやっとだった。母の最期の言葉は、ちゃんと聞こえていた。それを胸に、寂しくても悲しくても、何とか今まで生きてきたのだ。
思えば、母と別れてからは、毎日を生きていくのに必死で、寂しくて泣くことはあったけれど、こうして死を悼んで泣いたことはなかった。考えてみれば、それも当然だ。死んだなんて、信じ切れていなかったのだから。
けれど今、こうして母の魂だと言われたものを前にして、ようやく彼女の死を実感し、受け入れることができたような気がした。きちんと悲しんで、彼女のために祈った。胸の中には静かに悲しみが降り積もるが、それでも生きていかなければならないのだと。
「……では、彼女の魂は、わたしが責任を持って連れて行きます」
キズナは、ここに来るまでに何度か見せたあの小さな鏡を取り出すと、それの前にかざす。すると、その玉は鏡の中に、すうっと吸い込まれるようにして消えた。
しかし、神様に続いて魂か。実在するとは思っていなかった抽象的なものの存在を次々と見せつけられ、シンは混乱しそうだったが、見えずとも、幼い頃から母と共にその存在をどこかで感じてきたからだろうか。不思議とその事実を受け入れられる気がした。
だが、気になるのはキズナの鏡だ。
「おい。それ、何をしてるんだよ」
小声でキズナに問うが、「後にして」と素早く囁き返され、シンは押し黙る。
「これが、アオイの最期の願い、ですか?」
訝しげに問うキズナに、月読は首を横に振る。
『それもある。が、本題はもう一つだ』
月読は、シンに向き直る。
『わたしは、道返玉の力の半分を預かっている。その力を返そう』
月読が手をかざすと、シンの腰に着けていた袋から、笛と、そこに結わえられた勾玉がふわりと宙に浮かんだ。そのまま月読の指先から、勾玉の中に光が注がれていく。
それが終わると、勾玉は束の間強い光を放った後、シンの手の中に戻った。いつものように、ほんのりと淡い光が灯っている。
『アオイの力も衰えていたからな。その玉の力を借りないと、あの場を乗り切れなかった。だが、お前に玉を持たせないと、お前も生きてはいられなかった。苦肉の策というやつだ』
まあ、そのおかげでわたしもこうして今日まで存在を保っていられたわけだが、と月読は付け加える。
「じゃあ、この玉がここを示していたのは、力の半分があるからだったということ……?」
キズナが放心したように呟く。
『そうだな。他の玉でなくて残念だったな』
月読は薄く笑い、キズナは愕然としたように項垂れた。
『だが、アオイはお前との約束を守り、こうして勾玉の一つを手に入れていたではないか。それを渡すことができて、わたしもアオイの願いを叶えることができた』
「アオイとの、約束……?」
キズナは訝しげに呟く。
『なんだ、お前たち、同じことを成そうとしていたではないか。
「ああ、約束――。そうね、そうだったわ」
月読も不思議そうに言うと、キズナは頭を振りながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
『お前たちが共にいるのも、何かの導きというやつだろう。――さて、このまま消えるばかりと思っていたが、お前たちに認識されて、少しは寿命が延びた。アオイにお前のことを見守ってほしいとも言われていたし、共に行かせてもらうとしようか』
月読は気だるげに立ち上がる。顔色は、少しずつ良くなっているように見えた。
『シンといったな。これより、わたしはお前に力を貸そう』
そう厳かに宣言すると、月読の身体は淡い光の粒子になり、シンの笛を覆ったかと思うと、それと一体になるようにして溶け込んでいった。
『少し眠らせてもらうが、困ったら呼べ。いつでも力になろう。――わたしたちのことを、忘れないでおくれよ』
それを最後に、月読の言葉は聞こえなくなり、姿も見えなくなった。シンの手の中には、少し重みを増したような、そして温かな力が灯ったような笛と勾玉が残された。
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