残されたもの-4

 二人は、ひたすら歩いていく。肌にまとわりつく嫌な感じと、耳元でざわめく何かの声は止まない。しかし、こうして生きているので、徐々に恐怖心は薄れてきて、このまま目的を達成できるのではないかという気がしてきた。


 シンは、心を落ち着けようと考える。


 レキの言うことももっともだと思うが、キズナや母が、自分を騙すようなことをしていたとは思えない。思いたくない。だから、何が起きているのか、それを知った上で、自分にできることはないのか知りたい。そう思うのだった。


 道は起伏を繰り返しながら、緩やかに下っているようだった。勾配が急になっている場所もあったので、生気のない木々の間を縫いながら、足を取られないように慎重に歩く。


 だが、キズナは「加護があるから少しくらい大丈夫」と言っていたが、それはどれくらいのことなのか。それとも、この勾玉があれば平気なのだろうか。焦る気持ちもあるが、足場が悪くて速度を上げることもできないのが、もどかしくもあった。


「なあ、あとどれくらい進めばいいんだ?」


 半歩前を行くキズナは、振り向かずに答える。


「かなり近いと思うわ。多分、この先――」


 やがて森を抜けて、視界が開けた。


 そこは、かつては集落だった場所のようだった。元は畑らしかった場所には、枯れた草が今にも吹き飛ばされそうな様子で、弱々しくかろうじて地面に留まっている。そこかしこに崩れた建物の跡があるが、人も家畜も、生き物の気配はもちろんない。出しっぱなしの食器や、縫いかけの衣服が埃を被って転がっている。直前まで人々が生活していたのが、突然消えてしまったのだということがうかがえた。


 二人は廃墟の中を歩く。すると、耳元でずっとざわめいていた声が、不意に何を言っているのか聞き取れた。



――わたしたちは死んでしまったのに、どうしてお前たちは生きているの――



 そんな、恨みのこもったおぞましい声だった。そんな恨み言のような声が、男や女、子供や老人の声全てで、押し寄せてくる。


 シンは思わず耳を抑えてうずくまる。声の渦に呑まれて、押し潰されてしまいそうだと思った。

 しかしその時、何度か聞いた澄んだ歌声が、耳に届く。



 心の澄むものは かすみ花園はなぞの夜半よはの月 秋の野辺 上下も分かぬは恋の路 岩間を漏り来る滝の水



 顔を上げると、キズナが舞の時に使う扇を広げて、ぱたぱたと周囲を払うような仕草をしながら立っていた。


「だから、彼らの声をまともに聞いてはだめと、言ってるじゃない。あんたに向けて言っているわけじゃないわ。行き場のない恨み言を言っているだけだから」


「この声は……鬼と何か関係があるのか?」


 姿は見えないが、結界の外にいるのは鬼だ。しかし、キズナは悲しげに首を横に振る。


「鬼なんていないわ。ここにはね。……そんなふうに呼ばないであげて」


 そう言うキズナの表情は、ひどく悲壮感に溢れていた。その姿に、こちらまでひどく居たたまれない気分になるが、ふと彼女の隣に、見知らぬ人影が立っていることに気が付いた。


『哀れだが、救ってやることもできぬ。すまぬな……』


 周囲を見渡しながら、キズナと同じく沈痛な面持ちでそう言ったのは、奇妙な出で立ちの人物だった。

 腰まで届く長い白髪が、鈍い光を受けて輝いている。整った美しい顔立ちをしているが、中性的で、男か女かよくわからなかった。血のような深紅の瞳が印象的だった。キズナのものとは形が違う、生成り色の着物を着ている。古い資料で見た、確か狩衣かりぎぬという衣だ。


 何だ、こいつは。突然現れた見知らぬ人物に、シンは警戒を露わにする。しかし、その姿をどこかで見たことがあるような気もする。

 一瞬考えて思い出した。先日、カイの住んでいた集落に出た鬼を斬った時の、キズナの姿だ。


「そんなに驚かなくてもいいじゃない。蛇より怖くないでしょ」


 キズナは腰に手を当てて、平然としている。

 蛇? シンが首を傾げると、謎の人物はにやりと笑う。


『おう、驚いたか。ちと本気を出さねば、わしも消えてしまうからのう。これがわしの本当の姿だ』


 その声は、聞き覚えがあった。キズナと一緒にいる、ユイと呼ばれている白蛇の声だった。


「言ったじゃない。の本質は、蛇じゃないって」


 シンが目を白黒させていると、その人物――ユイはかかか、と可笑しそうに声を上げて笑った。


『いや愉快だの。わしの姿を目にできる者は滅多におらぬゆえ、こんなに驚かれたのは久し振りだ』


 曰く、蛇の姿は仮のもので、力を節約するために、普段はあの姿をしているらしい。


「……何なんだよ、あんた……」


 シンは唖然と呟く。


『そなたらの言葉で言うところの、〝神〞というやつかの。今はこの娘に〝ユイ〞と呼ばれておる』


 ユイの言いようは、どこか誇らしげだった。

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