残されたもの-3
黒曜石のような瞳で、キズナはシンを真っ直ぐに見つめる。
「……後悔しても、知らないから」
素っ気なく言うその声は、微かに震えていた気がした。
正直なところを言うと、シンだって怖い。あんな光景を見せられた後なら、尚更だ。
でも、キズナはそこに一人で行くという。自分よりも年下の少女が、たった一人で。シンにも一緒に行ける力があるのなら、行くべきだろうと思った。
後悔のない選択なんて、きっとない。旅の途中、道が分かれていて一方を選んだけれど、やっぱりもう一方を行けばよかったのでは、なんて思うことはままある。けれど、もう一方を選んでいたとしても、同じことを思ったかもしれない。だから、何を選んだとしても、後は覚悟を決めるだけだ。
そして、今キズナを一人で行かせたら後悔するだろうと、シンは思った。
「ハヤテの面倒、よろしく頼むな」
シンはハヤテの手綱を、近くにいたヨツユに預けた。ヨツユは神妙な表情でそれを受け取る。
「……キズナ様を、頼みます」
アサヒも同じ顔で唇を引き結び、シンを見つめていた。ハヤテも、心なしか心配そうな目をしている気がする。
そんな顔をされたら、恐怖心が勝ってしまいそうになる。そうなる前に、シンは強く頷き、キズナを促す。
「ほら、さっさと行こうぜ」
「……そうね」
キズナはシンをちらりと見て、アサヒとヨツユに指示を出す。
「あなたたちは先に行って、今晩休めるところを見つけなさい。そして、明日までにわたしたちが合流しなければ、カイと一緒に受け入れてもらえる集落を探しなさい」
アサヒとヨツユは悲しそうな顔をするが、何も言わない。力なく、首を縦に振るに止めた。キズナの意思を尊重するのが、彼女たちの流儀のようだった。カイはずっと、レキのシャツの裾を掴んで、不安そうにこちらを見ていた。
「何をするつもりか知らないが、まあ、この子のことは、俺が責任持って見てやるよ」
レキが呑気な調子で言うのを聞きながら、シンとキズナは、結界の境目ぎりぎりまで足を進める。
「いい? 結界の外に出たら、勾玉を掲げて、生きて戻ることだけを考えるのよ。でないと、すぐに吞まれてしまうから」
シンは眉をひそめる。この期に及んでも、キズナの言うことは抽象的で、よくわからない。
「それから、色々と話しかけてくるだろうけれど、決して耳を傾けてはだめよ。わかった?」
「んなこと言われても……」
的を射ない説明ばかりでは、具体的な対策のしようがないと思うのだが。
「生きようとする意志と願いだけが、この場の力になるのよ。イメージできないことは、実現しない。だめだと思った瞬間、わたしたちはさっきの魚みたいになるわ」
シンはごくりと唾を飲み込む。深呼吸して、砂になって散っていった魚と、あの日に見た集落の光景を打ち消そうと努力する。
そうこうしているうちに、キズナはなんの躊躇もなく、結界の外へ足を踏み出していた。
「あっ……」
思わず声を上げたが、キズナに何も変わった様子はない。
「ほら、行くわよ」
ここで行かなければ、男が廃るというものだろう。シンは意を決して、キズナの後を追う。
結界を通り抜けた瞬間、がらりと周囲の気配が変わった。澱んだ空気が、身体にまとわりついてくるかのようだ。いつにも増して肌寒いのは、霧のせいだけではない気がする。もっと怖気をもよおす何かが迫ってくる。鬼の襲撃も警戒しないといけないと思うのだが、それどころではない嫌な感じだった。
ふと、耳元で何かを囁かれた気がした。だが、キズナは前を歩いているから、彼女の声ではないだろう。
しかし、何かの声は聞こえる。内容までは聞き取れない。ざわざわと、それは何かを訴え続けている。
耳を澄ませようとしたが、袖を強く引かれて我に返った。
「耳を傾けてはだめと、言ったでしょう」
キズナの澄んだ声が響いて、シンにまとわりついていたものが散っていった気がした。
横目でちらりとシンを振り返って、キズナはまた前を向いて足を進める。その足取りに、迷いはない。二人は、木々の合間を縫って、山道を下っていく。
歩きながら、キズナはまた口を開く。
「勾玉に力を込めるように祈るのよ。その玉は、魂をあるべき場所に引き戻し、道を開く
「何なんだよ、それ」
それは何度か聞いた、不思議な呪文のような言葉だった。
「
改めて聞いても、意味の分からない、不思議な言葉だった。だが、言われた通り唱えると、少し心が落ち着く気がする。
「なあ、本当に何なんだよ、これ」
わからないことだらけだ。結界の外に何があるのか。この呪文が何を意味するのか。
だが、キズナの返答は、変わらず素っ気ない。
「機密事項よ。わたしに全面的に協力するなら、教えてあげてもいいけど」
それは、もしかしたら初めての歩み寄りの言葉だったのかもしれない。だが。
「お前の目的が何なのかわかんねえのに、協力するもしないも言えるわけないだろ」
憮然として、シンは言う。
「それはそうね。まあ、世の中には知らない方がいいこともあるし、残された時間が少ないことにも、変わりはないから」
またしても、キズナは意味深なことばかり言って、具体的なことを語ろうとしない。人を試すようなその物言いに、シンは苛立ちと不信感は消えてくれないのだった。
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